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あじろ けい

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罪喰い あらすじ

はるか昔に犯した大罪の罰として、自らの身に他人の罪を負わなくてはならなくなったアル。罪喰いとして生きるアルに、ある日、女からの依頼が舞い込む。ためらうアルだったが、波にのみこまれるように罪の沖へと流されていく……
R-18

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テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 1-1

 ひどい頭痛で目が覚めた。ハリケーンが近づいているのだろう。
 気圧の関係なのか、ハリケーンがやってくる直前にはいつも頭痛に悩まされる。おかげで天気予報を確認しないですむようになった。天気予報よりアルの頭痛の方が確かだと、近所には重宝がられている。「調子はどうだい(ハウアーユー)?」は挨拶ではなく、文字通り、アルの体調、つまり今日は頭痛の調子はどうだいと聞いているのだった。
 ベッドから起き上がることができるほどだから、今朝の頭痛はそうひどくはない。ひどい時には、ベッドに体が沈み込んで、目も開けられない。
 開けっ放しの窓から生ぬるい風がやる気なさげに吹き込んできた。かすかに雨のにおいがする。やはりハリケーンが近づいているのだ。空の底が鉛色の雲に覆われていた。
 シーツが水びたしになるほど背中にたっぷり汗をかいたので、シャワーを浴びた。いつもより熱めのシャワーを首筋にあて続けると、頭痛は少しはましになった。
 起きがけに夢をみた。だが、内容までは覚えていない。夢とは脳に蓄積された記憶を整理する作業だと聞いてから、どんな夢をみたのか思い出そうとするのをやめた。どうせ、ろくな記憶しかもっていないのだから、夢が捨てたものをわざわざ拾いあげることもない。
 濡れた髪のまま、ベッドの下に落ちていた黒シャツを拾う。昨夜というよりは今日の早朝に脱ぎ捨てたシャツは葉巻(シガー)の苦々しい臭いがした。仕事場のバーでついた臭いだ。酒と煙草の臭いはアルの体臭ともはや言ってもいい。
 アルは階下のバー、“天国(ヘヴン)”でバーテンダーをしていた。毎晩、最後の客を見送ってから店を閉めて二階の部屋にあがる。時間は決まっていない。店を閉める時間を決めるのは最後の客で、夜の早い時間の時もあれば、空が白みはじめてようやく客が重い腰をあげるということもある。昨夜は、バーで生演奏(ライブ)を披露した連中が遅くまで飲み明かしていた。
 どうせ近所にコーヒーを買いに行くだけだとシャツに腕を通したところで、袖が取れかけているのに気付いた。サックスとドラムが始めた酔っ払いの喧嘩を止めようとしてやられたのだ。だからシャツを脱いだのだと思い出した。いつもはバーから上がってくるなりベッドに倒れ込むのに今朝は起きたら裸だった。
 クローゼットを開けて替えのシャツをひっぱりだす。色はまちまち、柄ものもあれば無地もある。その時に安い物に手を出すからそうなる。共通しているのは、どれも袖が長いことだけだ。夏だろうと冬だろうと、アルは長袖のシャツを着る。湿気の多いこの街の夏に長袖は拷問に近かったが、人に見られたくない傷を隠すには都合がいい。
 手っ取り早く一番手前にあった白の無地のシャツをはおり、申し訳程度にボタンをはめて部屋を後にした。
 外に出るなり、「調子はどうだい(ハウアーユー)?」と声をかけられた。バーの常連客のトムじいだ。褐色の肌に白いランニングシャツが映える。白髪交じりの胸毛には汗の粒がからんで光っていた。トムじいは、まだ朝だというのに店の前の縁石に座り込んでだらしなく飲んだくれていた。足元にはすでに3本のビール瓶が転がり、4本目となるビールは右手にあった。
「ハリケーンが来そうだ」
「“彼女”みたいなのかい?」
 “彼女”とはカトリーナ、2005年にニューオリンズを襲った未曾有のハリケーンを指す。
 バーのあるフレンチクォーターあたりは建物が冠水する程度の被害だったが、黒人たちが住むロウアー・ナイン・ワード(L9区)は壊滅的な被害をこうむった。カトリーナが通り過ぎたあと、町には何も残っておらず、トムじいは住む家を失った。
 復興は遅々として進まず、観光でもっているニューオリンズから観光客が消え、仕事が失われ、最後に人が去った。
 ニューオリンズを去っていく人々に、トムじいは傷ついた街を見捨てて逃げるのかと憤った。だが、住む家もなく、仕事もなくてどうして生活していけるだろうか。彼らは友人や親戚を頼っていった。トムじいも、頼れる場所や人があれば、逃げ出していった口だろう。だが、トムじいもアルも独り身で、身軽といえば聞こえはいいが、ここ(ニューオリンズ)よりほかに行く場所がなかった。
 カトリーナの災害の起こる前まで、トムじいはジャズバンドでサックスを吹いていたが、仲間を次々に失っていった今は、朝からひとりでビールをあおる毎日だ。住むところもないので、近所のストリップ小屋に寝泊まりして、たまに路上でサックスを吹いて観光客から小銭を稼いでいる。バンドを再結成するにはトムじいは年を取りすぎてしまっていた。
 カトリーナは、トムじいの人生を一変させてしまった。ニューオリンズはハリケーンが多い土地だが、カトリーナほどの被害は数十年に一度というほど強大で、トムじいに鮮烈な印象を残した。それまでトムじいにとって“彼女”といえば、1985年のベッツィを指したが、今はカトリーナだ。
 カトリーナが近づいた時にアルを襲った頭痛は様子が違った。頭が割れるように痛いのはいつものことだったが、起き上がれない、目も開けられない。しまいにはベッドの脇に吐き続ける有様で、異常を感じたアルは、トムじいや近所の人々に安全な場所へ行けと忠告し、自分もトムじいに抱えられる格好で避難した。
 アルの頭痛のおかげで命拾いしたトムじいは以来、ハリケーンの季節になると、開口一番、「調子はどうだい?」とたずねる。
「たいしたことはなさそうだ」
 6月から始まるハリケーンの季節は10月ともなると終わりがみえてくる。ハリケーンの勢いもそがれつつあるのだろう。
 アルがそう言うと、トムじいは白い歯をみせて笑った。
「彼女ほどの女は他にはいないね」
 性悪女ほど忘れられないものらしい。カトリーナのことを口にする時、トムじいはまるで昔の恋人を思い出すかのように高揚した口ぶりになる。
「カトリーナに」
 トムじいは曇り空にむかって高々とビール瓶を掲げてみせた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 1-2

 コーヒーを買って帰ると、部屋に見知らぬ男がいた。
「鍵がかかっていなかったのでね。勝手に入らせてもらったよ」
 男は一脚きりしかない椅子に腰を下ろし、テーブルのはじに肘を預けていた。部屋の主であるアルを目の前にして、立ち上がろうともしない。
 年は40前後、ブラウンの髪は短めできちんと整えられている。髪と同じ色のブラウンの瞳。組んだ足先の靴は顔がうつりこみそうなほどに磨かれている。ダークブルーのスーツにのりのきいた明るいブルーシャツ、シルクのタイも同じブルーで、パンツにはきっちりと折り目がついていた。組んだ手はマシュマロのような質感で、爪は丁寧にカットされていた。
「クレイグ・ノーマン」
 そう名乗った男はスーツの胸ポケットから名刺入れを取り出し、慣れた手つきで名刺を差し出した。その間、男は椅子に座ったままだった。
「弁護士が何の用だっていうんです?」
 名刺を受け取らなかったアルが職業を言い当てたので、ノーマンは驚いたように眉根をあげたが、すぐに冷静さを取り戻し、名刺はテーブルの上に置いた。
 ノーマンを一目見た時から、アルはその正体にピンときていた。
 ハリケーンが去った後、ニューオリンズを襲ったのは弁護士の一団だった。保険の支払手続きの請求は煩雑だから専門家の手が要るだろうというのである。しかし同じ弁護士たちは保険会社にもつけいっていて、保険の支払をどうにかこうにか回避する術を企業側に授けているのだった。
 上等なスーツをまとった、身なりは清潔なハイエナたち。当時、アルが抱いた弁護士に対する印象だった。見かけだけは上品にみえるノーマンから、アルは弁護士独特の悪臭を嗅ぎ取っていた。
「私の依頼人(クライアント)があなたに用がある」
 ノーマンは腕時計に目をやった。時間が気になるらしい。金回りのよさを誇示するかのように豪奢な造りの巨大な文字盤(フェイス)が手首を覆っていた。
「単刀直入に言おう。私のクライアントはあなたに罪喰いの仕事をしてもらいたいと望んでいる」
 自分の役目はテープレコーダーのようにクライアントの言い分を再生するだけだと言わんばかりに、ノーマンの声には何の抑揚も感じられなかった。
 バーテンダーの仕事の他に、アルは罪喰いと呼ばれる仕事を請け負っている。仕事というよりは、宿業といったほうが正しい。
 罪喰いとは、他人の罪をその身に引き受ける儀式をいう。罪のすべてをアルに受け渡した人間は、晴れてイノセントな人間として天国の門をくぐることができる。生きている間は悔悛をつけとして罪を犯し続け、死ぬ間際、目の前に地獄の門が口開いているのをみて慌てて罪を悔いようとする、というよりは都合よく他人に肩代わりさせようというもので、依頼人には死にかけている人間が多かった。
 罪を引き受けるからには、それらの罪はアルが犯したものとみなされる。犯してもいない罪をその身におわなければならない羽目になったのは、アルがはるか昔に犯した大罪のゆえだった。
「今日の午後の便で来るように。それとこれは手付金ということで」
 ノーマンは小切手と航空券を取り出した。アルに歩み寄ってくるわけでもなく椅子に座ったままである。人に物を頼む態度では到底ない。
 弁護士は時に依頼人の威を借りる。弁護士とは依頼人の代理人(エージェント)なのでそうせざるを得ないのだろう。ノーマンの態度から、アルは依頼人が容易に想像できた。何事も自分の思い通りに進まなければ気がすまず、まっすぐなものを曲げてでも思い通りにしてきた人物。邪魔者には容赦なく、利用できるものなら道端の石ころでさえも利用し、役目を終えたらさっさと切り捨てる。自分が金で動くものだから、他人も金で動くものだという信条でいる。特に珍しいタイプの人間でもない。程度の差はあれ、自分が犯してきた罪を最後には他人におしつけて自分だけがいい思いをしようとする人間はみな似たり寄ったりである。
 アルが受取ろうとしないので、仕方なしにノーマンは小切手と航空券をテーブルの上に投げ捨てるように置いて部屋を出ていった。
 ノーマンは依頼人の名前を口にしなかった。アルも尋ねなかった。依頼人がどこの誰であるかはアルの関知するところではない。罪喰いにとって重要なのは、何の罪を犯したかだけだ。
 ノーマンは一方的に自分の依頼人の要望を述べ、アルのイエスかノーかの返事も聞かなかった。おしつけるように航空券と小切手を置いていったのは、ノーという選択肢はありえないという意思表示で、それは依頼というよりは命令でしかなかった。
 花模様の描かれた繊細な鉄柵にもたれながら、アルは外を行くノーマンを見送った。通りに出るなり、ノーマンは再び時計を確認した。弁護士は時間で稼ぐ。一分一秒が金銭の出入りに作用する。アルに罪喰いの依頼を伝えに来ただけでノーマンはどれだけの金を稼いだのだろう。ひとつの仕事を終えたからには彼の頭はもう次の仕事のことを考えているだろう。ノーマンは携帯電話で誰かに連絡をとっていた。
 航空券はファーストクラス、行き先はボストンとあった。小切手にはゼロが行列を成している。振出人は、ガブリエル・ジョンストン。男女共にある名前だが、Lが二つ並び、末尾にEのある表記(スペル)だから女だ。
 女の依頼人かと、アルは身構えた。アルが呪われた身となったのは、してはいけないとされていた罪喰いを、ある女から懇願されて行ったからだった。あれから600年もの年月が経ったというのに当時を思いだすだけで、女に対する憎しみでアルは全身に激痛を覚える。
 アルは航空券と小切手とをまっぷたつに切り裂いた。次の瞬間にはノーマン弁護士の訪問のことは記憶のかなたへと飛び去り、アルの頭の中は、今夜もバーで行われるライブのことでいっぱいになった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 1-3

 アルが働くバー、“天国(ヘヴン)”は、フレンチクォーターにあった。フランス植民地時代の面影を色濃く残す一帯で、アイアンレースとよばれるその名の通りレースのように繊細な鉄柵をそなえた深いバルコニーのある建物が延々と続く。富豪の農場主たちがかつて町中に所有していたタウンハウスは、今は観光客相手のバーやレストランなどに身を変えている。
 “天国(ヘヴン)”は、フレンチクォーター随一の繁華街、バーボン通(ストリ)り(ート)から少し離れた場所にあった。たまに観光客がふらりと立ち寄るが、客は近所で働く連中が多い。左隣はあやしげな呪術道具が店先に並ぶブードゥーの店、右隣はマルティグラ用の仮装衣装や仮面を売る店で、その三軒先にはトムじいが寝泊まりするストリップ小屋があり、そこの従業員も“天国(ヘヴン)”の常連だった。
 “天国(ヘヴン)”は、碁盤の目のストリートの角地にあった。直角のかどの部分を切り取るような形で入り口があり、ドアは緑色だ。少し傾きかけている建物全体はサーモンピンク色で、ところどころ漆喰がはげかけている。ドアだけが毒々しいのは、オーナーが最近になって塗り替えるよう指示したからで、元は紫色だった。
 オーナーの好意で、アルは二階の部屋に寝泊まりしている。シングルベッドをいれたらいっぱいの狭い部屋にシャワーがついているだけだが、寝るだけの部屋だから十分の広さである。トイレはバーのものを使用した。食事は外でとる。うまいものならいくらでもある町だから、金さえあれば食うのに困らない。アルの好物はシュリンプのケイジャンソースだった。シュリンプは目の前のメキシコ湾で取れたものを食べるから新鮮で身がプリっとしまって文句なしにうまい。淡泊なシュリンプの身に、パンチのきいたケイジャンのスパイスがよくマッチして、毎日食っても飽きない。
 金がなくても食うのには困らない。ぎりぎりになれば、誰かが食べ物を恵んでくれる。金髪に青い瞳、白い肌のアルは、この町では毛色の違う人種だが、ふらりとやってきたアルを、町の人々はすんなりと受け入れてくれた。アルがアルとだけしか名乗らなかったこと、蒸し暑いニューオリンズの夏でも長袖しか着ないことから、訳ありとふんだのかもしれない。ストリップ小屋やブードゥーの店があるかとおもうと、一本通りを隔てた場所にはこじゃれたアンティークの店が並ぶなど、清濁のみこんでしまう懐の深さがニューオリンズの町にはある。
 そして人々はいつでも陽気だった。町にはいつだって音楽が流れている。ストリートそのものがライブハウスだ。いつも、誰かがどこかのストリートの角で楽器を演奏している。トムじいもその口だ。金がなくなると、一張羅のイエロースーツにグレーの中折れ帽をかぶって街角にたつ。昔とった杵柄で、トムじいのサックスは耳ざとい観光客の足をとめる。結構な金になるらしいのだが、それはすべて酒代に消えるのだった。
 他のバーの例にもれず、アルのバーでもジャズの生演奏を行うバンドを入れる。二、三十人も入ればいっぱいの店内に、バンドを入れると客の入る余地はあまりない。それでもオーナーは構わないと、毎晩のようにバンドを入れる。オーナーはヒスパニック系の中年の女だった。肉感的な女で、ストリップの仕事で稼いだ金でバーを買ったと言っていた。アル同様、ニューオリンズに流れてきた口で、この町でジャズの魅力にはまり、そのまま居ついてしまったのだとか。音楽が好きなので、儲けは二の次らしい。アルが時たま金もとらずに常連客に酒を出すのには目をつぶったが、バンドの質にはうるさく口を出した。今夜のバンドは彼女のおめがねにかなうだろうか。
 バンドのメンバーとセッティングをしていると、入り口のドアを激しく叩く音がした。日はまだ沈んでいない。たいていのバーやレストランは夕方から開く。“天国(ヘヴン)”では、最初の客が来たら店を開ける。客のほとんどが近所のストリップ小屋やレストランで働く連中で、仕事前にいっぱいひっかける彼らのためにアルは快くドアを開けてやる。
 この日は、ぐずぐずしないで早くドアを開けろと言わんばかりの激しい音だった。常連客ならノックのひとつやふたつでドアが開くと知っている。それを知らないのは、観光客だろうか。観光客にはまだ店を開けたくないとしぶっていると、今度は入り口脇の窓が叩かれた。まだ開ける時間じゃないと睨みきかせようと窓をみると、窓ガラスを叩いていたのは顔見知りの少年だった。ウィルは、白い手のひらをこちらにむけて執拗に窓を叩き、何かを叫んでいた。
「大変だ、トムじいが――」
 急いでドアを開けてやると、ウィルは息せき切って飛び込んで来、そのまま勢い余ってテーブルに突進、椅子とからみあって床に倒れこんだ。抱き起してみると、ウィルのTシャツは血で汚れ、顔にも手にも血のりが飛び散っている。
「トムじいがどうした?」
「俺らの目の前で車に撥ねられたっ」
 ウィルは仲間たちとブラスバンドを組んでストリートで演奏している。下は5歳から上はウィルの兄のティムの16歳まで、子どもたちだけの編成だ。テクニックはまだまだだが、あと5年もストリートで演奏し続ければものになる。そう思わせるだけの何かのあるバンドだった。彼らは毎日昼過ぎから夕方にかけて、観光客相手に小銭を稼いでいる。
 事故は、彼らが演奏している最中に起きた。トムじいは彼らがいたストリートのむかいを歩いていた。ウィルたちをみかけて通りを渡ろうとしたところ、走ってきた車に撥ねられたのだという。車は相当なスピードを出していたらしく、トムじいの体は宙にはねあげられ、ウィルたちの目の前で地面に叩きつけられた。トムじいを撥ねた車はその場を逃走した。
 ウィルのTシャツが血に染まったのは、トムじいを抱き起したせいだという。よほど恐ろしい光景だったのか、話して聞かせるウィルの唇は震えて、時々言葉につまった。
「救急車を呼ぼうとしたら、そんなのいいからアルを呼べって言うんだ。はやく、きてくれよう」
 ウィルはアルの袖を引いて行こうとするが、アルは動かなかった。
 トムじいがアルを呼ぶからには、覚悟が出来ているのだろう。
 死の覚悟が。
 アルはかつてトムじいに、罪喰いの話をしたことがあった。冗談まじりに、どんな極悪人でも自分が罪を引き受けたら天国行きになるという話をしたのだが、その時、トムじいは自分が死ぬ時には罪を喰ってくれと頼んだのだった。笑っていたから、まともには受け取っていないのだろうと思っていたら、トムじいは信じていたらしい。
「トムじいを僕の部屋へ運ぶよう、みんなに言ってきてくれないか」
 ウィルを使いにたて、アルは人を使ってトムじいをバーの二階の部屋に運び入れた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 1-4

 トムじいの頭はざくろのようにぱっくりと割れ、血が勢いよく流れだしていた。トムじいを運んできた連中は、アルの指示に従ってトムじいをベッドに横たわらせた。そして次々に胸で十字を切って部屋を後にした。トムじいがあの世にいくのは時間の問題だとみなわかっていた。
 部屋にふたりきりになり、アルは一脚きりの椅子をトムじいの枕元へともっていき、腰かけた。かすかに動くトムじいの褐色の胸に、右手をそっと置いた。
「トムじい」
 意識の有無を確かめるようにアルは名前を呼んだ。トムじいの返事はなかったが、血のこびりついた白髪頭がかすかに動いた。
「約束だから、これから罪喰いの儀式を行う。体が辛いだろうが、告白したい罪を言ってくれ」
 アルの右手のひらの下の皮膚がぐんと盛り上がった。そこは心臓のある場所だった。皮膚をつきやぶって外に飛び出そうという勢いで心臓が飛び跳ねているのだ。心臓の異常な動きに呼応するかのように、止まっていたトムじいの頭からの出血が再びひどくなった。流れる血を口に受けながら、トムじいは語り始めた。
「あれは彼女(カトリーナ)が町を襲った直後だ。わしは家がどうなったかを見に行ったんだ。そりゃひどいものだったよ。何もなかったんだ。どこをみても、家なんかありゃしねえ。みんな、がらくたの山になっちまった。爆撃でもされたかとおもったね。実際、あれは戦争だった。生き抜くための。
 みんな必死だったんだ。生きるためには何だってしたさ。物も盗んだ。死んだやつには洋服はもう必要ないだろうから、服もはぎとった。そこらにあるもので金目になりそうなものはとにかく何でもかき集めた。
 助けなんか、期待してなかったさ。そりゃ、いつかは誰かが助けてくれただろうさ。でも、そのいつかがいつだか、わかんねえ。明日かもしれないし、一週間後かもしれない。明日ならしのげるが、一週間、どうやって生き抜いたらいいってんだ? 一週間ならいいが、一か月、一年待ち続ける可能性だってあった。実際、L9区の連中で住む場所のない奴はいるんだ。あれからもう5年も経っているのにだ。
 死にたくなかったら生きるしかねえ。何が何でも生き延びるんだ。
 ――死が足元に迫っていたから、興奮していたんだと思う。
 私は、ある女を犯した。
 彼女も、自分の住んでいた場所がどうなったか、見にきたのだろう。若い女だった。頭の隅っこじゃ、いけないことだってわかっていたさ。でもどうにも抑えられなかった。狂っていたんだな。俺だけじゃねえ。あの時分、誰もが正気を失っていた。生きたいという欲望が他の生を踏みにじったんだ。
 やがて傷ついた町が日常を取り戻していくにつれて、わしは自分の犯した罪が異常だってことに気づいた。わしが犯した女の傷は一生消えねえ。そう思うとわしの心が痛んだのさ。傷を癒していくニューオリンズとは反対に、わしの傷は膿んで腐ったようなにおいがしはじめた。
 わしは現実とむきあうのをさけるように、酒を飲み始めた。酒を飲んでいるとふわふわした気分で気持ちよかったからな。それでも、ぬけない棘のように罪悪感だけが残ったまま、理性をちくちく刺しやがるんだ。まいったねえ」
 トムじいはレイプと掠奪を告白した。
「かんべんしてくんねえかな……」
 最後に、トムじいは自分が犯した女にむかって言うかのようにつぶやいた。
 誰がトムじいの罪を赦せる? 裁判にかければトムじいは有罪だ。犯された女はトムじいを赦さないだろう。
 赦しを与えられるのは神だけだ。告解を授ける司祭は赦しを与えるのではない。彼らは仲介者として、罪人たちの告白を聞き、神に伝えるだけにすぎない。そうでありながら、アルは罪人の罪を赦すと言ったのだった。当時のアルは修行僧だった。司祭ですらない身分で赦しを与えたアルは、以来、他人の罪をその身に受け続ける呪われた身となった。
 アルの右手が次第に熱くなっていった。内側からいためつけられた皮膚がいまにも破れそうなほどに薄くなって熱源の心臓を近くに感じるせいだ。そろそろかと少し手をはなしたところで、みはからったようにトムじいの心臓が皮膚をくいやぶって飛び出してきた。拳大の心臓はいまだに脈打ち続けている。すさまじい臭気がたちまち部屋に充満した。心臓を覆う黒い粘着質の物質が放っているもので、トムじいの胸の上に垂れるとその部分が瞬時に焼けただれ、肉のこげるにおいが鼻をついた。
 アルは心臓をつかんだかとおもうと、その手を口元にもっていき、一気に喰らいついた。アルの歯がひきつる心臓の肉をかみちぎるたび、腐臭がひろがった。トムじいの罪の臭いである。アルはトムじいの罪を喰らってその身にトムじいの罪業を引き込んだ。
 たちまち、激痛がアルを襲う。罪人の罪を赦せない被害者の怨念が激しい痛みとなって罪を引き受けたアルの体を苛む。罪喰いの直後には痛みとの闘いが待っていた。
 儀式を終えたアルは、ドアの外に待たせていた葬儀屋を呼び入れ、トムじいの遺体を引き渡した。葬儀屋が出ていくなり、アルは血のあとも生々しく残るベッドに倒れこんだ。痛みに意識が遠のいていこうとするなか、枕元をさぐって注射器を手にすると、無我夢中の体(てい)で、腕に突き立てた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 1-5

 「麻薬中毒者(ジャンキー)か」
 ベッドの傍らにノーマンが立っていた。折り目のついたパンツの裾の下には磨き抜かれた靴を履いている。靴の表面に映り込んだアルの顔は歪んでみえたが、実物とそうは変わりないだろう。
 廃人のようなアルをノーマンは軽蔑するようなまなざしで見下ろしていた。
「少し急ごう。昨日の午後便でといったのに、もうすでに24時間の遅れが出ている」
 ボストンに行くとは言っていないと言おうとするが、コカインのせいで口をきくのも億劫だった。
 ノーマンはアルの体をベッドから引きずり下ろした。力なく床に崩れ落ちそうになるアルの体をノーマンは脇にかかえてバスルームへと連れていき、シャワーの蛇口をひねってドアを閉めた。
 冷たい水が勢いよく流れだし、服を着たままのアルの体を打ちすえた。湯加減の調節などされなかったものだから、すぐに熱湯になり、バスルーム中にたちまち湯気が満ちた。冷たさも熱さも、感覚の麻痺したアルには何ほどのものでもない。
 アルは、排水溝にすいよせられていく血のいくすじもの流れをぼんやりとみつめていた。
 その血はアルのものではない。車に撥ねられて頭を割ったトムじいを寝かせた枕につっぷしてアルの髪についた血だ。乾いていたはずの血は水分を得て、再び艶を取り戻していた。
 トムじいの血はやがて下水へと流れこみ、汚水処理を経てメキシコ湾へと流されていく。
 だが、彼の犯した罪はアルの内にとどまったままだ。罪喰いの儀式によって自らの内にとりこんだ罪は容赦なくアルの体を痛めつけ、アルを内側から蝕んでいく。コカインでハイにでもなっていなければとても耐えられる痛みではない。
 アルの肘の内側は注射のしすぎで青黒く変色していた。アルはそれを罪の顔だと思っている。目には見えぬ自らの内にある罪が存在感を主張しているのだ。自らが呪われた身だと声高にいっているような注射痕を人目に触れさせないよう、アルは長袖のシャツを着続けている。
 トムじいの血がついたシャツは重くアルの肌にはりついてきた。ついでに洗濯もしてしまえと、アルは服を着たままボディソープを全身にまわしかけた。
 “洗濯”し終えたシャツも下着もはぎとって裸になると、アルは蛇口を閉めた。水音が途絶えた瞬間、聞こえてきたのはノーマンの押し殺したような低い声だった。どうやら携帯電話で誰かと話をしているらしい。“ファイン”“エル”という単語がもれきこえてきた。
 バスルームのドアを開けると、ノーマンはちょうど携帯電話を胸ポケットにしまいこむところだった。その脇に、ホルターと銃のあるのをアルはめざとく発見した。ノーマンの脇に抱えられたときに自らの脇に違和感があったのは、ノーマンの拳銃があたっていたせいだったのだ。どうやらノーマンはただの弁護士ではないらしい。
 アルは身構えたが、裸ではどうしようもない。体をふくバスタオルもなく、アルは髪の先から水をしたたらせて立ち尽くすばかりだった。
「それを着てもらいたい」
 ノーマンが視線をやったテーブルの上には、彼が用意したと思われる洋服があった。黒いコートのようにみえてそれは、カソックだった。カソリックの司祭が普段着として身につける装いだ。足元までの全身すっぽりと覆い隠すマントのようなスタイルで裾が広がり、胸元から裾にかけての直線状に全部で33個のボタンが縫い付けられている。救世主が人の子としてこの世に生のあった年数の分だけというわけだ。
「僕は司祭ではありません」
「司祭のふりをする必要があるのでね」
 なぜそうする必要があるのかを尋ねる以前に、カソックを身につけること事体にアルは抵抗があった。司祭になりそこねた身、呪われた身であるのだから、司祭の平服に袖を通す気にはならない。ただの洋服ではあるだろうが、アルがその身にまとったとたん、教会を裏切った男のアルを断罪するかのように、火がつくのではないかという恐怖心が湧いてくる。
「着てもらおうか」
 感情を押し殺してはいるが、ノーマンの声には有無を言わせぬ威圧感があった。ノーと言えば胸のホルターから銃を取り出して脅かしてでも着せようとするのだろうか。業火と銃、どちらにしても傷つくのはまぬかれないとみえる。
 それなら神の放った火で焼け死ぬかと覚悟を決めて袖を通したが、何ごとかの起こるわけでもない。数十分後にはアルは機上の人となり、数時間後には冷たく乾いた秋風の吹きつけるボストンの地に降り立っていた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 2-1

 ゲートを通り抜け、アルを乗せた車は紅葉美しい並木道をひたすら走り続けた。遠目には森に沈む月のようにみえた白いその建物は、近づいてみると古のヨーロッパ王侯貴族の離宮を思わせる佇まいの邸宅だった。砂利を噛みながら、少年が甕から水を注ぐ噴水のあるロータリーを半周し、車はポーチへと進入していった。
 出迎えたのは年老いた執事だった。先に降りたノーマンは執事に目もくれず、正面玄関の階段を駆け足にのぼったなり、建物の中へと消えていった。
 玄関を一歩中に入ると、目の前に大階段が出現した。真紅の絨毯を敷き詰めた階段を中央に、建物内部は左右対称の様を呈していた。
 執事はアルを建物の左翼へと案内した。フレンチウィンドウからの眺めが素晴らしいその場所は客間だった。目の前には緑の芝がひろがり、その先には午後の陽ざしをうけてきらめく湖が佇んでいる。対岸の紅葉が湖面にうつりこみ、まるで一枚の絵画のような景色だ。
 客間にはすでにノーマンがいた。まるでここの主人であるかのように、ノーマンは暖炉そばのワゴンからグラスを取り上げ、カットの細工の美しいデカンタからウイスキーを注いで一息にあおった。
 グラスを手にノーマンは、ちょっとしたボールルームの広さはある客間の隅から隅へと行ったり来たりし、落ち着きがなかった。ロココ調のソファーに黒々としたカソック姿で座るアルが目に入らないはずはないのに何もその場に存在していないかのように扱い、目もくれない、口もきこうとしない。
 ニューオリンズのアルの部屋を出てからというもの、ノーマンは一言も口を開いてなかった。例外は、自家用セスナの操縦士(パイロット)と言い争った時だけだ。
 ハリケーンが近づいているせいで風の強くなってきた中を飛ぶのは危険だと操縦士は言った。だがノーマンは意に介さず、ボストンに向けて飛べと命令した。命より時間が惜しいらしい。結局、ノーマンの剣幕に押される形でセスナは飛び立った。機内でノーマンは押し黙ったままだった。おそらくは、罪喰いの依頼人、ガブリエル・ジョンストンのもとへとむかっているのだろうが、彼女がどういう人物で、どういう状況にあるのか(罪喰いを頼むくらいだから死にかけてはいるのだろうが)といった一切をノーマンは語ろうとしなかった。アルも尋ねなかった。依頼人が女であるのが気にかかったが、とにもかくにも罪喰いを済ませてしまって、ニューオリンズに一刻も早く戻りたい。ニューオリンズの地を飛び立ってすぐ、アルはあの重苦しい湿気が恋しくてたまらなくなっていた。
「遠いところをようこそお越しいただきました、神父(ファーザー)さま。ガブリエル・ジョンストンですわ」
 女の声がするなり、ソファーに腰かけていたノーマンがグラスをテーブルに置いて立ち上がった。
 振り向くと、握手を求めて手をさしのばした女がアルに近づいてくるところだった。慌ててソファーから立ち上がり、アルは女の手を握り返した。綿毛のようにみえたその手は握ってみると滑らかで、氷のように冷たかった。
 罪喰いを頼んできたからには瀕死の人間なのだろうとばかり思っていたが、ジョンストン夫人は健康体そのものだった。ブロンドの髪をアップにしているせいで老けてみえるが、年は三十前後だろう。身につけているのはパールのアクセサリーのみで、藤色のニットのワンピースが体の線をあきらかにしてみせていたが、いやらしさをまったく感じない。ブルーの瞳が魅力的な光を放っていた。
「空の旅はいかがでした?」
「だいぶ揺れました」
「ハリケーンの中を飛んできたのです」
 まるで自分が操縦してきたかのようにノーマンが誇らしげに言った。
「それは災難でしたのね。でも私どもの操縦士の腕は確かですから。昨日、お迎えにあがった時もセスナを出せたらよかったのですけど、都合がつかなかったものですから。でも今日こうしてお目にかかれて嬉しく思いますわ」
 夫人はそう言って、ワゴンに歩み寄っていった。
「神父さま、何をお飲みになさいますの?」
 夫人は新しいグラスを3つ用意していた。そのうちのひとつに夫人はウイスキーを注ぎ、ノーマンに手渡した。ストレートで飲むノーマンの好みを知っているかのように自然な動作だった。アルが断ると、
「私は失礼して、いただかせてもらいますわ。飲まないとやっていられませんもの」
 夫人はもうひとつのグラスに、アイスペールから氷山のようなアイスをひとつふたつ入れてからウイスキーを注いだ。ロックは夫人の好みのようだ。

テーマ:オリジナル小説
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罪喰い 2-2

「主人はもう先が長くありませんの……」
 酒の力を借り、夫人は吐き出すようにそう言った。どうやら夫人は依頼をしたに過ぎず、アルが罪を引き受ける相手は彼女の夫のようだ。
「ですから神父さまに――」
「その神父さまというのはやめてもらえませんか。こんな格好をしていますが、僕は神父ではないんです」
 何度も“神父さま”と呼びかけられ、そのたびにくすぐったい思いをしていたアルはようやく夫人をさえぎることに成功した。カソリックの僧衣、カソック姿はノーマンに強制されてのものである。
「存じておりますわ。神父のふりをしていただくことについての事情は?」
 夫人はノーマンをうかがった。
「いいえ、詳しいことは奥さまからと思いまして」
 夫人の青い瞳に萎縮したようにノーマンの声が小さくなった。
「そう、そうですわね」
 舌のすべりをよくするかのよう、夫人は再びウィスキーを口にした。
「主人は肺がんでもう長くはありません。主人も私もカソリック信者ですの。本来でしたら、神父さまのような司祭の方に告解を授けてもらうべきなのですが、そうもいかなくなってしまって……」
 カソリック信者であれば、死の間際、司祭に告解の秘跡を授けてもらうことができる。告解とは、罪の赦しを神に乞う行為で、司祭は信者から罪の告白を受け、神の赦しを得るための仲介役を引き受ける。告解は宗教行事なので、この儀式を執り行うことができるのは司祭などに限られ、告解をする人物も信者に限られる。信者以外、あるいは信者にふさわしくないとして破戒されたものにはこの告解の儀式は行われない。夫人が口ごもったところをみると、夫人の夫はどうやら、この破戒の禁を破った人物らしい。
「半年ほど前、同じ教会に通っているある女性の方が神父さまに告白なさったんです。その……女性のお嬢さまが無理やり主人と関係をもたされてしまったと。お嬢様はまだ15歳なのだとか。主人は関係を否定しましたし、私も主人を信じていますけれども、その方がおっしゃるにはお嬢さまは妊娠されて、主人は堕胎を迫ったそうなのです。彼女は主人との関係や堕胎の罪の意識に耐えられなくなって母親に相談、母親の方が神父さまにすべて告白されたのです。それからです。主人と教会との関係が悪くなっていきました」
 堕胎だけでも重大な罪を犯している。夫人が教会側に告解の儀式を行ってもらいたいと頼めない理由がはっきりした。頼んだところで断られるとは火をみるより明らかだった。
「もともと体調がすぐれなかったのですが、女性の告白があってから、主人の衰弱がひどくなりまして。教会からは足が遠のいてしまいました。そうこうしているうちに肺がんがみつかりまして。医者からは長くないと言われています。ですから……」
「告解は無理でも、罪喰いならと?」
 夫人はほっそりとした首を折ってうなずいた。
 罪喰いは、赦されて天国へ行きたいと願う破戒者のための最後の手段だった。
「主人がどんな人間であれ、赦されて天国へ行ってもらいたいと思っておりますの」
 教会に見捨てられた形の夫人は、すがる思いでアルを頼ってきたのだろう。愛する夫を地獄には落とすまいと、夫人は、拉致するかのように罪喰いのアルをボストンの地へ呼び寄せた。少々強引ではあるが、それだけ夫人の夫への愛情の深さが感じとれる。夫人のように愛情深い女を、アルはかつて知っていた。海のように深く、空のように果てのない愛、だがそれはアルにむけられたものではなかった。
「主人には罪喰いの儀式をするとは話しておりません。告解を授けていただくという話をしておりますので、そのような格好をお願いしているのです」
「罪喰いと告解はまったく別のものですが……」
 天国の扉を開いてみせるという点では同じだが、至る道が異なる。告解は神の赦しを得られるのに対し、罪喰いは罪を他人に肩代わりしてもらうだけだ。神に赦されて天国の門をくぐるわけではない。罪がないとみなされて通り抜けるので、純粋にイノセントとは言えない。
「それも存じております。異端なのですよね」
 罪喰いの儀式がいつから存在しているのか、アルは知らない。アルが修行僧だった頃にはすでに今の形での儀式が存在していた。告解にしろ罪喰いにしろ、天国が約束された儀式であるには違いない。教会は、自分たちの神を信じるものだけが天国へ行けるといいふらし、信者を増やそうとした。天国への裏道があると知られたら信者が減るとでもおもったか、教会側は一方的に罪喰いを異端と断じた。
 今もその姿勢に変わりはないが、かつてのように迫害されることはなく、教会側とアルとはほどよい距離間を保っている。彼らの態度も軟化し、いかなる罪人であろうとも赦されるべきだと考えられているが、表立って赦すことのできない種類の人間がいる。それらを救うのが罪喰いだった。アルの存在は、今は、教会を補完するような形でゆるされている。
「罪喰いを引き受けるとは僕は言っていないのですが」
 アルがそういうと、夫人の目が光った。
「お引き受けいただけない理由は何ですの? お金でしたら――」
 夫人はノーマンをみやった。その目が、アルを説得したのではなかったのかと責めるように冷たく冴えていた。
「本人の意思によらなければ罪喰いは行えません。まず、ご主人の意思を確認させてください」

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罪喰い 2-3

 神父としての芝居を続けることを条件に、アルは夫人の夫、デイヴィッド・ジョンストンとの面会を許された。
 罪を告白する意思が本人にあるかどうかを確認するだけなので、別に神父のふりをしようとしまいと、罪喰い自体には影響がない。告解にしろ、罪喰いにしろ、罪を告白するところまでは同じ手順で進む。違いは、司祭の行う告解は神に赦しを乞うのに対し、罪喰いの儀式では罪人の罪を罪喰い自らがそのうちに取り込む。罪人にしてみれば、罪が自分の体から取り除かれさえすればいいだけで、罪をはらってくれる相手が司祭だろうと罪喰いだろうと構いはしない。
 夫人は司祭の行う告解の真似ごとで罪喰いを行ってしまいたいようだったが、ジョンストン自身にとっては司祭だろうと罪喰いであろうと違いも何もわからないだろう。アルは神父の芝居を承知した。
 ジョンストンの病室は建物の右翼部分の一階にあった。もともとは左翼同様、客間として使われていた部屋に手を入れたものなのだろう。左翼の客間と同じ間取りで、フレンチウィンドウと暖炉の位置が左右対称だった。窓の外にみえる湖の景色は同じように美しい。
 ジョンストンのベッドは背もたれ部分を壁際に寄せ、正面のフレンチウィンドウから湖が見える位置に置かれてあった。その周囲を、点滴のポール、血圧や脈拍を監視するモニタなどが取り囲んでいる。そのモニタのそばには椅子があり、ブリーチのしすぎで傷んだ金髪で小太りの初老の女が腰かけていた。ジョンストン家で私的に雇っているパメラ看護師だと紹介された。
 片隅には車椅子が置かれていた。衰弱しきって車椅子生活となったジョンストンのために移動の楽な一階に寝室を移し替えたようだ。
 キングサイズのベッドに寝ているジョンストンは、そこだけ縮尺が狂っているかと目を疑いたくなるほどに小さかった。夫人の夫だから若いだろうとおもっていたら、ずい分と年がいっている。夫人とは父親ほどの年の差はあるだろうか。
 抗がん剤の副作用だろう、頭部の毛髪はすでになかった。口には酸素マスクがあてられ、棒切れのような手からチューブが伸び、点滴のポールへと続いていた。死んではいないのだろうが、生きているとも言い難い、むしろ無理やり生かされている状態だといえた。
「あなた、神父さまがお見えですわ」
 夫人はアルを神父と紹介した。あらかじめ口裏を合わせろと言われているアルは黙って会釈した。
 神父と聞いて、ジョンストンのしみだらけの顔がゆがんだ。ジョンストンは小枝のような指をたて、パメラ看護師に、酸素マスクを取るように要求した。
「神父など呼んだ覚えはない」
 失せろとでも言いたかったらしいが、咳き込んだジョンストンはそれ以上続けられず、パメラ看護師によって再びマスクをつけさせられてしまった。
「私が呼びましたの。前にお話ししました告解の儀式のことで」
 ジョンストンはマスクをしたまま一言二言発して、首を横に振った。アルにはマスクが震えているとしか聞こえなかったのだが、夫人にはジョンストンの言葉が聞き取れたらしい。その美しい青い瞳がたちまち涙にくもった。
「そんなことおっしゃらないで、どうぞ、罪をあらいざらい告白して清い体になって天国へいらして」
 震える夫人の肩を、ノーマンがそっと抱いたのをアルは見逃さなかった。というより、かっと見開いたジョンストンの目の視線の先を追ったら、夫人とノーマンが見えたというわけだったが。
「お前たちはそんなにわしに早く死んでもらいたいのか」
 今度は自力でマスクを外したジョンストンが夫人めがけて罵った。
「そんな……。私はただ、あなたに罪の重荷を捨てて安らかに天国へ行っていただけたらと」
 夫人の青い瞳からたちまち涙が溢れだした。夫人もジョンストンも感情的になってしまい、これでは罪喰い(ジョンストンは告解と思っているが)を行う意思があるかどうか確かめようがない。アルはノーマンに目くばせして、夫人を外へ連れ出すよう促した。
 ノーマンに肩を抱かれ、夫人は病室の外へと出ていった。続いて退出しようとするアルを、ジョンストンが引き止めた。パメラ看護師も退出させられ、病室にはアルとジョンストンのふたりきりとなった。

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罪喰い 2-4

 ジョンストンはアルを自分の枕元近くに招き寄せた。話がしやすいようにだろう。マスクを外しているせいで呼吸が荒かったが、夫人を罵倒した興奮はおさまって幾分落ち着きを取り戻しつつあった。
「名前は?」
「アル。アルフォンツォ・セラーティ」
 アルは滅多に口にしなくなった本名をフルネームで名乗った。
「イタリア系か?」
 ジョンストンは驚いていた。その目は、珍しいもののようにアルの金髪を見つめていた。
 アルの育った北イタリアでは金髪に碧眼は珍しいものではなかった。かつてその地を闊歩したゲルマンたちの血が色濃く残っているのだろう。アルの父も兄弟もみなそろって見事な金髪で背が高かった。時代が下るにつれ、アルフォンツォという名前と金髪とがそぐわなくなった。イメージというやつだ。イタリア人の髪の色は黒といつしか決まっていて、アルが正式名を名乗ると奇異な目で見られるようになった。以来、アルはアルとだけ名乗るようにしている。
「言っておきますが、僕は神父ではありません」
 アルはさっさと化けの皮を自ら剥がしてしまった。夫人に付き合って芝居を続け、いざ罪喰いの儀式を行うとすれば、告解のそれとは違うと気づかれてしまう。それならば自ら暴露してしまった方が後々面倒がない。
「僕は罪喰(シンイー)い(ター)です」
 アルは正体を明かした。罪喰いと告解の儀式とは、罪を告白し、悔いるところまでは同じだが、その先の手順が異なることもゆっくりと話して聞かせた。
「告解では死なないが、罪喰いを行えばあなたは確実に死ぬ」
 死と聞いてもジョンストンは無反応だった。恐怖したかもしれないが、顔から筋肉がこそげ落ちてしまっているので、作ったとしてもその表情を読み取ることができない。
「いくらもらった?」
 アルは小切手に書かれていた金額を言った。
「そんな金があったとは……」
 ジョンストンはしばらくの間、押し黙っていた。その視線の先に、芝生の庭をそぞろ歩く夫人とノーマンの姿があった。
「あれはいい女だろう。美しい女だ。ノーマンが夢中になるのも無理はない。あんたも気になるかな」
 見た目だけなら20そこそこの若者のアルが、ジョンストンは気がかりらしい。アルは美しい人だという感想だけを述べるにとどめた。ジョンストンを嫉妬させるのは嫌だったし、夫人の美を否定すればかえってジョンストンの機嫌を損なう。夫人を美しい人だとは思っているので嘘はついていない。思った通り、ジョンストンはアルのそつない返事に満足していた。
「わしも一目で気に入った。ギャビーは教会のボランティアをしていて、わしのところに寄付を募りにきた。金と地位のある人間は社会に貢献しなければならないとか言ってな。面白いから、寄付してやった。教会だけじゃない、あの頃はいろいろバラまいたな。4年くらい前だ。わしは運送会社を経営しているが、その会社がおもしろいように儲かってな。金で手に入らないものはない。名誉もわしはそうやって手に入れた。
 ギャビーは、私を金の亡者だと誤解していたと言って、それからしばらくしてわしたちは結婚した。わしは再婚だった。親子ほども年の差がある、遺産狙いだと、前の妻の子には反対されたよ。といっても妻の連れ子でわしの子ではないがね。自分の取り分が減るとでも思ったんじゃろう。ギャビーとは互いの財産を守るという主旨の婚前契約を交わしてある。結婚して、わしもカソリック信者になった。寄付をしたり、慈善活動をしたりするとギャビーは喜んだ。わしはギャビーの喜ぶ顔がみたくて、寄付をしてきたようなもんだ」
 ジョンストンに見られているとは気づかず、ノーマンは夫人の近くに体を寄せて歩いていた。時折、夫人は顔をあげてノーマンを見上げる。笑顔が戻っていた。
「わしは、ギャビーに何か残してやりたくなって、資産の一部をギャビーに残すという遺言状を書いた。顧問弁護士のノーマンに手伝ってもらってな。ノーマンは知っていてギャビーに近づいたのじゃろう。わしが死ねば遺産の一部はギャビーのものだ。ギャビーを思いのままに操れば、その金はノーマンの自由になるも同然だ。罪喰いをあんたに依頼したのは、罪喰いに乗じてわしを殺すためだろうて……」
 ジョンストンの声には憎しみがこもっていた。しかし、力ない声にもはや迫力は感じられなかった。
「確かに、罪喰いをすればあなたは死にます。ですが、罪喰いで人を殺すことはできない。罪喰いの儀式自体は、瀕死の状態でないと行えないのです。もともと死にかけているときに儀式を行うから死ぬといったまでで、儀式そのもののせいで死ぬわけではありません」
 ジョンストンのこわばった顔の皮がひきつった。笑顔を浮かべようとしたつもりだったらしい。安堵の笑顔のつもりだったのか、嘲笑だったのかはアルにはわからなかった。
 儀式のせいで死ぬわけではない。だが、故意に瀕死の状況を作り出したうえで儀式を行えば、確実に死ぬ。そう考えて、アルはぞっとするような寒気を背筋に感じた。
「罪喰いをするつもりはない」
 ジョンストンはそういうなり、かたく目を閉じた。アルはそっと酸素マスクをかけてやった。

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ジャンル:小説・文学

罪喰い 3-1

 ジョンストンには罪喰いをする意思がないため依頼は引き受けられないと伝えると、夫人は長い睫を伏せ、あきらかに落胆していた。しかし、いくら夫人がジョンストンに罪を悔いて天国へと望んでも、当のジョンストンにその気がなければ天国への門は開かない。アルに出来ることはもう何もない。邸にとどまるだけ無駄だと、その夜は泊めてもらったものの翌日にアルは出て行くことにした。
 ニューオリンズへ戻るというと、夫人はそれならセスナで送ると申し出た。客人を迎えにいかなければならないからという夫人自らが運転する車で、アルは空港まで送ってもらった。
 アルを乗せて飛び立つはずの自家用セスナはまだ空港に到着していなかった。ジョンストン家の客人を降ろした翼で、アルを乗せてニューオリンズへ飛び立つ予定なのだが、スケジュールに遅れが出ているらしい。アルは急ぐ身でもないから、のんびりと構えていた。
「遠いところを、わざわざありがとうございました」
 夫人は改めて礼を述べた。特に何もしていないアルは、夫人の丁寧な礼にかえって恐縮してしまった。
「こちらこそ。泊めていただいて、助かりました」
「いいえ、私どもがお呼び立てしましたのですもの」
 ノーマンに引き立てられるようにしてだったと思い出して今さらながらに腹が立ったが、夫人に免じてアルはぐっとこらえた。
「小切手には手をつけていません。お返ししたいのですが――」
「あら、構いませんの。あれは神父さまに差し上げたものですから」
「その呼び方はやめてもらえませんか。芝居はもうしなくていいのでしょう?」
 そういうアルはいまだカソックを身につけていた。他に着るものがないので仕方なく着ているのだ。
「ええ、そうでしたわね。その格好をみてるとつい……。そうお呼びする方が楽なんですの。私、教会で育ちましたから。教会に捨てられていましたのをシスターたちに育てていただいたのです」
 夫人が信仰に厚く、寄付や慈善事業に熱心なのはどうやら生まれ育った環境のせいらしい。どうりで夫人の美しさに男に媚びるような野卑たところがないわけだった。
「小切手は捨ててしまったので、お返しできないのです」
 小切手を破り捨てた理由――女の依頼は引き受けたくはなかったからという理由はアルの胸にそっとしまった。
 捨てるくらいなら寄付してほしかったと言わんばかりに夫人は顔を曇らせたが、アルを責めることはしなかった。
「ハリケーンはどうなったのでしょう」
 ふと夫人が呟いたので、そういえばハリケーンが近づいている中をボストンに向けて飛んできたのだったとアルは思い出した。とにかく風が強くて機体が木の葉のように揺れ、心もとない状況だった。もう2日前になる。ハリケーンが来るとひどくなるアルの頭痛は今回はそうでもなかったから、ハリケーンも大したことはなかっただろう。ボストンは快晴の秋空だった。帰りの旅路は快適なものになりそうだった。
「ああ、来ましたわ」
 空の一点をみすえていた夫人が声をあげた。夫人の目線の先に白いセスナの機体がみえた。アルたちがいる空港は、主に自家用機の離発着に用いられている空港で、それまで何機かのセスナを目にしたが、アルにはどれも同じにみえる。夫人が、ジョンストン家のセスナだと見分けた胴体に赤いラインの入ったセスナも、アルには何の特徴もないセスナとしか見えないでいた。
 着陸時にはすさまじい轟音をたてたセスナは、滑走路をゆっくりと走って夫人とアルのもとへと近づいていた。 
 タラップから降りてきたのは、夫人とそう年の変わらない男だった。ネイビーを基調としてボルドーカラーの細いストライプの入ったスーツは着る人間を選ぶタイプの洋服で、その男はそのスーツに選ばれてはいなかった。
「息子です。ライアン、こちらは――」
「セラーティ」
 アルがすかさずファミリーネームを言う。神父さまと呼びかけ続けた夫人はアルの名前を知らなかった。
「セラーティ神父さま。我が家にお越しいただいていたのですが、もうお帰りになるのでセスナでお送りするところなの」
「神父というと、また寄付の話か何か?」
 息子だと紹介されたライアン・ジョンストンが夫人の子どもであるはずがない。夫人とは再婚で、前の妻の連れ子がいるとジョンストンが言っていたその子どもだろう。身なりは上等だが、どこかに卑しさと狡さを感じさせる男だった。寄付の話かと言った時、ライアンはあからさまに嫌な顔をみせた。
「この人はね、出せと言われたら言われただけものを出すような人だけど、あまり人の財布をあてにしないでもらいたいものですね、神父。まあ、出せと言われたからといってほいほい出す方もあれだが」
 迎えにきてくれた夫人への礼もないまま、ライアンはさっさと夫人の車の助手席に乗り込んだ。
「あまり揺れないといいですわね」
 夫人はタラップの下まで見送りにきてくれた。
 セスナに乗り込み、タラップ下の夫人に挨拶しようとふりかえったアルがみたのは、セスナ機めがけて一目散にかけてくるジョンストン家の老執事の姿だった。
 老執事は両腕を前で大きく交差させる動作を繰り返していた。まるでアルにむかってセスナに乗るなといっているようである。アルがセスナに乗り込もうとしないので、夫人も背後を振り返って執事の存在に気づいた。
 老いた体に鞭打って駆けてきた執事は、息をきらしながら主人の伝言を述べた。
「神父さま、すぐお邸へお戻りください。ご主人さまがお待ちです」
 執事にせかされ、アルたちは車に転がるようにして乗り込み、ジョンストン邸へとって引き返した。
「奥さまと神父さまが出発された後のことです。ご主人さまが急に、神父さまを呼び戻せと仰せになられまして……」
「それはまたどうしてなの?」
 老執事の言葉が続かなかったので、夫人が優しく先を促した。
「はい……。あの、その、地獄の入り口がみえる、自分はもうすぐ死ぬ、死ぬ前に懺悔したいと……」
「それで神父さまを呼び戻しにきたのね?」
「はい」
 車中での老執事の話は要領を得なかったが、何ごとかが起きたことだけははっきりしていた。事情を知らないライアンだけは、地獄がどうの懺悔がどうのとは何だと目を白黒させていた。

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ジャンル:小説・文学

罪喰い 3-2

 車をポーチに進入させるなり、夫人は運転席から飛び出した。アルもその後に続いた。ライアンはのんびりと助手席から降りてくるところで、老執事はかわいそうに車のドアを開けることもできずに車内で震えていた。
 老執事が怯えていた理由はすぐにわかった。
 ジョンストンの病室の前には、ノーマンとパメラ看護師、数人の使用人とが集まって何やら騒いでいた。ノーマンがしきりにドアを開けようとしているのだが、ドアは固く閉まったまま、中からジョンストンのわめき声が聞こえてきた。それは人間のものとはおよそおもえないほど、おぞましい声だった。
「どうしたの、何があったの?」
 夫人が尋ねると、パメラ看護師が涙ぐみながらこたえた。
「洗い物を出そうとちょっと席を外して戻ってきましたら、ジョンストンさんが狂ったように叫んでいまして。地獄の入り口がみえる、もうダメだとかおっしゃってました。奥さまはお出かけになった後でしたから、私、慌てて執事のローソンさんを呼びました」
 懺悔、つまりは罪喰いをしたいからアルを呼び戻せと命令された執事は空港へかけつけたというわけだった。
「ローソンさんが空港へ向かった後、ノーマンさんがお見えになったので、一緒に病室まで来てほしいとお願いしました。だって、地獄の入り口がみえるだなんて、おそろしくてとても一人では部屋に入りたくないですから。そうしたらドアはもう閉まっていて、鍵なんかついていないドアなのにノーマンさんがいくらがんばっても開かないんです」
 パメラ看護師の話を聞いている間も、おそろしい叫び声は続いていた。地獄の入り口が見えるとジョンソンが言うからには、彼の死期が迫っているのだろう。罪喰いをするのなら急がなければならない。
 そう思った瞬間、アルの心の内を読み取ったかのように夫人がドアに体当たりをくらわした。それまで固く閉まっていたはずのドアはいともたやすく開いた。
 そして全員がみたものは世にもおぞましいものだった。
 ジョンストンは仰向けになったまま、ミイラのような体を上下に激しく動かしている。酸素マスクは外れ、口元からはだらしなく涎が幾筋も垂れていた。眼窩に落ちくぼんだ目はかっと天井を見据えている。何をみているのかと視線を追った先に、地獄の入り口があった。暗褐色の粘液のたまりのようなものを見たとおもった瞬間、それはすうっと消えてなくなった。
「地獄が、その口を開いてわしを飲み込もうとしておる。わしはもうすぐ死ぬ。今すぐ罪喰いをしてくれ。地獄へは堕ちたくない、堕ちたくないぞ」
 今すぐ罪喰いをしてくれと、ジョンストンはうわごとのように繰り返した。
「神父さま、罪喰いを!」
 夫人が叫んだ。だが、アルはためらった。アルがみた地獄の門は消えてなくなっている。罪喰いは地獄の門が開いたままの状態でないと行えない。一度開いたはずの地獄の門が再び閉じることなどありえないのだがと不審に思っていると、入り口にたまっている人の山をわけいって、男が病室へと入ってきた。
「地獄だの、死ぬだのと。大丈夫、あなたは死にはしない。少なくとも今日は、だが」
 ドクター・ドイルと夫人に呼びかけられたその男は、ベッドのかたわらにいたアルをおしのけ、ジョンストンのそば近くに寄っていくと酸素マスクをかけ、手際よく注射を打った。
「鎮静剤を打っておいたから、しばらくはおとなしくしているだろう。地獄をみただなどと、幻覚にすぎない」
 ドイル医師はぐるりと辺りを見回した。パメラ看護師をはじめ、夫人やノーマンもみな、部屋の中へは足を踏み入れられず、入り口付近に固まっている。ドイル医師が地獄の入り口は幻覚だと言い切ったので、集まってきていた使用人らはほっと安堵の表情を浮かべていた。
 幻覚であったはずがない。アルは確かに地獄の入り口を見た。見たのはおそらくはアルだけだろうが、ジョンストンも同じものを見ていたはずだ。幻覚ではないが、一度現れたはずの地獄の門が消えることはないと知っているアルには、あれは本物の地獄の門だったのかという疑問が残った。
「先生(ドクター)、ありがとうございました」
 夫人がねぎらった。ドアに体当たりしたときに乱れたのだろう、いまだに興奮さめやらずといった風で頬が赤く、髪がほつれていた。
「ジョンストンさんに話があるからと立ち寄ったら、死にそうだと騒いでいると聞いたのでね」
 どうやらドイル医師はジョンストンのかかりつけの医者らしい。医者らしく、きちんとした身なりの壮年の紳士である。そのドイル医師はとんでもない爆弾をもってジョンストン家を訪れたのだった。
「グッドニュース。ジョンストンさん、あなたは死なない。バッドニュース、誰かがあなたを殺そうとしている」

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罪喰い 3-3

 肺がんと診断したものの、その発生に疑いをもったドイル医師は、秘かに毒物検査を行った。その結果、ジョンストンはヒ素中毒だと判明した。
 慢性的にヒ素を摂取し続けていると、皮膚がんや肺がんといったがんが発生しやすくなる。ジョンストンの場合は肺がんが発生した。肺がんの原因がヒ素中毒だとわかって残念だとドイル医師は述べた。
「故意に毒を盛られたのではなくて、どこかで偶発的にヒ素にさらされてしまったとは考えられませんの? たとえば飲み水ですとか。どこにヒ素が含まれているか、私、よく存知ませんけれど」
 夫人が“飲み水”と言った瞬間、ウイスキーをロックで飲んでいたライアンの顔がこわばった。氷は水の結晶体だ。客間に集まっている人々のなかで、ライアンの他に“水”を口にしたのは、ロックが好みらしい夫人だけだ。ドイル医師、アルは飲み物を口にしていない。ノーマンはストレート派だ。
「偶発的というのなら、あなたもこの邸で働く誰も彼も、ジョンストンさんのような症状が出ていないといけない。だが、あなたは健康で、香るユリのように美しい」
 美しいと言われた夫人はほんのりと頬を赤らめていた。その様子がまさに咲き誇る大輪のユリのように麗しかった。
「毒を盛っていたのは、あなたじゃないんですか」
 ライアンの一言はその場を凍りつかせた。彼の視線は夫人の上にあった。
「誰だってそう思うだろうに。あなたのように若くて美しい女性が、あんなおいぼれと結婚したのは遺産目当てだろう? 死ぬのが待っていられなくなったんで、毒を盛った。そんなところじゃないのか?」
 夫人の顔からみるみる血の気が引いていった。
「毒を盛るだなんて、そんなことするわけありませんわ! 第一、お互いの資産を守るという意味で婚前契約を交わしています。そうすることが結婚承諾の条件だったではありませんか。あなたの出された条件ですわ」
 唇を震わせながら、しかし力強い声音で夫人は言い切った。
「じゃあ、遺産はいらないと?」
「私のものにはなりませんもの」
「あなたのものになるとしても?」
「そんなこと、あるわけありませんわ。婚前契約が――」
「おやじは、財産の一部をあなたに譲るという遺言状を書いたんだ。そこにいるノーマン弁護士に依頼してだ」
 ライアンはノーマンを指さした。
「あなたは、おやじの遺言状についてノーマンから聞いて知った。寝物語にでも聞いたんじゃないのか?」
 夫人とのあらぬ関係を疑われたノーマンの顔がひきつった。
「僕はそんな遺言状を認めるわけにはいかないと忠告しに急いでやって来たわけだけど、案の定、来てみたら、実は毒を盛られていたっていうじゃないか。おそらく、毒を盛られ始めたのは、遺言状を書いた直後なんじゃないのか」
 医者なら調べればわかるだろうと言わんばかりに、ライアンはドイル医師の顔をみやった。
「ジョンストンさんが遺言状を書いたことと、その内容を、あなたはどうやって知ったというのです?」
 ドイル医師に詰め寄られて、ライアンはしどろもどろになった。うまい言い訳を考えようとする間、ブルーグレーの目が宙を泳いでいたが、何も浮かばなかったらしい。頭のいい男ではないようだ。夫人を追い詰めるつもりだったのだろうが、自ら卑しい人間だと暴露したようなものだった。
「ジョンストンさんが殺害され、夫人が容疑者として逮捕されたら、夫人は相続権を失う。夫婦に子どもはいないから、遺産はすべてあなたのものになる。夫人へ嫌疑を向けようとして、実はあなた自身が毒を盛っているとも考えられる」
 放ったはずの矢が自分にむかって戻ってくるのを見る思いで、ライアンは真っ青になっていた。
「そ、そんな。僕がどうやって毒を盛り続けられたっていうんです? ここに住んではいないっていうのに」
「手段はない。でも動機がある。金だ。動機さえあれば、手段はどうとでも整えようとするものだ。そうは思いませんか、ファーザー」
 ドイル医師はアルに同意を求めた。
「え? ええ、まあ、そうでしょうか」
 アルが慌てて返事をするなり、いたたまれない気分になった夫人がフレンチウィンドウから庭へと飛び出していった。追いかけようとノーマンが腰を浮かせかけたが、いましがたに関係を疑われたばかりなのでうかつに飛び出してはいけないとためらっているようだった。仕方なく、アルが夫人の後を追って庭に出ていった。

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罪喰い 3-4

 夫人は湖に面したベンチに腰掛けていた。石造りのベンチに姿勢よく腰掛ける夫人は両手を膝の上にそろえて湖をみつめていた。
 風がそよぐたび湖面には銀の漣がたった。その都度映り込んだ対岸の紅葉がかき乱されていた。
 アルは夫人のかたわらに腰を下ろした。客間を出ていった時の興奮はようやく収まったらしく、夫人は優雅さを取り戻していた。
「きれいでしょう。私、ここからの眺めが一番好きですわ。春の緑もきれいですが、やはり秋の紅葉が一番美しいと思いますの」
「僕もそう思います」
 ヨーロッパの紅葉は美しかった。生まれ育った土地から遠ざかるように大陸を西へ西へとむかい、最後にはドーバー海峡をわたって大陸から島へと移り住んだ。その小さな島が、当時大英帝国の繁栄をほこるイギリスだった。再び大陸への情熱が湧いた時、アルは船に飛び乗っていた。行き先は新大陸、アメリカ。ボストンは、アルが新大陸に初めの一歩を刻んだ土地だった。
 ジョンストン邸へ来る途中、車窓から見た当時の面影を残す町並みに、アルは時の流れを忘れそうになった。だが、行きかう人々がまるで違う。時は確実に流れている。人も街も変わっていくのに、変わらないのは人の罪だけだった。
 教会では罪の源を七つに分類している。「暴食(グラトニー)」「色欲(ラスト)」「強欲(グリード)」「嫉妬(エンビー)」「憤怒(ウラース)」「怠惰(スロース)」「虚飾(プライド)」「傲慢(プライド)」。人が罪を犯す動機はいつの世もこの七つに絞られる。
「神父さまも―」
 と言いかけて、夫人は口を押えた。アルに、神父と呼びかけないでくれと言われたのを思い出したらしく、苦笑いを浮かべた。
「私が主人を殺そうとしていると思っていらっしゃいますの?」
 人の罪はいつの世も変わらない。天使のような美しい外見の人間でも悪魔のような所業を成すとアルは知っている。アルは夫人の味方をして、否定の言葉をかけてやることができなかった。
「ドイル医師は、あなたの義理の息子を疑っていましたが」
「ライアン、あの人に主人を殺して私に疑いをかけるようなことができるとは思えませんけども……。粗野な人間ですが、小心者ですから。でも、お金に困っているのは確かです。主人の前の奥様の連れ子で、ニューヨークに住んで、主人のつてて紹介してもらった会社のいくつかで取締役をしていますけど、浪費癖がひどくて、いつも主人に泣きついてくるんです。今回の訪問も、またお金の無心だろうと思っていたのですけど……」
 ジョンストンの遺言状で自分の取り分が減ると知って慌てて駆けつけたという理由は、ライアン本人によって暴露されていた。
「主人と結婚した時、あの人には遺産目当てだと散々言われました。ですから、婚前契約を交わしました。私には守るほどの財産もありませんでしたけど、それが結婚の条件でしたから。遺言状については本当に何も知りませんでしたわ。ノーマンさんとは顧問弁護士としてのお付き合いしかありません」
 夫人はきっぱりとノーマンとの関係を否定してみせた、しかし、たとえ夫人にその気がなくとも、ノーマンは別だろう。女ざかりの夫人を目の前にして、平然としていられる男はそうはいまい。まして夫人はとびきりの美人だ。一線を引くような女には、たとえそれが人妻であろうと、男は逃げる獲物を追う気持ちでかえって惹かれていく。アル自身が身にしみて知る男の性を、夫人は知らなさ過ぎる。
「主人とは、教会のボランティアをしていて知り合いました。私、フォーブスの長者番付に載っている方を上から順番に訪ねていって寄付をお願いしてましたの。お金をお持ちの方は社会的責務も立派に果たしてくださいと申しあげまして。今思うと若かったのですわ」
 若く美しい女性に寄付を懇願されて断ることのできる人間がいるのだろうか。少なくともジョンストンは断れなかった男だった。
「金の亡者などと世間では言われているようですが、主人はそんな人間ではありません。お金は大事ですわ。主人はお金の大切さを人一倍よく知っているのでつい厳しくなるようですけど、守銭奴というのとは違います。そうでなければ、若い娘に頼まれたからといって大金を簡単に寄付などできませんもの。お金で出来ることが何かをよく知っていて、無駄なことには使いたくないだけなんです。結婚してから私もお金の作り方を学びました。漫然と人の好意に頼るだけではダメですから、信託という形で一定のお金が慈善団体にいくようにしています。主人の資産の一部を信託資産にしていますが、私が結婚してからつくった資産も含まれますのよ。ボランティアをしていたときのつてで、みなさま、いろいろとよくしてくださって、結構なものになりました。信託の運営は、私を母親がわりに面倒みてくださったシスターにお願いしています。私の資産はすべて慈善団体のための信託財産となっていますから、私が死んだら、私の資産はすべて彼女のものになります」
「つまりは教会のものに、ということですね」
「ええ。孤児だった私は教会に育てていただきました。そのお礼とでもいうのでしょうか」
 ふと人の気配を感じて振り返ると、ノーマンの歩いてくる姿がみえた。どうやら夫人を心配して様子を見にくることにしたらしい。足取りはゆっくりとしているが、気がせいているように感じられた。一刻も早く夫人のそばに行きたいがアルの目を気にしているといった感じで、わざとゆっくり歩いているようにもみえる。
 ジョンストンの遺言状について、少なくともノーマンはその内容に通じていた。遺産の一部が夫人に渡ると知れば、ジョンストンを殺し、夫人も手にいれる、ついでに夫人が手にするだろうジョンストンの莫大な財産も手にいれる計画を思いついても不思議はない。
 動機さえあれば、手段はどうとでも整えようとするものだ――
 ドイル医師の言葉がふと思い出された。
 顧問弁護士としてノーマンは日頃からジョンストン家に出入りしている。手段はどうとでも得られる。動機は夫人だとしたら――
「ジョンストン夫人――」
 ノーマンには気をつけてと忠告しようと呼びかけたアルを、夫人の笑顔がさえぎった。
「どうぞ、“エル”と呼んでください」
 ファーストネームのニックネームを告げた時の夫人は無邪気な笑顔を浮かべていた。
「“エル”? ジョンストンさんはギャビーとあなたを呼んでいましたが」
「ガブリエルなので主人はギャビーと。でもそう呼ばれるのは好きではないので、私、親しくなった方には“エル”と呼んでいただいてますの」
「ガブリエル……受胎告知の天使ですね」
「私が教会の前に捨てられていた日が9月29日、聖ガブリエルの日だったのでシスターがそう名付けてくださったのです」
 聖母マリアにイエスの受胎を告げた天使ガブリエル。絵画などには、男とも女ともつかない顔立ちで描かれている。アルの目の前にいる夫人は、数々の受胎告知の絵画に描かれてきたどの大天使ガブリエルに勝るとも劣らない美しさだった。
 それは邪まな心を起こさずにはいられないほどの美だった。

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罪喰い 3-5

 誰かが毒を盛っているというドイル医師の告発により、ジョンストンの病室への一切の出入りが禁止された。唯一出入りを許されたのは、ドイル医師、パメラ看護師、いざというときに罪喰いを行うよう依頼されているアルだけだった。
 もともとは客間だったジョンストンの病室のドアに鍵はついていない。明日にでも鍵を取り付ける予定で、その夜はドアの入り口に見張りをたてていた。
 アルが入り口にたどり着いた時、夜を徹して監視し続けるはずの見張り役はすやすやと寝息をたてていた。見張り役は執事のローソンだった。昼間の騒ぎで、心身ともに疲れてしまったのだろう。老いた執事は、空港でアルを追いかけて走ってきただけで体力を使い果たしてしまったのだ。
 アルはそっとドアを開け、部屋の中へとすべりこんだ。ドイル医師に打ってもらった鎮静剤が効いているらしく、ジョンストンは深い眠りについていた。この分だと、邪魔されずに仕事が出来そうだった。
 アルは、ジョンストンが見たと主張した地獄の入り口のことが気にかかっていた。ドイル医師は幻覚だと一蹴したが、幻覚などではない。アルの他に見たものがいないのは、みな怖がって部屋の中へは入ろうとしなかったからなのと、地獄の入り口が天井にあって見上げなければ見えなかったからだ。そしてその入り口も、アルが目を向けたとたん、掻き消えてしまった。
 一度開いた地獄の入り口が閉じることはない。アルは自分が見た地獄の入り口は果たして本物であったかとの疑問をもった。そして、もしかしたらとある疑念を抱いた。夜を待ってジョンストンの病室に忍び込んだのはその疑念を確かめるためである。
 アルはジョンストンのベッドの下をのぞきこんだ。アルの考えが正しければ、そこにプロジェクタがあるはずだった。昼間の騒ぎ以降、病室に入れたものは誰もいない。プロジェクタを仕掛けた人間は回収できずにいるだろうから、まだあるはずだ。
 アルは、ジョンストンと2人だけして見た地獄の入り口は偽物ではないかと疑った。誰かが地獄の入り口の映像をプロジェクタを使って天井に映し出してみせた。ジョンストンを怯えさせ、罪喰いを行わせるためだ。誰がということは判明している。地獄の入り口の映像を持っている人間はひとりしかあり得ない。
 だが、プロジェクタはそこにはなかった。一足遅かったかとアルは唇を噛んだ。見張りの執事は眠りこけているから、犯人は簡単に部屋に入れてしまったのだ。
「探しものはこれかな?」
 闇の奥から声がした。片膝をついた姿勢のまま顔をあげると、部屋の片隅に人が座っている。暗闇に慣れた目は、それがジョンストンの車椅子に腰かけているドイル医師だと見分けた。組んだ足の膝の上にプロジェクタが乗っていた。
「手段はどうとでも――どうやってもお前に罪喰いをやらせたい人間がいるようだな」
 それはドイル医師であってドイル医師ではなかった。暗闇に猫のように光る眼、縦に裂けた瞳孔は悪魔が乗り移っている証だった。アルは悪魔の正体を知らない。彼(あるいは彼女かもしれないが)を現実世界で見る時にはいつも誰かの体を借りている。今回は、ドイル医師の体を借りているようだ。
「お前も見当はついているのだろう」
 ドイル医師ことサタンは、まるで膝の上に乗った猫を愛撫するかのような仕草でプロジェクタを撫でた。すると天井に昼間見たものと同じ地獄の入り口が現れた。
 正確には、トムじいを飲み込もうと開いた地獄の入り口の映像である。
 映像はすぐに消えて再びもとの暗闇が戻った。
 トムじいの罪喰いの様子をビデオに撮影されていたのだ。昼間、天井に出現した地獄の入り口はその時の映像を編集したものだ。アルは騙せないが、ジョンストンを怯えさせるには十分の迫力がある。撮影できた人間はひとりしかいない。

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罪喰い 3-6

「ノーマン……」
 あの日、ノーマンは鍵のかかっていなかったアルの部屋でアルを待ち構えていた。その時に隠しカメラをしかけたか、あるいはアルがバーでバンドメンバーとライブのセッティングをしていた時にか。盗まれるようなものはないから鍵などかけないアルの部屋なら、いつでも出入り自由だ。
「地獄の入り口を作り出してみせるとは、たいしたものだ」
 サタンは皮肉な笑いを浮かべ、プロジェクタをしきりと撫でていた。
 おそらくノーマンは、パメラ看護師が病室を空けた隙にプロジェクタを仕掛けた。そして騒ぎが起こると、今来たかのようなふりで病室にかけつけ、開かないドアを開けようとする芝居で誰も中に入れようとさせなかった。アルの到着を待っていたのだ。ドアが開かなかったのはノーマンの芝居だったからで、夫人が体当たりしただけで簡単にドアは開いた。アルが見た瞬間に、ノーマンはリモコンでプロジェクタのスイッチを切ったのだろう。アルには偽の地獄だとわかってしまうからで、実際アルはしかけだと見破った。ノーマンは、ジョンストンを怯えさせ、堕獄の恐怖を植え付けて罪喰いをしたいと思わせたかったのだろう。戻ってきたアルが罪喰いの儀式を行えば一石二鳥だったが、ジョンストンが罪喰いを拒絶した意思を翻しただけでも彼の目的は達せられたというわけだった。
「サタン、あなたは僕に罪喰いをさせたくないのでしょう」
 アルが罪喰いとして罪人の罪をその身に受け入れ、天国へ送り出してしまうので、地獄の主サタンはアルを忌み嫌っている。罪喰いの儀式の邪魔をするなどは日常茶飯事である。ドイル医師としてサタンが踏み込んでこなければ、アルはもしかしたら騙されて罪喰いの儀式を行ってしまったかもしれない。
「邪魔するだけではつまらないではないか」
 サタンはくっくと喉を鳴らした。
「だから私は余興にデーモンを放ってやった」
「誰かがジョンストンを殺そうとしているという疑心……」
 サタンことドイル医師に毒を盛られていると知らされたジョンストン本人はノーマンと夫人を疑い始めた。ジョンストンの前妻の連れ子ライアンは夫人を疑っている。そのライアンも、夫人に濡れ衣を着せようとしている疑いがある。サタンの思惑通り、暗鬼はすでに誰の心にも憑りついていた。
「ライアンとやらの小僧が私の掌の上でうまいこと踊ってくれてな。手段はあるが動機のない人間に動機が与えられた」
「ジョンストン夫人……」
 ジョンストンを殺す手段をもつが動機をもっていなかった夫人は、しかしライアンの暴露によってジョンストンが死亡することによって遺産が自分のものになると知ってしまった。
「彼女はどんな踊りを踊ってみせてくれるかな? ノーマンもライアンもお前も、せいぜい私を愉しませてくれ。これは記念にもらっていく」
 夜の闇をも震わせるほどの気味悪い高笑いを残し、プロジェクタごとサタンは闇に姿を消してしまった。
 


 二階にある寝室に急いで戻ろうとすると、廊下に明かりが漏れているのに気付いた。夜中に起きている人間がいるらしい。きちんと閉められていない部屋のドアから明かりは漏れているのだった。
 息をひそめて通り過ぎようとすると、中から話し声が漏れ聞こえてきた。声の主は邸を立ち去ったはずのノーマンだった。
 “ファイン”“エル”と、アルの部屋のバスルームで聞いた単語が聞こえてきたので、アルは思わず気になって足を止めた。ノーマンの押し殺した低い声にまじって別の人間の声もかすかに聞き取れた。
「大丈夫(ファイン)、エル。きっとうまくいく」
 わずかに開いたドアの隙間から水色のワンピースを着た女の後ろ姿が見えた。見事なブロンドの髪を背中までおろしているが、夕食時と同じその装いはジョンストン夫人だった。
 アルの視線に気づいたように、夫人はドアの方をふりかえった。夫人が腰をひねった瞬間、部屋の中にいたノーマンの姿が目に飛び込んできた。上着を脱いでネクタイを外したうちとけた格好で、ホルターと銃がはっきりと見えた。ノーマンはドアがきちんとしまっていないと気づいたらしく、足早にむかってきたので、アルは慌ててその場を後にした。

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罪喰い 4-1

 一週間後、ジョンストンの病室のドアが開け放たれ、夫人とノーマン、ライアンが招き入れられた。ジョンストンのかたわらには、ドイル医師とパメラ看護師がひかえていた。アルもまた、ジョンストンによってその場に呼び出されていた。
 ジョンストンはベッドの上に仰臥していた。呼吸をするのにも一苦労といった状態だったが、酸素マスクはしていなかった。呼び出した全員がそろうと、ジョンストンはぐるりとあたりをみまわした。
「今日集まってもらったのは、遺言状について話をしようと思ってだ」
 ジョンストンがようやっと声を絞り出すと、ライアンが口をはさんだ。
「書き変えるって言うつもりなんでしょうね。自分を殺そうとしている人間に遺産をやろうなんてバカはいませんからね」
「その通りだ」
 ジョンストンが夫人を相続人から外すつもりだと知って、ライアンは満足げな笑みを浮かべた。夫婦には子どもがいないから、夫人がもらうはずだった遺産の取り分はライアンのものとなる。さっそく金の使い道の算段をしているに違いないライアンは口元がゆるみっぱなしだった。
「遺言状は書き変えた。あとは証人にサインしてもらうだけだ。ドイル医師、サインしてもらえるだろうか」
 ジョンストンは車椅子の上に置いてあった書類をパメラ看護師に頼んでもってこさせた。書類を手渡されたドイル医師は、パラパラとページをめくり、最後の一枚にさっさとサインした。
「あともうひとり。神父(ファーザー)、サインしてもらえるだろうか」
 ライアンの手前、神父でい続けているアルは名指しされ、ドイル医師から遺言状を受け取った。その内容に目を通し、アルは驚愕した。
 本当にこの内容で構わないのかと確かめるようにアルはジョンストンの顔をみた。ジョンストンは強い眼力でアルにサインを迫った。
 アルは次にドイル医師をみやった。ドイル医師、いやサタンはまたしてもデーモンを放とうとしている。その意志を彼の笑みにアルは見出した。アルが新しい遺言状にサインをすれば、デーモンが放たれる。わかっていながらサインすることは、アルにはどうしてもできなかった。
「神父(ファーザー)、さっさとサインしてください」
 何も知らず、すべての遺産が自分に譲られるものになると思い込んでいるライアンはサインを促した。
「素晴らしい遺言ではないか。ジョンストンさん、あなたは善人の鑑だ」
 ドイル医師ことサタンはアルからペンと遺言状を取り上げたかと思うと、パメラ看護師に渡した。アルのかわりにサインをしろと言われた格好のパメラ看護師は最初戸惑っていたが、遺言状の内容に目を通すなり、ためらわずにサインした。
 とたんに部屋中に響き渡ったのはジョンストンの薄気味悪い笑い声だった。ジョンストンは気が狂ったように笑い続けた。そして遺言状をノーマンに差し出した。
「ノーマン。お前は顧問弁護士としてこの遺言状をしかるべく執行するように」
 ジョンストンが手にした遺言状を、ライアンがひったくった。夫人に遺産の一部を譲るとした前の遺言状を破棄するという一文を読んだのだろう、ライアンの口角が上がった。だが、次の瞬間、上がった口角のはじに泡を飛ばしながらライアンはジョンストンにくってかかった。
「何です、この遺言状は! ぼ、僕は認めませんよ、こんな遺言状!」
 新しい遺言状の内容を知り、ライアンは激怒していた。
「ノーマン弁護士、こんな遺言状、認められるんですか?」
 ライアンは息巻いて書類をノーマンに渡した。ノーマンはパラパラと書類をめくってみせた。専門家だからどこを重点的にみればいいのかわかっているのだろう。証人欄にドイル医師とパメラ看護師のサインを確認したノーマンは、ふうとため息をもらした。
「書類に不備はありません。こちらが新しい遺言状です」
 とたんにライアンは雄叫びをあげた。両手で髪をかきむしり、目をむく形相で夫人を睨みつけるなり、
「あんたのせいで僕は一文なしだ。お得意の慈善とやらで助けてもらいたいもんだよ」
 と暴言をはいた。
 夫人はライアンには取り合わず、ノーマンから遺言状を受け取った。その内容を確認した夫人の頬が一瞬で赤くなった。

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罪喰い 4-2

「あなた、これは一体……」
 遺言状には、先の遺言状の内容を破棄し、すべての遺産は慈善活動のために設立した信託にゆだねるものとするとあった。
「わしを殺しても一セントだってお前たちのものにはならないようにしてやった。わしが死ねば、遺産はお前の大好きな慈善団体にいく。どうだ、嬉しいだろう、心優しきギャビーよ」
 この時のジョンストンほど醜いものはなかった。骸骨が皮をかぶっているような形相の醜さだけではない。ねじまがった心がおぞましかった。遺産はやらないと言うだけならまだしも、遺産が夫人の情熱ともいえる慈善事業に使われるのを指をくわえてみていろとは、凄まじい悪意のなせる業だった。
「どうした、ギャビー。さっさとわしを殺したらどうだ? おいぼれ一人死ねば、たくさんの恵まれない人間を助けてやれるんだぞ」
 ジョンストンは声高に笑った。
 夫人がジョンストンを殺そうとしていたという確たる証拠は何もない。ドイル医師ことサタンの“誰かが殺そうとしている”という一言が疑心暗鬼を生じ、ジョンストンが勝手に夫人を犯人と決め付けただけだった。そして遺言状を書き変えた。ジョンストンは夫人から動機を取り上げたつもりでいただろうが、その行為はかえって夫人に大きな動機を与えてしまったとジョンストンはいまだ気づいていない。
 色と欲には惑わされなかったかもしれない夫人だが、ジョンストンの莫大な遺産が慈善に使われるとなったらかえってジョンストンへの殺意が湧いてきやしないか。アルはその点を恐れてサインができなかった。何も知らないパメラ看護師は、遺産が慈善事業に用いられるならという善意からサインをしてしまった。誰もかれもがサタンの掌の上で華麗に踊ってみせてしまっていた。
 ジョンストンの気ちがいじみた笑い声に耐えきれないようで夫人は耳を塞いだ。この上ない悪意に苦しむ夫人を見て、ジョンストンは楽しくて仕方ないとばかりに干からびた両手を叩いて笑った。
 笑い声はとまらない。無邪気な笑い声ではない。呼吸が苦しいのを無理して笑うものだから、ジョンストンは時々咳き込んだ。それでも笑うことをやめない。時おり痰が絡んで、不快な音がたった。
 そのうちにジョンストンの咳が止まらなくなった。喉を傷めたのか、咳き込んだ際にブランケットに血の飛沫が散った。苦しそうに胸をかきむしり、ジョンストンは助けを求めるようにドイル医師をみやった。
「どうやら誰かが毒を盛ったようですな」
 ドイル医師は手当するでもなく、ベッドの上で苦しみもがくジョンストンを見下ろしているばかりだった。
「ど、毒。そんなはずは……。ドクターとナース、神父以外に病室には誰も入れなかったというのに……」
 ジョンストンは眼窩からこぼれ落ちそうな目を見開いてノーマンと夫人を凝視していた。恐ろしい形相のジョンストンに、夫人はすっかり怯えきって肩を震わせていた。
「私は『誰かが』と言っただけで、夫人があなたを殺そうとしているとは言っていない。手段をどうとでも整えた誰かがこの中にいるというわけだ」
「一体誰が……」
 とたんにジョンストンは、肺が飛び出すのではないかという勢いで咳き込んだ。上半身をベッドの上に折り曲げて何度も血を吐いた。最後の喀血はひどい出血量で、ブランケットの上にちょっとした血の溜まりができるほどだった。
 やがて、あたりに腐臭が漂い始めた。その場にいた誰もが鼻をつく異臭に顔をしかめた。アルはその臭いが何であるかを知っていた。
「おや、地獄の門が開いたようですな、神父」
 サタンことドイル医師に指摘されるまでもなく、アルも気づいていた。ジョンストンの血を鍵に今度は本物の地獄の門が開こうとしていた。
 ブランケットの上に溜まった鮮血はゆっくりと渦を巻き始めていた。渦は次第に速度をあげ、その中心にぽっかりと穴が開いた。闇すらも一歩足を踏み入れたら飲み込まれてしまうその渦こそが地獄の門だった。開いた地獄の門からは地獄の底が覗いてみえた。地獄に堕ちたものたちのうめき声が聞く者たちの肌を粟立たせる。凄まじい腐臭は、地獄から漂ってくるのだった。
 ライアンはとたんにフレンチウィンドウを破って外に逃げ出し、夫人は気を失ってノーマンの腕の中に倒れこんでしまった。
「罪喰いを、神父」
 やっとのことで声を絞り出すなり、ジョンストンはベッドに倒れこんだ。
 アルはその一言に弾かれるようにしてジョンストンの傍らに駆け寄った。地獄の入り口は次第に拡大しつつあり、今にもジョンストンの体を飲み込もうとしている。
「これまで犯した罪のすべて告白を、ジョンストンさん!」
 アルは肋骨の浮き出たしみだらけのジョンストンの胸に手をあてた。うすっぺらな皮膚の下で心臓が早鐘を打ち続けている。皮膚を突き破って飛び出そうとして、その部分だけが心臓の形に盛り上がっていた。急がなければならない。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 4-3

 わしは南アフリカで生まれ育った。両親はとうもろこしの農場を経営していた。20の春だった。農場経営を手伝うのに嫌気がさし、わしはアメリカに渡った。何をしようというのでもない。何ができたわけでもない。結局、アメリカでもあちこちの農場を渡り歩いてその日その日を食いつないでいた。
 そのうち父が亡くなった。父の農場は兄が継いで経営していた。素朴さだけが取り柄のような兄はわしとはまるで違っていた。向上心というものがまるでない。田舎の農場主におさまってその日暮らしていけるだけの糧があれば満足する、そういう人間だった。わしは違う。欲しいものは際限なかった。金、女。だが、日々のパンさえ手に入れるのさえ難しい。アメリカでわしはそんな生活を送っていた。
 ある日、わしは兄から手紙をもらった。農場でダイヤモンドがみつかったという。わしは急いで帰国した。だが、ダイヤモンドがうなるほどある農場はすべて兄のものだった。
 ――わしは兄夫婦を殺した。
 ダイヤモンド鉱山を手に入れ、わしには大金が転がりこんできた。その金をもとでにわしはアメリカで運送事業を始めた。トラック運転手をしていたわしは、物流にビジネスの勝機を見出していた。作った物を誰かが運ばなきゃならん。物はどんどん作られる。あの広大な大地の隅々にまで物資を行きわたらせるのに、運送業は不可欠だったってわけだ。
 事業は大成功し、わしはさらに金を手にいれた。金のある人間には金が入ってくるものだ。
 わしは物流王と呼ばれるようになった。今の地位にのぼりつめるまで踏み台にしてきた人間は数知れない。わしを恨んでいる人間は星の数ほどいるだろう。仕事を失って家庭を失って自殺したような人間にとっては、わしが殺人犯人だろう……。
 ――初めて女を抱いたのは14の時だった。相手は農場で働いていた黒人の女だった。30がらみの、男とみれば誰とでも寝る女だった。女には娘がいた。わしはその娘とも寝た。娘は妊娠した。黒人女との間に出来た子どもを産ませるわけにはいかない。私は彼女と、その母親とを殺した。娘はまだ12だった……。これが悪夢のはじまりだった。
 彼女は、わしの夢に出てくるようになった。生まれてくるはずのなかった赤ん坊を腕に抱いて、白い歯を見せて笑いかける。その股からは血が流れているのだ。私は夢の中で彼女を犯す。彼女が息絶えるまで犯し続ける……。すべては夢のようだった。
 私は少女たちを犯して殺した。何人殺したかわからない。10人か、ダースか、それ以上か。季節農業労働者としてやトラックの運転手をしたりしてアメリカ中を放浪していた頃だ。少女たちは行く先々で適当にみつくろった。酒や煙草をちらつかせると彼女たちは黙って私についてきた。まわりからちやほやされて自尊心の強そうな子にはモデルにならないかとでも声をかければ無防備に私の手の中に落ちてきた。欲望を満たした後は、始末に困って殺した。死体はそこらの道端に捨てた。トラック運転手をしていたから、どこに捨てれば見つからないですむかなんてことは心得ていた。
 兄夫婦を殺して大金を手に入れてからは、少女たちを見ても何とも思わなかった。金を造るほうが楽しかったからな。だが、金が黙っていても手に入るようになると、またあの邪まな欲望が頭をもたげてくるようになった。
 わしは最初の結婚をしていた。相手はボストンじゃちょっと名のある家の娘だったが、金に困っていた。むこうは金が欲しい、わしは名前が欲しい、互いに利益のある結婚だった。愛はなかった。わしは、普通の肉体関係では満足できない体になっていた。商売女は心得ている。彼女たちで満足しておけば……あの娘があらわれなければ……。
 彼女は美しかった。私にむかって無邪気に笑いかけてきた。その笑顔が私を誘っていた。少女だというのに、すでに女の媚を得ていた。
 私は彼女を犯し、他の少女たちの時と同じようにそこいらに捨てた。30年以上も昔の話だ。わしはその時、へまをしでかした。死体を処理する時、男に見られたのだ。逮捕されるだろうかと怯えたが、警察は別の男を逮捕した。少女の父親だという話だった。
 わしはまた金に執着する生活に戻った。金はいい。わしを裏切らない。わしは最初の妻も殺した。男を作ったのだ。男を作るだけならいいが、わしの金を食う男だった。男もついでに殺してやった。
 ――教会に通う15歳の少女を暴行して妊娠させ、中絶を迫ったという話は本当だ



 ジョンストンが罪の告白を終えたとたん、その心臓が皮膚を突き破って飛び出してきた。どす黒いタールのようなものを全身から滴らせ、鼻をもぎ取りたくなるほどの罪の腐臭を放っている。ジョンストンの罪をその身に引き受けるには、アルは悪臭をまとったその心臓を口にしなければならない。その心臓をつかみ取ろうとした瞬間、アルの手をかすめて心臓を奪った人間がいた。パメラ看護師だった。
 初老とは思えぬほどの素早い身のこなしで宙に浮いた心臓をつかんだパメラ看護師は、ジョンストンの心臓を地獄の底にむかって勢いよく投げつけた。
「地獄へ落ちろ、このくそったれが!」
 心臓はたちまち赤黒いタールの渦にのみこまれ、その姿を消してしまった。パメラ看護師の思わぬ邪魔が入り、アルは罪喰いに失敗してしまった。
 ジョンストンの汚れた魂をのみこんで満足したかのように地獄の門はゆっくり閉じようとしていた。取り戻しようがない。アルが諦めた瞬間、渦の中心から心臓が勢いよく飛び出してきた。全身を包んでいたどす黒い粘液はすっかり取り払われ、つるりとした表面を大小の血管が覆い尽くし、力強い鼓動を打っている。さっぱりしたとでもいいたげな心臓は、ジョンストンの胸の上で躍ったかとおもうと、皮膚をゆすってその下へともぐりこんでいった。
「長生きしろ、ジョンストン!」
 いつの間に地獄に戻ったのか、とじようとする渦の奥からサタンの高笑いが聞こえてきていた。サタンはジョンストンの罪を洗い流し、健康な心臓を返して寄越したのだった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 4-4

娘はわずか12歳の生涯でした。娘は……マデリーンは殺されたのです。
 ジョンストンに。
 かわいそうに、怖かったでしょう、苦しかったでしょう。まだこれからだったというのにジョンストンはあの子を犯して、その命を奪った。そしてまるでごみのようにそこいらの道端に捨てたんです。私の大事なマデリーンを。
 私は16であの子を産みました。電気工をしていたあの子の父親とは、あの子がまだ幼い頃に別れました。仕事先で女を作って、その女と一緒にどこかへ逃げたんです。私はそれからはひとりでマデリーンを育ててきました。裕福じゃなかったけれど、不自由な思いはさせまいとして、大事に育ててきました。いつかは結婚して、子どもを産んで、私は孫のお守りをおしつけられるんだ――そんな、ただ普通の幸せを彼女に望んでいました。親ならそう思うものでしょう? 生きていたら、孫がいたっておかしくないくらいの年齢ですよ……。
 ジョンストンには子どもがいないから親の気持ちなんかわからないんです。聞くところによれば子どもも生まれる前に殺しているそうじゃないですか。そんなやつに、命がけで産んだ子どもの愛おしさがわかるものですか。
 大事な私のマデリーンをただ一時の欲望のはけ口にされたこの口惜しさ。
 わかりますか? 男にはわからないでしょうとも。女はね、命を宿した瞬間から骨身をけずって命を育むんです。この世に押し出すのだって命がけですよ。そうしてやっと命というものはこの世に芽吹くのです。
 マデリーンは殺されるために生まれてきたんじゃない……。
 あの子はちょっときれいな子でした。白雪姫(スノウホワイト)じゃないけれど、肌が白くて髪は黒く、唇は赤かった。父親に似て、甘ったるい顔つきで、夢見るような目をしていました。ちょっとちやほやされたものだから、本人は舞い上がってモデルになるんだなんて言ってました。そんなこと、思わなければ殺されないで済んだかもしれなかったのに……。
 その日、マデリーンは夜遅くなっても家に帰ってきませんでした。また悪い仲間とよくない遊びをしているんだと私は思っていました。そのころ、あの子は私の言うことを聞かず、年上の少年たちと遊び歩いていました。彼らからマリファナを教えてもらったようで、部屋からポッドをみつけたこともあります。そのことできつく叱りつけたので、ますます私に対して反抗するようになっていました。
 ですから、その日もまたいつもの連中と遊んでいるのだろうと、私は彼らがたむろしているバーへとあの子を迎えにいきました。古い話ですし、田舎ですから、今とは違って若い子たちに酒を与える人もいたのです。ただではないようでしたけど……。
 あの子はいませんでした。私はマデリーンは一緒ではないのかと遊び仲間を問いただしました。しかし、彼らもあの子の行方を知りませんでした。その日はマデリーンを見かけていないというのです。その日の朝、学校へ行くといったマデリーンを送り出したのを最後に、私はあの子を永遠に失ってしまいました。
 警察に行方不明の届けを出してから、1か月が経った頃でしたか。マデリーンのものらしい遺体が発見されたから確認してもらいたいと私は呼び出されました。警察から連絡があった時、私は複雑な思いでした。とうとうこの時が来てしまったかという思いと、マデリーンがみつかって嬉しいという思い。生きているという希望を捨ててはいなかったけれど、気持ちの半分では諦めかけてもいました。死んでいるとわかった時のショックを和らげるために、心が準備をしていたのでしょう。
 それでも、マデリーンの遺体と対面した時の衝撃といったら、何と言ったらいいか。私の大事なマデリーンは、変わり果てた姿になっていました。あの白い肌はいまやどろどろに溶けてなくなって、骨がみえていました。夢見るような目にはうじがわいて、美しかった黒髪は泥がこびりついてぐしゃぐしゃに絡まっていました。
 ……私は叫んだと思います。よくは覚えていません。顔をみてあの子だとはわからなかったけど、ピンクのTシャツとプラスチックのパールネックレスは確かに彼女のものでした。ネックレスはあの子が気に入って普段身につけていたものです。長いものを二重にも三重にも巻いて手にまきつけてブレスレットかわりにしていました。
 マデリーンはレイプされて殺されたと聞いて、私は発狂しそうになりました。子どもをレイプして殺すだなんて人間のやることじゃありません。畜生だってそんなことはしませんよ。犯人は畜生以下の存在です。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 4-5

 マデリーンを殺した犯人はなかなかつかまりませんでした。警察は何の手がかりもつかんでいなかった。ずい分たってからあの子のTシャツから犯人のDNAが採取されましたけど、当時はDNA鑑定なんてものはまだなかった頃でした。
 当時、似たような事件が何件もあって、警察にとっては数ある事件のひとつでしかなかったでしょうが、私にとってはたったひとつの出来事でした。
 事件のことはいつでも頭にありました。忘れるわけがない。愛する我が子を守ってやれなかった口惜しさ、犯人への憎しみ。いつかこの手で犯人をつかまえて八つ裂きにしてやりたい。ずっとそう思っていました。
 DNA鑑定が捜査方法として認められるようになると、マデリーンの衣服からDNAが採取されました。それでも、犯人のDNAがわかったというだけで、犯人がわかったというわけではなかった。事件は解決したわけではありませんでした。
 そんな時、手紙を受け取ったのです。手紙を書いた人は、マデリーンを殺した犯人が物流王と言われる大金持ちのジョンストンだと教えてくれました。はじめは信じられなかった。でも手紙と一緒に、いろいろな資料が入っていました。警察の資料もあったと思います。それによると、マデリーンはモデルにならないかと声をかけられ、男についてトラックに乗ったとありました。マデリーンらしき少女を見たという目撃者の証言です。ジョンストンは若い頃、トラック運転手をしていたというではありませんか。マデリーンが行方不明になった当日、ジョンストンが仕事で私たちの町にいたという記録も含まれていました。マデリーンは別の州で発見されたのですが、その町にもジョンストンは仕事で訪れていました。
 資料を読んでいくうちに、私はジョンストンがマデリーンを殺した犯人だと確信しました。やつはけだものです。マデリーンの他にも何人もの少女を犯して殺しているんです。わかっているだけで6人ですか。そんなに……。手紙にはもっと多い数字が書いてあったような気がしますが、記憶違いかもしれません。
 手紙は誰からもらったか、ですか? さあ、差出人の名前はなかったように思います。その手紙はもう捨ててしまいました。同封されていた資料はきちんと取ってあります。証拠として使えそうだというのならぜひ使ってください。
 どうやってジョンストンに近づいたかですか? それはジョンストンが自宅で面倒をみてくれる付き添いの看護師を探していると聞いたから、チャンスだとおもったのです。看護師の資格がないだろうですって? ええ、そうなんですが、どうせ世話さえしてくれたらいいというだけのものだったのでしょう、資格のことは聞かれず、採用となりました。神がやつに天罰を与えようと私をお選びになったのだと今ではそう思います。
 ジョンストンという男はろくでなしです。人を人とも思っていない。私に対しても自分の世話をするロボットか何かのように思っていて、感謝なんかされたことはありません。私は復讐の機会をうかがっているだけで、感謝されようだなんてはなから思っていませんが、普通に看護師として面倒をみる人間だとしたら、不満を持ったでしょうね。実際、私の前には何人もの看護師が辞めていったそうですから。
 奥さまに対しても非常に冷たくあたられました。あの弁護士のノーマンさんと奥さまとの間に関係があって、ジョンストンを殺してその遺産を奪おうとしていると思いこんでいたようです。ノーマンさんは奥さまに気があったかもしれませんが、奥さまのほうで相手になさっていませんでした。奥さまはノーマンさんに失礼のないように接していらしてましたが、特に男女の親しみは示されていなかったように思います。だから、関係はなかったと思います。
 慈善活動に熱心でいらして、天使のようにお美しい、心も美しい奥さまがどうしてあんな男に我慢して結婚していらしたのか不思議でなりません。まあ、夫婦には夫婦にしかわからないことがありますから他人の私がどうこう言えることではありませんけど。
 ジョンストンが書いた新しい遺言状の証人サインを神父さまが拒んだので私がかわりにすることになった時は正直戸惑いました。何だか悪だくみがありそうな気がして……。でも遺言状の内容を読んで、ジョンストンが死ねば遺産はすべて慈善団体へいくようになると知って、こんな男でも死ねば遺産がいいことに使われるのならと迷いなくサインしました。何ならサインした瞬間にでも死んでくれてもよかったのに。
 そうです、私はジョンストンを殺すつもりでした。そのために看護師としてもぐりこんだのですから。ヒ素を盛り続けていたのは私です。
 ジョンストンは奥さまとノーマンさんを疑っていたようですが、見当違いもいいところです。ドクターに“誰かが殺そうとしている”と知らされ、ジョンストンは奥さまたちの病室への立ち入りを禁止しましたけど、毒を盛っていたのは私ですから。
 ドクターと私と神父さましか病室に入れなくなっても私は毒を盛り続けました。私の仕業だと気づかれても構わないと思っていました。ジョンストンさえ死ねばいい、そういう気持ちでいたのです。
 いつからヒ素を盛り続けたか、ですか。それは私が邸に来てからですが……。え? もっと前から盛られていた形跡がある? そうですか、でも私で間違いありません……。

パメラ・フォスター

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 5-1

 サタンから健康な肉体をもらったジョンストンを待っていたのは、連続少女暴行殺害事件に関する裁判だった。
 罪喰いの際にジョンストンが告白したいくつかの殺人のうち、FBIは、パメラ看護師が告発した娘マデリーンの殺人事件について強い関心を寄せた。罪喰いの際の告白はどういうわけかテープに録音されており、そのテープを入手したFBIはマデリーン殺しを自白したものとみなしてジョンストンを逮捕した。DNA鑑定の結果、マデリーン殺害現場に残されていた体液はジョンストンのものと判明した。マデリーンだけではない。1965年から70年代前半にかけて全米各地で多発した少女暴行殺害事件の被害者や現場から採取されていたDNAもジョンストンのものと一致した。その中には、ちまたでは“シャトル事件”として有名な2件の未解決殺人事件も含まれていたものだから、上へ下への大騒ぎになった。
 シャトル事件とは、1972年、アラバマの少女が遠く離れたウィスコンシンで、ウィスコンシンの少女がアラバマで遺体となって発見された事件をいう。遺体が発見されたのはアラバマの少女が先だったが、殺されたのはウィスコンシンの少女が先だった。ウィスコンシンの少女を殺してアラバマの地に遺棄し、その地で少女を殺してウィスコンシンに遺棄するという、2地点を往復したかのような犯人の行動から、シャトル(往復)事件と呼び慣わされていた。どちらも性的暴行をうけた形跡があり、死因は絞殺、被害者の年齢は12歳と14歳と似通っているなどの共通点が多く、後に保存されていた証拠品から採取されたDNAも一致、同一犯による犯行と目されていた。
 シャトル事件で採取されたDNAは、それまで無関係と思われていたマデリーン殺害事件のものと一致、他にもDNAが採取できた3つの少女暴行殺害事件のものとも一致したため、すべて同一犯による犯行と位置づけ、FBIでは連続少女暴行殺害事件として犯人を追っていた。
 DNAという確たる証拠を得ながら、照合する容疑者を得ないFBIの捜査は行き詰っていた。ジョンストンがその罪を自ら告白していなかったら、FBIは彼を逮捕する根拠を得られないで事件は闇に葬られてしまったかもしれない。だが、FBIはジョンストンの自白ともいえる罪喰いの告白テープを手に入れ、ジョンストンを逮捕、DNAの採取に成功した。
 ジョンストンを逮捕するきっかけになった自白テープは罪喰いの告白を録音したものだった。公には罪喰いの事実は伏されていたが、アルと録音した人物は、罪喰いの告白テープだということを知っている。
 録音したのはノーマンだった。
 ジョンストン逮捕、起訴のニュースは全米を駆け巡った。アルはすでにニューオリンズの地で元の生活に戻っていたが、逮捕から起訴、事件の概要や裁判の進行状況について、テレビで見て知っていた。シャトル事件として有名な連続少女暴行殺害事件の犯人が、物流王として名高いジョンストンであったこと、シャトル事件の他にも複数の殺人事件に関わっていることなどから、世間の関心は高く、テレビでジョンストンの姿をみかけない日はない。
 ある時、アルはテレビにちらりと映ったFBI関係者の中にノーマンの姿を見出した。ほんの一瞬だったが、見間違えではなかった。押しかけたリポーターやカメラを避けるようにして、ノーマンは他の捜査官たちとともに裁判所へと入っていった。銃をホルターに入れて携帯しているような男がただの弁護士であるはすがないとは思っていたが、どうやらノーマンはFBIの捜査官だったらしい。 
 アラバマとウィスコンシンの2地点をシャトル(往復)した犯人は車を移動手段に用いたはずだった。どちらの遺体も、道路沿いの人目につきにくい場所に遺棄されていたことから、犯人は双方に土地勘のある人物と見られていた。生まれ育った場所、引っ越していった先、さまざまな可能性を考えるなかで、長距離を移動するトラック運転手が容疑者として浮かんできたとしても不思議はない。ジョンストンは若い頃にトラック運転手をしていたから、FBIの捜査線上に彼が浮かびあがってきたのだろう。だが、ジョンストンを逮捕するだけの確たる根拠がない。政財界に顔の広いジョンストンに下手に手出しは出来ないと手をこまねいていたFBIが考えだしたのが、自白テープだったのだろう。
 ノーマンが顧問弁護士としてジョンストンのもとに潜入し、どうにかしてジョンストンに自白めいた告白をさせようとした。ジョンストンの先が長くないと知った夫人が罪喰いをさせたいと言い出したため、ノーマンはその話に乗った。どうりで偽の地獄のしかけをしてまでもジョンストンに罪喰いをさせて罪の告白をさせたがったわけだと、アルは納得がいった。遺産目当てだとばかりおもっていたが、違う目的があったというわけらしい。
 罪喰いの行われていた間、気を失っていた夫人だけが、テープは仕組まれたものだとしてジョンストンの無実を信じていた。
 法廷の場にも姿をみせ、ジョンストンを支え続けてきた夫人だったが、耐えきれなくなったのか、ある日自殺してしまった。
 ほどなくしてジョンストンも死亡した。出廷中、突然前のめりに机につっぷしたかと思うとそのまま絶命したという。心臓麻痺だった。サタンが寄越した心臓は時限爆弾だったというわけらしい。罪喰いせずに地獄に堕ちたジョンストンの魂を手にしてほくそ笑むサタンの顔が目に浮かぶ。
 あの時、アルの罪喰いを邪魔せず、かえってジョンストンを生かせたのは、この世での苦しみを味あわせてやろうというサタンの意地悪い企てだったのだ。その思惑通り、ジョンストンはそれまでに得た地位も名誉も失い、夫人はジョンストンの過去を知って苦しみ、自殺して果てた。自殺そのものが大罪だから、夫人の魂もまた地獄に堕ちてしまった。ジョンストンと夫人、ふたつの魂を手にしてサタンはさぞかし悦に入っているだろう。アルもまた、罪喰いとしての役柄でサタンの掌の上で踊り、サタンが欲したものを与えてしまったのだ。
 だから女からの罪喰いの依頼は受けるんじゃなかったとアルは今更ながら後悔しきりだった。嫌な予感通り、後味の悪い結末に終わった。結局、誰も救えなかったのだ。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 5-2

 ニューヨーク、マンハッタン。ダウンタウンのとある一角に、ジョンストン夫人が幼い頃を過ごした教会はあった。洒落たカフェや個性的な店がすぐそばにひかえているというのに、ネオゴシック様式の教会に一歩足を踏み入れると、祈りのための静謐が迎え出てくれる。アルは教会を抜け、裏手へとむかった。夫人の亡骸は遺言によって教会の裏手にある墓地に埋葬されていた。
 季節は春から夏にむかいつつあった。青々とした芝の間に、子どもほどの背丈の石碑がまばらに並んでいる。墓地の隅には巨木があり、緑の葉を一面にまとっていた。
 夫人の石碑は真新しい分だけ、周囲から浮き上がっていた。表にはガブリエル・ジョンストンとあった。生年月日と死亡年月日が刻まれている。まだ33歳の若さだった。墓の前にはしおれた花束がいくつも置かれてあった。慈善活動に熱心だった夫人を慕った誰かが置いていったものだろう。アルはしおれた花束を手に取り、もってきた白バラのブーケを墓前に供えた。夫人の好きな花を知らなかったが、何となく清楚な白い花が似合う気がしたからだ。バラは貴婦人らしい佇まいの彼女にもっともふさわしかろうと選んだ。嫋やかに見えて実は強いバラは、犯罪者の夫を支え続けた芯の強い彼女にぴったりだった。
「きれいなお花をありがとうございます」
 背後から穏やかな調子の女の声がした。年老いた尼僧(シスター)が見事なユリの花を手に立っていた。
「ガブリエルのお知り合いの方でいらっしゃいますの?」
 おっとりとした物腰、丁寧な口のきき方が夫人にそっくりだった。母親のようだとアルが思ったのも無理はなかった。夫人は孤児としてこの教会で育てられたと言っていたから、自然とシスターたちのような柔らかい物腰が身についたのだろう。
「ええ、まあ」
 アルは口を濁した。熱心なカトリック信者であった夫人が、異端である罪喰いを依頼したのだとは到底言えるものではなかった。
 幸い、シスターは、アルと夫人の関係を詮索しなかった。
「結婚してここを出ていったのはついこの間とばかり思っていましたのに、こんな形で戻ってくるだなんて……」
 “娘”として養い育んだ夫人が、よもや自殺して果てるとはシスターも思っていなかったのだろう。言葉のはじに悔しさがにじんでいた。
 カソリックでは自殺を強く戒めている。熱心なカソリック信者であった夫人がそれを知らなかったはずはない。それなのに、どうして自殺という死を選んでしまったのか。アルは悔しかった。自殺そのものが罪であるから、夫人の魂は地獄に堕ちてしまった。アルを呼んで罪喰いをしていたら堕獄を回避できたかもしれないというのに夫人はそれをしなかった。夫人を救えたかもしれないとおもうと、アルは悔やんでも悔やみ切れない思いで胸がいっぱいになった。
「私たち、毎日あの子のために祈りを捧げていますの」
 シスターはゆっくりとした動作で腰を折り、手にしていたユリの花を墓前に供えた。
「大天使ガブリエルが受胎告知の際に手にしていた花ですね。9月29日、聖ガブリエルの日に拾われたので、そう名付けられたのだとか」
「ええ。あの日、あの子の母親はこの教会であの子を産んですぐに亡くなりました。それで私たちが引き取って育てましたの」
「母親は、お産が原因で亡くなった?」
「いいえ……」
 シスターはふうとため息をもらした。
「どういう運命なのでしょうね。あの子の母親も自殺だったのです……。あそこに大きな木が見えますでしょう。お産の後、私たちが目を離した隙にあの木で首を吊って……」
 シスターの目線の先に、新緑もまぶしいプラタナスの木があった。生命力に満ちた木にそんな不吉な過去があったと知ると、美しいまだら模様の幹がとたんにまがまがしいものに思えてくる。
「かわいそうな境遇の子でした。あの子には10歳近く年の離れた姉がいたのですが、父親、といっても母親の再婚相手ですから義理の父親ですわね。その人に殺されたとかで。姉が殺された時、母親はちょうどあの子を妊娠中でした。彼女はどうしようもなく、教会を頼ってきたのです」
「そうして、亡くなった……」
「はじめから死ぬ覚悟でいたのかもしれません。でもお腹の子だけは産もうと決心していたのでしょう……」
 シスターはアルの手から枯れた花束を引き取り、去っていった。
 墓地には再び死者のための静寂が訪れた。アルは夫人の墓碑にそっと手を触れた。思いのほか冷たかったので、まるで熱いものに触れたようにアルは思わず手を引いた。
 アルは初対面で触れた夫人の手を思い出していた。綿毛のようにみえたその手は触ると大理石のように冷たかった。もうあの手に触れることはできないのだ。あの美しい青い瞳も二度と魅力的な瞬きを放つことはないのだ。ガブリエル・ジョンストンは死んだ。ガブリエル・ジョンストンは死ななければならなかったのだ。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 5-3

 空には雲ひとつなかった。遮るもののない日差しは強く、長袖の下の皮膚まで焼き尽くす勢いだ。寄せてはかえす青い波を横目に、アルは先を急いでいた。潮の香りにまじって時折、手にしたユリの花束の甘い香りが鼻をくすぐる。
 砂に足元をすくわれ、砂浜を行くアルの体は右に左に揺れた。足は確かに前へ出しているのだが、先へ進んでいるのかどうか怪しい。面倒なので靴は途中で脱ぎ捨ててしまった。
 砂の一粒一粒は指の間をすりぬけていくほど微小であるのに、互いに手をとりあうと巨大な岩のように行く手を阻む。踏み出した足がゆっくりと砂地に沈んでいく感覚はまるで地獄に飲み込まれていくかのようだ。あがくとかえって足を取られる点でも、砂浜と地獄は共通している。
 女はビーチベッドに横たわって日光浴を楽しんでいた。白のビキニがブロンズの肌を引き立てている。サンオイルを塗りたくった長い手足が艶めかしい。形のいい脚をしていた。ブルーのペディキュアをして、マニキュアも同じ色だった。
「ジョンストン夫人。それとも、シスター・ローザと呼んだほうが?」
 顔の半分を覆わんばかりのサングラスの縁から青い瞳の満月が昇った。太陽を背に立つアルをまぶしげに見つめる女の瞳が三日月ほどに細くなった。
 長かったブロンドの髪は短く切られ、ブルネットに染められている。だが、マイアミビーチの海よりも空よりも青いその瞳の持ち主は、死んだはずのジョンストン夫人に違いなかった。
「シヴィルよ、神父(ファー)さま(ザー)」
 ジョンストン夫人、いやシヴィルの口調は軽やかだった。最初こそ捨てたはずの名前を呼ばれて驚いたものの、呼びかけたのが顔見知りのアルだとわかると、懐かしそうに目を細めた。
「どうぞ、アルと」
 芝居の幕はもう上がってしまった。アルは神父のふりをする必要はもうないのだ。そうと知っていながらシヴィルはアルにむかって神父(ファーザー)と呼びかけた。芝居の脚本を書いた彼女は、アルの神父役が気に入っていたらしい。
「証人保護プログラムで保護されているのに、よくここがわかりましたのね」
「金の流れを追いました。そうしたらここにたどりついた――」

 夫人の墓参りをした際、シスターから夫人の母親も自殺だったと聞いたアルに、ふとある考えが浮かんだ。
 夫人は生前、自分の死後、資産は教会に行くように取り計らってあるとアルに漏らしたことがあった。もしかしたら、夫の犯した罪を償うがごとく、夫人は自らの命を絶ってその遺産を教会に捧げたかったのかもしれないと思ったのだ。
 夫人の遺産が教会にわたったのではないかと尋ねるとシスターは首を横に振った。
「いいえ。確かにあの子は慈善活動に熱心で、この教会にも多額の寄付をしてくれましたけれど、遺産どうこうということはありませんわ」
「しかし……」
 そうだ、正確には教会ではなく、母親がわりだったというシスターに、だった。
「母親がわりに面倒をみてくれたシスターにすべての資産を譲ることにしていると聞きましたが。あなたがそのシスターでは?」
 すると意外な答えが返ってきた。
「シスター・ローザでしたら、亡くなりました。10年も前もことですわ」
 これ以上関わるなという心の声を無視して、アルは夫人の遺産の行方を調べた。夫人の遺言により、信託が設立されていた。受託者(トラスティー)はシスター・ローザ、受益者(ベネフィシャリー)には、教会や慈善事業団体が名を連ねている。だが、それらの慈善事業団体のうち、いくつか実態の不明なものがあった。名前だけで実際には何の活動も行われていないのである。それらの団体には共通点があった。代表者はすべて、マイアミ在住の女性。それがシヴィル・マッケイだった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 5-4

「それは?」
 シヴィルは目ざとく、アルが手にしたユリの花束をとらえた。
「あなたにです」
 アルは花束をシヴィルに差し出した。
「まあ、いい香り」
 顔ほどはあろう大きさのユリを引き寄せ、シヴィルは香りに酔った。
「ユリは大天使ガブリエルの象徴です。受胎告知の際にもユリを手にしている。大天使ガブリエルは復讐の天使でもある……。あなたは復讐のため、僕を利用した――」
「あなたはもうすべてを知ってしまったのね」
 サプライズパーティーの計画が台無しになってしまったと言わんばかりに、シヴィルはむきだしのブロンズの肩をすかしてみせた。
「私たちは――」
「私たち?」
「私とノーマン弁護士。いいえ、ノーマン捜査官と言うべきかしら。連続少女暴行殺害事件に関して、FBIはずっと犯人を追っていました。そしてついにジョンストンの存在を突き止めました。でも彼を追い詰めるだけの証拠がなかった」
「だから罪喰いを利用して自白を取ろうと思いついた。あなたのアイデア?」
「ええ。罪喰いの存在は神父さまから聞いて知っていました。私の影響でカソリック信者となったジョンストンに自白をさせるには、罪喰いをするのだといえば説得しやすかったから」
「あなたの姉は、父親に殺されたのではない。実はジョンストンの連続少女暴行殺害事件の被害者だと知ったのは?」
「21の時。自分の不幸な生い立ちについてはシスター・ローザから聞いて知っていました。姉が父に殺されたことも、母が自殺したことも。姉にとっては血のつながりのない父ですが、私にとっては実の父親です。私は父と正面から向き合おうと決心しました。それまでの私は、姉を殺し、間接的に母を殺した父を憎むばかりでした。シスター・ローザは、私に父を憎むのはやめなさいと忠告してくれました。そんなことをしても、失われた過去が戻るはずもない、憎しみはあなたの生を蝕むだけのものだと。それで、私は父に会うことにしたのです。和解できるかどうかはわからなかったけど、一歩前に踏み出すにはそうする必要があると思ったので。
 父は……すっかり年老いていました。私が生まれる前に逮捕されてしまったので若い頃の父を知るわけではないけれど、きっとハンサムだったのでしょう。面影は少し残っているものの、私ぐらいの年齢の子どものある年には見えませんでした。父というよりは、祖父といったほうがしっくりくるようなやつれぶりでした。
 父は私に会うなり、涙をこぼしました。私が母に似ていると言って。そして姉にも……。父は、姉を殺していないと言いました。逮捕された時から父が無実を訴えていたのは知っていました。でもそれは言い逃れだとばかり思っていました。でもそうではなかった……。父は、犯人が姉の死体のそばにいたところをたまたま通りかかっただけだったのです。そして犯人にされてしまった。父と姉とは折り合いが悪かったせいで、父が姉を殺したと警察は頭から決め付けたそうです。父は犯人の顔をみていました。そう言ったのに、警察では父の訴えを無視した……」
「目撃したのはジョンストンだった」
 シヴィルは悔しそうに唇を噛んでうなずいた。
「最初、父は自分が目撃したのがジョンストンだとはわからないでいました。ただ、中年の男とだけしか記憶していませんでしたが、もう一度会えば名指しできるほど犯人の顔が焼き付いたそうです。ある時、新聞でジョンストンの写真を見て、自分が目撃したのはこの男だと気がついたそうです。姉の死体を車のトランクからひきずりおろそうとしていた中年の男、みなりこそ写真では立派だが、間違いなくジョンストンだと。
 その話を聞いた時、初めは信じられませんでした。ディヴィット・ジョンストンといえば、物流王として名をはせていた人物です。そのジョンストンがなぜ姉を殺さなければならないのか。でも父の妄想とも思えませんでしたから、私はジョンストンに近づいていろいろ調べてみることにしました。そしてジョンストンが姉を殺した犯人だと確信したのです。私は、姉の命を奪い、母を自殺に追い込み、父を陥れて、私が得るはずだった幸せな家庭を壊したジョンストンに復讐すると決意しました」

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ジャンル:小説・文学

罪喰い 最終話

「ノーマン捜査官とはいつ?」
「はじめ、私はひとりで復讐を遂げるつもりでいました。ジョンストンと結婚したのも復讐の機会をそばでうかがうためでした。FBIが連続少女暴行殺人事件で彼を追っているとは結婚してから知りました。あちらから私に接触があったのです」
 新婚の若い妻になら寝物語に昔の殺人事件を告白するとでも思ったのだろうか。FBIはよほど切羽詰っていたとみえる。それとも、シヴィルの美しさに惹かれたノーマン捜査官が先走ったのだろうか。
「FBIは、自白を欲しがっていました。私に隠しマイクをつけて、それとなく事件についてしゃべらせるよう仕向けてくれないかと頼んできたこともあります。私ははじめ、殺してやろうかと思っていたのだけれど、次第に、世間のさらし者にして罰を受けさせようと思うようになって……」
 そうしてジョンストンの罪の告白を得るために、罪喰いことアルが表舞台に登場させられることになった。
 利用されたとわかっても、アルは何とも思わなかった。罪喰いを利用して人が何をしようと、無関心でいられた。しかし、ひとつだけ気になることがあった。
「トムじいの罪喰いをビデオに撮影して、偽の地獄の入り口をしかけたのは?」
「罪喰いをしないと地獄に堕ちるとでも思わせないと罪喰いに応じないかもしれないと思ったから」
「随分都合よく、罪喰いの様子のビデオが撮影できたものですね。あの日、トムじいが事故にあわなければ――」
「ただの偶然だわ」
 こともなげにシヴィルはさらりと言ってのけた。利用した道端の石がその後どうなろうと知ったことではないと言わんばかりの冷淡さだった。
 トムじいを撥ねた車はスピードを出していたという。乗っていたのはノーマン捜査官か、あるいは別のFBI捜査官か。
 FBIはシヴィルを利用したつもりでいただろうが、利用されていたのはFBIの方だったのかもしれない。
 ジョンストン逮捕に協力した彼女は、証人保護プログラムによってまんまと姿を消し、シスター・ローザに身を変えて、ジョンストン夫人の遺産を受け取った。それだけではない。疑心暗鬼にかられて書き変えられたジョンストンの遺言により、信託の受諾人としてジョンストンの巨額な資産をすべて受け取ってもいる。今は、シヴィル・マッケイとして昼間からビーチでのんびりする生活を謳歌する毎日だ。ジョンストンは死んだのだから、復讐も遂げたことになる。
「パメラ看護師のことは?」
「知らなかったわ。知っていれば、何かしてあげられたでしょうが」
 シヴィルは残念がるようなそぶりをしてみせたが、それは嘘だった。パメラは誰かによってジョンストンが娘を殺した犯人だと知らされ、ジョンストンのもとへとやってきた。呼び寄せたのはシヴィルだろう。ジョンストンのそばにいれば復讐心がたきつけられて何かしでかすだろうと、同じ被害者遺族としてその心理状態を知るシヴィルはパメラの復讐心も利用しようとしたのだ。
「彼女のほうでは気づいていたようです。あなたがヒ素を盛っていたことに。でも黙っていた。そしてあなたの罪を背負った――」
 ヒ素を盛っていたとアルが知っていたので、シヴィルは動揺したようだった。だがそれもほんのつかの間だった。
 パメラがジョンストンの看護師として派遣される前から、ジョンストンの健康状態はおもわしくなかった。それはシヴィルがジョンストン夫人としてヒ素を盛っていたからだ。ヒ素を盛られていると知ってからジョンストンは医者と看護師パメラ以外は近づけようとせず、シヴィルはヒ素を盛る機会を失ってしまった。しかし、シヴィルが睨んだ通り、思わぬところでパメラの復讐心に火がつき、シヴィルの手足としてパメラが動き、ヒ素を盛り続け、ジョンストンを死に至らしめた。
「本当に、かわいそうなことをしてしまいました。あの方、いずれ地獄に?」
「ええ」
「……私も落ちるのかしら、地獄に」
 シヴィルは伏し目がちに尋ねた。恐怖というよりは好奇心から尋ねたようで、怯えたところがまったくなかった。
「その時は僕を呼んでください」
 アルはそういって立ち去ろうとした。
 それまでさえぎられていた太陽の光をまともに顔にうけて、シヴィルは手をかざして日差しを遮った。細めたブルーの瞳はイノセントな輝きを放って美しかった。
 さんさんと降り注ぐ太陽、どこまでも青い空と透き通る海。地上の楽園で生を謳歌するシヴィルは、自分が死に臨んで罪を悔いる日が来ようとは想像もつかないようで、天使の微笑みを浮かべているばかりだった。その笑顔は不思議とサタンの美しい笑みと重なるのだった。
「あなたには僕が必要だ。いつか僕が必要になる日がきっとくる――」

 ゴージャスな体を惜しげもなく晒して若者たちはビーチバレーに興じていた。
 彼らは死を恐れていなかった。まぶしい太陽に照らされて、若さと美は永遠に続くものと思っている。いや、逆に若さと美とは儚いものと知っているからこそ、彼らは今この時の愉楽に貪欲になるのかもしれない。
 砂浜を器用に歩く若者たちを見ていると、アルはどうしようもなく不安にかられる。
 この砂浜のどこかでサタンが自分の手の中に落ちてくる獲物に狙いをつけている――そんな気がしてならないのだ。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

あとがき

アメリカンで、ゴシックで、ホラーで、翻訳調の日本語が少し変な小説を書いてみたいなとおもったら、こうなりました。

書いている方は楽しかったです。読者のみなさまにも楽しんでいただけたのなら幸いです。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

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