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あじろ けい

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時効の闇 あらすじ

時効のせまる事件の解決を頼まれたスメラギ。一旦は断った事件に、思いがけないところから巻き込まれていく。
*時効があった頃のお話です。グロいですのでご注意ください。

sumeragi3

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テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 プロローグ

 「ひでぇな」と言いかけ、高砂次郎は口をつぐんだ。刑事課の刑事にとって「ひでぇな」とは、いわば挨拶のようなもので、特に意味はない。凄惨な事件現場を目の当たりにして「ひどい」と口に出して言うことにより、自分はまだ殺人現場を「ひどい」と思う感性をもちあわせているまともな人間だと、周囲と、何より自分自身にアピールするのだ。
 ぼろ雑巾のように切り刻まれた死体、壊れたおもちゃのように打ち捨てられた、かつて人間であったはずのもの。現場をこなすにつれ、それらが日常の風景と化し、テーブルに並んだ食器を眺めでもするかのように、死体をみても動じなくなるようになる。冷静なだけだと思いたいが、その実、慣れが人間性を磨耗しているのではないかと不安になる。
 ひょっとして自分も、平然と殺人を犯したものたちと同じ感性なのではないのか ― その恐怖心から、「ひどい」という言葉がいつしか口をついて出るようになる。「こんなひどいありさまを目のあたりにして、ひどいと思える俺はまだまともな人間だ」という意味だ。
 だが、その現場に足を踏み入れたとたん、挨拶がわりの「ひでぇな」という言葉は、高砂の喉の奥にひっこんでしまった。その場にいたものたちの誰もが言葉を失っていた。現場を撮影している鑑識班のカメラがたてるシャッター音だけが、まるで唯一生きているもののごとく、声をあげていた。
 冬の日差しがはいりこむ、あたたかくて明るい居間だ。ソファーにこしかければ、庭とテレビと両方とが視界に入る。フローリングの床はそのままダイニングへと続いていた。テーブルに椅子は4脚そろっていた。その先には台所があった。調味料や食料品の一部が表に出ていたが、きちんと整頓されて置かれてあり、雑然とした感じはない。黄色を基調とした台所は、その家の主婦の好みなのだろう。高砂は、美人ではないかもしれないが感じのいい、柔らかい微笑みを浮かべる女主人の姿を思い浮かべた。
 キッチンの床には、赤茶けたマットが敷かれてあった。明るいとはいえないその色合いは、壁や小物と色合いがそぐわない。近寄ってみると、それはマットではなく、乾ききって干潟のように所々がひび割れている血の海だった。潮がひいた海にぽっかりと姿を現している浮島は、かつて人間であったろう肉の塊だった。おそろしく巨大な肉の塊は殴りつけるような異臭を放っていた。
「頭部は?」
「まだ発見されていません」
「切断場所はここか?」
「血の量から判断して、おそらく」
 死体には首から上がなかった。切断面はすでに乾いて、背骨がのぼったばかりの満月のように白く浮き上がっていた。縞模様だったとおもわれる男物のパジャマは血を吸い込んで、赤茶色に変色していた。
「すいませんっ、ちょっと…」
 若い刑事が庭に面した窓から外へと脱兎のごとく飛び出していった。「おい、現場を荒らすなよ」と鑑識の声が飛んだが、聞こえているのかどうか、庭の隅で吐いていた。
 配属になったばかりの新任刑事、鴻巣一郎だ。
いつもなら、ベテラン捜査官たちが、殺人現場に気分を悪くしている若手刑事をからかうのだが、今日に限っては誰も庭にかがみこんでいる鴻巣一郎を相手にしようとしない。吐けるものなら吐いて気分をすっきりさせてしまいたい、高砂はじめベテランたちの誰もがそうおもっていた。
 戻ってきた鴻巣一郎は、すえた臭いをただよわせていた。安っぽいローションとあわせて、新人刑事のにおいだ。あと数件も殺人現場に居合わせれば、体が死臭に慣れる。体が慣れれば、感覚も麻痺して、そのうち無意識のうちに「ひどいな」という言葉が口をついて出るようになる。そのころには、すえた臭いは、歩き疲れた足元から漂うようになり、年がら年中水虫に悩まされるようになる。そうなったら、一人前の刑事だ。
「和室の母親は両足を、2階の寝室の奥さんは両手、子ども部屋の子どもは両足を切断されています。どれもまだ発見されていません」
「子ども?」
「まだ9歳の男の子です。9歳ですよ、ったく……」
 田所刑事はそう言ったきり、黙って天井を見上げていた。同じ年頃の子どもをもつ親として、犯人に対する憤りは、子どものいない高砂より強いのだろう。大きな目と受け口のひょっとこ顔の裏に、刑事ではなく父親の顔がのぞいてみえた。
 鴻巣をうながし、高砂は2階へとむかった。2階から降りてくる他の刑事は一様に黙ったまま、高砂たちにかける言葉はなかった。だが、すれ違いざまにうなずきあう男たちのまなざしが多くを語っていた。
「この犯人(ホシ)は必ずあげてみせる」 ― 戦いがはじまった。



 1月7日、xx区xx丁目坂井信行さん宅で、この家に住む会社経営、坂井信行さん(38)、妻の由紀子さん(38)、長男の徹くん(9)、同居していた母親の富子さん(68)が、死体で発見された。この日、新年の挨拶に訪れた兄の坂井圭介さんがインターフォンを鳴らしても返事のないのを不審に思い、近所の交番に連絡、かけつけた警察官とともに、変わり果てた姿の一家を発見した。警察の発表によると、死後10日以上が経過しており、死因は絞殺、遺体の一部が切断されていた。切断された部分はいまだ発見されていない。兄の坂井圭介さんによると、一家は昨年末の26日からハワイへ海外旅行に出かける予定で、6日には帰国しているはずだった。玄関先にスーツケースがそろえられていたこと、一家がパジャマ姿であったことから、出発前日の夜に殺害された可能性が高いと警察ではみている。庭に面した窓ガラスが割られており、犯人は窓ガラスを割って坂井さん宅に侵入、殺害に至ったものとおもわれる。遺体の一部を切断、持ち去ったとおもわれるが、現金や貴金属の類、車も紛失しているため、警察では、強盗と怨恨の両方の線から捜査を進めている。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 1-1

 雑居ビルの林立するなか、目指すスメラギ事務所は頭ひとつ打ち込まれて立っていた。師走の声も聞こえてこようかというこの時節、4階建てのビルの4階の窓は開け放たれ、「スメラギ探偵事務所」と読めるはずの案内が、「ス」に「メ」が、「ラ」に「ギ」が重なって、何ともおかしなことになっている。
鴻巣一郎は、薄っぺらなコートのポケットから一枚の名刺を取り出し、そこに書かれてある住所と名前を確かめた。

 スメラギ探偵事務所
 xx区xxビル4F

 全開の窓を見上げ、鴻巣はコートの襟をきつく閉めると、雑居ビルの階段をあがっていった。
 「スメラギ探偵事務所」と表札のかかったドアに手をかけようとすると、すりガラスのはめ込まれた木製のドアはきしんだ音をたててひとりでに開いた。みかけは古いビルだが、自動ドアとは、最新の設備を整えているらしい。 
 内開きに開いたドアをすりぬけると、つんと石油ストーブのにおいが鼻をついた。毛布を肩からすっぽりかけた白髪の老人が、背を丸めて、石油ストーブに両手をかざして暖をとっていた。
(よお)
「スメラギさんか?」
 振り返ったのは若い男だった。マフラーを二重三重に巻いてもまだ寒いらしく、紫色の唇を震わせていた。年頃は24、5ぐらいだろうか、短い髪を銀色に染めてハリネズミのように毛先をたてている。わざわざ染めなくても、年をとればいずれは白髪になるのになあと、鴻巣は、このごろ白髪のちらつきはじめた頭をくるりとなでた。
「俺に頼み事があるってか」
(まあな)
「ああ」
 鴻巣が警察手帳を取り出して身分を明かそうとする前に
「あんたも刑事か?」
 相手が鴻巣の正体を先に見抜いた。15年も刑事をやっていれば、警察手帳を首からさげているも同然か。1年しか続かなかった結婚生活で、妻は別れ際に「暗い目をしている」と言い、鴻巣のもとを去った。見合いで知り合い、人の裏の顔ばかりみてきた鴻巣とは正反対に物事の表だけを見る素直な明るさが気に入って結婚した。なごやかな家庭を望んだが、暗闇ばかりみてきた目には彼女の明るさはまぶしかった。人を疑うことを知らずに生きてきた彼女にとっても、鴻巣がそうと気付かずに家庭に持ち込む暗闇が恐ろしかったのだろう。
 「暗い目をしている」 ― 言われるまで自分では気付いていなかった。鴻巣の周りは誰もが「暗い目」をしていた。人が隠そうとするものをみようとする目。強面だろうと、女好きする顔をしていようと、顔つきにかかわらず、数年も刑事をやっていれば、みな一様に、人の裏側を見透かそうとする目つきになる。刑事の目だ。
 40すぎれば自分の顔だという。若いころは端正と言われたこともあったが、顔でもてたためしがない。端正とは、目鼻一そろい揃っているという意味合いだったか。40となった今では、目には見えないものをみようとする「暗い目」をした刑事の顔をしているのだろう。
 鴻巣の眼の前にいる白髪頭の若い男もまた、人の目にはうつらないものを見透かそうとする「暗い目」をしていた。同じ目をしている ― そのときはそう思った。だが、男の三白眼は、鴻巣が見ているものとは全く違うものをみるのだと知ったのは、後になってからだった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 1-2

「鴻巣一郎だ」
 胸ポケットから警察手帳を取り出してみせたが、男は一瞥をくれただけだった。
「じいさんの知り合いか?」
(俺がまともな刑事にしてやった男だ)
 “じいさん”とは高砂刑事のことか。
 そもそも、鴻巣がスメラギ探偵事務所を訪れたのは、高砂刑事がきっかけだった。
 2か月前、鴻巣は、退職する高砂から1枚の名刺を渡され、どうにも事件が解決できないとなったら、名刺の男を頼れと言われた。名刺を受け取る鴻巣に、高砂は「実は、こいつが手助けしてくれたんだ」と耳打ちした。5年前、高砂は時効寸前の強盗殺人事件を解決した。スメラギという探偵がいなかったら、事件は時効となって犯人は自由の身になっていた、と高砂は言い、それ以上は詳しく述べなかった。
 高砂のくれた名刺を思い出したのは、1か月前、脳溢血で亡くなった高砂の葬式帰りのときだった。ふと誰かが「高砂さん、あの事件だけが解決できなくて心残りだっただろうなあ」と漏らした言葉がきっかけだった。
 その事件ならよく覚えている。刑事となって所轄の刑事課に配属されたばかりの頃に起きた事件で、一家全員が殺害され、遺体の一部が持ち去られたという異様な事件だった。残された遺体の状態や他の状況証拠から、事件発生は12月25日ごろと推定され、15年目の時効の日を間近に控えていた。
高砂の供養に事件を解決しよう、鴻巣はふとそう思った。それから1か月、捜査資料をひっくりかえしたが、犯人逮捕につながる手がかりはみつけられていない。事件は継続捜査となったが、担当でない鴻巣には、時間も人手も何もかもが足りなかった。時効まで1か月あまりとなり、どうにもならんと思い、捨て鉢な気持ちで名刺のスメラギ探偵事務所を訪れることにした。
 スメラギという探偵がどんな人間なのか、高砂が解決した時効寸前の事件にどうかかわったのか、何も知らされていない。鴻巣が持ち込もうとする同じく時効を控えた事件にどうかかわっていくのか、毒蛇の入った壷に手を入れる気分で、鴻巣は賭けに出た。
「高砂さんが、あんたなら何とかしてくれるだろうと言ってな……」
 だが、時効寸前の事件の解決を手伝ってくれと言い出すのがためらわれた。24、5の若造が、警察が手をこまねいている事件にどう貢献できるというのか。
(15年だ、12月で時効になる)
「また時効寸前の事件を頼むってんなら、断るぜ」
 白髪頭の男は人の心を読むらしい。薄気味悪い思いに、鴻巣は身震いした。
「なんだ、そっちは生身の人間か」
 そういうと、スメラギは石油ストーブからやかんをおろし、湯のみに湯気のたつ日本茶をそそいで鴻巣に差し出した。
「日本茶ぐらいしかねぇんだけどよ」
「ああ」
 湯気のたつものならこの際、何でもよかった。体が芯の底から冷え切っていた。事務所に足を入れたときからだ。換気のためだろうが、この寒空に窓を開けているから外から冷気が入り込んでくるのだ。忌々しそうに全開の窓をにらみつけながら、鴻巣は、かじかむ両手で湯のみを包み込み、熱い湯をすすった。
(頼むよ、スメラギ。あの事件を解決しないことにはおちおち死んでいられないんだ)
「なあ、高砂のじいさんから俺のこと何て聞いてきたんだ?」
「じいさんが解決した時効寸前の事件を手伝ったってな」
 そうとしか聞いていなかったので、そうとしかいいようがない。警察が手こずった事件を解決したというのだから、てっきり、凄腕の元刑事が出てくるのだとばかりおもっていたら、白髪頭の若造が出てきて、正直もう帰ろうかとおもっている、とは言えなかった。
「じいさんもくえねえやつだな」
(霊がみえる男に、被害者の霊と話をしてもらって目撃証言をとったなんて言えるか、アホ)
「ま、言ったところで、どうせ、年のせいでイカれたんだろうって、相手にしてもらえなかっただろうけどな」
(年のせいとは何だ!)
「お前、一体何者だ?」
「何者って、探偵さ。浮気調査とか迷いネコ探しとか、そんなことをやってる」
「どれくらいやってんだ、この商売」
 白髪頭は片手の指をゆっくり折った。
「そうだな……5年かな」
 高砂が時効寸前の事件を解決したのが5年前。ちょうどスメラギというこの男が探偵稼業に足を入れたころだ。今でも若いのだから、当時なら20歳そこそこだっただろう。鴻巣からしたら「ガキ」のような男に、警察ですら手に負えなかった事件がどう解決できたというのか。
(あれから5年か)
「そう5年だ」
(なあ、あん時のようにさ、今度もさっさと目撃証言をとって…)
「あれは珍しいケースだったんだ。普通は誰も残っていやしないし、おとなしく成仏しちまうんだよ」
(おれはどうなんだ)
「あんたは心残りがあるから、いつまでもうろちょろしてっけどな」
(だから、その心残りをだな…)
「無理だっつーの」
「おい、何を言ってんだ?」
 スメラギという男は、まるでそこに誰かがいるかのような調子でひとりごとを呟いていた。鴻巣は怖くなった。男の視線は、鴻巣の右隣に集中している。
「大体だよ、被害者の目撃証言が仮に取れたとして、どうやって証明すんだよ。『はい、刑事さん、被害者と直接話をして、こいつが犯人だとわかりました』なんて言って、誰が信じる? だからこそ、あんただって例の事件、あとで苦労したんだろ?」
(だから、こいつを連れてきた。おれは死んだ人間だからもうどうにも手が出せんが、現役の刑事のこいつなら使えるだろう。証拠なんて、後でどうとでもでっちあげりゃいいんだ。だが、そいつをやるには生身の体が必要だ。頼む、こいつを使ってあの事件を解決してやってくれよ)
「おい……?」
 ひとしきりしゃべったあと、スメラギはしぶい顔で黙りこんでしまった。
 湯のみはすっかり冷え切ってしまっていた。石油ストーブの働く音だけがする。やかんがカチカチ鳴り、湯気を吐いていた。
「なあ…鴻巣さん、だっけか。あんたが俺に頼もうとしていることはだな…殺された被害者と話をして犯人を割り出せってことなんだぜ……」
「はあ?」
「高砂のじいさんが例の事件を解決できたのは、俺がその被害者と話をして犯人を知ったからさ」
「……」
「信じるか、俺の話」
「ば、バカバカしいっ!」
 鴻巣はソファーを立ち上がり、入口のドアに手をかけた。だが、自動であるはずのドアは閉まったまま、押しても引いても開く気配がない。
「おい、ふざけるなよっ」
 声が裏返った。吐く息が白い。よくわからないが、本能がここから逃げ出せと命じている。
(頼むから、こいつを説得してくれ。おお、そうだ、俺がここにいるって言やあいい。そすればこいつだってお前のこと、信じるだろうよ)
「無駄だよ、じいさん。信じないやつには、はなから何を言っても無駄さ。所詮、人間は自分に見えないものは信じねえんだから」
 そう吐き捨てると、スメラギはドアノブをひねった。鴻巣がどうにも開けられなかったドアは簡単にビルの廊下にむかって開き、鴻巣はその隙間に体を入れ、逃げ出すように事務所を後にした。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 補足

時効の闇 1-1 と 1-2を、反転させてみてください。

うっすらとしていた文字が浮かびあがってくるとおもいます。

スメラギの事務所にいた高砂の霊の台詞です。

そこにいるのにみえないものを体験してもらいたく、文字を白抜きにしました。バックと同じ色とはいかなかったのでうっすら見えていたかもしれませんが。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 2-1

 「何で行かせたんだっ!」
 ドアをさえぎり、鴻巣を外に出すまいとしていたのは、死んだ高砂の霊だった。鴻巣とともに事務所を訪れ、ドアを開けたのも高砂だ。
事務所にいるときは霊視防止の紫水晶のメガネを外しているため、鴻巣も高砂も、スメラギの目には霊体とうつってみえ、そのつもりで会話していたら、鴻巣は生身の人間だとわかった。霊体がそばにいるとやけに冷える。そうでなくても12月はすぐそこに迫っていて寒くなっているというのに、かわいそうに、鴻巣は、その魂が肉体を抜け出しているのではないのかというほど白い息を吐いて震えていた。
鴻巣はスメラギの正体について何も知らされていなかった。スメラギには、この世の生きた人間と同じように死者の姿がみえる。生まれつき髪が白いのは、その特異体質と何か関わりがあるのかもしれない。霊を見、霊と話ができるスメラギは、この世に心残りのある霊たちの頼み事をきき、あの世へ送り届ける仕事をしている。
「じいさん、あんたも死んだ今ならわかるだろ。生きた人間には生きた人間の、死んだ人間には死んだ人間の世界がある。生きた人間は死んだ人間の世界にかかわれないし、死んだ人間も生きた人間の世界に、顔だの足だのつっこめねえんだよ」
「それじゃなにか、お前は、俺におとなしく死んでろってのか。死んだ、殺された人たちも黙って死んでろってのか。それじゃ、それじゃあ、殺され損じゃねえか!」
「言ったろ? 死人には死人の世界とルールがある。犯人はいずれ地獄で裁きを受けるさ。殺人なら、自分が相手を殺したのと同じ方法で殺され続ける、それが地獄のルール、死人のルールだ」
「そんなら、犯人が死ぬまで待ってねえとなんねえじゃねえか。それまではのうのうと生き続けるのか? そんなの納得いかん。生きているうちに罪をつぐなうべきだろう?」
「それは生きている人間のルールが決めるこった。だから、警察があるんだろう? 警察ががんばればいいこった」
「それができてりゃ、俺は死んでまでお前のところに頼みに来たりしねえっ!」
「悪いが、犯人探しは俺の仕事じゃない。俺の仕事は、心残りの解消ってやつさ」
「じゃあ、これは仕事だ。俺の心残りはあの事件を解決できなかったことだ。お前、俺の心残りを解消しろ! あの事件のホシをあげろ!」
「ケーサツじゃないから、それは無理」
「だって、おまえ、5年前のときは…」
「あれは俺の個人的事情が絡んでたからな」

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 2-2

 5年前、20歳になったばかりのスメラギは住む家を探していた。成人したとたん、親の役目は果たしたからと父親に家を追い出され、当の父親もまた家を売り払い、放浪の旅に出てしまった。しばらくの間、幼なじみの美月龍之介の家にやっかいになりながら、皇(すめらぎ)の家を売るときに世話になった不動産屋を介して、おんぼろアパートの六畳間を借りた。金のない学生が多く住んでいるアパートで、スメラギの部屋では以前に学生の自殺者が出た。もっぱら「出る」という話で借り手がつかなかったのを、スメラギがただ同然の家賃で借り受けた。
父親と付き合いのある不動産屋は、スメラギの霊視能力を承知していた。この不動産屋が、霊がいるかどうかを見て欲しいとスメラギに頼みこんできた。
物件は雑居ビルの4階、現在スメラギが事務所として使っているその場所だ。
かつて小さな会計事務所が入っていたその場所で、15年前、強盗殺人事件が起きた。留守番をしていた3人の女性事務員が全員殺され、金庫の現金が盗まれた。事件が解決されないまま時が過ぎ、会計事務所は立ち退いたが、その後に借り手がつかなかった。事件は大きく取り扱われたため、殺人事件があったビルだと知らないものはいなく、殺された被害者たちの幽霊が出るという、まことしやかな噂があった。その噂は、家賃の安さに惹かれたテナントが3か月ももたずに出て行くという事が引き続いて起こって裏づけされた格好になった。誰もいない事務所で、キーを叩く音がする、無言電話がかかってくる、机の上のものの配置が変わるなど、不可解な出来事が続き、とうとう借り手がいなくなってしまった。
強盗殺人事件の被害者たちの幽霊が出るというその場所に行き、はたして幽霊がいるのかどうか見てくれないか ― それが不動産屋の頼みだった。
スメラギが見たのは、2人の女性たちだった。ともに20代前半ほど、強盗事件の被害者たちと年代が一致する。自分たちが殺されたと信じられず、死神が魂の回収にやってきたとき、とっさに身を隠し、あの世へ行き損なってしまった。スメラギは、2人にあの世に旅立ってもらおうと、死神を呼び出した。
だが、2人は死神に連れられてあの世へ行くことを承知したものの、犯人が捕まるまではこの世にとどまり続けるといってきかない。では犯人を知っているのかと聞けば、2人とも知らないという。
「知らないというのは、まったく見知らぬ人か」と聞くと、「顔は知っている」と人が口をそろえて言った。
「じゃあ、知り合いか」と聞くと、「知り合いではない」という。顔は知っているが、名前は知らない。会計事務所の顧客でもないという。それで「顔を知っている」とはどういうことなのか。
「ビルの外壁の塗り替えをしていた人だ」 ― と誰かが言った。外壁の塗り替えが終わった一週間前までビルに出入りしていた男で、顔は見知っているが、名前は知らない。それでも手がかりには違いないだろうと、スメラギは警察へ匿名で情報を入れた。だが、警察はすぐには動かなかった。というのは表向きにはそう見えただけで、実際には高砂刑事をはじめとした当時の担当刑事たちがスメラギの情報に色めきたった。事件当初から、その男には疑いがかけられていたが、これといった証拠がなかった。
 高砂は事件現場となった雑居ビルの4階を訪れた。事件当時、壮年だった高砂の頭はさびしくなり、階段をあがる足の節々が痛んだ。
 事件現場を訪れた高砂は驚いた。事件から15年近くが経っているというのに、現場は当時そのままに保存されていた(実は事情があってスメラギがそうしたのだが、この時の高砂はその事情を知らない)。
 応対に出たのは、白髪の若い男だった。高砂と男は、簡単な世間話をした。男は事件を知っていて、自然と会話は事件のことになっていった。そのうち、高砂は奇妙なことに気付いた。男の年齢はどうみても20歳前後、事件当時は5歳ぐらいだろう。新聞などで事件を知ったにしても、やたらと詳しい。きわめつけは、男の放った一言だった。男は「ひどいもんだよね、ドライバーで刺し殺すなんて」と言ったのだ。
 凶器は特定されていたが、公表はされていない。犯人でしか知りえない情報を、なぜこの白髪の男が知っているのか。
 高砂が問い詰め、スメラギはとうとうすべてを告白した。
 「信じないだろうね―」
 捨て鉢にスメラギはそう言ったが、高砂は信じた。年をとって、奇妙な現象のひとつやふたつ経験していたからか、あるいは超常的なものを信じたいという気持ちがあったからか。長い警官勤務を経、解決に至らない事件に出くわすたびに、被害者=死者にむかって知っていることがあったら話してくれよと祈ってきたからかもしれない。
「なあ、頼むよ、スメラギ」
 一家惨殺事件の被害者の霊と話をして犯人を捜しだしてくれと頼む高砂が深々と頭を下げ、禿げ上がった頭頂部を眼の前にしながらも、スメラギは首を縦にふろうとはしない。
「じいさん、何だって、その事件にこだわるんだ」
 もしや引き受けてくれるのかと、高砂は期待に顔をあげたが、スメラギの渋い表情に、期待は泡と消えてしまった。
「葬式で、みちまったからなあ……」
 高砂の目には、今もそのときの光景が目に焼きついている。出棺のとき、ひときわ周囲の涙をさそったのは、小さな棺おけだった。わずか9歳で凶行の犠牲となった一家の長男、坂井 徹の遺体が納められた棺おけだ。その遺体には両足がない。
 軽々と運ばれていく小さな棺おけの小さな遺体は、軽々しく扱われた命そのものだった。必ず犯人をあげてみせる ― 目頭をあつくさせながら、高砂は固く心に誓った。
「じいさん。じいさんの悔しい気持ちはわからないでもないけどさ。事件のことはあのおっさん刑事にまかせときなよ」
「……」
「ああっと、いっとくけど、自分が死んだからって、被害者の霊とコンタクトしようなんて思うなよ。大概は生まれ変わっちまってるし、そうなると昔のことは覚えてねえしな」
「そうなのか……」
「言ったろ。死人には死人の世界とルールがある。あんたは死んだばっかりで何も知らねえだろうけどな。余計なこと考えてねぇで、おとなしくあの世へいっときな」
 高砂の魂をあの世へ連れていってもらおうと、スメラギは死神を呼び出すべくケータイに手を伸ばした。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 3-1

 被害者と話ができるってんなら、警察はいらねえや―
 調書のコピーをくる鴻巣の手が荒れている。
 高砂は何だってあんなインチキ霊能者なんかにひっかかったんだ。幽霊なんか、いるわけないじゃないか、子どもじゃなるまいし、いい大人が、しかも還暦過ぎのベテラン警察官ともあろう人が、「被害者と話ができます」なんて眉唾話に何でのせられたんだか。
 「霊がみえます」だの「霊がこう言ってます」だのというものは、心理トリックってやつだ。インチキ占い師が使うのと同じ手口だ。「悩みがありますね?」って聞かれたら、それは誰だって大小の差はあれ、悩みはある、「はい」って言うだろう。
 「霊がいる」と言われたら、信じるものは「それはきっと亡くなった母です」とか何とか口走ってしまう。そうなったらしめたもの、「亡くなったお母様がうんぬん」と勝手に話を作ればいい。どうせ真実なんて確かめようがないんだから、でたらめ言ったってバレやしない。先方は、自分が母親だ、って答えを言っちまったことなんかすっかり忘れて、霊能者ってやつが母親の姿をみた、と勘違いしてくれる。そういう仕組みだ。
 なんで、還暦過ぎた人生経験豊富な高砂がそんな簡単なこともわからなかったのか。
 刑事としても、人としても、鴻巣は高砂を尊敬していただけに、子どもだましのトリックに騙されたのが自分の肉親のような気がして、やたらと腹立たしい。
 高砂は昔かたぎの刑事だった。犯罪者も人の子だ、が口癖で、現場をなめるように確かめるのと聞き込みがその捜査手段の主だった。どんなにうまく証拠を消したつもりでいても、所詮は人間のすることだ、犯人は必ずナメクジのはった後のような痕跡が残している、そう鴻巣に教え、被害者の人間関係、現場の周囲の聞き込みを徹底するよう、叩き込んだ。ぬめぬめとした人間関係をあらっていくうちに、犯人や犯人につながる事柄に出くわした。
 容疑者と思われる人物にたどりついたら、高砂は食らいついて離れなかった。犯人も人の子なら、こちとらも人間だと言って、徹底的に向き合った。自分の犯罪を自慢したくてしょうがない腐った野郎には、そのねじまがった自尊心をくすぐって自供させてやったし、こいつには一言言っておいてやらないといかん、という犯人には説教たれた。殴られる痛みを知らなかった若者を殴りつけたこともあった。涙もろくて、犯罪に走らざるをえなかった事情をかかえた犯人に同情して泣いたりもした。いい年をして、感情の起伏が激しく、いい意味で大人でない人だった。
 それでも社会常識はあったろうに、そんな高砂が何故インチキ霊能者に騙されたりしたのか。
 殺された被害者と話ができるなんてこと、まともに受けていられるものかと、鴻巣は憤然たる思いで、かつての調書の写しをめくっていた。何か見落としているものはないか、犯人につながるものがあるとすれば、それは必ず調書にあるはずだ、当時見過ごされてしまった何かが。被害者の霊と直接話をすれば、簡単に犯人が逮捕できるではないかなどと考えるのはバカげている……。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 3-2

 富士見台一家殺人事件と呼ばれる一家惨殺事件が発生したのは、19xx年の暮れごろだ。正確な事件発生日と時間はわかっていない。近隣に住む兄の坂井圭介が正月の挨拶に一家を訪れ、一家の惨殺体を発見、事件が発覚した。発見当時、遺体は腐乱しており、兄と近所の証言から、一家が凶行にあったのは、家族そろってハワイ旅行に出かける前日、12月25日の夜から未明にかけてだっただろうと推測される。
 前日の夕方には、妻の由紀子が留守を頼むという話を近所にしており、夜には兄の圭介が一家に明日からの旅行を楽しんでくるようにという電話をかけている。この時点で一家に変わったところはなかった。
 事件現場の玄関先にはスーツケースが並べられていたから、旅行の準備をして就寝したところを襲われたのだろう。遺体が身につけていた血みどろの衣服はパジャマだった。
 近所に、旅行に行くのでと言ったのは留守を頼むという意味合いもあったのだろうが、それがかえってあだとなった。しめきった雨戸は用心のため、見当たらない車は空港までの足だっただろうと、怪しまれなかった。雨戸で隠されていた割れた窓から死臭が漂ったはずだが、年末年始の溜まった近所の生ゴミだろうと見過ごされてしまった。期さずして、事件の発覚は遅れてしまった。
 明けて1月7日、その日は一家が旅行から帰ってくつろいでいるはずの日だった。年末から年始にかけて旅行へいっていた弟一家と、同居する母親への遅い正月の挨拶に訪れた兄がみたものは、変わり果てた姿の一家だった。
 玄関の呼び鈴をいくら鳴らしても人が出てくる気配はない。数日前には帰国しているはずだというのに、郵便受けには新聞がたまっている。車がなく、買い物で留守にしているかとも思ったが、母親ぐらいいてもいいはずではないか。
 不審に思った兄が庭先へまわると、雨戸がほんの少し開いている。指をいれて引き開けると、割れた窓ガラスが目に入った。嫌な予感に、窓から居間へあがった兄が最初に目にしたのは、台所で倒れていた弟の無残な姿だった。
 一家の主、坂井信行は台所で殺された後、頭部を切断されていた。同居していた母親は同じく1階の和室の布団のなかで左腕を切断されてみつかった。妻の由紀子と長男の徹は、2階のそれぞれの寝室で、由紀子は右腕を、徹は両足を切断された状態で発見された。
 司法解剖によれば、殺害されたのはクリスマス前後、すでに腐敗がすすんでいたため、正確な日時は割り出せなかった。死因は絞殺または窒息死、おびただしい血が残されていたが、これは遺体切断によるもので、死後直後に行われたものとみられている。
 捜査は、物取りと怨恨の両方から進められた。
 家は荒らされ、現金(旅行用のものと思われる)と貴金属がなくなっていた。盗みに入ったところを主人にみつかって凶行に及んだか、それとも恨みがあって一家を殺害、強盗にみせかけるためにめぼしいものを盗んでいったのか。
 強盗説を怪しむ声は、捜査の早い段階であがっていた。強盗が入ったと思わせるには不審な点があった。ひとつは侵入経路だが、玄関の戸は施錠されており、鍵も、兄の合鍵を含め、全部の存在が確認されている。とすれば、割れた窓ガラスがあやしいのだが、この窓ガラスの割れ方がくせものだった。窓は、内から外にむかって割られていたのである。庭先に散らばる窓ガラスの破片を踏みそうになって叱られた鴻巣はよく覚えている。侵入しようとして外から割られたのなら、ガラスの破片は居間のフローリングの床の上に散っていなければならないのではないか。
 部屋の荒らし方も、舞台装置がかっていた。盗む側には、効率的な荒らし方というものがある。やたらめったら部屋を荒らしていたのでは、時間ばかりかかってしまうし、いざ逃げようというときには足の踏み場もないということになりかねない。彼らは、めぼしい場所を集中的にねらう。だが、現場にはその痕跡がなかった。箪笥などはあけられていたが、引き出しの戸が出ているものと出ていないものがある。盗みに入ったのなら、すべての引き出しを確認するのではないのか。
 そして何より、遺体の状況が強盗の可能性を否定していた。盗みに入ったところをみつかり、殺した。そこまではありえるとして、人目につき、後で処理に困る遺体の一部を持ち帰ったりするものだろうか。
 捜査は、次第に怨恨説へと傾いていき、高砂警部筆頭に、被害者の交友関係が調べられた。
 被害者、坂井信行は、近所で小さなスーパーを経営していた。経営はうまくいっておらず、多額の借金を抱えていた。銀行のみならず、消費者金融、いわゆる街金からも融資を受けており、近所の証言によれば、うさんくさい人間が一家の周りを徘徊していたこともあったという。借金返済が滞ったあげく、みせしめとして殺されたのではという説も浮かんできたが、確証をつかむまでには至らず、捜査は行き詰ってしまった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 3-3

「何の調書ですか?」
 強いにおいが鼻をついた。デパートの化粧品売り場と同じにおいに、鴻巣は息苦しくなった。刑事課に配属になったばかりの土居 翔だ。鴻巣が若いころは安っぽい整髪剤が新人刑事のにおいだったが、このごろではブランドものの香水がとってかわったらしい。名前まで翔と艶かしい。25にもなって翔だなんて、子どもでもあるまいし、70のじいさんでも翔とは若作りもいいとこだ。
「あ、15年前の一家バラバラ事件。確か、もうすぐ時効ですよね」
 大学出の坊ちゃんは何にでも鼻をつっこみたがる。ドラマか映画か、はたまたミステリーファンなのか、土居は、刑事課の刑事は難解な事件を抱えているものだと思いこんで、小さな事件をなおざりにするきらいがあった。
 ドラマのような事件は実際は少なく、多くは金と色と欲が絡んで、犯人は大抵被害者の知り合いから見つかる。あと数ページというところで意外な人物が犯人でした、なんて下手なミステリーのような筋立ては現実にはない。もちろん、密室殺人もだ。事件捜査をパズル解きか何かのように考えている土居には、借金のもつれ、痴情のもつれといった、単純な事件を扱うのがとてつもなく苦痛らしい。
「何か事件の解決につながりそうな新しい証拠でも出たんですか?」
 土居の目がぎらついている。時効直前の事件解決となれば、マスコミがほってはおかない。まして、一時期世間を騒がせた一家バラバラ殺人事件だ。その優秀な頭脳をいかんなく発揮し、事件を解決してみせれば、地位も名誉も一歩手の内に近くなる。土居はそう考えているに違いない。
(そうはさせるか)
 殺人事件解決は、頭の体操パズルじゃねえんだという、鴻巣の意地が調書を閉じさせた。
 事件の中心には、人がいる、血が流れる。大学で何を勉強してきたか知らないが、“データがどうのこうの、プロファイリングがなんの”と言ってばかりで、ろくに人生経験もないやつに、人間のどろ臭い部分がわかってたまるか。
 確かに、頭の回転はいい。捜査会議などでも、時々、上の連中をその弁舌でまいてしまう。だが、鴻巣には、ただ単純なことをもったいつけてくどくど言っているに過ぎないように聞こえる。握り飯がうまいのはおかあちゃんが握ったからだ、ということを、米がどうの、水がどうの、炊き方がどうのと講釈たれているようなものだ。うまいものはうまい、それでいいじゃないかという鴻巣は、だから他ほど土居を買っていなかった。
「怨恨の線で捜査していて…でも怨恨の線じゃないでしょうね」
 確かに異常な事件だった。子どもを含む一家全員が殺され、遺体の一部が持ち去られた。見た目の異常さに惑わされまいという鴻巣と対照的に、土居はひたすらその異常性にくらいついていた。
「窓ガラスが外側にむかって割られている。外から入ったならガラスの破片は内側、リビングのフローリングに散っているはずですよね?」
 現場写真をみながら、さも大発見したかのように得意げな土居だが、そんなことは現場に足を踏み入れた瞬間にわかりきっていた。何より、庭先に散ったガラス破片を踏んで鑑識に起こられたのは、鴻巣自身なのだから。
 現場も行きもしないで、あの死臭を嗅がずに事件の解決ができるか―
「現場百遍!」
 ふと、現場へ行ってこい! そう高砂に怒鳴られた気がした。
 捜査に行き詰まって調書を睨んでいると、高砂は頭を叩き、「お百度を踏んでこい!」と鴻巣を現場へ向わせた。当たり前のことは見過ごされ、調書から漏れてしまう。何か見落としているものはないか、五感を最大限に働かせて、どんな些細なことでも見逃すな。高砂はそう鴻巣を叱咤激励した。
(まさか、いるわけじゃないだろうな)
 高砂の霊でもいるかと、鴻巣は背後を振り返った。土居が不思議そうな顔をした。
「何です?」
「いや、別に」
 鴻巣は、調書を土居の手から奪うと、机の引き出しにしまった。
「ちょっと出てくるわ」
「はい」
 「僕もいきます」とは、決して言わない男だった。もっとも、言われたところで、土居についてきてもらいたくなかった鴻巣は困ってしまっただろうが。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 4-1

 事務所の黒電話が鳴り、三度目のベルで、事務員の山口京子が受話器を取った。
「はい、スメラギ探偵事務所。あら、切れちゃった」
 電話が鳴ってもすぐにとらない、相手に話す心の準備をする時間を与えろと教えられた京子は、3度目のベルで電話を取る。だが、幽鬼の京子が話しかけても、相手には何も聞こえないので、かけてきた相手は不審に思って電話を切ってしまう。自分が死んでいる意識のない京子は、首をかしげながら、書類の整理の仕事に戻った。
 京子は、20年前に起きた会計事務所強盗殺人事件で殺害された女子事務員の3人のうちのひとりだった。2人まではスメラギが呼んだ死神に連れられてあの世へ旅立ったが、京子だけが自分が死んだとは知らずに今も事務所に居続けている。京子は、2人の幽鬼が成仏した後に、スメラギの前に姿を現したのだった。
 ふたたび、電話が鳴った。今度は最初のベルが鳴り終わらないうちに、スメラギが受話器をつかんだ。事務作法がなってないといわんばかりに、机のむこうから京子がスメラギを睨みつけた。
「スメラギたんて…」
「あー、拓也くん。嵐だけど。キミんとこの電話、調子悪いね。さっきかけたんだけど、声が聞こえなくてね。そろそろ、その黒電話、取り替えたほうがいいんじゃないかな」
 電話をかけてきた相手は、コトブキ不動産の嵐寿三郎だった。以前は、自分の名前の一字をとった寿不動産という名で商売をしていたが、漢字だと読めない人がいるからと、2、3年前にカタカナのコトブキ不動産と名をあらためた。「カップルにしろ、新婚さんにしろ、“ことぶき”という響きはウケがいいんだよ」と、嵐はほくそ笑む。
 50少し手前で、本人は七福神の布袋を気取っている小太りな親父だ。嵐との付き合いは、寿不動産と漢字を使っていた頃からになる。スメラギが20歳になったと同時に、スメラギの父親は、それまで住んでいた家を売り払い、放浪の旅に出てしまった。その際、世話になったのが嵐寿三郎と寿不動産だった。その後、美月の家に居候しながら部屋を探していたスメラギに今のアパートを紹介したのも、事務所を世話してくれたのも、嵐だった。
 バリトンのよく通る声で、嵐はえんえんと最新の電話機の素晴らしさを語っている。まるで家電売り場のせールスマンと話しているかのようだ。だが、時代遅れといわれようと何と言われようと、スメラギは愛着ある黒電話を変えるつもりはない。ダイヤルをまわしている間に次にまわす番号を忘れてしまったとしても、あのジジっとした音がスメラギはたまらなく好きなのだ。それに、事務所の備品を変えると京子が混乱する。自分が死んでいるとは知らない京子のために、事務所は彼女が死んだときそのままの姿で留めておきたかった。
「急ぎの用があるなら、ケータイへかけてくれたらすぐつかまりますよ」
「拓也くん、ケータイ出ないじゃないか」
 着信で相手をみて出ないことがバレそうになった。
「で、今度はどんな物件かかえているんですか?」
 風向きがあやしくなりそうだったのと、はやく話を切り上げてしまいたかったのとで、スメラギは話題を変えた。嵐がスメラギに電話をかけてくる理由はひとつ、スメラギに頼みたい事があるのだ。
「今度のはちょっと、私もはじめて扱う物件でね。いや、実際困ってるのよ」
 嵐の話をまとめるとこうだ。
 一週間前、ある男がコトブキ不動産にやってきた。60近いぐらいの年の男で、持っている家を売りたいという。それならと、手続きや手数料について説明していくうちに、嵐はおかしなことに気付いた。普通、家を売りたいというからには、よい値で売ってほしいとおもうものだが、その客は、「不動産で儲けようとはおもってませんから」と、値段については嵐の考えにまかせると言い、とにかく売ってくれたらいいという話に落ち着いた。
 男が残した連絡先はビジネスホテルのものだった。今は北海道に住んでいるといい、持ち家の処分のための事務処理のため、しばらくホテル住まいをしているのだと、男は言った。
「いやね、いいんだよ、北海道だろうと、どこに住んでいようと、何か事情があって持っている家に住んでいないんだろうからね。転勤とか、いろいろあるでしょ」
 だが、それとなく聞いていくと、家族はいない独り身で北海道に住んでいるらしい。仕事はコンビニ店の店長だという。
「家の場所は、いい場所だし。何も北海道で賃貸暮らししなくても、持ち家で住んでいたほうがいいんじゃないかとおもってね…」
 ひっかかるものを感じながら、嵐は売却の話を引き受け、2、3日前に家を見にいった。最寄の私鉄駅まで歩いて10分程度、商店街も近く、小学校までは15分ほどと、生活には便利な場所で、敷地も広いほうだ。売主の男の話によれば、しばらく人に貸していたが、思い切って売ることにしたという。
 だが、その話はウソだと嵐は見抜いた。男は、住人にはすでに引っ越してもらったというが、家はずいぶんと人が住んでいない荒れようだった。これは何かあるとおもった嵐は、近所に聞いてまわった。
「そしたらね、その家、10年ぐらい前から、売りに出されているんだけど、まったく売れないでいるんだっていうの」
 さらに話しこむと、近所の主婦は眉をひそめ、周りに誰もいないのに急に声が小さくなった。
「事件があったんだって」
 スメラギが予想していたとおりの展開になった。
 嵐が世話してくれたアパートの家賃は格安だった。部屋に入って、自殺した学生がいた(いる)と知った。自殺の理由は何だったが忘れたが、とにかく話を聞いて、死神にあの世に連れていってもらった。
 いまの事務所にも、山口京子がいた。強盗事件のあった事務所で、立地条件はいいのになかなか借り手がつかない、ついても長続きしない場所だった。
 嵐は、スメラギに霊がみえると知っている。スメラギの父親と付き合いがあり、父親は、自殺や事件のあった物件を霊視し、霊がいれば徐霊を、いなければいないと嵐に伝え、嵐は霊のいなくなった物件を顧客に紹介する。その際、「みえる人にみてもらって、すっかりお祓いも済ませてしまいましたから」と言う。たいていは、それで話がまとまる。まとまらなかったのが、スメラギが使っている事務所だった。「拓也くんなら別に問題ないでしょ」と言われ、確かに問題ないので、安い賃貸料で借りている。
 スメラギの霊視能力を借りたいというのが嵐の依頼だった。
 北海道の男が売りたいといった家では、15年前に殺人事件があったと嵐は言った。
「一家全員殺されたんだって。ひどいねえ。犯人はまだ捕まっていないっていうから、成仏してないよ、あそこの人たち。ねえ、拓也くん、ちょっとさあ、みてきてくれないかなあ」
「いいですよ、場所はどこです?」
 住所は、富士見台の住宅街、スメラギの自宅があった場所からそう遠くない。近所で殺人事件があったなんてなあとおもいつつ、スメラギはケータイを取り出し、美月を呼び出した。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 4-2

 街も年をとるものなのか。十数年ぶりに訪れた富士見台は、その厚みを増していた。街路樹は歩道を覆いかぶさるほどに成長し、改装されていたり、二世帯に姿を変えているとはいえ、住宅街であるには間違いなく、今も庭に佇む植木の太さが年月を物語っていた。
 事件を過去に置き忘れて成長し続ける住宅街でひときわ目立つのが、現場となった坂井家だった。傷痕を人の目にふれさせまいとするかのように、ブルーのビニールシートに覆われ、外壁を取り囲むようにして足場が組まれている。ビニールシートの上から、リフォームを手がける工務店の名前を掲げた垂れ幕が下がっていた。
 事件現場に立つと、一気に過去の記憶が戻って、胸糞悪くなった。あの時嗅いだ死臭が記憶の底からたちあがってくるからではない。幼い子どもまで手にかけ、両足を切断すると残酷なことができる人間がいる、そのことに気分が悪くなる。いっそ、犯人が妖怪でも化け物であれば、異形のもののすることだと気持ちを切り替えられるだろうに、殺人鬼が自分と同じ人間であるのはやりきれない。
 坂井家を眼の前に、鴻巣は考えをめぐらした。
 犯人は強盗を装った。強盗を偽装する犯人として動いてみろ。
 盗みに入るなら、どこから入る?

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 人目につきやすい玄関はありえない。ピッキングという手もあるが、玄関の鍵穴にはいじられた痕跡がなかった。第一発見者の兄が、鍵は閉まっていたと証言している。だからこそ、庭へまわって遺体を発見することになったのだ。
 庭の窓はどうだ。指の先を入れられるほど雨戸が開けられていて、内側の窓は割られていた。だが、ガラス片は内から外にむかっていた。これは庭からの窓を侵入経路と思わせるための偽装だろう。鴻巣はひとまず庭の窓をやりすごし、家の裏側へとまわった。
 隣家の庭に面した裏側には、窓が2つと勝手口が1つある。
 角を曲がってすぐにあるのは台所の窓で、通り抜けようと思えば大人ひとり通り抜けられないこともない。雨戸はなく、覗き込むとシンクがみえた。この窓から侵入したかもしれないが、窓ガラスの鍵は壊されていなかった。
 勝手口は、事件発覚当時、施錠されていた。隣家の庭に面しているとはいえ、この勝手口から入れば人目につかないものを、なぜ犯人は勝手口に目をつけなかったのか。
 勝手口となりの小窓は、浴室の換気用のもので、人が通れるほどの大きさはない。そのうえ、鉄柵が取り付けられている。
 浴室のとなりには、同居していた母親が寝起きしていた和室の窓がある。大人ひとりが余裕で通り抜けられる大きさがあるが、事件発覚時に雨戸と窓ともに内側から施錠されていた。
 和室の角をまがると、駐車場へ出る。事件発覚当時、あるべきはずの車がなくなっていた。坂井家を訪ねた兄は、買い物にでも出ているのだろうかとおもい、近隣の住人は、まだ旅行から戻っていないからだとおもっていたのだが、その後、車は発見されていない。
 駐車場には雨よけの屋根がしつらえてあり、屋根を支える柱をのぼれば2階の子ども部屋の窓に手が届く。
 2階は、梯子でも持ってこない限り、とりつくしまがない。駐車場の屋根をつたって子ども部屋の窓から侵入という手も考えられるが、それでは人目につくし、時間がかかってしまう。やはり1階のどこかから入るしかない。
 自分が坂井家に盗みに入るとしたら、どこから入るか。
 鴻巣は勝手口を選ぶ。隣家の庭は目隠しに椿が植えられてある。小学生ぐらいの背丈だが、ドアノブをいじろうとしゃがんでしまえば大人とはいえ、すっぽり隠れてしまう。ピッキングには格好の場所だ。
 だが、勝手口の戸は施錠されていた。
 犯人が強盗を装ったのなら、なぜ、侵入・脱出経路としてもっとも適当な勝手口の鍵を開けておかなかったのか。
 疑問はまだある。当時、雨戸は1階も2階もすべて閉まっていた。唯一、居間の庭に面した窓の雨戸が数センチ開いていただけだ。窓ガラスは内側から割られていた。そこが侵入・脱出経路だといわんばかりにだ。犯人が何ものであれ、どういう意図をもって、庭の窓が新入・脱出経路だとおもわせようとしたのか。
 そして、この割られた窓ガラスの細工ゆえに、捜査本部は強盗説を捨て、怨恨説をとった。
 犯人は、客として坂井家に入った。犯行後、強盗を装うため、部屋を荒らし、あたかも外から侵入してきたかのようにみせかけるために窓ガラスを割ったが、部屋の中から割ったため、庭先にガラス片が散った。窓ガラスを割ったことで満足し、ガラス片の行方にまで気がまわらず、犯人は割れた窓ガラスから脱出、雨戸を閉めて坂井家を後にした。
 庭先の雨戸をのぞくすべての侵入可能個所が施錠されていたことから、この仮説は打ちたてられる。
 窓から外へ出たというのは、ほぼ間違いないだろう。
 だが、強盗を装うのなら、勝手口の鍵を開けて外へ出ればいいだけの話だ。客として招き入れられる、犯行、強盗偽装、勝手口から外で出る、勝手口の鍵は開けたままでいい。最も侵入経路としてふさわしい勝手口が開いていれば、捜査本部もあるいは強盗説にもう少しこだわったかもしれない。
 犯人が、内側から割ってしまうというヘマをおかしてまで庭の窓にこだわった理由が何かある。しかし、それが何か、鴻巣にはわからない。いや、誰にもわからないから、今の今まで犯人は捕まっていないのだ。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 4-3

 不動産屋、嵐 寿三郎の運転する車で連れてこられたのは、嵐が電話でスメラギに霊視してくれと持ちかけたいわくつきの物件、15年前に一家殺人事件があったという家だった。
 2階建ての一軒家は丸ごと、ビニールシートに覆われ、リフォームを請け負う工務店の名前を掲げた垂れ幕が冬空に翻っている。傷は癒えても傷痕は残る。事件のあった坂井家を覆うビニールシートは、街が負った傷のいつまでも消えやらない青いかさぶただった。
 坂井家には駐車場があるにもかかわらず、嵐は玄関先の路上に車を停め、スメラギと美月を降ろした。
「それじゃ、私らはここで待ってるから、あと頼んだよ、拓也くん、美月くん」
 そう言って鍵を渡すなり、嵐はスメラギと美月を家へと追い立てた。車中には嵐と、家の持ち主で事件の被害者家族だという坂井圭介が残り、坂井は「よろしくお願いします」と助手席からふたりに頭を下げた。
 恰幅のいい嵐のせいで、猫背気味な坂井はより小さくみえ、助手席に縮こまって座っている姿は、まるで置物のようだった。黒縁の眼鏡が顔の印象の半分を占めていて、後でどんな人物だったかを思い出そうとしても眼鏡しか浮かんでこないというほど、顔立ちに目立ったところがない男で、実際、坂井家の玄関をあがったときには、スメラギはすでに坂井圭介の顔を思い出せないでいた。
 嵐は、殺人事件が起きたといういわくつきの家の売主、坂井圭介に、スメラギには霊がみえると吹き込み、亡くなった家族が未だにこの世にとどまっていないか見てもらいましょうと持ちかけた。家族の霊がいれば、神社の禰宜を勤める美月にお祓いをしてもらって…と美月も呼び出し、いわくを取り除く準備に余念がない。
 スメラギに霊がみえると坂井に信じてもらうため、あえて事件の概要はスメラギには知らされなかった。スメラギは一家全員が殺されたということしか知らずに、坂井家に入っていった。



「あの人、スメラギさんには、本当に霊が見えるんでしょうか」
 助手席からスメラギと美月の後ろ姿を見送りながら、坂井圭介が不安げに疑問をもらした。ここへ来る車中で、嵐が延々とスメラギの霊視能力について説明したのだが、坂井はスメラギの霊視を了承しながらも、その能力にどこか疑念を抱いているようだった。
「信じられないのはわかりますよ。私も、自分が体験するまでは信じられませんでしたからな」
 嵐は、自分が扱ってきた物件での不思議な出来事を話した。
「私は見えるわけではないんですが、どうにも説明しがたいことはあるのだし、何より拓也くんと知り合って、そういうことを信じるようになったんです。だから、拓也くんが調べてきてくれるまでは、ちょっと家の中に入ろうとはおもいませんねえ」
 目の前に殺された被害者の霊でも見ているかのように、嵐は肩を震わせた。
「私、ちょっと様子をみてきます」
 そう言うと、坂井は助手席のドアを開け、家のほうへと小走りに駆けていった。その後を、慌てて嵐が追った。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 4-4

 改装中とあって、家の中は殺風景なもので、家具もなければ壁紙や床板もはがされて、がらんとしている。玄関をあがってすぐに、スメラギはこの家には霊はいないと確信した。
 霊がいれば、その姿を見る前から、スメラギは霊の存在に気付く。人の気配はあたたかい体温だが、霊のそれは体の芯まで凍らせる冷気だ。寒々しい家の中には、夜のうちに冷えたままの空気が取り残されていたが、それは冬の寒さに縮こまっている空気で、霊の気とは異なった。
「よし。いねえ」
 と言うなり、スメラギは玄関のすぐ正面の階段をあがっていった。遮るものの少ない家の中に、スメラギの声が響き渡った。
「ちょっ、スギさん」
 慌てて袴の裾をからげるように、美月が後を追った。
 スメラギは2階の部屋の間をうろついていた。1階同様、2階もがらんどうとして何もなく、ビニールシートを透過した日の光が1階よりは強く、あたりは明るい青みに満たされていた。
「いないのに、何で見て回るのさ」
 追いついた美月が尋ねると
「時間稼ぎ。入ってすぐ出てっちゃ、本当に調べたのかって疑われるしな」
 と、スメラギは、やんちゃな笑顔を浮かべた。
「なあ、スギさん。僕は庭で待っててもいいかな」
 美月は寒いのか、肩を震わせていた。スメラギとは違い、坂井家で何が起きたかを知っている美月は一刻も早く家の中から逃げ出してしまいたかった。スメラギは霊はいないと言い切ったが、長くはいたくない場所だった。
「おお、わかった」
 スメラギに見送られ、美月は階段を降り始めた。
 その時だった。
 階下に何かの気配を美月は感じた。とたんに着物の下の肌に寒気が走る。美月は飛ぶように階段をかけのぼり、小声でスメラギを呼んだ。
「スギさん!」
「何だよ」
「下に何かいる」
「あー? 何もいねえ…」
 かすかな物音を聞き逃すまいと、美月はスメラギをさえぎった。じっと息を殺していると、スメラギの耳にも階下で何かが動きまわっているような物音が聞き取れた。
「いないんじゃなかった?」
「さっきから、霊の気配なんか、これっぽっちも感じないけどな。見えないお前に聞こえるんだから、霊じゃなくて、嵐のおっさんじゃねえの? やっぱり気になって様子を見にきたとか」
 スメラギと美月はそうは言いながら、しばらくの間、階下に聞き耳をたてていた。それまでかすかに聞こえていた人の歩き回るような足音は今は途絶えてなくなった。
「気のせいだったのかな」
「野良ネコとかそんなのが歩きまわっていたんだとおもうぜ」
 スメラギにそう言われ、安心した美月はふたたび階段を降り始めた。背後にはスメラギが続いた。
 階段の途中で、美月は階段下から顔をのぞかせている男と目があった。壁際から首から上だけが覗いて美月をじっと見ている。美月はおもわず足を止めた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 4-5

 鴻巣は庭先に立ってみた。リフォームのためにかけられたビニールシートの向こう側に当時の記憶をさぐってみる。
 庭に面した窓は居間に通じている。そのとなりが台所のはずだ。被害者のひとり、坂井信行が頭部のない死体となって発見された場所だ。
 庭にも手を入れるのか、草木の取り除かれた庭には当時のおもかげがない。庭いじりが好きだったという坂井信行の母が丹精こめて育てたであろう花や、当時、死体をみて気分を悪くした鴻巣が駆け込んだ椿の巨木も、根元から抜かれたのか、その姿は見当たらなかった。
 一歩踏み出すと足元で砂利が鳴った。事件発覚当時、鴻巣の足元で鳴ったのはガラスの砕ける音だった。「現場を荒らすな!」と怒鳴られた鑑識の声が耳によみがえる。
 鴻巣はビニールシートをまくった。雨戸は閉まっていなかった。当時、雨戸は1階も2階もすべて閉まっていた。雨戸が閉まったきりなら近所にあやしまれるところだが、旅行に出ると伝えられていた近所の人々は何とも思わず、事件の発見が遅れる結果となった。
 窓に手をかけてみると ―― 開いた。
 吸い寄せられるように鴻巣は居間へと足を踏み入れた。
 豪華な応接家具は今はなく、床板や壁紙は身包み剥がされ、コンクリートの土台がむきだしになっている。ビニールシートの青い光が満ちた内部はさながら海底に沈んだ船底のような不気味さを呈し、うすら寒い。鴻巣はおもわず身震いした。
 まさか…いないよな……
 鴻巣は死者の霊を思ってぞっとした。
 幽霊なんてものはこの世に存在しない、そう言い聞かせ、鴻巣は台所とおぼしき場所にむかった。台所は、最初に被害者が発見された場所だった。
 坂井信行は、パジャマ姿で仰向けになった状態で発見された。乾いてひび割れた血の海から察して、台所が殺害現場と考えられる。頭部を切断した場所でもあるだろう。パジャマを着ていたことから、犯行時刻は坂井が寝入った後、深夜ごろと考えられる。
 犯人が坂井によって招き入れられたと仮定して、深夜の訪問を快く受けてもらえるのはよほど親しい仲か、家族に限られる。別の場所で暮らしている兄・圭介をのぞけば全員が自宅にそろっていたし、圭介はその日は職場の送別会で夜遅くまで同僚たちと飲んでいた。家族以外に親しい友人、知人があったか、それとも深夜にも関わらずその訪問を受け入れざるを得ない関係の人間だったのか。
 坂井信行は、深夜にも関わらず自宅を訪れた犯人を内に招きいれた。その後、口論となったか、犯人は初めから一家殺害を目的として坂井宅を訪れたかは定かではないが、いずれにしろ、犯人の訪問後、坂井一家は全員が惨殺、遺体の一部は切断され、持ち去られた。
 通常、遺体を切断するという行為には被害者の身元を隠したいという意図があったり、死体の処理に困ったあげく仕方なく、と相場が決まっている。犯人が被害者の知人である場合、被害者の身元を隠すことによって人間関係からたどられる自分への疑惑を断ち切ろうというのである。死体の処理というのは殺害行為そのものよりやっかいで、丸ごと死体をゴミに出すわけにもいかず、結局紙くずを切って捨てるように死体を切り刻むはめになる。
 だが、富士見台事件の場合はこのどちらも当てはまらない。遺体の身元ははっきりしているうえに、切断されたのは遺体の一部だけときている。犯人はむしろ、殺されたのは誰かはっきりさせたがっており、殺害後も遺体を傷つけるという行為からは残忍性もうかがえる。
 やはり、借金がらみのトラブルか。坂井は多額の借金を負っており、捜査本部では早い段階から、坂井が金を借りていた消費者金融に目をつけていた。
その金融会社は苛酷な取り立てで悪名高く、一部資金が暴力団に流れているのではという黒い噂があった。風体のあまりよくない男たちが事件直前に坂井宅近辺をうろついていたのを近隣の住人が目撃している。借金返済が滞っている他の債務者への見せしめとして、坂井一家は殺されたのかもしれないというのが捜査本部の大方の見解だったが、何しろ推理を裏付ける確たる証拠がない。
 こうなると、被害者の幽霊にでも犯人を指し示してもらえたらという気になる。犯人が誰かわかりさえすれば、証拠探しも楽になるというものだ。何しろ犯人がわかっているのだから、その犯人を指し示す証拠さえあげればいい。何もないところから地道にひとつずつの事実をつぶしていくのとでは格段の差がある。
 神でも仏でも幽霊でもオカルトでも何でもこいと捨て鉢になっていた鴻巣の耳に、床がきしむような物音が聞こえてきた。気のせいだろうかと聞き耳をたてると、物音は頭上でたった。2階では妻と長男が殺された。まさか、自称“霊能力者”のスメラギという男の言うとおり霊は存在し、殺された被害者たちは浮かばれずに今もって家のなかにいるというのか……。

 鴻巣はコートの襟をきっちりと握り締め、玄関先へとむかった。玄関を入ってすぐ目の前には2階へと続く階段がある。壁際に体を半分以上預け、鴻巣はおそるおそる階段上部を覗きこんだ。まっすぐにのびる階段の先に、影がゆらめくのを見、鴻巣は素早く身を隠した。
 床板のきしむ音は、今ははっきりとしていた。話し声のようなものも聞こえてくる。鴻巣はふたたび壁際から顔をつきだし、階段をみあげた。
 白い着物姿の男がすべるように階段をおりてきた。あれは何だ、どこかで見たことがある、ああ、そうだ、男女どっちつかずの仏像、菩薩とやらに似ている。男と目があった。
「痛っ! おい、階段の途中でとまるなっ!…あっ!」
「おっ!」
 2人同時に声をあげたのは、スメラギと鴻巣だった。着物姿の男の背後にスメラギが立っていた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 4-6

 玄関の扉が開いて、黒縁の眼鏡をかけた男が顔をのぞかせ、階段下に集まるスメラギらを見つめていた。鴻巣を見るなり、小さく頭を下げたのは、被害者の兄の坂井圭介だった。15年前、高砂について事件を担当した鴻巣を覚えていたらしい。思い切って売ることにしたと、坂井は語った。15年目の節目に、被害者家族も過去を葬って前に進みたいのだろう、事件を精算しようとする気持ちを抱いているのは何も鴻巣だけではなかった。
「高砂さんは、ご健在でしょうか」
「1か月ほど前に亡くなりました」
「そうですか……」
 15年の歳月は確実に流れていた。当時事件を担当した高砂は今はなく、駆け出しの刑事だった鴻巣の頭には白いものがまじりはじめている。当時40少し前だった坂井は50代の坂道をのぼりはじめたぐらいだろうが、猫背も手伝って、はためには60近い老人のようにみえる。肉親のすべてを失った事件は、坂井を急激に老いさせてしまっていた。当時も今も変わらずかけている黒縁の眼鏡の奥の瞳は、いまや深いしわの間にわずかに存在するだけだった。
七福神の布袋を思わせる男は、不動産屋の嵐寿三郎と名乗った。鴻巣が刑事だと身分を明かすと、嵐は
「あの事件を調べているんですか? 犯人は捕まりそうなんですか、そうですか。犯人が捕まったら、殺された人たちも成仏できるってもんです」
 と、犯人の目星がついていて、すぐにでも逮捕できるかのような喜びようだった。
「いや、まだ犯人がどうとか……」
「今時分に再捜査ということは、何か新しい証拠でもみつかったんでしょうか?」
 坂井は小さな目を何度もしばたかせ、鴻巣に迫った。
「残念ながら、そういうことではなくて……」
 鴻巣は、高砂の供養のために勝手に事件を調べているだけだと続けた。
「供養……犯人が捕まれば、死んだ弟たちの供養にもなるでしょうか」
「そうなればいいと…思っています」
「もうすぐ時効ですしねえ……たとえこの世での罰を逃れたとしても、死んだものには時効なんてものはありませんから、罪を犯した人は後生その罪を背負っていって欲しいものです……」
 時効とは、体制側の都合でしかない。犯人が逮捕されない限り、被害者も被害者家族も、事件に一区切りをつけて前へ進めないのだ。鴻巣は、時効とは体制による責任「放棄」にすぎないと思っている。15年の末に急に追いかけっこやーめた、と言うようなもので、逃げ切った鬼の逃げ勝ちだ。
 15年という年月が短いのか長いのか、鴻巣にはわからない。だが、過ぎた時間が被害者に重くのしかかるのだということは、やけにしなびてしまった坂井をみれば明白だ。事件は坂井圭介の運命をも狂わせてしまった。
 外資系金融会社で営業マンとして華々しい生活を送っていた坂井は、事件後、弟の借金を返済するため、仕事も金も、住んでいたマンションも売り払ってしまったため住む場所も失って、今は北海道でコンビニ店店長としてひっそりと暮らしている。15年という月日は、物質的苦労だけでなく精神的苦痛を与え続け、生きている坂井からも生命力を奪っていた。



 鴻巣が嵐につかまって捜査の進行状況について質問攻めにあっている間、スメラギはコンクリートの間仕切りの間をせわしく歩きまわりながら、視線をあちこちにむけていた。鴻巣は嵐を適当にあしらいながら、スメラギの後姿を視線のはじで追った。
(まさか、本当に霊がみえるっていうんじゃないだろうな)
 鴻巣の心を読んだように嵐が
「信じられないでしょうが、スメラギさんには私らには見えないものが見えるんですよ」
「嵐さん、お化けとかそういうの、信じてるんで?」
「この商売しているとね、いろんなことがあります。“見た”“出た”なんてのは結構ありましてね。ま、殺人事件はまれとしても、自殺の出た部屋はありとある方だし、最近でないにしても、昔戦場だったとか、事故があっただとか、そんないわくのない場所を探す方が難しいですよ。
 私は何も見えませんけどね、お客さんにはそういうのに敏感な人もいるし。信じる、信じないは別にしてねえ」

「OK。何もなし。おっさん、この家には誰もいないぜ」
 スメラギがそう言うと、嵐は
「よかった、よかった!」
 と、スメラギを押し倒さんばかりの勢いで抱きつき、丸顔いっぱいに笑顔を浮かべていた。
「何もなしって何だ」
 鴻巣が絡むように言葉を投げつけてもスメラギは淡々と
「何もいねえから、何もなし。霊も塵もなし」
 と言った。
「こっちには見えないから、霊がいるかどうかなんてわからん。いるのに、お前が嘘ついているのかもしれんじゃないか」
「しらねーよ。何も見えねーから、いねえとしか言えねえよ」
 鴻巣の畳み掛けるような言い草に、スメラギはぶっきらぼうにこたえた。
 とたんに、鴻巣は腹の底から痒くなるような笑いがこみ上げてくるのを感じ、こらえきれずにとうとう声に出して笑ってしまった。
「何だよ、何がおかしいんだよ、おっさん」
 スメラギをはじめ、その場にいた全員が呆れ顔で、涙を流さんばかりに笑っている鴻巣をながめていた。
「“何も見えねー”ってか、こいつはイイ」
 スメラギが「何かいる」とでも言い出そうものなら、嘘つくなと殴りかかっていたところだが、「何も見えない」と言った。常人の目には見えないものが“見える”者にしか、「いない」と言いきれない。この男は本物なのだ、鴻巣は確信した。
 霊など存在するものかとおもっていても、もしかしたら被害者たちの浮かばれぬ魂が彷徨っているかもしれないという考えが頭をもたげる。なにしろ、“見えない”ものだから、いるんだかいないんだか、確認のしようがない。つのるばかりの恐怖心は、2階で歩き回るスメラギたちの足音を不気味なものに変えてしまった。
 それがスメラギの“いない”の一言で、あれほど薄気味悪く感じた家の中が、今やただのリフォーム中の家に変わった。内臓をこそげとられたようなコンクリートの骨身も、今はただの間仕切りにしかみえない。薄ら寒く感じたブルーシートの光は爽やかな青空をおもわせ、むしろ部屋の中に空が満ちているような明るい雰囲気をかもしだしている。
 鴻巣はおかしくてしょうがなかった。口では霊など信じないと言っておきながら、恐怖心からありもしないものを見ようとし、“見える”スメラギがさまよう被害者の霊などいないと言ったとたんに、霧が晴れるように恐怖が掻き消えていく。信じていないものを恐れていたとは、バカバカしくて仕方なかった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 4-7

 かつて凄惨な殺人事件があった家に被害者の霊は留まっていないと知り、不動産屋の嵐は上機嫌だった。そして謝礼代わりに、スメラギたちを寿司屋に招待しようと申し出た。
「寿司ってか、もっとガッツリ食えるもんがいい」
 スメラギはそう言い、刑事の鴻巣の顔をみるなり
「カツ丼が食いたいなあ」
 と言った。
 こうしてスメラギと美月、行きがかり上招待せざるを得なかった鴻巣とは、嵐と売主の坂井に連れられてコトブキ不動産の近所にある肉屋の2階へと連れられていった。
この肉屋では、売れ残ってしまった肉を無駄にしまいと、2階に食堂を持っていた。売れ残りとはいえ、そこは肉屋の肉、一切れでも余すまいという意気込みの主人は高級な部位の肉でもおしげなく料理に使うので、出てくるものはコロッケだのトンカツだの庶民的なものばかりだが、文句なしにうまい。
 注文したカツ丼がくるなり、スメラギはかじりつき、そのままどんぶりまでかじりそうな勢いで腹にかきこんでいた。
「もう15年、なんですねえ。死んだ子の年は数えるなっていうけど、今ごろ僕たちと同じ年なんだなあ」
 親子丼を片付けた美月は、日本茶で一息ついていた。
「誰がだよ」
 2杯目のカツ丼に取り掛かっているスメラギの口元には、スメラギの魔の口を逃れた米粒がはりついていた。「スギさん、飯つぶ」と美月に言われ、スメラギは口をぬぐった。
「坂井 徹だよ。ああ、スギさんが転校してくる前だから、知らないか。僕らと同じ学年だったんだ。クラスは違ったけど」
 スメラギと美月は同じ町で生まれ育ったが、両親の離婚で母親に連れられて町を出たスメラギが生まれた場所に戻ってきたのは、母親の事故死後、スメラギが12歳のときだった。ただでさえ転校生というよそ者を受け入れがたい子どもたちは、生まれついての白髪に無口でぶっきらぼうのスメラギをよくいじめたものだった。
「ほう、あんた、あの子と同級生だったか」
 鴻巣はおもわず身を乗り出していた。富士見台一家殺人事件の悲惨さは、幼い子どもが犠牲になったというところにある。坂井 徹はわずか9歳でその命を奪われてしまった。生きていれば24、5、父親を親父と呼び、酒をくみ交わしていたかもしれないのにとおもうと、鴻巣は目頭が熱くなるのを感じるとともに、あらためて犯人への憤りがこみあげてきた。
「ひどい事件だったから、学校でも話題になったんだ。夜になると教室に坂井 徹の霊が出るとか、サッカー少年だったから、夕方のグランドにサッカーボールを出しっぱなしにしておくといつの間にかゴールに入っているとか、そんな噂があったよ」
「出たぜ」
 味噌汁をすすりながら、スメラギはさらりと言ってのけた。
「出たって何がだ」
 鴻巣は息をのんでスメラギの次の言葉を待った。そのスメラギは日本茶を飲んで鷹揚に構えていた。
「その、サッカー少年ってやつ、グランドにいたぜ」
「いたって、スギさん、坂井と話したのかい?」
「おい、そいつと話したのか?」
 美月と鴻巣と同時だった。
「小学校のグランドだろ? そいつが出るって言われたの」
「ああ」
「最初にみたのは、卒業する少し前だ。いつも夕方のグランドにいて、サッカー部の連中の練習をみてたな。それから―」
「それから?」
 鴻巣は先をうながした。もしかしたら、坂井 徹は犯人について何かスメラギにしゃべってはいないだろうかと淡い期待を抱いていた。
「中学に入ったら、今度は中学のグランドでみかけるようになったな。やっぱ、サッカー部の練習をずっと見てたぜ」
「サッカーが好きだったからね」
「んで、話しかけたら、サッカーがやりたいって言うもんだから、放課後に付き合ってやってた」
「それでスギさん、よく夕方にグランドでボールを蹴っていたのか。僕はまた、サッカー好きなのにバスケ部に誘って悪かったかと思っていたんだ」
 生まれつきの白髪、霊視防止のために常にかけている紫水晶の丸メガネのせいで、スメラギは同じ年頃の子どもたちから浮いた存在だった。子どもたちはスメラギの白髪をからったが、黙っていじめられているスメラギではなく、殴り合いの喧嘩が絶えなかった。そのたびに大事な霊視防止のメガネを壊してしまい、修理するのは美月の父親だった。美月は父親からスメラギの霊能力を知らされた。自らも霊媒体質に生まれついた美月はスメラギという少年に興味をもった。
 白髪だけでも染めれば少しは目立たなくなっていじめられなくなるかもしれないのに、スメラギは頑として染めようとしない。霊媒体質に生まれ、水晶の数珠をはめていなければ霊にその体をのっとられてしまう美月は、護符の水晶を目立たないよう足首につけ、靴下で隠していた。“普通でない”と知られたら、たちまちいじめの対象にされると美月にはわかっていた。だからこそ、堂々と白髪頭をさらしているスメラギを不思議に思った。口にこそ出していわないが、自分に特異な部分があるとさらしているようなスメラギに、美月は人としての心の強さをみた。スメラギを知って欲しい、スメラギにも“普通”の中学生としての生活を味わってもらいたいと、美月は自分が所属していたバスケ部に誘ったのだった。
「その子、何か言ってなかったか? その、なんだ、犯人は誰だとか、そういう……」
「なーんも」
 掴みかけたとおもった犯人につながる糸がぷつりと切れた。だが、鴻巣はまだ諦めなかった。
「まだ、そのグランドにいるんじゃないのか! 今からでも……」
 殺人事件の被害者から犯人の目撃証言がとれるかもしれないとおもうと、いきおい鴻巣は身を乗り出さずにはいられなかった。何の手がかりもないままに時効をむかえようとしている事件の犯人を追い詰めるには、被害者の霊の助けを借りたい。目撃証言さえあれば、物的証拠なんてものは後からいくらでも細工ができる、そんな悪魔の囁きさえ耳に聞こえていた。
「とっくに成仏してるさ。俺が成仏させてやったからな」
 たちまち、鴻巣は塩をふった青菜のように萎びてしまった。
「なあ、おっさん。犯人が野放しになっていて悔しい気持ちはわかるが、死んだ人間ってのは、よほどのことがない限り、この世にはとどまっていないもんなんだ。大抵は死んですぐに死神にあの世に連れて行かれちまうしな。あの子は、サッカーがしたいって気持ちが強く残っていて、この世にとどまっていたけど」
「…ほんとに、犯人について何も言っていませんでしたか?」
 それまで押し黙っていた坂井が重々しい口を開いた。消え入りそうな、か細い声だった。
「すいません。事件のことを知っていたら、何か聞けたかもしれなかったけど、俺、なんも知らなかったから……」
「いや、いいんですよ……。サッカー好きだったから、思う存分サッカーをして、成仏してくれたっていうんなら、それでいいですよ……」
 坂井は黒縁の眼鏡をとって、あふれる涙をぬぐった。そしてそれきり、事件については触れようとしなかった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇5-1

 この15年、私は、今日こそは奴が地獄に落ちてくる日かと思いながら一日一日を過ごしてきた。
 地獄では、生きていた時に自分が犯した罪が自分の身にはねかえってくる。他人のものを盗んだなら、地獄では自分の大切にしているものが盗まれる。騙した人間は騙され、殺した人間は、殺される。地上世界と同じ風景に日常生活を営むとみせかけた地獄では、毎日のようにあらゆる犯罪行為が繰り返される。人々を守る法律はなく、あるのは「目には目を」の地獄の掟だけだった。
 あるものは体を八つ裂きにされながらなおも苦痛を味わい、一度死んだ身とあって、バラバラになった手足を動かしながら苦悶の叫びをあげる。すると獄卒たちがやってきて、体をひとつにしたかとおもうと、再び手足をもがれ、股を裂かれて悶絶する。殺人鬼のなれの果てだった。
 殺人犯や凶悪事件を引き起こした人間が地獄へ落ちるというのはわかる。だが、私は殺された被害者なのであって、地獄に落ちる道理がない。落ちるべきは、私を殺したあの男ではないのか。
 地獄へ連れてこられた私は、そう言って閻魔王にくってかかった。私をむかえにきた死神は、地獄行きに納得できなければ閻魔王に訴え出ろと言ったのでそうしたのだ。
 さんざん待たされたあげくにようやく面会かなった閻魔王は、金髪の美女だった。四方の壁から天井、足元にいたるまで真紅の執務室のソファーに、見事なプロポーションの女が体の線も露な姿で腰掛けている。私の不服をめんどくさそうに聞いていた閻魔王は、真っ赤な唇をペロリと舐めたかとおもうと、「不服申し立ての期限を過ぎているので受け付けられない」と言った。
 その後は何を言っても無駄だった。獄卒に追いたてられ、私は地獄へ落とされた。人を殺したわけでもない、犯罪をおかしたわけでもないのに、なぜ地獄へ落とされるのか。私は生前の自分を振り返った。嘘をついたことがないとは言えない。だが、人を陥れるほどの嘘をついたことはなく、正直に生きてきたつもりだ。だが、私は知らなかったのだ。生きていた頃、私の軽率な言動がもとで人ひとりが自殺していたことを。今となっても、私はどの言葉とどの行動がその人物の自殺の引き金となったかを思い出せない。それほど、私にとっては何でもない言動だった。
 その罰として、毎日来る日も来る日も、周囲の人間の言葉に文字通りに体を傷つけられ、全身から血を流しながらのあげくには獄卒に首を絞められて殺される。私を傷つける人間は毎日異なり、私は誰が私を傷つけるのかを知らない。首を絞めて殺されて1日を終えたあとにはすっかり殺されたことなど忘れて、また新たな地獄での1日を始める。傷つけられ、獄卒に首を絞められながら、ようやくと自分は地獄にいるのだとおもいだし、罪の重さに苦しみながら1日を終える。それが地獄での1日だった。
 獄卒に首を絞められると、奴に首を絞められたときの感覚がよみがえる。内臓がよじれそうなほどに捻り上げられ、絶命したあと、奴は私の首を切り落としたのだ!
 私は、自分の首が切り落とされるのを目の前で見ていた。皮膚が裂け、肉を断って、冷たい刃は骨にあたった。奴は何度も首の骨に鉈を振り下ろし、そのたびに石を削るような乾いた鈍い音がたった。何度、刃をあてがわれようと傷がつくばかりの首の骨は私の意地だった。私を殺した男への最後の抵抗だった。切られてたまるものか、私は自分の死体を足元にみながら、首筋に手をあて、しっかりと押さえていた。だが、男の根気強く打ち落とされる鉈の前に、やがて骨は砕け、頭部がごろりと床に転がった。ボーリングの球が転がったような音だな、自らの頭部を足元に、私はそんなことをおもったのだ。
 私に並々ならぬ苦痛を与えた男を、私は赦さない。だが、その男も、死んだ後には地獄に落ち、私が味わったのと同じ苦しみを味わうのだ。それだけが、地獄で1日をおくる私の心の慰めだった。
 いつかは……
 そうして時ばかりが流れていった。男は一向に地獄へやってくる様子がない。
 私はふと、人間世界で男がどうしているかが気になった。
 男は、私を殺し、女、子どもまで手にかけ、年老いた母まで殺し、遺体を切断した。それだけのことをして、世間が放っておくはずがない。警察は男を捕まえたのか、司法は奴にどんな罰を与えたのか。
 私は地獄をこっそり抜け出した。そして、知りたくないことを知ってしまった。男はのうのうと生きているばかりか、殺人犯として捕まっておらず、人間界での罰を受けていないのだ。
 私は苦しみのあまり、自分の身を引き裂いてしまいそうになった。地獄で獄卒に首を絞められるよりも、男によって殺された時よりも、男が自由の身でいることを知った時の苦しみは、はるかに強く、霊となった私を粉々に打ち壊さんばかりだった。
 だが、私は耐えた。たとえ人間界で罪を逃れたとしても、男には地獄が待っている。獄卒に地獄に連れ戻された私は、そう思い、男の堕獄を待ちわびていた。
 しかし、事件から15年目をむかえようとする時、ふたたび私の胸は騒がしくなった。まさか、本当に15年逃げのびて、時効に守られて自由の身となってしまうのではないのか。男が早回ししたいほどの1日を、巻き戻したい私は、男が地獄へ落ちてくる日を待ってはいられなくなった。人間界に戻って、奴に復讐してやりたい。自分と同じ目に、いや、それ以上の苦痛を味あわせてやりたい。いつしか、私は復讐の鬼を自らの内に飼い始めていた。
 そんな時、私はあの男に出会ったのだ。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 5-2

 その男、池田は、事あるごとに地獄を抜け出しては、獄卒に連れ戻され、以前よりもひどい刑罰を受けていた。捕まって引き戻されたらさらにひどい目にあうとわかっていながら、何度も脱獄を繰り返す池田は、もともとは詐欺の罪で地獄に落とされたのだった。
 脱獄の手立てを得ようと、私は池田に近づいた。池田は、獄卒に金さえ掴ませれば脱獄は簡単だと言った。だが、地獄に落ちた私には金などない。消沈していると、なぜ人間界へ行きたいのかと聞くので、自分を殺した犯人を自分と同じ目にあわせてやりたいからだと正直にこたえてやった。
 すると池田は「霊体に人間は殺せない」と、残念なことを言った。それではやはり奴が死んで地獄に落ちてくる日を待つしかないのかと落胆している私を気の毒におもったのか、池田は、人間界で霊の望みをかなえてくれる男がいると教えてくれた。人の目には見えない我々幽鬼が、その男には見えるのだという。男は幽鬼と話をすることができ、幽鬼たちに代わって、叶わぬ望みを成し遂げてくれるというのだ。あるいは復讐も実行してくれるかもしれない。
 その日から、私は池田と示し合わせ、脱獄の計画を練り上げた。人間界に行き、私を殺した男に復讐を遂げる ― 私の一念は復讐にのみ、凝り固まった。
 銀髪の男を探せ。
 池田からそう教えられた私は、脱獄するなり、人ごみのなかから銀髪の男を探した。
 池田は言った。「雑踏のなかでひとりだけお前の存在に気付く男がいる。それが目指す男だ」と。
 私はあてどもなく、人々のごったがえす街をめぐった。師走をむかえた街はせわしなく、行きかう人々は足早で、そわそわしている。かつては、肩がぶつかりあうほどの道を縫うように歩いていたというのに、今や人々は私の体をすり抜けていく。
 池袋、渋谷、新宿と渡り歩いて、私はようやくその男に出会った。
 男は横断歩道の信号待ちをしている女たちを狙って片端から声をかけていた。
 銀色に染めた髪を針山のように尖らせ、体の大きさにあっていない黒のコートを裾をひきずるようにして着ていた。男は笑顔をつくって女たちに声をかけていたが、横断歩道の反対側にいる私の遠目にもその目が笑っていないとわかるほどで、女たちは次々と男から離れていった。年は二十歳前後だろうか、頬骨の少し上にニキビの痕がうっすらと残っていた。
 私は、女とみれば声をかけているその若い男をじっと見ていた。本当に、彼が、私にかわって復讐を成し遂げてくれるだろう男なのか。
 私の疑念を感じ取ったかのように、ふと男が私のいる方向へと顔を向けた。それまで浮かべていた作り笑いは消えていて、まともに視線がかちあった。
 男は死んだ魚のような目をしていた。人の海でもはや泳ぐことのない人間の目、感情の死骸がヘドロのように溜まっているだけの目。地獄で多くの死霊をみてきたが、彼のような目をもつものはみたことがない。何も怖いものはもうないはずの私ですら、背中にうすら寒いものを感じてぞっとする、そんな冷たい目だった。
 信号が青に変わると、どっと人の波が繰り出す。男は横断歩道をわたって、まっすぐに私のもとへと近寄ってきた。私の姿が見えているのだ。やはり、男は池田が言っていた銀髪の男だったのだ。
 男はすれ違いざまに「ついてこい」と言った。
 連れて行かれた先は、けたたましい音の鳴り響くパチンコ店だった。師走の昼間だというのに客の姿が多く、店内はタバコの煙がたちこめていた。
 男は故障中の札がかかった台のとなりに腰掛けた。札がかかった台には、私と同じ幽鬼がすでに座っていたが、男は幽鬼を追い払い、私に座るように言った。
「で、あんたの心残りは?」
 店内放送と球のはきだされる音とでうるさいはずだというのに、男の声だけがはっきりと聞こえてくる。少しハスキーな、ざらついた声だ。
 私は自分の身に起こったこと、殺人犯に復讐したいといったことを衝かれたように語り続けた。その間中、男の目はパチンコ台に向いたままだった。
 私は殺人犯の名を告げた。
 すると男は、ポケットからケータイを取り出し、誰かとやりとりをし始めた。しばらく経ってから男は
「一週間で片をつける」
 と言った。
 
 明日はいよいよ、男が約束したその日だ。15年間、地獄で待ち続けた復讐のその時がやってくるのだ。私は息を潜めて1秒1秒の時を見守っている。

 池田は男にはそれなりの報酬を払えと言ったので、私は報酬について尋ねた。男は今は何もいらないとだけ言った。
「ただ、俺のボスがあんたを必要とする時がきたら、そんときには働いてもらう」
「どんなことをするのか……」
「それはそん時になってみないとわからない」
 男はぶっきらぼうだった。言いたくないというよりは、言うのが怖ろしいと怯えているようにも取れる。
 私は「それでいい」と手を打った。
「ボスの呼び出しがあるまで、せいぜいこの世で逃げ続けるんだな」
 男はそう言い、私たちは別れた。
 
 私は悪魔に魂を売ったのかもしれない。だが、肉体はすでに滅び、地獄の責め苦に魂と呼べるほどのものはずたずたに切り裂かれて欠片も残っていない。そんなものでも欲しければくれてやる。

 明日の朝になれば、奴は私同様、首を切断されて死ぬのだ。その場に私は居合わせる。奴が死んだ瞬間、奴は私の姿を目にするのだ! 復讐の鬼となった私の姿を!

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 6-1

 マンションの部屋に戻ると、留守電のランプが点滅していた。刑事の留守電に残されたメッセージなど、ろくなものではない。
 明かりもつけず、鴻巣は冷蔵庫からビールを取り出し、床に座り込んだ。フローリングの床は冷たく、ざらりとした感触がズボンを透過する。1日中、留守にしていた部屋には、体臭と同じ臭いが澱んでいたが、5分も部屋にいれば鼻がなじんでしまった。
 家に寝に帰るだけの部屋には、これといった生活道具がない。テレビにベッド、冷蔵庫に電子レンジがあれば、最低限生活していける。40近くの独身男の部屋はそんなものだ。誰がくるわけでなし、シャツや靴下、ネクタイは散らかし放題だ。
 築15年の中古ワンルームマンションだが、これでも妻がいたころは掃除が行き届いて、きれいなものだった。掃除をし、愛情こめた手料理を用意して妻が待っている部屋に、鴻巣は滅多に帰らなかった。払っても払っても、いつのまにやら降り積もっている塵のように、さびしさはいつしか妻の心に澱んでいき、とりはらうべき鴻巣は不在のまま、妻は離婚を申し出た。
 妻が出て行ってからも、鴻巣の生活は変わらなかった。結婚生活はわずか1年しか続かず、妻のいる部屋に帰れた日は数えるほどしかなかった。結婚前の生活に戻るとおもえばいい、そう言い聞かせて2年が過ぎてしまった。

いつもならテレビをつけて深夜の通販番組を流しっぱなしにして寝落ちてしまうのだが、今夜はなぜか頭がさえて眠れそうにない。
 幼い子どもまで犠牲になった富士見台一家殺人事件の現場を訪れ、鴻巣の脳裏には15年前の記憶とともに悔しい気持ちがよみがえってきた。
 高砂をはじめ、捜査本部の刑事たちは口にこそ出さなかったが、犯人逮捕をかたく胸に誓った。だが、15年たった今、犯人逮捕どころか、時効が目前に迫っている。
 ひさしぶりに再会した被害者家族、坂井圭介は生きながらの死人のようだった。犯人は、坂井信行一家だけではなく、兄・圭介まで殺したも同然だった。
この15年間、坂井圭介は1日1日と命を削られながらかろうじて生きてきたのだろう。同じ15年という時間を、犯人は何の罰を受けることなく過ごし、時効が過ぎれば晴れて自由の身だ。鴻巣は今日ほど時間を残酷だとおもったことはなかった。
 どうも今夜はテレビをつける気にならない。
鴻巣はふと留守電でも聞いてみようかという気になった。なぜだか、今夜は人の声が恋しい。
 留守電はすべて土居からのものだった。ケータイに電話し続けているが出ないので、こちらにうんぬんという前置きから始まって、延々と土居の一方的な話が続く。
 鴻巣が署を出て、事件現場となった富士見台の坂井宅にむかった後、土居は自分なりに犯人についての仮説をたてていた。メッセージには、土居の仮説が吹き込まれている。
「現場ひゃっぺん!」
 その場にいない土居にむかって、鴻巣は大声で言い放つ。
 メッセージはさらに続く。
「…で、僕が犯人で強盗の犯行に見せかけようとするなら、勝手口を開けて、さもそこから家の中に出入りしたようにしますね。勝手口なら裏手にあたるし、時間をかけてピッキングをするにはもってこいじゃないですか。で、問題は、じゃあ、なぜわざわざリビング側の窓から入ったような細工をしたか。これは― ピー」
「すいません、途中で切れちゃって。で、あ、続きなんですけど、犯人がなぜリビング側の窓から入ったとみせかける小細工をしたか。僕は、犯人は坂井家と親しい付き合いのあった人間なのではないかとおもってます。犯人は玄関から、客として坂井家に入った。そして一家を殺害した。まるで強盗にあった― ピー」
「続きです。玄関から入って一家を殺害。まるで外部の見知らぬものの犯行のようにおもわせるため、現場を荒らしたり、侵入経路は外からであると思わせるため、わざとリビングの窓を割った。そうして自分は窓から逃げる。でも、犯人はヘマをやったんです。急いでいたからか、窓を内側から割ってしまっ ― ピー」
 目の前のビル群の明かりがすっかり絶え、鴻巣はビール片手にいつの間にか眠りこけてしまっていた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

時効の闇 6-2

 土居の留守番メッセージを子守唄に鴻巣が寝入ってしまったその頃、スメラギのケータイが鳴った。電源を切っていても鳴るのは、閻魔王こと夜摩からの連絡だ。無視しようがないと、スメラギはしぶしぶ出た。
「おい、何時だとおもってんだよ。お前らと違ってこちとら人間には睡眠というものがだな……」
 窓からは静かな明かりが漏れ入ってきた。いつの間に振り出したものか、雨が降っており、街灯の明かりを伴って畳のうえに揺らめく光の網を投げかけていた。
「急ぎの仕事だ。大至急、幽鬼を探してくれ」
 半分寝ぼけているスメラギは、夜摩の調子がいつもと違うとは気付いていなかった。鬼も寝入っているような時間にスメラギを起こした非礼を詫びないのはいつものことだが、スメラギになじられて憎まれ口を返すわけでもなく、冗談めかした関西弁もない。
「わぁった。明日やる」
「ダメだ、今すぐだ」
「今すぐ?」
 スメラギは時間を確かめた。夜中の3時過ぎである。
「真夜中じゃねえか」
「頼む、急ぐんだ」
「おい、今、『頼む』って言ったか?」
 夜摩は、物を頼もうが頼まない普通の会話でも、いつも命令形だ。ようやくスメラギは、夜摩がいつもと違うと気付いた。
「そうだ、頼むから、今すぐ、ヤツを捕まえろ」
「ふん」
 “頼むから”と言っておきながら、やはり夜摩らしく、最後は命令形だった。今はすっかり目が覚めてしまったスメラギは、布団の上に正座した。おもわず居ずまいを正してしまうほど、夜摩は真剣な様子だった。
「その脱獄幽鬼とやらのデータはそろってんだろうな。どうやって死んだか、生きていたときの人間関係、死んだ場所、それから名前…」
「殺人事件の被害者だ。名前は坂井……」
 夜摩が口にした名前をスメラギは繰り返し、聞き返した。それはスメラギの知っている名前ではあったが、脱獄した幽鬼の名前であるはずがない。その人物は生きている。間違いではないのかと聞くと、鬼籍データに間違いなどあるものかと夜摩は切り返した。その瞬間、スメラギはおんぼろアパートを飛び出していた。



 「間に合いますか……」
 「間に合ってもらわないと困る」
  閻魔庁、閻魔王室に唯一、青白い光がともっていた。夜摩のデスクの上に堂々と置かれたPCのスクリーンには、鬼籍データが表示されている。この世の生きとし生けるもののすべての情報、生前の行いから死後の行く先、死ぬ場所、時間などが鬼籍には記載されている。
 夜摩と篁がじっと見つめる、とある人物のデータ、その罪業欄には“殺人”とあり、死後の行く先は“地獄”とあった。だが、死後の行く先の入力された欄には“地獄”の文字の前にカーソルが入って点滅していた。
 夜摩と篁はキーボードに触れてもいない。黙ってスクリーンを見つめる2人の目の前でカーソルは、“地獄”の“獄”の文字を消してしまい、今や“地”を消しにかかろうとして小刻みな点滅を繰り返していた。
 決して書き変えのできないはずの鬼籍データベースが、何者かの手によって改竄されようとしていた。
 データベースの管理責任者である篁は、怒りに顔を真っ赤にしている。夜摩は反対に冷静だった。
「データベースにハッキングするなんて、閻魔庁内部のものにしかできませんよ」
 セキュリティは完璧だった。篁には自負がある。ネットワークからすべて自分が手がけたのだ。ハードこそ人間界のものだが、地獄で使用するように手を加えてある。人間の仕業であるはずがない。篁はハッカーの正体に心あたりがあるようだった。
「わかっている……」
 夜摩もまた、何かを知っているようだった。
 夜摩と篁は、息を殺して鬼籍データが書き変えられる瞬間をみつめるしかない。
 スメラギが、殺人事件の被害者である幽鬼を探し出し、地獄へ連れ帰ってくるのが先か、幽鬼が先まわりして自分を殺した犯人を殺害するのが先か。データの死因欄は“心臓病”から“絞殺”に書き変えられようとしていた。
 脱獄幽鬼の名は「坂井圭介」、今まさに書き変えられようとしているデータの氏名欄には「坂井信行」とあった。

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時効の闇6-3

 「おはようございます!」
 寝ても覚めても、土居の声が耳に入ってくる。いい加減、土居の声は聞き飽きたというのに、朝っぱらから土居は鴻巣にからんできた。
「夕べ、留守電にメッセージを残しておいたんですけど」
「ああ、聞いた」
「それで、鴻巣さんはどう思います?」
「どうって……」
 途中でビール片手に酔いつぶれ、鴻巣は土居の推理を最後までは聞いていなかった。聞いていたとしても、鴻巣の考えはどのみち同じで、現場に足を運ばないで頭の中だけで考えた推理なんてものはくえるかと言ってやりたかったが、鴻巣はぐっとこらえた。
「まあ、いいんじゃないか…」
 と、適当な返事をしたのがまずかった。相手は褒められたと勘違いし、ますます調子にのって自説を披露しはじめた。
「僕が思うにですね、やっぱり顔見知りの犯行じゃないかと。だからこそ、外から侵入したものがあったように見せかける小細工が必要だった。窓ガラスを内側から割ってしまうというヘマをしましたけどね。で、ちょっと調べたんですが―」
「何を調べたんだ?」
「いや、調書をみただけですけど」
「みたのか?」
「あ、すいません。いけなかったですか?」
「いや、別に。調書だからな」
 鴻巣の机の中にしまっておいたとはいえ、調書は私物ではなく公の文書だ。誰にでも閲覧の権利はあるのだが、人の机をさぐってまでというのが鴻巣の気にくわなかった。調書が見たければ一言声をかけてくれたらいいものを、勝手にみたという。だが、声をかけられたところではたして鴻巣は快く机の引き出しをあけただろうかと、鴻巣は疑問におもった。富士見台の事件は、鴻巣と高砂が、特に高砂が入れ込んでいた事件で、個人的思い入れが強くあり、他人である土居に口を挟んでほしくないという気持ちがあった。
「当時、被害者の坂井信行さんには多額の借金があり、返済は滞っていた。返済催促なのか、風体のよくない男たちが近所をうろついていたこともあったそうです」
 借金と男たちの目撃談については調書にあるとおりだ。
「まさか、借金取りが殺した、なんていうんじゃないだろうな」
 金のもつれから殺されたという考えは捜査本部に早くからあったが、推論を裏付ける証拠はあがっていない。
「借金が事件の引き金になっているとは考えられます」
「どういうことだ?」
「いいですか、当時、坂井信行さんは会社経営に行き詰って、多額の借金を抱えていた。にもかかわらず、年末からハワイへ家族旅行に行く予定だった。鴻巣さん、ハワイへの旅費、いくらぐらいかかるかわかります?」
 海外旅行などしたことのない鴻巣にはさっぱり見当がつかない。
「航空運賃、ホテル代、みやげ代、現地での食事、娯楽費、しかも大人は3人と、相当な金額になるはずです。借金している人間がそんな金、どこから出せたんですか?」
「うーん……」
 金はまた別のところから借りたにしても、借金のある身で年末にハワイ旅行とは、少し暢気なものだ。借金を返済するどころか大金を使って海外旅行に出かけようとする坂井を、債権者たちはどう思ったのか。
「僕、思うんですけど、ハワイ行きはなかったんじゃないでしょうか」
「旅行の準備はされていたぞ。玄関にスーツケースが用意されていた」
 玄関先をあがろうとしてスーツケースに足をぶつけた捜査官がいたのを、鴻巣はぼんやり思い出していた。
「ハワイではなく、夜逃げするつもりだったんじゃないでしょうか」
「夜逃げ?」
「周囲には、ハワイへ行くと言っておき、雨戸を閉めておく。旅行に出ているからだと近所の人間にはあやしまれないですむ。だが、坂井宅をうろついていた男たちは、坂井たちが逃げると勘付いた」
「それで、殺した?」
 ピー 留守電のタイムアップ、ではなく、捜査員の呼び出し音が鳴った。
「管内にて殺人事件発生。現場は―」
 続きはパトカー内で聞くことになりそうだ。

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時効の闇 6-4

 時効が目前にせまる富士見台一家殺人事件。強盗と怨恨の線から進められた当初の捜査は、外部からの侵入者があったかのようにみせかけた小細工によって、顔見知りによる犯行と断定された。容疑者は、被害者、坂井信行が借金を負っていた債権者たちに絞られたが、確証を得るには至っていない。
 15年を経た今、当時担当だった鴻巣の若い部下、土居刑事は大胆な仮説を打ち立てた。ハワイ旅行へいくと周囲に言いふらしていた坂井家だが、ハワイ旅行とは名ばかり、実は夜逃げを怪しまれないための煙幕だったのではないかというのである。
 朝早く管内で発生した殺人事件の現場へむかう車中、鴻巣は興奮した様子で土居に推理の続きを促した。
「坂井一家の夜逃げを勘付いた連中が家に踏み込んで、一家を殺害した。土居、お前はそう思っているのか?」
 すると土居は静かに首を横に振った。
「いいえ」
 サイレンの音にかき消されたかと、鴻巣はふたたび土居に、犯人は借金取りかと問いただしたが、今度もまた土居のこたえはノーだった。
「事件の起こる少し前、坂井信行は大きな生命保険に入りなおしています。受取人は妻の由紀子。ですが、一家全員が殺害されてしまったため、保険は法定相続人である兄、圭介が受け取り、その金で借金の一部を返済しています」
 坂井信行の借金は死後、兄の圭介によって返済された。弟・信行の経営していたスーパーは売り払われ、資産のすべては借金返済に、母親名義になっていた株やその他資産、圭介の住んでいたマンションも売りに出され、圭介は事件のあった家をのぞいてすべて身包み剥がされてしまった。外資系の会社で働いていた圭介にはかなりの貯蓄があったというが、それも借金返済にあてられ、事件後、圭介は退職し、今は細々と北海道でコンビニ店の店長をしている。
「他の返済が滞っている債務者へのみせしめのために坂井一家が殺されたというのは、犯人のトリックです。犯人は、強盗の仕業のようにみせかけた現場をつくることによって、捜査本部に顔見知りの犯行であると断定させた。窓ガラスを内側から割ったのは、わざとです」
「なんでそんなことを……」
「捜査の目を、自分から借金取りに向けさせるためです」
 借金取り以外の顔見知りで、一家を殺さなければならない動機をもった人間が他にいたのか。鴻巣はおぼろげな記憶をさぐったが、それらしき人物の名は浮かんでこなかった。
「鴻巣さん。坂井信行を殺す動機があったのは、坂井信行自身なんです」
 自分で自分を殺したいというのは、自殺願望のことか。借金に困っていたというから、自殺したいと考えるのも無理はない。そう考えて、鴻巣はふと、事件の前に信行が生命保険に入りなおしたという土居の話を思い出した。
「自分が死んで入る保険金を、借金返済のあてにしようとしていたっていうのか」
 土居はうなずいた。
「ただし、生命保険だけでは足りない額の借金だった。足りない金額をどう捻出するのか。坂井信行は考えた。母親名義の資産、母親にかけた生命保険、妻・息子の生命保険、会社資産、それから兄・圭介のマンションと貯蓄……。
 生命保険を手にするためには、自分は死ななければならない。だが死んでしまっては、金を手にすることができない。そうして考えたのが、自分の代わりに兄・圭介に死んでもらうということだったのではないでしょうか。兄を殺してしまえば、兄の財産も自由に扱える。一石二鳥だったのだとおもいます。
 遺体の頭部を切断したのは、圭介の身元を隠すためです。圭介の遺体だけ切断されているというのは捜査の目をひくだろうから、他の家族の遺体も切断し、猟奇的な犯行を際立たせた。そうして自分は兄・圭介のふりをして借金を返済し、新たな人生を歩む……」
 突拍子もない推理だが、鴻巣には腑に落ちるところもあった。
 事件後、兄である圭介が借金返済に奔走し、そのために会社を辞めざるを得なかった。圭介が信行であったとすれば、同僚たちに正体が露見する前、早いうちに退職してしまわなければならない。
外資系金融会社の営業マンを勤める圭介は、明るく人付き合いのいい人間だという評判だったが、圭介に取り調べに協力してもらった鴻巣は、周囲とは違う印象を圭介に抱いた。目を悪くしたといってかけた黒縁の眼鏡の奥の瞳はたえず辺りを警戒するように動き、落ち着きがなかった。ちょっとした物音にも怯えるようなところがあり、明るいという人柄とはまるで違う。当時の鴻巣は、事件の残忍性が圭介に心理的な影響を及ぼし、その人柄までも変えてしまったのかと思っていたのだが、まるで違う人間だったということなのか。
「家族はハワイに行くと信じていたかもしれませんが、ハワイ旅行は嘘でしょうね。近所に海外旅行に行くと言いふらしておけば、雨戸がずっと閉まっていても、車が駐車場になくてもあやしまれない。車は遺体の一部を運んで、その後どこかに捨てたんでしょう……」

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時効の闇 6-5

 殺人現場に到着した鴻巣は、息をのんだ。
 現場が凄惨だったからではない。血の海など、鴻巣はとっくに見慣れてしまっている。同行した土居は、真っ青な顔で顔をしかめていた。
「外の空気を吸って来い」
 と、鴻巣は、土居を現場から追い出した。追われるように駆け出していく土居に、他の老練な刑事たちが笑った。
 現場はビジネスホテルの一室。チェックアウトの時間を過ぎても部屋をあけようとしない客の様子を見に行ったスタッフが、死体となった客を発見した。かわいそうに、発見者は若い女で、捜査員にジャケットをかけてもらってもまだ肩を震わせている。
「彼女、見たのか」
「ベッドの下に倒れていて、足元がみえたんだと。それで不審に思って近くまで寄っていったらしい」
「それは最悪だな」
 鑑識の人間と一言二言言葉を交わし、鴻巣も遺体のそばへと近寄っていった。
 血の海の中央にぽっかりと頭部のない死体が浮かんでいる。パジャマ姿で、元の柄も色も見るかげもなく今はすっかり赤茶けてしまっている。鴻巣の脳裏にたちまち15年前の記憶がよみがえる。違うのは、目の前の死体は、体から出たばかりの血に湯気がたちのぼりそうなほどに新しく、切断面が妖しく艶めいているということだ。
「仏さんの身元は?」
「所持品の免許証によれば、坂井圭介。札幌在住ですが、1週間ほど前からこちらに宿泊していたそうです」
「坂井圭介?」
 若い巡査から奪った免許証には確かに坂井圭介とある。いや、坂井圭介ではなく、坂井信行というべきか。
「頭部がなければ、本当に坂井圭介なのか、身元確認のしようがありませんね」
 土居が戻ってきていた。外で吐いてきたのか、息に吸えた臭いがまじっている。新米刑事のにおいだ。
「頭部は?」
「まだ発見されていません」
 鴻巣に問われ、若い巡査がこたえた。
 鴻巣は唇を噛んだ。土居の言うとおり、頭部がなければ死体の身元確認のしようがない。果たして殺されたのは坂井なのか、15年前同様に、別の男の首を落とし、坂井圭介、いやいまや信行と確信する人物は逃亡したのではないか。
「おい、15年前の富士見台一家殺人事件、覚えているか」
 鴻巣はベテランの鑑識官をつかまえた。
「あ、ああ。確か、もうすぐ時効だろ?」
「なあ、同じ手口か?」
 鴻巣は死体の頸部切断面を顎で示した。
「さあ。詳しく調べてみないとわからんが」
「大体の見当でいいんだ」
「同じかどうかはわからんが、似ているとだけは言えるな。鴻巣、お前、15年前と同一犯の犯行だと思ってるのか」
「でなきゃ、偶然すぎるだろ。兄弟そろって首ナシ死体になるなんてのは、どんだけの確率だ?」
 犯行手口が15年前と同一であれば、犯人は坂井信行に間違いない。今度は、他人の首を落として、さも自分が死んだかのようにみせかける魂胆なのだ。
「模倣犯の可能性もないわけじゃない。仮に同一犯の犯行だとして、15年という時間は空きすぎだろ。まあ、調べればすぐわかるがな」
 鑑識官の話を聞くうちに、鴻巣の脳裏にはスメラギの姿が浮かんできていた。
(ヤツに聞けばいい)
 スメラギに、殺された男の霊を探してもらえばいい。
 鴻巣はコートのポケットをさぐった。確か、もらった名刺を入れておいたはずだ。
「鴻巣さぁーん」
 部屋の入口から鴻巣を呼ぶものがいた。第一発見者にコートをかけてやった若い刑事は
「容疑者らしき男の目撃証言がとれました!」
 と、声を弾ませた。
「髪を銀髪に染めた若い男だそうです!」

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時効の闇 6-6

 12月4日、管内のビジネスホテルの一室で男が惨殺体となって発見された。男は寝ているところを襲われたらしくパジャマ姿のまま、遺体は一部を切断されていた。頭部を切断された男の身元は、免許証などから札幌在住の坂井圭介と判明した。この12月の末に時効をむかえる富士見台一家殺人事件の被害者家族の兄にあたる人物だった。弟の坂井信行もまた、15年前、同じくパジャマ姿で頭部を切断された姿となって発見された。遺体の発見者は兄の坂井圭介だった。
 15年の時間を経て発生した似通った事件に、捜査本部は浮き足だった。同一犯の犯行だとすれば、先の事件の時効をむかえてしまったとしても、さらに15年の月日を捜査に費やせる。捜査本部にとって幸いだったのが、今度の事件では目撃者がいたことだった。
 事件の第一発見者、田中 舞は、被害者、坂井圭介の部屋に入る直前、廊下を走り去って行く若い男を目撃していた。捜査本部は、銀髪の背の高い男の行方を追い、男はホテルの近くをうろついているところを発見され、重要参考人として捜査本部のある富士見署に連れてこられた。
 男の名は、皇(すめらぎ)拓也といった。
 もっとも、署に連れてこられてからというもの、スメラギ自身は一向に口をきかないので、身元については所持していた免許証から割れたのだった。
 取調べにあたったのは、鴻巣と土居だった。
 目撃者が銀髪の男をみたと証言したと聞いたとき、鴻巣はもしやスメラギではなかろうかと危惧したのだが、悪い予感があたってしまった。
「おい、スメラギ。何で、坂井圭介の泊まっているホテルにいたんだ」
 目撃者の田中 舞はスメラギを見るなり、現場近くの廊下を走り去った男だと証言した。スメラギは否定も肯定もしないが、はっきりした目撃情報がある限り、鴻巣はスメラギに現場にいた理由を問い質さなければならない。
 鴻巣は、坂井圭介とスメラギが知り合いであると知っている。坂井圭介が売却しようとしていた家に、事件の被害者となった家族の霊がとどまっていないかを調べてもらっていたという関係だ。その場に鴻巣も居合わせたのだが、その後、坂井とスメラギの間で何かトラブルが持ち上がったのかもしれない。
 だが、スメラギは坂井圭介を殺した犯人だろうか。15年前と同一犯の犯行なら、15年前のスメラギは9歳、しかも富士見町には住んでいなかった。
では、15年前の事件を真似た模倣犯が別にどこかにいるというのか。それもあり得ないのだ。犯人は、頭部を切断、持ち去った。15年前の事件で坂井信行の頭部が切断、持ち去られたと知っているのは捜査本部の人間か、犯人だけだ。新聞などには「遺体の一部」としか発表していない。遺体の一部が「頭部」であると正確に知るのは、犯人のみだ。
「おい、いいかげん、だんまりはやめたらどうだ」
 鴻巣がうながしても、スメラギは頑として口を開こうとしない。取調室のパイプ椅子に浅く腰掛けたまま、両腕を組んで、正面の鴻巣を見透かして入口の壁を見据えている。
 これは徹底抗戦をはるつもりかと、鴻巣は深いため息を漏らした。スメラギは犯人ではないと、鴻巣にはわかっている。だが、スメラギが事件現場に居た理由を言わない限り、黒とも白ともつかぬ灰色で、他の刑事たちの疑いを晴らすことができない。
 仕方ないと、鴻巣は土居を取調室から外に出し、スメラギとふたりきりになった。
 ふたりきりになると鴻巣はスメラギのすぐ近くに体を寄せ、小声で話しかけ始めた。
「なあ、おい。お前が犯人だなんて、俺はおもってない。おもってないが、事件現場にお前がなんでいたのか、理由を言ってくれなきゃ、こっちとしてはお前を解放してやれないんだ。例の家の件で、坂井圭介と話をしていたとか、そんなところなんじゃないのか」
 スメラギは鴻巣の顔に一瞥をくれただけで、またすぐに壁へと視線を移してしまった。鴻巣はさらに体を寄せ、スメラギの耳近くまで口を持っていった。
「殺されたのは、坂井信行か」
 その瞬間、スメラギは射るような眼差しを鴻巣にむかって投げかけた。スメラギは、死んだばかりの坂井圭介、いや15年前に兄・圭介を殺して圭介になりすましていた弟・信行の霊を目撃したのだろう、鴻巣は今や、15年前の事件犯人が信行であったと確信した。では、圭介こと信行を殺したのは誰か。
「犯人を見たか」
 の問いには、スメラギは無反応だった。
「鴻巣さん…」
 取調べ室のドアが開いて、土居が鴻巣を手招いた。
 外へ出ると、青い顔の土居のほかに、警部が居並んでいた。
「釈放だ」
 その一言だけ告げられ、以後、鴻巣はスメラギの取調べを許されなかった。

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時効の闇 6-7

 「おい、スメラギっ!」
 署の玄関を出ていこうとするスメラギを、鴻巣が追いかけてきた。
「なんだよ、おっさん」
「お、やっと口をきいたな」
「容疑者でもない人間につきまとってると、上から小言食らうぜ」
「知り合い同士がたまたま道ですれ違って世間話するだけだ」
 鴻巣はスメラギの肩を抱き、急ぎ足で署を後にした。
 歩きながら話そうと、鴻巣とスメラギはあてどもない一歩を踏み出した。
「お前、警察の上のほうに知り合いでもいるのか」
 小声で鴻巣は尋ねた。
 殺人事件の重要参考人として呼び出されたスメラギは、数時間もしないうちに釈放された。何の供述もしていない、捜査に非協力的なスメラギを解放させたのは、何か大きな力があってのことだと、鴻巣はうがった。
「これでもいろんなコネがあんのさ」
 スメラギがだんまり通しだったのは、どの道釈放されるとわかっていたからか。鴻巣は若いスメラギの横顔をみた。生まれつきの白髪と長身の体は確かに目立つが、探偵とは名ばかりの便利屋家業の若者が、警察上部にくいこむコネクションをもっているとは到底思えない。
「おっさん、出世したかったらあんまり俺と関わらないほうがいいぜ」
 スメラギの一言は、そのコネクションがかなり上層部にあると示唆していた。
「いまさら、出世なんて望んじゃいないさ」
 と鴻巣は言い、「もう遅いか」とスメラギは署を出て以来、はじめて笑った。
「なあ、教えてくれ。15年前の一家殺人事件の犯人は坂井信行、兄・圭介を自分の身替りに殺したというのはうちの若いのが推理したんだが、今度の事件で坂井信行本人を殺したのは誰だ? お前は犯人を知っているんじゃないのか?」
 スメラギはまた黙り込んでしまった。だが、鴻巣は、スメラギと並んで歩きながら辛抱強く待った。取調べ室での反抗的な態度とは違って、今、スメラギは言葉を探して黙っているだけだと鴻巣は知っていた。
「犯人は、坂井圭介だ」
 スメラギはぽつりと言った。
「坂井圭介? だが、やつは15年前に死んでいるぞ?」
「正確に言えば、坂井圭介の霊だな。地獄に落とされたんだが、弟に復讐しようとしてこの世に舞い戻ってきたんだ」
「幽霊の復讐か?」
「まあ、そんなとこだ」
「どうやって、幽霊が人を殺すんだ? 祟りとか、そういうのか?」
 怯えた様子の鴻巣に、スメラギはそうじゃないと笑って否定した。
「霊は人を殺せない。人間を殺せるのは人間だけだ」
「じゃあ、誰か人を使って? ん? ってことは、お前以外に霊視ができる人間がいて、そいつが坂井圭介の霊のかわりに復讐を遂げたってことか?」
 スメラギはうなずいてみせた。
「霊がみえるのは何も俺だけじゃない。知っている限りでは、霊視ができるのは俺と俺の親父だけだが、他にもいるはずだ。それと……」
 めずらしくスメラギが言葉を濁した。
「それと?」
「俺は、殺人事件の被害者とは関わらないようにしている。彼らの心残りは大抵、自分を殺した相手への復讐だからな。自分が味わった苦痛を相手にも味合わせてやりたいって望んでやがる」
 悪意をさもその体に取り込んでしまったかのように、スメラギは顔をしかめてみせた。
「俺はそんな依頼は引き受けないが、世の中には、そんな霊たちの願いを叶える人間がいるのさ」
「復讐を、か」
「話に聞いていただけで、本当に存在するとは思ってなかったけど、今回の事件はたぶん、その復讐屋の仕業だとおもう」
「復讐屋……」
 坂井圭介の霊の依頼を受けた連中なら、犯人が誰であるかも知っているだろうし、自分と同じ目にあわせてやりたいと頼まれたのなら、一般には知られていない頭部切断という犯人しか知りえない事実が一致するのも納得がいく。生きた人間世界では、犯人しか知りえない事実だが、死人の世界をあわせてみれば、それは被害者が知りえる事実でもあるのだ。
「犯人は捕まらないか、捕まっても、証拠をきっちり固めて別人を犯人に仕立てあげた可能性があるぜ」
 スメラギの不気味な一言は、大掛かりな組織が背後にあることを示していた。
「おっさん、この件、あまり関わるなよ。たぶん、警察内部にも協力者がいるんだろうから……」
 スメラギの警告とも忠告ともつかない一言を胸に、鴻巣は署へと引き返していった。




 鴻巣の姿がみえなくなると、スメラギはケータイを取り出し、電源を入れた。そらで覚えてしまったナンバーを打ち込むと、若い男が出た。
「今回のこと、いろいろお手数かけてすみませんでした……」
 ケータイ電話を耳に押し付けたそのままで頭をさげそうな勢いで、スメラギは詫びを述べた。
 「心配されてましたよ」という相手の言葉に、スメラギは「すいません」と再び小声で謝った。
 「それじゃ、お伝えしておきますから」と電話の声の主は言い、先方から切れた。スメラギは、まるで生まれて初めて息をするかのように、大きく息を吸い込み、それからゆっくりと吐き出していった。町はすでにクリスマスの賑わいをかもし出し始めていた。

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時効の闇 エピローグ

 富士見台一家殺人事件の時効目前になって、事件を再現するかのような形で被害者家族が殺害されたとあって、マスコミは連日、坂井圭介が殺された事件の話題でもちきりだった。
 15年前の事件と同一犯によるものなのか、はたまた模倣犯か、人の注意を引きたいだけの愉快犯の仕業か。マスコミは事件をいろいろに書きたて、1億総探偵はあれこれと真実を推理する。そのどれもが的外れであると知っているのは、鴻巣とスメラギだけだった。
 スメラギの予言どおり、犯人は捕まらなかった。坂井圭介と名乗っていた坂井信行を殺したのは、殺された兄・圭介の霊だったが、実際に手を下した人間の犯人は別にいる。そうと知っていながら、鴻巣には手も足も出ない。自論を展開するには、まず霊が存在するという話から始めなければならない。それにしても、人間の犯人が捕まらないというのには、鴻巣は何か大きな力を感じざるを得ない。スメラギの言うとおり、殺された人々の無念を晴らす組織があり、その背後には警察権力さえものみこんでしまう何かがあるのではないか……。
 物的証拠もないまま、事件は10日目をむかえようとしている。マスコミは今は事件のことで騒いでいるが、クリスマスとやがて迎える大晦日、新年と、日を重ねるごとに事件を忘れていってしまうだろう。そうして真実は闇のなかに埋もれていく。鴻巣とスメラギだけが、坂井兄弟の悲劇を知る。
 鴻巣は、坂井圭介こと坂井信行を逮捕できなかったのが悔やまれてならない。怨念の塊となって信行を殺した圭介の復讐心を、鴻巣は否定できない。自分を殺した男に自分が味わったと同じ苦しみを与え、さぞかし溜飲を下げたろうとおもうのだし、自分が同じ立場なら、やはり復讐を考えるだろうと思う。
 だが…と鴻巣は考え直す。圭介は復讐を遂げて満足だろうが、果たして信行の罪はそれで消えるのかと。信行は坂井圭介として死んでしまい、母親と妻、そして幼い子どもまで手にかけた罪は償っていないのだ。鴻巣は、刑事として、坂井信行を肉親殺しの罪で逮捕し、司法の手に委ねたかった。人がこの世で犯した罪は、人が裁くべきだ。そのための警察・検察機構ではないか。
 鴻巣のやりきれない気持ちを知ってか、スメラギは、当時9歳だった坂井 徹は人間に生まれ変わって今はサッカーを楽しんでいると言った。鴻巣にはそれが嘘だとわかっている。生まれ変わりのセカンドチャンスが与えられたら、一度目と同じサッカー少年への道は歩まないだろうと鴻巣は思う。自分だったら、別のもの、たとえば今度は野球とかを試してみたいと思うからだが、いずれにしろスメラギの下手な嘘は鴻巣の心を少しは慰めた。

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時効の闇 あとがき

構想を練り、書いた時期がまだ時効制度のあった頃だったので、時代にそぐわない話になってしまった感がありますが、まあ、以前にも発表していたものなのでそのままアップしました。

この場合の被害者とは誰だったのか。加害者を追い詰めていったものは何だったのか。加害者を犯罪に追い詰めたてたものに罪はないのか。いろいろ思うところをつめこみました。つめこみすぎて、よくわからなくなっています(苦笑)

そのなかのひとつでも読んだ方の心にひっかかるものがあれば幸いです。

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