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あじろ けい

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渡せなかった手紙 あらすじ

霊の心残りを解消し、あの世へ送り出している皇(スメラギ)拓也。ある日、亡くなったばかりの老人から一通の手紙を渡してほしいと頼まれる。手紙を渡すだけの簡単な依頼のはずだったが、スメラギの優しさが事態を思わぬ方向へとむかわせてしまう。




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テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 1-1

 外はうだるような暑さ、部屋の中でじっとしているだけでも玉の汗が吹きだしてくるというのに、スメラギ探偵事務所では、この夏、一日もクーラーをつけたことがない。
 事務所にクーラーがないわけではない。古いビルとはいえ、以前のテナントが残していった立派なクーラーがあるのだが、スメラギ探偵事務所では使う必要がないのである。
 窓をぴたりと閉めた事務所内で、ひとりきりの事務員、山口京子は、慣れたものか、額に汗もにじませず、黙々と机にむかっている。スメラギ探偵事務所所長にして唯一の探偵、皇(すめらぎ)拓也は、客用の革のソファーに体を投げ出し、昼寝をきめこんでいる。リズミカルな寝息が白い煙となって舞い上がり、天井めがけてのぼりつめては途中でかき消えていく。窓の外は陽炎がゆらめいているというのに、スメラギ事務所内は暖房でもいれたいほどの冷気がくぐもっていた。
 午後2時の時報を告げ、ラジオはニュースに切りかわった。連日の暑さと、昨日から始まった甲子園のこれまでの結果と現在行われている試合の途中経過、戦前から親しまれていた映画館が惜しまれつつこの夏で閉館するという短いニュースを伝え、ラジオは再び甲子園の実況に切りかわった。
「おい、ハリネズミ、仕事だ」
 と聞こえた声はラジオからにしては近すぎた。
 いつのまに入ってきたのか、男がソファーに寝転がるスメラギを見下ろしていた。この暑いのに、黒のスーツに黒いタイをきっちり締め、汗ひとつかいていない。
「だれがハリネズミだよっ!」
 震えながら起き上がったスメラギの頭部は、なるほど客の男の言うとおり、ハリネズミにちがいない。
 短く刈り込まれた髪の毛先はツンと尖って、今にも針となって飛び出しそうな勢いだ。毛先から根元まで見事な白髪、毛根まで白いのは染めたのではなく地毛であることを物語っている。 
「じゃ、ハリセンボンだ」
「っるせー」
 ウソついたら針千本飲ーます、と、男は低い声で調子をつけた。
「何だ、ソレ」
「指きりげんまん、ウソついたら~、だ。知らないのか」
「知らねー」
 男は、針を一度に千本飲まされるのか、それとも一本ずつ、合計千本飲まされるのか、どっちなんだと、つぶやいていた。
「…おい、死神。ハリセンボンの話をしにきたわけじゃないだろ」
 せっかくの昼寝を邪魔されてスメラギは機嫌が悪かった。そうでなくても寝起きは悪いほうで、てっとりばやく血糖値をあげるために、毎朝、起きがけには、砂糖たっぷりのコーヒーを飲むのが習慣だ。
 指きりげんまん、約束の仕草の小指をたてて男が言った。
「依頼人だ」

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 1-2

 黒いスーツに黒いタイとまるで葬儀屋のような出で立ち、夕暮れ時の影のようにひょろりとした男の背後には、白髪の小柄な老人が死人のような青ざめた顔色で立っていた。
 スメラギが男を‘死神’と呼んだのは、憎まれ口ではない。
全身黒ずくめ、無表情でたたずんでいる男は、人がこの世を去るときに訪れる死神、その後ろで深々と腰を折っている老人は、ついさきほど死んだばかりの人間の魂、霊魂である。
 表向きは、浮気調査に迷いネコ探しの看板を掲げるスメラギ探偵事務所は、死人の最期の頼みをきくのが本業である。死神は時々こうしてこの世に思い残すことのある死人の魂を連れてきてはスメラギに心残りの解消を依頼する。
 この世に思いを残して死んだ人間は、時に死神の手を逃れ、幽鬼となってこの世に留まり続ける。時たま人の目に幽霊とみえるのはこの幽鬼である。人の魂をこの世からあの世へ送り届けるのが死神の仕事、この世での心残りを取り払っておとなしくあの世へ行ってもらおうと、死神はこの世に執着する霊体をスメラギのもとへと連れてくる。この世に未練のあるものの魂の引き取りほど面倒なものはない。逃げ出すものは多く、追うのは難しい。死神とて楽に仕事がしたいのだ。
 霊感の強い血筋に生まれたスメラギは、霊体が見え、言葉を交わすことができる。彼のもとには、死神に連れられたもの、死神のもとを逃げ出したもの、そうでなくてもこの世に心残りを残してさまよい続ける幽鬼たちがやってきては、あれやこれやといろいろな事を依頼していくので、スメラギ自身は、幽鬼たちの何でも屋だと認識している。実際スメラギは、恨みをはらす以外のことなら何でも引き受ける。一番多い依頼は人間関係、特に恋愛関係と家族関係が目立ち、変わったものではどうしてもどこそこのあれというラーメンが食べたいというものがあった。

 宮崎と名乗った老人の依頼、心残りは、生前渡しそびれた手紙を老人にかわって渡して欲しいというものだった。
 宮崎老人は、左前の懐から大事そうに一通の手紙を取り出してみせた。長方形の封筒の四隅はかすかに黄ばんで年月をうかがわせたが、保存状態はきわめて良く、宛名の墨もいまだ黒々としていた。
 よほど宮崎老人が大切に保管しておいたのだろう。表書きには住所と宛名が楷書で書かれてあった。点やハネははっきりと、払いの先まで筆先がのびている。のびやかな大きな字で、宛名は「宮内小夜子様」と読めた。手紙は恋文(ラブレター)で、相手は初恋の人だろうか。裏書には柏木孝雄とあった。
 「戦友から渡してくれと頼まれた手紙です。いまはの際に頼まれたのですが、どうにも渡すことができませんで。あの世に柏木にあわせる顔がなく、どうも手紙のことが気がかりでおちおち死んでもいられないと思っていましたら、こちらのお迎えの方が、それなら、と、あなた様をご紹介くださいまして」
 宮崎老人と柏木孝雄はインドシナ戦線を共に戦った。お互い学生であったこと、趣味が映画鑑賞と同じだったことから二人は意気投合した。戦線にあって映画などおおっぴらにできるはずものなく、二人は上官に隠れて互いのこれまで観た映画のあれこれを語りあい、そのうちに個人的なことまで打ち明ける仲になっていった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 1-3

 もともとひんやりとした空気に包まれていた事務所だったが、霊体の宮崎老人が来たせいで、さらに冷え込みはきつくなった。
 死人といると冷える。熱いコーヒーでも飲みたいぐらいだが、事務員の山口京子は相変わらず机にかじりついたまま、動こうともしない。依頼人にお茶のひとつも出さないなど気が利かないのだが、出したところで霊体は飲み食いはできないので、無駄になるだけではあったが。
「終戦の少し前でしたか。柏木が病に倒れたのです。マラリアでした。薬もろくにない戦地でしたから、彼は覚悟を決めたんでしょう。恋人の小夜子さんあてに手紙を書き、私に渡して欲しいと頼みました。二人は結婚の約束をしていました。柏木は手紙を私に託して安心したのか、気が抜けたようにあっという間に亡くなりました」
終戦後、復員した宮崎老人はその足で手紙の住所を訪ねたが、東京はどこも焦土と化し、あったはずの家も人もなく、それきり何の手がかりもなく、宮内小夜子の行方も知れず、60年もの歳月が流れてしまった。
「小夜子さんも、柏木の最期の思いを知りたいだろうと、どうにも気になりますので。どうぞ小夜子さんに手紙を渡してさしあげてください」
 老人は何度も頭を下げ腰を折りして、死神とともに事務所を後にした。スメラギに手紙を託したからには心置きなくあの世に行くことができるだろう。地獄へ落ちるか、天上界にのぼるか、はたまた再び人の世に生を受けるかは、生前の行い次第、閻魔大王の裁き次第だ。
 スメラギは、老人が残していった手紙を手に取った。60年の歳月を経たとは思えない状態の良いものだ。柏木孝雄の思いがこもり、誠実な友人、宮崎老人によって大切に今の今まで保管されていた手紙。
「生きてはいないか……」
 手紙を大切に持ち続けていた宮崎老人もこの世の人ではない。生きていれば80過ぎ、宛名の主もまた、この世にはいない可能性のほうが高い。それならそれで、この依頼は案外簡単に片付きそうだ。
 スメラギにとっては、生きた人間より死人たち相手の探偵業のほうがずっと簡単だ。生きた人間を捜索するにはいろいろとうるさい法の縛りがあるが、死人の捜索は閻魔大王のいる閻魔庁を訪れるだけで済む。
 黒電話の受話器を取りダイヤルに手をかけたところで、スメラギは思いなおして受話器をおろし、事務所を出て行った。かと思うと、ものの1分もたたないうちに戻ってき、机の上に投げ出されてあった紫色のレンズの丸メガネをつかみとると再び事務所のドアを閉め、出て行った。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 2-1

 東京駅地下構内。地下の奥底へと貪欲に張り巡らされたエスカレーターを降りていった先に、閻魔庁のある地獄への入口がある。
 霊視を妨げる紫水晶のレンズの丸メガネをかけていなかったら、スメラギの目には地獄への入口からエスカレーターをさかのぼって地上まで延々と伸びる死者たちの霊が見えただろう。
 死者は生前の行いによって、地獄行き、天上界行き、輪廻転生と3つの行く末が決まっている。死後の行き先を決定するのは閻魔大王だが、その裁定に不服のあるものは最大49日まで不服申し立てができる。死者の列は何とかして地獄行きを回避しようと閻魔大王に訴え出ているものたちの行列だった。
 エスカレーターをひたすら降りていくと、一番深い場所にあるプラットホームにたどりつく。スメラギはエスカレーターを降り、くるりと身をひるがえし、エスカレーターのちょうど真下にあたる窪みに身を寄せた。エスカレーター下のスペースを利用したその場所はドアを備えつけて何かの部屋があつらえてあった。
 ドアには艶やかな赤いペンキで「関係者以外立入禁止」とあり、カードリーダー式のドアノブで固く閉じられている。ためらうことなくスメラギはドアノブに手をかけ、下におろした。ドアは少し力を入れると簡単に開き、スメラギは壁とドアの隙間に体を滑りこませた。カードリーダーなど見せかけに過ぎない。カードを持っていなければ入れないとあれば、誰も入ろうとしないし、職員ですら入ってこようとはしない。もっとも、地獄のほうでは誰でも歓迎ではあったが。
 ここが閻魔庁のある地獄への入口だった。
 ドアの向こうには一本の長い廊下があるきり、壁にかかげられた篝火が等間隔に光を投げかけるだけの仄暗い廊下の両脇にはドアが立ち並んでいる。
 それぞれのドアの上には、「康広王」「変成王」「泰山王」などと十王たちの名前が掲げられてあり、中では、十王たちが死者の生前の行いを吟味している。十王たちの部屋の前を通り過ぎ、スメラギはひたすら廊下の突き当たりの部屋を目指した。ドアの上には「閻魔王」とあった。
 泣く子も黙る閻魔王の部屋は、天井から壁から絨毯に至るまで、目が散りそうな赤一色で、机などの家具は黒で統一されている。その上で殺人が行われ、床に染み出した血が階下に染み出したような天井の中央からは、水晶の豪奢なシャンデリアが吊り下がって妖しげな光を部屋に乱れ飛ばしている。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 2-2

 スメラギを迎えた閻魔王こと夜摩もまた、その体を真紅のボディスーツに包んでいた。豊満な胸を強調し、ほっそりした腰をあらわにする光沢のある素材は人の皮をなめしたもの、高く鋭く尖った踵のハイヒールブーツもまた同じ素材のものだ。豪華な黄金(ブロンド)の巻き毛に覆われた顔の化粧は濃く、燃え立つ炎の瞳は紫色のアイシャドーで彩られ、ふっくらと色っぽい唇は艶やかに赤めいている。
「地獄(こっち)来んなら、連絡ぐらいせーや」
 妖艶な姿を裏切る低い声だ。夜摩は男である。豊満な胸はある女の罪人から切り取ったもので、以来おもしろがって夜摩は女装を続けている。女装した夜摩は双子の妹、夜美にそっくりだという噂だった。夜美は地獄にはめったに姿を現さないのでスメラギは事の真偽を確かめようがないが、噂が本当であれば美男美女の兄妹ということになる。
「調べてもらいたいことがあってな」
 スメラギは、宮崎老人から預かった手紙を取り出してみせた。夜摩は人差し指をのばし、真っ赤に染めた爪先で手紙を手元に引き寄せた。
「ずいぶん念のこもった手紙やな」
「60年分の思いだからな」
「年数の問題ではないわ。念のこもったものなんぞ、やっかいやで」
「その手紙を渡してくれと頼まれただけだ」
「ふん」
 夜摩は爪先で手紙を弾き飛ばした。
「彼女、宮内小夜子のデータが欲しい」
すべての生命、虫ケラから人間、生きたものも死んだものもすべて閻魔庁のデータベース、鬼籍(きせき)に記載されている。すべての過去世から現在のステータス、カルマ、それによって死後、地獄へ落ちるか、天上界へ行くか、はたまた生まれ変わるか――地獄の行き先も細かく分かれてその行き先や生まれ変わりの来世まで、何もかもが記録されている。
 この鬼籍上で宮内小夜子を探せば、うるさい役所の戸籍よりよっぽど手っ取り早く行方が知れる。死んだのならその先、地獄か天上界か、何に生まれ変わっているのかも知ることができる。
「死んでんおもうとんのか」
「少なくとも80は超えている」
「わからんぞ。女はしぶといんや。生きとるかもしれん」
 と言いながら、夜摩は、長い爪先を器用に操ってキーボードを叩いた。
 天井から壁から絨毯まで赤一色、天井からは水晶の巨大なシャンデリアが吊り下がるという地獄趣味をのぞけば、閻魔王の部屋は、地上のオフィスとさほど変わらない設備を整えている。フラットスクリーンのPCモニター、かたわらにはラップトップPC、黒塗りのデスクに無造作に置かれたスマートフォン、電話…機械らしいものといったら、ダイヤル式の黒電話しかないスメラギの事務所とは、まるで違う。
「あかん」
 夜摩が素っ頓狂な声をあげた。
「何が“あかん”なんだ」
「宮内小夜子なんておらんで」
「そんなはずないだろ?」
「せやから、“あかん”のや」
 すべての生命のすべての記録が記載されているはずの鬼籍に載っていないはずはないと言い、夜摩は、はっと口をつぐんだ。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 2-3

 もしかしたらと連れて行かれた先は、地獄のデータ管理室だった。
 ドアの中央には、居並ぶ鋭い歯がむき出しになった歯型が埋め込まれていた。人間のものにしては大きすぎ、奥歯から前歯まで、すべて犬歯のように尖っている。動物のものにしても、犬歯だらけの動物などいただろうか。
「鬼の歯型や」
 夜摩はそういうと、長く伸ばした爪の右手を歯型に突き入れた。
 とたんに、鋭い歯が夜摩の手首に噛みつき、その真紅のボディスーツと同じ色の血が流れ、歯の隙間から滴り落ちた。
「せきゅりてぃー、ゆうやっちゃ」
 誰も地獄には落ちたくないし、天上界にいきたいと思う。死後にむかう世界は、生前の行いによって決められ、生前の行いと死後の行く先は、鬼籍に記載されている。この鬼籍のデータを書き変えて、地獄行きをなしにしようという悪い輩がいるため、管理室は夜摩の血でしか開かないようになっていた。
管理室には、3メートル以上はあるだろうという天井まで届く書架が立ち並び、その間を地獄の罪人や鬼たちが行き来していた。彼らは書架から分厚い冊子を取り出しては個々の机へと運び、黙々とコンピュータにデータを入力していた。
「たかむらぁ~」
 鬼や罪人たちの間でせわしく指示を出している男に目をとめると、夜摩は甘ったるい声を出した。
「変な声出さないでくださいよ、気持ち悪っ!」
 “たかむら”と呼ばれた男は、小野篁(おのの たかむら)、地獄のデータ管理室室長である。
 “気持ち悪い”と言われたにもかかわらず、それどころか調子にのって、夜摩は猫なで声で、体をくねくねさせながら、
「検索にひっからんデータがあんねん」
スメラギをデータ管理室まで連れてきた夜摩の考えでは、宮内小夜子のデータはまだコンピュータ化されておらず、古い冊子に記録が残っているのではないかということだった。
「検索にひっかからない? そんなはずありませんよ。新しいものから作業してますから、最近のものならもうデータベースに入っているはずですけど」
 小野篁は“宮内小夜子”と入力した。すると瞬時に検索結果が画面に出、その数はスクロールして何ページにもわたった。
「さっきは何も出なかったんやで。ほんまやて」
「何か変なことしたんでしょう」
「しとらんて」
「はいはい」
「ほんまに、ちゃんとやったって」
 夜摩の必死の言い分を小野篁は取り合わない。メガネをかけて見た目はどこにでもひとりはいる優等生風、それでいてくるりとした目と丸い顔の輪郭の童顔のせいで、どこか抜けているような印象を与えている。見た目だけなら、22、3、スメラギよりも若くみえるが、実年齢は何百歳とずっと年上である。閻魔王をはじめとして、鬼や死者の霊など異形のものががうごめく地獄にあって、篁だけが生身の人間である。

「多すぎるなあ……」
 数千件にものぼるだろう検索結果に、スメラギは言葉もなかった。夜摩は柏木の手紙をコピーしまくって全員に送りつければいいと乱暴なことを言った。数打ちゃ当たる、誰かが柏木の恋人の宮内小夜子だろうということだったが、もちろんスメラギも小野篁も、夜摩の案など本気にしなかった。
「生きていればいくつの人なんです?」
「戦後60年以上はたっているから…少なくとも80は超えている、かなあ…」
「それなら、1945年ごろに19~25ぐらいで絞り込んでみましょう」
 その他にも死に場所を検索条件に追加、東京の住所だが、戦時中は地方に疎開する家もあったので、いくつか候補をたてて再び検索すると、結果は一気に3人にまでしぼりこまれた。一人はすでに死亡、地獄に落ちている。二人目は一週間後に死亡する予定、三人目は85歳で、まだ生きていた。
「地獄やて。何したんやろ。窃盗に、放火に殺人、こらまた、たいした女やな」
 夜摩は業(カルマ)の欄を見ながらケラケラと笑った。スメラギも、彼女、宮内小夜子の生前の行いに目を通したが、とても彼女が柏木の手紙を渡す相手には思えなかった。柏木ののびやかな字がまっすぐな彼の性格を表しているようで、そんな彼が愛した人が殺人を犯すような人であるとは思えなかった。だが、60年以上の月日は人を変える。彼女が宮内小夜子かもしれない。
「ついでやから寄ってくか? この女がその宮内小夜子やったら、手紙を渡してそれでこの仕事はおしまいやろ」
 死人が行く場所、しかも地獄を、生きた身でめぐるのは正直いって気分のいいものではない。地獄を脱け出した幽鬼たちの捜索を条件に、夜摩との取り決めでスメラギは何をしても地獄に落ちないことになっていたが、それなら一生遠ざかっておきたい場所なのである。
 だが、スメラギは結局、夜摩に案内を頼んだ。夜摩の言うとおり、彼女が宮内小夜子であれば、スメラギは手紙を渡さないといけないのだ。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 2-4

 「地獄へ寄っていくか?」
 ―たしか、閻魔王こと夜摩はそう言った。
 だが、閻魔王が死んだ人間の罪業を吟味する閻魔庁を出て、連れて行かれた場所は、東京駅の最深部に横たわるプラットホームだった。
 プラットホーム中央のエスカレーター下には、長身のスメラギが背をかがめるとすっぽり嵌りこんでしまう窪みがあり、禍々しい赤いペンキで「関係者以外立入禁止」と書かれたドアがある。カードリーダーが備え付けてあるが、飾りものに過ぎず、ドアノブをひねって扉を向こう側に押せば誰でも地獄へ行くことができる地上との連絡口だ。
 地獄へ行くものだとばかりおもっていたスメラギが着いた場所は、来たときと同じ、東京駅の地下構内プラットホームだった。
 煮え立つ大釜も、血の池も、針山もなければ、罪人を苛む獄卒の鬼たちの姿も見当たらない。阿鼻叫喚、血しぶきの舞う光景を覚悟してきたスメラギは、拍子抜けしてしまった。
「おい、ほんとにここが地獄なのか?」
「せや」
 真紅のハイヒールブーツの踵をカツカツ鳴らしながら、夜摩は先にたってホームを歩き始めた。
 ホームで電車を待つ人々が夜摩を振り返る。
 豪華な黄金(ブロンド)の巻き毛を揺らし、血の色を彷彿とさせる真っ赤なボディースーツに身を包んだ夜摩は、どうしたって人目をひく。突き出した豊満な胸に、ほっそりとした腰、長い長い脚は、スーパーモデル並みのスタイルの良さだ。
 誰が、地獄の閻魔王だなどとおもうだろう。
 その身を包む真紅のボディースーツは、人の皮を剥いで縫いあわせたもの、赤はまさに人の生血で染めた色、豊満な胸はとある女の罪人から切り取ったものである。
 誰が、そこ行く人が男だなどとおもうだろう。

 通りすがりの視線をその身にまとわりつかせ、夜摩とスメラギは、スメラギがたどってきた道をそのまま逆に、エスカレーターを何層にもわたってのぼっていき、やがて地上へと出た。
 サラリーマンやOLでごったがえす東京駅は、日常の光景だ。
 間違って地上へ戻ってきたのかと思っているスメラギの目の前で、突然、男が悲鳴をあげて倒れた。
 男の胸にはナイフが刺さり、血が噴き出している。とっさに駆け出して助けようとするスメラギを夜摩が止めた。男の胸からは、みるみる血が流れだし、あっという間に広がった血溜まりに男の死体がぽっかり浮かんだ。
 すると、死んだとばかり思われた男が何事もなかったかのように起き上がり、歩き出したではないか。
 傷口も塞がっている。だが、数メートルも歩かないうちに、再び男は悲鳴をあげて倒れた。先ほどと同じ男にまたしても刺されて倒れたのである。そして同じ光景が繰り返された。男は起き上がり、歩き始める。そして刺され、殺される。血黙りに体を横たえたかとおもうと、また起き上がり……。
 気付けば、ビルの谷間で、通りの角で、残虐な行為が繰り広げられていた。
「あの男、通り魔か何かやったんやな」
 やはり、ここは地獄だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 2-5

 地獄では自分が犯した行いと同じことが、決められた年数の間、くりかえしくりかえしその身に起こる。殺人を犯せば自らが獄卒たちに殺され(しかも自分が行ったのと同じ方法で!)、火を放って人を殺めたのであれば自らも焼き尽くされる。焼き尽くされた後にはまた元通り生身の体に戻って再び灰になるまで焼き尽くされる。しかも死ぬことなく、灰になるその瞬間まで苦痛を味わうのだ。
 それはまさに地獄だった。
 血の池も針の山も、煮えたぎる大釜もないが、まさしく地獄に違いない。
ありふれた都会の街角で、殺人、強盗、放火…日常の世界では犯罪とされる行為がいたるところで行われている。警察がかけつける様子もなく、獄卒が際限なく罪人を苛む陰惨な光景だけが延々と続いている。
 ひっきりなしにあがる悲鳴と、すえた血の臭いにスメラギは吐き気をもよおし、近くのビルの陰に駆け込んだ。
「あんた、大丈夫かいな?」
 柔らかな女の声だった。
「しっかりしいや」
 情けなくも女の肩につかまって起き上がろうとした瞬間、女はスメラギを突き飛ばし、スプリンター顔負けのスピードでビルの谷間へと消えていった。
「なっ…! 」
 尻もちついた瞬間、ジーパンのポケットに入れてあったはずの財布がないのに気付いた。シャツの胸ポケットに入れておいた手紙もなくなっている。
 さっきの女だ! やられた、スリだ!
 追いかけようと腰を浮かせた瞬間、2、3メートル先で女の悲鳴があがった。
 夜摩が女の髪を引き摺って戻ってきた。
「盗(と)ったもの、返しいや」
 夜摩は女をスメラギの目の前に、雑巾でも叩きつけるように投げ出した。
女は財布をしっかり抱えたまま
「私のもんじゃが」
 と言い張った。
 年は40ぐらいだろうか、血走った目を見開き、額にはトタン板の波のような皺がより、乾いてひび割れた唇はかすかに震えている。
 女は鬼籍データベースでその写真を確認した宮内小夜子だった。
 喉元から胸にかけて茶色の沁みのあるブラウスの胸に抱えた財布の陰に手紙の角がのぞいている。財布は彼女のものではないが、手紙は彼女、宮内小夜子宛のものだ。スメラギが自分宛の手紙を持っていると知ってとっさに抜き取っただけで、財布はついでに盗られたものかもしれない。
「なあ、財布は返してくれないか。手紙は持っててくれてかまわないから」
 と言い終わるか終わらないうちに、夜摩が財布ごと手紙を女から取り上げた。女は金きり声をあげ、手足をじたばたさせ、「わしのもんじゃ、返せ」と何度も叫びながら夜摩に飛び掛っていった。
「手紙は皇拓也という男から宮内小夜子という女あてのもんや」
「わしが、その宮内小夜子や」
「皇拓也という男を知っとるんか」
「知っとる、知っとる」
「柏木孝雄の知り合いの男やなあ」
「そやそや」
 手紙はもちろんスメラギからのものではない。スメラギは宮内小夜子を知らないし、宮内小夜子がスメラギを知っているはずもない。柏木孝雄の名前にも、夜摩の話に合わせているだけで、特に目立った反応はない。恋人だった男の名前に無反応でいられるものだろうか。
「この嘘つきがっ!」
 夜摩の怒号が飛び、女はひっくり返った。
「嘘つきがどうなるか、わかっとるやろな」
 夜摩に呼びつけられた獄卒は、泣き喚く女の口を裂き、素手で女の舌を引き抜いた。たちまち鮮血がブラウスに散り、新たな沁みを作った。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 3-1

 “宮内小夜子”と札のかかった病室を訪れ、スメラギはがっかりせずにはいられなかった。
 死人の最期の頼みをきく仕事をしているスメラギは、宮崎老人のこの世での心残り、戦友・柏木孝雄から託された恋人・宮内小夜子への手紙を渡す依頼を受けた。
 何しろ60年以上もの年月を経ているので、手紙の住所はあてにならない。生きているかすらもあやしいところだ。そうおもったスメラギは、死人の側から”宮内小夜子“捜しを始めた。
 生きとし生けるもの、死んだもの、この世とあの世のすべての魂を記録した、地獄の鬼籍データによれば、“宮内小夜子”と名乗る人物は3人。地獄に落ちた1人目は、スメラギの捜す“宮内小夜子”ではなかった。
 2人目の宮内小夜子は一週間後に老衰で88歳で死ぬ予定になっていたが、ベッドに寝かされた状態の宮内小夜子は生きているとは名ばかりの状態だった。
 すでに意識はないのだろう、人工呼吸器を取り付けられ、見舞いの花に隠れた心電計がくりだす規則正しい機械音だけが、かろうじて宮内小夜子の肉体が生きていることを告げていた。
 生きていれば、かつての恋人、柏木孝雄からの手紙を渡してそれで終わり、のはずの仕事だった。
 死んでいれば、これまた、柏木孝雄からの手紙を預かっていると言って渡して任務完了、のはずの仕事だった。
死んだ人間とならば話のできるスメラギだが、生きている人間とはその肉体が機能していない限り、話ができない。
 死ぬのを待つか―
 病室を後にするスメラギと入れ違いに若い男が病室へと入っていった。男は宮内小夜子のベッドのかたわらに腰をおろし、意識のない宮内小夜子に話しかけていた。家族なのだろう、年のころからいうと孫だろうか。
 待てよ―
 家族なら、柏木孝雄につながる何かを聞きだせるかもしれない。宮内小夜子から何かを聞いているかもしれない。
 廊下の角を曲がりかけたところでスメラギは、病室へと引き返した。
 と、スメラギよりも先に病室へと走っていく2、3人の人があった。看護師と医者だ。彼らは慌てた様子で宮内小夜子の病室へと駆け込んでいった。スメラギも後を追った。
 心電計の甲高い音が病室中に響きわたるなか、宮内小夜子は蘇生処置を受けていた。寿命が尽きるまであと1週間はあるはずだが?と、スメラギはあやしみながらベッドへと近寄っていった。
 霊視防止のための紫水晶のメガネを鼻頭に少しずらすと、医者や看護師たちの間に立っているパジャマ姿の老女がみえた。肉体を離れた宮内小夜子の魂が死んだ自分をベッドに見下ろしていた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 3-2

「あなた、お迎えの方?」
 宮内小夜子はスメラギの見事な白髪をじっとみつめた。天使にでも間違えられたのだろうか。
 スメラギは首を横に振った。
「私、死んだのかしら?」
 宮内小夜子の姿は誰にも見えず、声は誰にも聞こえていない、スメラギをのぞいては。
 スメラギがうなずいてみせると
「何だか変な感じねえ」
 老婦人は少女のように軽やかに笑った。ベッドでは必死の蘇生処置が続いている。
「寿命はまだあるから、助かるぜ」
「そうなの……」
 喜ぶかとおもったら、老婦人は少しがっかりした様子だった。
「あれはものすごく気持ちが悪いの」
 老婦人は人工呼吸器を指さした。
「無理やり空気を送りこんできて、苦しいったらありゃしない」
「1週間の我慢。1週間したら死神が迎えにくる」
「私、はじめ、あなたが死神だとおもったのよ」
 老婦人の視線がふたたびスメラギの白髪の頭にむいた。
「これは生まれつき、死神は葬儀屋みたいな恰好の無愛想なやつ」
「あなたは、生きた人間?」
 スメラギはうなずいた。
「見えないはずのものが見える特異体質」
「少し前にも来ていたわね。死神でないなら、私に何か用があったの?」
「柏木孝雄という人を知っていますか?」
 老婦人は、ほんの少しの間、考えをめぐらし、いいえと答えた。
「不思議ねえ。物忘れがあんなにひどかったのに、今はいろんな事がはっきり思い出せるわ。体も何だか軽くなって楽になった気がする」
 老婦人は透き通った手足を軽やかに動かしてみせた。足がわずかに地面から浮いて、両手を羽ばたかせたらそのまま空へと飛んでいきそうなくらいだ。
「もう戻ったほうが。家族が呼んでる」
「あの機械、気持ち悪いんだけれど……」
 医師と看護師は必死の処置、その傍らでは青ざめた頬の若い男が、小夜子の耳元にむかって「ばあちゃん!」と呼びかけ続けていた。
「私、このまま死んではいけない?」
 スメラギは黙って首を横に振った。
「家族ときちんと最後のお別れをしないと。このまま逝ってしまったら、あなたも家族も後悔する」
 自分の孫と同じぐらいの年齢のスメラギに諭され、老婦人は「それもそうね」と言い残し、ベッドに横たわる自分の体の上に覆いかぶさったかとおもうと、煙のようにかき消えていなくなった。
 と同時に、老婦人の体につながれた心電計が再び規則正しい間隔を取り戻して鳴り始めた。意識を取り戻し、うっすらと目を開けた宮内小夜子老婦人は、スメラギにむかって微かにうなずいてみせ、スメラギもまた笑顔を返してその場を後にした。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 3-3

 60年以上も前に死んだ柏木孝雄から恋人・宮内小夜子へあてて書かれた手紙を渡すよう頼まれたスメラギは、死人の側から“宮内小夜子”を捜した。宮内小夜子もまた、生きてはいないだろうとおもったからだ。
 すべての魂のあらゆる事柄が記録された地獄の鬼籍データに照会したところ、“宮内小夜子”に該当する人物は3人。地獄に落ちた1人目、生きていることは生きていたが、1週間後に老衰で死亡する予定の老婦人もまた、スメラギの捜す“宮内小夜子”ではなかった。
 3人目の宮内小夜子は86歳、死亡予定事項の住所欄には、歴史ある海辺の街の住所が記載されていた。
鬼籍には死に場所=死神が魂を迎えに行く場所が記載されているだけで、生きている人間の住所はわからない。生きている人間の行いは逐一鬼籍に記載されるが、住所などはどうでもいい情報なのだ。2人目の宮内小夜子に病院で会えたのは、たまたま彼女が死亡予定日時まで入院していたからで、これが突然死で病院へ担ぎ込まれたというケースだと、死亡予定日時きっかりにその場にいないと会えなかったに違いない。
 3人目の宮内小夜子が生きていると知って3年後の死亡予定住所欄の住所へ足をむけたスメラギだが、宮内小夜子がそこにいるとは限らない。今は別の場所にいて、3年後に引っ越してきて死ぬという可能性だってある。
 レンガ造りの瀟洒な洋館は、侘び寂びた周囲から浮き足だっていた。当時でこそ贅を尽くしただろう建物が今や、レンガの壁は蔦に覆われ、手入れのされていない庭の木々は深く生い茂り、まるで森の奥の廃屋である。ヨーロッパの城門を真似たと思われる鉄の門は、見上げる上から下まで錆で赤茶けていて、手をかけると錆の粉が手のひらにまとわりついてきた。
 とても人が住んでいるとは思えないが、表札には「宮内」と確かにあり、インターフォンのランプは、電源が入っている証拠に赤くともっている。
 幽霊でも出てきそうな屋敷には、インターフォンを利用する人間が確かに住んでいる。
 ふと視線を感じて顔をあげると、2階の割れた窓から白い顔が覗いているのがみえた。血の気のない顔色、身動きせずに門の前にたたずむスメラギをみつめている様子は死人かと思われたが、霊視ができなくなるメガネをかけていて見えたのだから、生きている人間だ。
 彼女こそ、86歳になる宮内小夜子に違いない。
「手紙を渡すだけ」―そう心に決め、スメラギはインターフォンを押した。
 返事はなかった。
 2階の窓を見上げると、宮内小夜子は顔をのぞかせたまま、動こうともしない。耳が遠くてインターフォンの音が聞こえていないのかもしれない―スメラギは錆びた門を押した。鍵のかかっていない門は、ギィーと高い音をたてて開いた。スメラギはそのまま草木の生い茂る敷地内を玄関へとむかった。
 玄関の横にもインターフォンがあったが、押すだけ無駄だとスメラギは、レリーフの施された木製の扉を思い切り叩き、宮内小夜子の名前を呼んだ。
2、3度叩いたところで、スメラギは、叩くたびに扉が軽く反発するのを感じた。扉と壁との間に隙間があって、もぐりこんだ空気が抵抗するのだ。
 玄関は鍵がかかっていなかった。扉を開け、その隙間からスメラギは宮内小夜子の名前を呼び、自ら探偵であることを名乗ったが、返事はやはりない。
「手紙をあずかってきてる」
 その一言に、今まで静かだった2階でかすかな物音がたった。床をコツコツと叩く足音がしたかとおもうと、玄関の吹き抜けに白い顔がのぞいた。
「はやく持ってきてちょうだい」
 とおりの悪いかぼそい声だが、強い命令口調だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 3-4

 スメラギは手紙を携えて2階へと階段をあがっていった。
 歩くたびに床板がきしんで音をたてる。落ちるのではないかとスメラギはびくびくしながら次の一歩を踏み出していった。
 宮内小夜子は、割れた窓のそばの大きな肘掛け椅子に腰かけていた。椅子が大きいのか、宮内小夜子が小さいのか、背もたれは彼女の座高の倍はあり、花模様は今や擦り切れて、染みと見分けがつかない。肘かけには杖がたてかけてあった。
「はやく、手紙をちょうだい」
 またしても命令口調だが、そこにはまるで子どもが欲しいものをねだる無邪気さとかわいらしいわがままがあった。外からちらっと見えた幽霊のように白い顔には血の気が戻っていた。
 宮内小夜子は、恋人柏木孝雄からの手紙をずっと待っていたのだ。だが、柏木孝雄から手紙が来ることを、どうして宮内小夜子は知っているのだろうか……。
 宮内小夜子にせかされ、スメラギは手紙を差し出した。しみだらけの干からびて骨の浮き出た手で手紙を奪い取った宮内小夜子だが、裏書を確かめると、たちまち高揚した頬が血の気を失っていった。
「私の待っている手紙じゃないわ」
 宮内小夜子は手紙を床に投げ捨て、再びその白い顔を窓の外にむけてしまった。
 床にはコンビニの袋が散乱し、中には食べかけの菓子パンや弁当が残っているものもあった。その隙間を埋めるようにして投げ捨てられているのは、ダイレクトメールのたぐいのもので、封も開けられずにあちこちに散らかっている。
 柏木孝雄の手紙を拾おうとして、スメラギは視界に入った封の切られた手紙を手に取った。手紙には、甘ったるい文を散々書き散らしたあげく、最後は金を用立ててくれとあった。消印は20年以上前の古い手紙だ。
「本当に、この手紙ではない?」
 スメラギはもう一度手紙を差し出し、たずねた。
 鬼籍によれば、柏木孝雄の恋人、宮内小夜子である可能性のある人物は3人。地獄に落ちた一人目はスメラギ自身も違うだろうと思い、実際宮内小夜子ではなかった。二人目も人違いだった。であれば、3人目が柏木恋人の宮内小夜子でなければならないのだ。
 老婦人は86歳、「待っている手紙とちがう」というが、柏木孝雄という男の存在が記憶からすり抜けてしまっているだけかもしれない。
「柏木孝雄という青年に心当たりは? 昭和20年ごろ、あなたの婚約者だった男だけど」
「柏木? 私は佐川啓介と結婚するんです。彼は今ハワイにいるけれど、もうすぐ帰国して私たちは式を挙げるんです」
 愛おしそうに老婦人が撫でた左手薬指には大粒のダイヤの婚約指輪が光っていた。窓から差し込む午後の光に鈍い虹色の光を放つそれは、ただのガラス玉だった。男は戻ってこないだろう。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 4-1

 幼なじみの美月龍之介が訪ねてこなかったら、スメラギは飢死していただろう。飢え死には大袈裟としても、3日も飲まず食わずでいたら衰弱して当然だった。
お盆に入って3日目、美月がアパートにスメラギの様子を確かめに来たとき、スメラギは玄関先でのびていた。ちょうどお盆だったこともあって、アパートの他の住人たちは帰省してしまっていたし、発見がもう少し遅れていたならとおもうと、スメラギは背筋がぞっとする。
 人ごみが苦手な人間がいるように、霊感体質のスメラギは霊体の多い場所が苦手だ。霊気にあてられるからである。
 普段なら、紫水晶の丸メガネをかけて霊視をシャットアウトして正気を保つのだが、幽鬼たちが地上に繰り出す盆の最中に街中を歩きまわるのは、人ごみが苦手な人間が外出するのと同じぐらいの自殺行為だ。
 死んだ恋人、柏木孝雄からの手紙を渡すべくむかった海辺の街―幽霊屋敷のようなうらぶれた洋館に幽霊のようにひっそり暮らす老女は、手紙を渡す相手、宮内小夜子ではなかった。
 その宮内小夜子の洋館を出てからの記憶がスメラギにはない。
 どこをどう帰ったものか、六畳一間、風呂・トイレ共同のおんぼろアパートの部屋に帰り、玄関先に倒れていたところを美月に発見された。
「盆はだめだろうと思ってねえ」
 中学からの幼なじみである美月は、スメラギの霊視能力や、地獄、天上界を問わず、あの世のすべての霊たちが地上に一時戻る盆には体調を崩すということも知っている。
 霊視防止用の紫水晶のメガメをかけるようになってからは、さすがに倒れるほどまで霊気にあてられることは少なくなったが、それでも毎年、美月はスメラギの様子を気にかけていた。
 この盆はどうしているだろうかと心配で訪ねてきたら、案の定スメラギは自力では起き上がれないほど弱っていた。
 こんな時の対処法も付き合いの長い美月は心得ている。霊気にあてられたら、清水で清めてやればいいのだ。
スメラギが歩けたなら神社に連れていって禊(みそぎ)をさせるところだが、スメラギは意識不明の衰弱ぶりであったので、美月は近所の神社、父親が宮司、自分は禰宜(ねぎ)をつとめる富士宮神社に袴の裾をからげて急ぎ戻り、井戸の水をポリタンクにいっぱい汲んできた。自分たちも神事の前の禊に使う、澄んだ湧き水である。富士宮神社の裏にある洞穴は富士山までつながっているというまことしやかな噂があり、神社の井戸水は富士の山の雪解け水なのだと、近所ではもっぱらの評判だ。
 おなじく美月によって運びこまれた檜(ひのき)のたらい桶の底で胡坐をかいて座るスメラギの頭の上に、美月はポリタンクの水をぶちまけた。
 容赦なくスメラギの頭上にそそがれる湧き水は、桶の縁をはみだした膝頭を叩いて弾け飛び、あたりの畳を濡らした。美月は構わず水を浴びせかけ、スメラギは、肌にはりつくシャツの下で鳥肌をたてながら、桶に溜まっていく水に体を浸していた。
 生まれながらの見事な白髪の短い毛先をつたって、銀色のしずくが桶の水面を軽やかに撥ねる。地下からくみ上げた、ひんやりと澄んだ水を浴びせてもらっているうちに、スメラギの重かった頭が軽く、思考がクリヤーになっていった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 4-2

「スギさん、本当に盆はダメだねえ」
 笑うとなくなる目を細めて美月は笑った。その笑顔は、神社に仕える者のくせに弥勒菩薩を彷彿させる。仏の顔も三度まで、というが、美月はいつだって仏の穏やかな笑顔だ。
 スメラギの知る限り、美月は怒った顔をみせたことがない。感情がないわけではなく、喜怒哀楽の「怒」だけが欠けている。バスケ部のキャプテンとして、試合などでは厳しい表情をみせることもあったが、感情にまかせての怒りとは違う。
 その穏やかな微笑みに、人は自然と引きこまれてしまい、知らず知らずのうちに、美月のおもうままになってしまうのだ。
 今もまた、スメラギは美月の言うなりに、世話を焼かれてしまっている。服を着替えさせられ、風呂からあがったばかりの子どもを扱う母親のような美月に、乾いたバスタオルで生まれつきの白髪頭を乾かされている。

 美月は大量のインスタント食品を買いこんでスメラギの狭い部屋に持ち込んでもいた。お盆が終わるまで外に出られないスメラギの非常食である。
「母さんがいてくれたら、何か簡単なものを作ってもらえたんだけど……」
 美月の母親は2年前に亡くなっている。美月の母親が生きていたころは、一人暮らしのスメラギを気にかけて、美月に肉じゃがだの煮物だのを持たせてくれた。スメラギが特に好きだったのはカレイの煮付けで、カレイの身のほぐれ具合と味のしみ込み具合が絶品なのである。
「なあ、スギさん。盆には地獄の釜の火も消えて、亡くなった人はみんな地上へ戻るというけれど、母さんも戻ってきているのかなあ?」
 そう言う美月の背後には、美月に似た細面の女性が正座していた。2年前に亡くなったそのときのままの姿の美月の母親だが、美月には見えていない。
美月の母親は、インスタント食品の山を見ると、たちまち顔をしかめた。その視線を追ったスメラギを不思議に思った美月が「何?」とたずねると、スメラギは声を押し殺して笑った。
「何だい」
「お前のお袋さんが、はやく結婚してインスタントは卒業しろだとさ」
「母さんがいるのか?!」
 慌てて周囲を見回す美月に、スメラギは後ろだと指さした。
「親父さんとふたりしてカップ麺やコンビニの弁当ばかりじゃ、健康によろしくないだとよ」
「わかってるけど、父さんも僕も料理は苦手なんだよ」
「だから、お前が嫁をもらえばいいんだとさ。彼女はいないのか?だってよ」
「いやだなあ、母さん。そんな話、スギさんの前で……」
 身長180cmを超える長身で細身、笑うと目のなくなる仏顔の美月は、もてた。スメラギの知る限り、中学・高校と、彼女がいなかった時期がない。そのくせ、長続きせず、たいていは数ヶ月で終ってしまう。
 身長が高いというだけで美月と同じバスケ部に入らされたスメラギとはえらい違いだ。かたやバスケ部のエースでキャプテン、かたや、生まれながらの白髪のせいでいじめられてばかりで性格がひねくれてしまった劣等生。加えて霊がみえるとあっては、人付き合いを避けてしまいがちだというのに、彼女をつくるなどもってのほかだった。半分でいいからよこせ、と冗談を言ったことがあるが、美月は照れたように笑うだけで、スメラギの前では女性の話をしたがらなかった。
 それはいい大人になった今も変わらない。時々、近所で見かける美月はそのたびに違う女性と連れ立って歩いているが、彼女なのか、ただの女友達なのか、スメラギは知らない。聞いたところで、答える美月ではない。
「お前のことが心配なんだな、お袋さん」
「子どもじゃないんだから」
「靴ひももちゃんと結べないのに?だってさ。なんだ、お前、靴ひも結べないのか」
美月は、母親がいると思われる方に向き直り、
「母さん! そういうことは言わない!」
 と言うが、美月の母親は平然と聞き流している。
 霊気にあてられて弱っていたのもなんのその、今はすっかり調子を取り戻して腹を抱えて大声で笑っているスメラギに、美月は、禰宜は着物姿で過ごすことが多くて靴を履く機会があまりないからうんぬんと言い訳をしていた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 4-3

「ああ、ったく。僕だってみえたら、スギさんのお袋さんからスギさんの秘密なり、弱点なりを聞きだしてやるのに」
「残念だったな」
 美月の母親は、スメラギの口を通して美月の好物のサバの味噌煮の作り方とコツを教え、美月より一足先に愛する夫、美月の父親のいる富士宮神社へと戻っていた。
「何だか不思議な感じだよ。母さんがまだ生きているみたいだ。スギさんには生きている時と同じように見えているのかい?」
「まあな」
「スギさんのお袋さんも、盆には戻ってくるのかい?」
「ああ。でも親父のところだ…」
「そう」
 スメラギは嘘をついた。
スメラギの母親の霊はスメラギにもみえない。天上界にいったものだろうと地獄に落ちたものだろうと地上に残るものだろうと、霊なら幽鬼でも何でも見えるスメラギだが、存在しないものはいかにスメラギの霊視をもってしても見えない。
 スメラギが6歳のときに死んだ母親は、この世から消滅した。消滅させたのはスメラギ自身である。
 スメラギの母親が死んでこの世からその存在を消してしまって以来、もともとうまくいっていなかった父と子の関係はさらにぎくしゃくし、数年前にスメラギが二十歳の成人式をむかえると、スメラギの父、皇慎也は、親の責任は果たしたとばかりに家を出て行った。
 今は、この世にとどまり続ける幽鬼たちを説得、成仏させる全国放浪の旅に出て、たまの連絡は美月の父親あてにくる。スメラギと美月がそうであるように、父・慎也と美月の父親とは親友同士だった。
 代々にわたって富士宮神社の宮司をつとめる美月家と皇家との付き合いは長く、スメラギが美月龍之介に出会ったのは、霊視防止用のメガネを作ってもらうよう、父親に連れられて美月家をたずねたのが最初だった。
 スメラギの霊感体質は父親ゆずり、皇家は魂守人(たまもりびと)として代々、霊を鎮め、霊が生きている人間の世界に干渉しないよう、務めてきた。皇家のものとして、スメラギもまた例外なく、霊と関わる仕事をしている。
 スメラギが幼いとき、父親と母親は離婚し、スメラギは母親に引き取られた。離婚の理由は、皇家の特殊な血にあったのだろう。普通の人間と同じように霊が見えているスメラギにむかって、母は、あそこに人がいるとかそういうことは、人の前では言っちゃダメよと諭した。母は、「普通の子」としてスメラギを育てたかったのかもしれない。
 母親が事故死した後は、父・慎也に引き取られたが、母親はまだ幼いスメラギを心配してこの世にとどまり続ける幽鬼になった。
 母親は生きていた時と変わらずにスメラギの面倒をみた。死んだはずの母親の姿が常にそばにあるので、スメラギは母親が死んだとはおもっていなかった。父に隠れての母との生活は5年続いた。終止符を打ったのはスメラギ自身だった。
 ああするほかに、母親を救う方法はなかった。怨霊となった母を永遠の責め苦から救うには、母親を消滅させるよりほかに仕方がなかった。母が怨霊となったのはスメラギのせいだったから、母を救うのはスメラギの責任だった。生まれつきの白い髪のせいでスメラギはよくいじめられていた。スメラギを愛するあまり、母は、スメラギをいじめていた子どもたちに祟った。
 怨霊となった母をスメラギは覚えていない。覚えているのは、何かと世話を焼きたがる母の、ダメねえという口癖と、口調と裏腹の笑顔だけだ。
「ハックション!」
 くしゃみをしたスメラギの耳に、母のダメねえという声が聞こえた気がした。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 5-1

 地獄の釜の火が入ってというのは物の喩えで、地獄に煮え立つ大釜などないのだが、お盆が終わって“目には目を、歯には歯を”の日常が戻るはずの地獄は、慌てふためいていいた。
地上に帰されていた霊たちの一部が戻ってきていないのである。
 地獄を脱け出した彼らの行方を追って閻魔庁は大騒ぎである。篝火がうっすらと灯るだけの廊下を、幽鬼たちが行ったり来たり、普段はぴたりと閉まった十王たちの執務室も開きっぱなしで、ひっきりなしに幽鬼たちが出入りして、どこかせわしない。とはいえ、そこは幽鬼たち、物音ひとつたてるわけでもなく、実際は慌てているのかもしれないが、見た目には優雅に宙を舞っているかのように廊下を走りぬけている。
 スメラギが地獄の閻魔王室をたずねたのは、そんな騒ぎの最中であった。
「スメラギぃ! ええとこに来た~。ちょっと頼まれてンかぁ~」
 閻魔王室の開け放たれた扉をノックする間もなく、夜摩のほうが目ざとくスメラギをみつけ、猫なで声ですり寄ってきた。
「気持ち悪りぃ、それ以上近寄るなっ!」
 スメラギは反射的に体をひいた。
「“気持ち悪い”って、なんや。こんな美女つかまえて」
 夜摩は見事なブロンドの巻き毛を指先に絡めてみせ、腰をひねってしなをつくってみせた。
 真紅の瞳の流し目が、薄紫色のアイシャドーでさらに艶かしさを増している。ふっくらと肉感的な唇は赤く艶めいて、真珠のごとくにきらめく歯がのぞいている。
 人の皮をなめして血で染め上げたというボディースーツは、細くくびれた腰と豊満な胸とを露にし、さすがは地獄の閻魔王、人間ばなれした身震いするほどのスタイルの良さと美女ぶりだ。
 ただし、口を開かずに黙っていたら、である。
「女は相変わらず苦手かいナ」
「お前、“女”じゃねーし」
 せいいっぱいの媚をこめたつもりのその声は腹の底に響くほど低い。夜摩は男だ。その豊満な胸は、地獄におちた女の胸から切り取ったもので、夜摩はおもしろがってその胸をつけての女装を楽しんでいる。
「どうせ、脱獄幽鬼を捜索しろってんだろ? 毎年のことなんだから、いい加減何とかしたらどうだ? GPSをつけるとかさ」
「そないなもん、金がかかるさかい。あんさんに頼めば、タダでっしゃろ」
 地獄の沙汰も金次第、金にうるさい夜摩には金さえ積めば地獄行きも帳消しにしてもらえる。仮に地獄へ落ちたとしても、残った家族が金を送り続ければ地獄の刑期も短くなるという。噂では、夜摩は相当な金を貯め込んでいるらしかった。
 毎年、盆のあとに幽鬼たちが戻ってこないのは、実は夜摩が金を積まれてわざと逃がしているのではないかと、スメラギは睨んでいるが、あくまでも疑惑の範疇を出ない。
「金とは、日本円でないとだめなのか」と聞いたことがある。夜摩は「ドルでもユーロでも何でもええで」と、にんまり笑った。でも一番いいのは「金(きん)」だそうだ。通貨はその時々で価値が変わるが、金色の光はいつの時代の人々をも魅了する。
「あんたら人間のほうがよっぽど業突く張りやで」――PCなど、閻魔庁の設備の一部は、人間たちの業者から買い取ったものだ。もちろん、彼らは買い手が閻魔王だとは知らずに売りつけているのだったが。
「幽鬼探し、やってもいいぜ」
「ほんまにぃ!」
 抱きつこうとする夜摩を、スメラギは全力で拒んだ。
「そのかわり、頼みがある」
「閻魔王相手に取引とは、えらい度胸やな」
 語気が強まり、夜摩の紅蓮の瞳が光を増す。
「宮内小夜子を捜してほしい」
「なンや、まだ手紙を渡してなかったンかいな」
 死人のこの世での心残りを解消する仕事をしているスメラギは、とある老人から、宮内小夜子という女性に手紙を渡すよう依頼を受けた。スメラギは、まず死人の側から宮内小夜子捜しを始めた。生きていたら80歳を超えるだろう女性だったから、死んでいる可能性のほうが高いと踏んだのだ。
 この世のすべての命の情報が詰まった地獄の鬼籍データベースに“宮内小夜子”を照会したが、教えてもらった宮内小夜子は3人とも人違いだったというと、
「そんなはずおまへンで!」
 と夜摩は叫び、篁(たかむら)を呼び出した。

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ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 5-2

 「何がおかしいって言うんです」
 この世のありとあらゆる生命のすべてを記録した鬼籍データに記載漏れなどあるはずがない。鬼籍データベースの管理責任者である小野篁(たかむら)は憮然としていた。
 地獄を取り仕切り、閻魔庁のトップを務めるのは閻魔王こと夜摩だが、鬼籍データベースの実質的なトップ責任者は篁である。
 それまでの和綴の記録帳に記載されていただけの情報を電子データに移行させ、関連する情報を包括的に網羅したデータベースを作成、必要な情報を必要なときに取り出せるよう検索システムを充実させたのも篁だった。夜摩は一切関知していない。篁は、鬼籍データベースの正確性には自信をもっていたし、鬼籍データベースについて彼が知らないことは一切ない。
 それだけに、「鬼籍データベースがおかしい」と言われると、自分自身を貶されたような感じがするのだろう。ニヤニヤとした笑顔を浮かべる夜摩の顎を肩に乗せ、篁はスメラギをみすえていた。
 ♪マルかいて~マルまいて~ ― 篁の顔をみるたびに、スメラギ自作の絵描き歌が頭でぐるぐる鳴り出す。童顔の丸顔にメガネと、どこかのテーマパークで愛想をふりまいているようなキャラクターのような愛らしい輪郭だが、頭脳の回転はその外見を裏切って鋭い。篁が手がけた以上、鬼籍データベースの正確性に問題はない。
 夜摩の言い方が悪い。スメラギは、以前に出してもらった検索結果に、自分が捜している宮内小夜子という人物がいなかったと言っただけで、「鬼籍のデータベースがおかしい」とは一言も言っていない。
「おかしいなんて言ってないだろうが。この間探してもらった3人のなかに宮内小夜子がいなかったんだ」
「該当者がいない? そんなはずは…」
「もう一度調べてもらえないか」
 美月の結婚の話が出たとき、スメラギははっと気付いた。
 最初に鬼籍にあたった時、宮内小夜子は宮内姓のままだろう、またはいただろうとばかり思って、“宮内小夜子”を探した。
 白髪三白眼の見た目の凄みを裏切って案外ロマンチストなスメラギは、恋人をずっと待ち続けて独身でいるとばかり思い込んでいた。だが、もしかしたら、宮内小夜子は結婚して姓を変えているかもしれない。
 鬼籍には、死に場所や死ぬときや死んだときのデータしか記録されていない。結婚して姓を変えて死んだのなら、宮内小夜子は宮内小夜子としては鬼籍に記載されていないのである。
 宮内小夜子を旧姓で探してみてほしいと頼むと、夜摩は
「忙しいンやけどなあ…」
と文句を言い、ぐずぐずしていた。
 何でも、人斬り伊蔵として知られる稀代の殺し屋、岡田伊蔵が脱獄しており、はやく連れ戻さないと人間界に差し障りがあるので必死の捜索を行っているということだった。脱獄すれば地獄の刑期がさらに延びると知っていて、伊蔵は毎年のように地獄を脱け出す。
「地獄(こっち)で斬られすぎて、アホになったンとちゃうか」
 地獄では、現世での行いがそっくりそのまま自分にかえってくる。天誅と称して人を斬り倒した伊蔵は、今は斬られる側だ。
「出ました」
 篁が検索結果をはじき出した。ものの十秒もかかっていない。これが夜摩だと数分どころか、下手したら、検索結果なしと出たかもしれない。その長い爪のせいでなくても、夜摩はまるっきり機械に弱く、いまだに鬼籍データベースを使いこなせていない。
 夜摩の立派なPCをみながら、スメラギはひそかに、豚に真珠ならぬ閻魔王にPCと呟いた。
“宮内小夜子”は、前に調べた3人のほかに4人が追加され、合計で7人の名前が画面に表示されている。
「ふん、こいつはおもろい。ひとり、幽鬼になったやつがおるで」
 夜摩の赤く先の尖った長い爪に指し示されるまでもなく、スメラギも幽鬼となった女のデータに目を留めていた。

 【沼田小夜子】 <旧姓>宮内
 F県○×にて肺炎で27歳で死亡。魂未回収

 死んだ場所は手紙の住所からは遠く離れているが、死に場所が生きている人間の住んでいる場所とは限らない。「魂未回収」とは、死神の手を逃れ、幽鬼としてこの世に留まり続けていることを意味している。
 結婚の約束までした恋人の生死はわからないまま、女は別の男と結婚した。親に言い含められてで望んだ結婚生活ではなかっただろう。失意のまま病死した女の魂は、恋しい男が生きているかもしれないと望みをつなぎ、この世にとどまって男を捜しているのか、待っているのか――海辺の街の老女は生きながらに死に体と化して、騙した男の帰りを待ち続けている。
 宮内小夜子もまた、この世のかたすみでひっそりと柏木孝雄を待ってはいないだろうか……。
「幽鬼やで。めんどくさいで」
 夜摩はそう言い、その後に起こる悪夢を予感したかのように、くっくと喉を鳴らして不気味に笑った。

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渡せなかった手紙 6-1

 恋人の生死がわからないまま死んだ女は、もしかしたら自分のもとをたずねてくるかもしれない恋人を待って、この世にとどまり続けるのではないか――
 スメラギは、死神の手を逃れ、幽鬼となった女こそが、宮崎老人を介して託された柏木孝雄の手紙を渡す相手だと確信した。
 沼田小夜子、旧姓宮内小夜子は、恋人、柏木孝雄がたずねてくるかもしれないと待ち続けている―
 スメラギは手紙の住所をたずねた。宮内小夜子が柏木孝雄を待っているとしたら、手紙が届けられたはずの場所だろう。

 戦前の住所で宮内小夜子の実家があった場所は、いまや都内屈指の交通量を誇る幹線道路になっていた。
「ここかよ……」
 スメラギが絶句するのも無理はない。
 そこは見通しのいいにもかかわらず、事故が多発する交差点だった。スメラギが覚えている限りでは、確か数年前に、交差点の先の喫茶店にハンドルを切り損ねた車が突進し、客と車を運転していた男が犠牲になったはずだ。その後も事故は起こっているようで、歩行者信号のたもとには、真新しい花束が供えられている。
 信号が赤に変わり、スメラギは霊視防止のメガネをはずし、ダッシュボードに投げ捨てた。たちまち、歩行者の数が増える。自分が死んだとわからずに事故現場にとどまり続けている幽鬼たち…。
これだから事故現場は……
 愛車、ビートルのハンドルをにぎる手に汗がにじんだ。
 ダッシュボードには、メガネと、宮崎老人から預かった宮内小夜子あての手紙がのっている。
 金曜の夜の繁華街。夜が深まるにつれて、とこからか人が沸いて街にあふれだす。仕事帰りのサラリーマンにOL ― 仕事を背後に、週末の開放感をすぐ目の前にして、その開放感の放つ甘いかおりにすでに酔いはじめている。
 足取りのおぼつかないサラリーマン、抱きかかえられるようにしてようやく体を縦に保っているOL、ろれつのまわっていない舌で何かを叫んでいる初老の男性、肩を組んでは歌らしきものを歌っているらしい学生たち。信号が変わったというのになかなか歩道にたどり着かない人々にまじって粛々と横断歩道をわたる人々の姿がある。
 スーツを着ていたり、作業着だったり、なかには制服のようなものを身につけていたりと、その職業はバラバラだが、共通するのは全員が男で、背丈も同じほど、顔つきもそれぞれ少しずつ似通ったところがあるようにみえる。年ごろも20代前半から30歳にはなってはいないだろうとおもわれる。
 スメラギの目にだけみえている、事故の犠牲者たちだ。
 突然の事故で死んだことを知らずにこの世に留まり続ける幽鬼たち。霊のみえる体質に生まれついたスメラギには生きた人間と変わりない姿で見えている。だが、その体は酔っ払いたちの体をすり抜けて歩道へとあがっていく。
 周囲のまばゆいネオンに溶け込みかけている信号の光が青に変わり、スメラギは愛車ビートルのギアを入れ、アクセルを踏み込んだ。
 進行方向の道路中央に、女が立っている。
 自分と視線があってもたじろがないスメラギを、女は不思議そうにみつめていた。スメラギはスピードを落とさず、交差点を走り抜けた。
「柏木って男からのアンタあての手紙をあずかってるぜっ!」
 開け放した窓から叫んだ声は、周囲の喧騒に掻き消されてしまった。だが、スメラギは確信していた。彼女の耳には聞こえていると。
 車ごと女の体をすり抜けたとたん、車内の温度が急激に下がり、吐く息がたちまち白く煙る。
「柏木さんからの手紙って?」
 宮内小夜子だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 6-2

 ビートルの助手席に、宮内小夜子が座っていた。揃えた膝の上に、整った指先をそろえて置いている。スメラギの次の言葉を待って、その目はスメラギの横顔をみつめている。
 ハンドルを握りながら視界の端にうつりこんでくる宮内小夜子の姿は、生きている人間が助手席にいるのとまるで違わない。目鼻口はすべてそろっているし、頭から足の先まできちんと1体につながっている。
スメラギの目にうつる幽鬼たちは、生きている人間と何ら変わりない。霊視防止のメガネをかけていない限り、街をそぞろ歩く人間とその間を行く幽鬼たちとの区別はスメラギにはつかない。
 もし、宮内小夜子の髪が黒くなく、膝頭が隠れる丈のスカートをはいているのでなければ、生身の人間として見過ごしてしまっていただろう。外見はまさに生きた人間と変わらない幽鬼たちの異質さは、まさにその外見にある。
 宮内小夜子の髪は黒く、あげた前髪の生え際はくっきりと富士の山を形どり、後ろ髪はうなじで、後れ毛の乱れもなくきっちりとまとめられている。眉は自然な太さで、手を加えて整えられた跡はみえない。流れるような眉の形は、美人の証だろう。化粧らしい化粧といえば赤い口紅が目立つ程度で、それも品がないというのではなく、女性らしさを強調していて、かえって可愛らしい清潔感がある。
 服装は、白いブラウスに、丈のたっぷりした濃紺のフレアスカートを身につけており、今どきのファッションの主流からはたいぶ外れている。このズレ、異質感こそが、幽鬼である証拠だった。
 現代に生きるものが昔のファッションを懐かしんで―というのとは違う。どんなに忠実に過去を再現したつもりでも、そこには時代のにおいがない。その時代に“常識”であった事柄は記録されず、調査の網から漏れてしまうからだ。だが、幽鬼たちは自分たちが生きた時代そのものを身にまとって現代に姿を現す。現代の風景から浮いた人物 ― それこそが幽鬼にほかならない。
「柏木さんからの手紙は?」 
「そこにあるぜ」
 スメラギは、あごでダッシュボードを指し示した。見覚えのある書体に、小夜子は手紙が柏木孝雄からのものだと確信し、黙って手紙を読み始めた。
 宮崎老人から託された依頼は、戦友、柏木孝雄の手紙を宮内小夜子に渡すこと、だった。宮内小夜子が手紙を手にした時点でスメラギはその場を立ちさるべきだった。そうすれば、その後の後味の悪い結末を避けられたかもしれない……。
宮内小夜子は、恋人からの手紙を何度も何度も読み返しては、声を押し殺して泣いていた。
「私、柏木さんが生きて帰ってくると信じて待っていたのよ……」
「……」
「戦争が終わったら、結婚しようって言ってくれて。でも、戦争が終わってもあの人だけが帰ってこなかった……。私たちのことは周りの誰も知らなかったから、私、あの人が生きているのか死んでしまったのか、知ることができなくて。結婚だって、親のすすめるがままだった……。どうしようもなかったの。でも、私はあの人を信じて待っているべきだったんだわ……」
ビートルの車窓を、ネオンの光がその尾を残して彗星のごとくにかけぬけていく。傍目には、白髪の短髪を尖らせた男がひとり、深夜のドライブを楽しんでいるようにしかみえていないだろう。夜光虫の漂う夜の海を泳ぐように、ビートルは光の舞う都会の夜を走りぬけていく。
「これからどうなるのかしら……」
「…死んだ人間には死んだ人間の住む世界がある。アンタはそこに行かないといけない」
「そうね…。あなたが連れていってくれるのかしら?」
「その前に、ちょっと寄るところがある」

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 6-3

 やってきたのは、巨大ショッピングエリアへと変貌を遂げつつある地域にひっそりと、しかししっかりと建つ小さな映画館だった。
 今時、手書きの看板を掲げ、モダンなディスプレイの続く周囲からは明らかに浮いている。だが、同じように深夜に光を放ちながら、その映画館だけがどこかあたたかい、ぬくもりのある光を湛えて、人の出入りが絶えなかった。
 映画館の名は世界座。戦前から続く映画館で、惜しまれつつ、この夏で閉館することが決まっていた。閉館までの期間、金曜の夜はオールナイトで古い映画を中心に上映している。今夜の映画は「天井桟敷の人々」だった。
 宮内小夜子は、なぜこの古びた映画館へ連れてこられたか、その理由に察しがついたらしい。スメラギがビートルをとめるのを待たずに、ドアを通り抜け、すぅーと映画館へと姿を消していった。
「私たち、よくここで映画を観たの」
 夜中だというのに、館内は満員に近い入りだった。スメラギの目には、通路にまで溢れだした人々の姿が見えていた。かつて世界座に通った人々の霊が、最後の上映会に集っていた。
「柏木さんも来ているのかしら」 
小夜子の目が、幽鬼の観客たちの間に柏木の姿を探していた。
スメラギは黙って首を横に振った。たちまち小夜子の顔が曇った。
「上にいる」
 スメラギの視線は、ぼんやりと明かりの灯る映写室へとむいていた。
 ロビーに出ると、長身の男がスメラギを待ち構えていた。黒いスーツに黒いタイ、スメラギと目があっても挨拶するわけでもない無愛想なその男は、死神だ。
「幽鬼はどこだ」
「今ちょっと……」
 小夜子をあの世へ連れ帰ってもらうため、映画館へつくなり、スメラギはケータイで死神を呼び出した。
幽鬼のこの世での心残りを解消した後には、死神を呼び出し、幽鬼をあの世へ連れ帰ってもらうのが決まりだった。小夜子は依頼を受けた相手ではなかったが、この世にとどまり続ける幽鬼を発見、保護したからには死神に通報、あの世へ送り届けてもらうよう手配するのがスメラギの義務であった。
「手紙を渡すのが、今回の依頼じゃなかったのか」
「……」
「手紙は渡したのか」
「ああ」
「で、お前はこんなところで何をしているんだ」
「……」
 死んだ小夜子の魂の行方を追いながら、スメラギは、小野篁に頼んで秘かに柏木孝雄の行方を捜してもらっていた。
 小野篁が管理する地獄のデータベース、鬼籍には、この世の生きとし生けるもののすべての情報が記載されている。死に場所はもちろん、いつ死ぬのか、どう死ぬのか、生きている間の行い、死後の行く先、天上界か地獄か、はたまたこの世に再び生を受けるのか。
 柏木孝雄は、吉田健二という男として生まれ変わり、20歳の現在は、映画に携わる仕事がしたいと、世界座でアルバイトをしていた。
 その事実をつかんだスメラギは、小夜子を柏木孝雄の生まれ変わりと会わせてやろうと、柏木孝雄=吉田健二が働く世界座へとやってきた。
「男と会わせてやってるんじゃないだろうな」
 図星だった。
 死神にあの世に連れていかれる前に、ひとめでも、かつての恋人、柏木孝雄の魂をもつ男にあわせてやりたい――スメラギのささやかな思いだった。
 スメラギの沈黙を肯定と受け取った死神は、
「帰る。俺は忙しいんだ」
 と、ロビーを後にしようとした。
「おい、待てよ。あ、あと5分。5分でいいからさあ。なあ、彼女は…」
「待つ必要はない。あの幽鬼は今日は回収できない。待つだけ無駄だ」
「どういう意味だよ?」
「あの幽鬼はお前に心残りの解消の依頼をする。あの幽鬼の願いをお前が叶えてやらない限り、俺の出番はない」
「宮内小夜子には何も頼まれてないぜ」
「これから頼まれる」
「なんでわかるんだ、そんなこと」
「わからないほうが鈍い。お前は女心ってものがわかってない。そんなだから女に縁がないんだ」
 女心ぐらい、わかっている、だからこそ、前世での恋人に会わせてやっているんじゃないか――
 死神にくってかかろうとしたその時、小夜子がスメラギのもとに駆け込んできた。
「お願い。あの人と話をさせて」
 無愛想で無表情の死神が、皮肉な笑みを浮かべた。
「依頼人だ」

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 7-1

 霊体に人は見えるが、人には霊体が見えない。ごくまれに「見えて」しまう人間もいるが、それはその人間が「見える」体質なのではなく、霊体のもつエネルギーが生きている人間並みに強い場合だ。霊体のエネルギーが生きている人間並み、もしくは霊体自身が死んだと自覚していない場合には、生きた人間として、人の目にうつることもある。だが、大抵の場合、霊や幽鬼たちは人の目には触れられない。スメラギのように「見えて」「話せる」のは、特異体質だ。
 幽鬼となった小夜子は、かつて恋人と通った映画館で、恋人の生まれ変わりである男、吉田健二と再会した。
 映写室の小さな窓から光放つスクリーンをくいいるように見つめている吉田健二は、姿形こそ違え、まなざしの強さは、かつて愛した柏木孝雄と同じものだった。
 愛しい人は目の前にありながら、小夜子は語りかけることもできず、触れることもできなかった。当然、相手も幽鬼である小夜子の存在に気付かない。小夜子にはそれが不満だった。
 せっかく会えたというのに――
 待ち続けた思いを伝えたい、映画関係の仕事がしたいと言っていた、その夢を叶えた彼におめでとうと言いたい、今も自分を想っていてくれているのか聞きたい、あたたかい腕に一度でいいから抱かれて愛しい人のぬくもりを感じたい――

 小夜子の願いを叶えるため、スメラギは、美月が禰宜(ねぎ)をつとめる富士野宮神社をたずねた。
「美月、また頼むよ、このとーり!」
 両手を合わせて拝むスメラギに、美月は目を細めて笑った。
「いいよ、スギさんの頼みだからね。で、今度はどんな依頼なのさ?」
「初恋の相手と感動の再会、の手伝い、かな」
「僕は何をするのかな?」
「ただ、相手としゃべるだけだから」
「ふーん……。初恋の相手だろう? しゃべるだけで済むのかなあ。相手は? 美人?」
「いや、相手は男で、お前にのってもらう方が女」
 女の人なら大丈夫か、と、美月は意味深なことを呟いた。
 スメラギが霊が見える特異体質に生まれついたなら、その幼なじみの美月もまた、霊をその体に取り込みやすいという特異体質に生まれついていた。左手首につけた水晶の数珠を外せば、美月はたちまちその体を霊にのっとられる。美月家の女性にのみ現れる体質が、その姉を通りこし、妹たちには現れず、どういうわけか美月に出た。
 美月の霊媒体質を、スメラギはちょくちょく、自分の依頼人である幽鬼の頼みごとに利用する。美月の体を借りるのは、生きた人間の肉体でなければ果たせない頼み事を引き受けた場合だ。
 小夜子は、柏木孝雄=吉田健二と会って話がしたいと言った。話をするだけなら、スメラギを介してでもよさそうなものだが、小夜子が拒否した。どうしても、愛する人の体温を感じたいのだという。霊は五感のうち、触感を失ってしまっているため、相手の姿をみることはできても、その存在を感じとることができない。

 「女の人なら大丈夫か……」――不安げに美月はそう漏らし「女だし、大丈夫だろう」――スメラギはそう思った。
 その美月の不安は的中し、スメラギの考えは裏切られることとなる……。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 7-2

 「ひとつだけ条件がある。女装だけは勘弁だ」――女性である小夜子の霊を、男の美月の体にのりうつらせるにあたって美月が出した条件は、「絶対に女の格好はさせない」であった。
 かつての恋人に会いにいくのだから綺麗に装いたいという女性の気持ちはわからないでもないが、自分の女装姿なんて想像しただけでも気持ちが悪いのでそれだけは勘弁してくれという美月のたっての願いで、外見だけは普段の美月のまま、小夜子の霊は美月の体を借りて、かつての恋人、柏木孝雄=吉田健二の働く映画館、世界座へとむかった。
 女装はさせなかったものの、小夜子の霊がのりうつった美月は、やはり美月ではなかった。普段着の着物姿ではなく、見慣れないラフなジーパン姿のせいばかりではない。スメラギの愛車、ビートルの助手席に座る美月、いや小夜子は、両手をきちんと、これまたきちんと閉じた両足の膝の上に置き、仕草は女そのものである。
(女装させたほうがマシだったか……)
 なまじか外見が美月なだけに、かえってスメラギは居心地が悪かった。
 美月自身は気持ち悪いといったが、案外と美人になったのではないかと、スメラギは今さらながらにおもった。
 神社の禰宜をつとめながら、その笑顔は三度以上の仏顔。笑うと目のなくなる人懐っこい笑顔の美月は、きっと亡くなった母親そっくりの美人になっただろう。
(ただし、デカい女になるけどな)
 美月は、180センチのスメラギよりさらに数センチ背が高い。

 世界座に着き、いよいよかつての恋人の生まれ変わりである吉田健二と対面という前に、スメラギはいくつか注意すべき点を小夜子に告げた。

・吉田健二が前世の記憶をもっているとは限らない。むしろもっていないとおもったほうがいい
・あくまでも美月龍一郎という「男」として吉田健二に接触すること
・男の体にのりうつっているのだということを忘れないこと
 
 スメラギの注意にいちいちうなずくと、小夜子はそそくさと館内のロビーへと姿を消した。
 ロビーには、開館から最近にいたるまで世界座で上映してきた映画のポスターがところ狭しと貼られ、それぞれのポスターの前には人だかりがあった。その映画に関する思い出を互いに語り合っている映画ファンたちなのだろう、その中に世界座のスタッフとして働く吉田健二の姿があった。
美月の体にのりうつった小夜子は、吉田を取り巻く他の人々にまじって、しきりと話しかけていた。対する吉田の反応は、他の人への反応と変わりなく、美月の体に宿る魂がかつての恋人のものだとは気付いていない様子だった。
「前世の記憶がないんだろうなあ……」
「ある人間のほうが珍しい」
 いつのまに来たのやら、呼び出しをかけた死神が隣に立っていた。小夜子との約束では、吉田と話ができたらおとなしく死神に連れられてあの世へ行くことになっていた。
 死神の言うとおり、生まれ変わった人間で前世の記憶をもっている人間は少ない。ほとんどの人間が生まれ変わると同時に過去の記憶を失う。覚えているという人間は少なく、多くの場合、何かのきっかけで思い出しただけで、はじめから覚えているということはない。
「彼は思い出すかなあ……」
 小夜子の魂をもつ人間と話すことが、前世での記憶を取り戻すきっかけになるだろうか。
「思い出しても、思い出さなくても、どちらにしても、やっかいだ」
 死神の予言はあたった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 7-3

 小夜子は明らかに吉田を独占したがっていた。吉田が他の人間と話をしているのに割り込むように会話に入ってくる。相手の言葉をさえぎって自分の言葉をたたみかける。周囲の人間は、様子のおかしい小夜子(外見は若い青年の美月)に、次第に吉田のもとを離れていき始めた。
「まずいな……」
 前世での記憶をもたない吉田に、小夜子はいらいらし始めていた。おそらく、過去のふたりの思い出でも話しだしたのだろう。あれは覚えていないのか、これはどうだとか。
 遠めにも吉田が困惑しているのが見えたので、スメラギはここらで引き上げたほうがいいと、小夜子のもとへとむかった。
「おーい、美月じゃないか」
 友人にばったり会ったようなふりで小夜子に近づいていったその瞬間、美月の体が崩れ落ち、とっさに抱きとめられた吉田の腕の中でぐったりと意識を失っていた。
「美月っ!」
「奥に事務所がありますからそちらへ!」
 スメラギと吉田に抱えられ、事務所に運び込まれた美月はソファーのうえに寝かされた。
「救急車をっ」
「いや、いいっ!」
 スメラギの強い調子に、吉田は取り上げかけた受話器をおろさざるを得なかった。
「いいんだ」
 スメラギは素早く、しかし注意深く美月の体を調べた。弱いものの脈はあり、呼吸はしている。生きてはいると確認して、スメラギは思わず大きなため息をもらしていた。
「さっき、“美月”と呼んでましたけど、美月さんというんですか、この人」
「……」
「知り合い、ですか」
「ああ」
「倒れる直前に、“小夜子です”って、言ってましたけど」
「…聞き間違えじゃないのか」
「いいえ、確かに“小夜子です、覚えていませんか?”って」
 やはり思ったとおり、小夜子は吉田の柏木としての記憶を取り戻そうとしていた。あれほど前世の記憶があるなどと期待するなと言っておいたのに。スメラギは心のうちで舌打ちした。
「端正な顔立ちですけど、男、ですよね?」
「役者、なんだ」
 スメラギはとっさに嘘をついた。前世だの、霊がのりうつっているだのと説明したところで、吉田を混乱させるだけでしかない。
「倒れたのも、演技ですか」
「……」
「心配してかけつけてきた、あなたまで演技していたっていうんですか」
「……」
「本当のことを言ったらどうだ」
 一部始終を黙ってみていた死神が口を開いた。
「信じるもんか」
 死神の姿がみえない吉田には、スメラギの独り言と聞こえただろう。
 霊が見えると言っても、周りの誰もがスメラギを信じはしなかった。嘘をついているとなじられ、幼心にスメラギは傷ついた。スメラギにしてみれば、見えるものは見えるので、嘘などついてはいない。見えてないという方が嘘をついて自分を騙しているのではないか。
 嘘つきだとののしられる幼いスメラギに、母は、人の前では「見える」ことは言ってはいけないと言い聞かせた。「見える」ものは「見える」のに、嘘などついていないのに、と、唇をかみしめながら、スメラギは母の言いつけに従った。
 「見えない」人間に何をどう言ったところで、しょせん人は、自分の目にうつるもの以外を見はしないし、信じもしないのだ。
 美月の体に小夜子の霊がのりうつっていると言ったところで吉田が信じるものか。小夜子が前世での恋人で、吉田は小夜子の恋人、柏木孝雄の生まれ変わりなのだと言ったところで、そんな話を誰が信じるものか。
 知らず知らずのうち、スメラギは激しく頭を横にふっていた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 7-4

「僕を“柏木さん”と呼びました。僕は、柏木という人を知っています」
 そう言うと、吉田は、机の引き出しから2枚の小さな紙切れを取り出してみせた。
「映画の半券です。ポスターの間に挟んであったものです」
 世界座の閉館が決まったとき、吉田は、それまでの世界座の歴史を振り返る催し物のようなものを開いたらどうだろうかと提案した。その結果が、ロビーで開催されている回顧展となった。ポスターやチラシ、往時の世界座を写した写真の多くは、全国にちらばる世界座のファンに呼びかけて集められたものだった。
「でも、灯台もと暗し、でした。近所にご家族が世界座の常連だった方がいたんです。戦前の世界座の写真はその方からお借りしたものです。他にも、パンフレットやポスターなどをお借りしています」
 映画の半券は、その人物から借りたポスターに挟まっていた。半券はどのポスターにも必ず決まって2枚挟んであった。
「恋人と観にいった思い出にとっておいたんじゃないかと」
 気になった吉田は、その人物のもとをたずねた。それが柏木泰雄だった。
「世界座に通いつめて映画を観ていたのは、ひとまわり年の離れたお兄さんの孝雄さんでした。僕は半券2枚のわけを聞いたんです。恋人でもいたんじゃないですかって。でも、そんな人はいなかったと言われました」
 はじめはそう言っていた柏木泰雄だったが、吉田とともに兄の残したポスターや日記、手紙を整理していくうちに、あることを思い出した。
「手紙を渡すよう、頼まれていた女性がいたそうです。女性からも、お兄さんに渡すよう手紙を渡されて。その女性が、映画を一緒に観にいっていた人ではないかと」
 いったん記憶がほぐれだすと、柏木老人はいきおいよく少年時代の昔を思い出し、吉田に語ってきかせてくれた。
 兄に言われて泰雄少年は、近所の小間物屋まで手紙を渡しにいき、帰りには女性からの手紙を預かって帰ってきたという。
「駄賃が目当てだったそうです。えっと何だったかな。甘いものだったと聞いた気がしますけど。柏木の家は代々続く軍人の家でしつけが厳しかったから、甘いものが食べられるからうれしくてお兄さんが手紙をはやく書かないかと心待ちにしていたそうです」
「こんぺいとう」
 意識を取り戻した小夜子が、ぽつりとつぶやいた。
「泰雄くんにあげていたお駄賃は、こんぺいとうだったわ」
 小夜子に言われ、
「そうです、こんぺいとう。そう言ってました」
 吉田が思い出した。
「でもなぜ、あなたが知っているんです?」
「私があげていたから」
「あなたが?」
 吉田の目がまじまじと小夜子をみつめた。小夜子の霊がのりうつっている体は美月龍之介のもの、吉田の目には、まだ二十代前半の若い、それも男としかうつっていない。
「私たちのお付き合いは、親には隠していました。軍人の家と商売人の家とではつりあいがとれないと反対されるとわかってましたから。それでこっそり手紙のやりとりをして。踊りのお師匠さんのところへ行くと嘘をついて、時々世界座で逢っていました」
 そして戦争がふたりの関係に影を落とした。
 召集令状を受けた柏木孝雄は、必ず生きて戻ってくるから、その時には何といわれても結婚しようと言い、戦地へとおもむいた。そして帰らぬ人となった。
「あなたが書いた手紙です。これを読んでもまだ思い出しませんか」
 小夜子は、最期のときに書かれた柏木の手紙を吉田に差し出した。

 スメラギは無言で死神をうながし、事務所の外へと出た。
「ふたりきりにさせて。どこまでもお前はおっせかいだな」
「5分でいいんだ。5分たったら、宮内小夜子を連れていっていい」
 事務所のとびらを閉めて、スメラギと死神は時が過ぎるのをただ待っていた。
 スメラギはわざと時計をみないようにしていた。ほんとうに5分だけ待つつもりなんかではなかった。小夜子の気がすむまで、柏木との思い出話をさせておけばいい。死神にあの世に連れていかれたら小夜子は……

 ブルルルルルルルルルルルーーーー

 スメラギのケータイが震えた。事務所からの転送電話だ。
「ふたりをみててくれ」
 そう死神に言い残し、スメラギは事務所前を後にした。
 表家業の迷いネコ探しの依頼を受け、数分後に事務所に戻ってくると、事務所のドアは開いたまま、中にいるはずの美月と吉田の姿はなく、死神も消え失せていた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 8-1

 小夜子と吉田が姿を消して3日が過ぎた。
 スメラギに黙って消えたのだから連絡など望むべくもなく、ふたりの行く先など、見当もつかない。柏木孝雄と過ごした思い出の地でもたずねているだろうかと、生前の行いのすべてを記録した鬼籍データベースをあたるが、鳥を求めて海に入るようなもので、手がかりのての字もない。
 小夜子と吉田に逃げられたと知り、夜摩は笑い転げ、死神はこうなるだろうとおもったと言った。
「死んで幽鬼になってまで待ち続けた男にやっと会えたンや。ちょっと話して、『ほな、さいなら』なんて言うて、素直に死神について地獄へくるわけないやン」
 地獄の閻魔王室に、夜摩の野太い笑い声が響き渡り、真っ赤な天井から下がる水晶のシャンデリアが揺れて綺羅綺羅しい光を放った。
「“会うだけ”が、“話すだけ”になり、あと5分がもう5分、もう10分、1年が10年と、人間の望むところにきりはない。最初から、男にあわせるべきじゃなかったな」
 黒いスーツに黒いタイ、葬儀屋のような格好でソファーにくつろぐ死神は、黒革のソファーに溶け込んでしまっていた。布のように白い顔だけが浮き上がって、まるで生首を置いたかのようだ。
 死神の意味するところなら、スメラギにもわかっている。欲望に抑えはきかない。だからこそ、人は死んで幽鬼となってまで、その望みを叶えようとする。
 かつての恋人の生まれ変わりと会ったら何が起きるかをある程度予想しておきながらも、それでもスメラギは、小夜子を吉田に会わせたかった。小夜子のためをおもって、というよりは、スメラギ自身の思いが強く働いていた。吉田に会わせてやらなければ後悔する―小夜子のあの世での行く末を知っているスメラギだけに、どうしても小夜子を吉田に会わせてやりたかった。
「無理心中しとったりしてな。『今度こそ、あの世で結ばれましょう』なんて言うてな。心中なんかしたりしたら即地獄行き、人間にも生まれ変われんのになあ」
「縁起でもないこと言うなよ」
「ええやん。いっそ死んでくれたら、死に場所がわかって死神が迎えに行けるんやから」
 夜摩の笑い声に頭上のシャンデリアが揺れ、光の矢がスメラギの目を刺した。心中して死ぬのは美月の肉体であって、とっくに死んでいる小夜子は無傷のままだ。
「美月が死ぬようなことがあったら、死神、お前を一生恨んでやるからな」
「言ってろ」
「ふたりをみててくれって言っただろ。なんで、あの時、事務所を離れたんだっ」
「岡田伊蔵の幽鬼の回収の召集がかかった。恨むなら岡田伊蔵を恨むんだな」
 その時、スメラギのケータイが鳴った。着信には「美月」とあった。

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ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 8-2

 メールは吉田からだった。
  
   吉田です。今S県S市にいます。明日迎えにきてください。「波濤荘」という旅館に泊まってます。
場所と連絡先は…

 冬には温泉処として、夏には美しいビーチでの海水浴が楽しめるS市の文字を目にし、スメラギは腕時計を確かめた。時刻は午後2時。S県なら東京からおもったほど離れていない、今から車を飛ばせば夕方には着くだろう。
「おい、死神! 小夜子の迎えにいくぞ! 今度はヘマすんなよ!」
「そっちこそ」



「……おい。なんで死神のお前が温泉つかってんだよ」
「人間どもが気持ちいいというから、どんなものか試してみようかとおもってな」
「どうせ、死神のお前にはわかんねーだろーが」
「全然わからん」
 旅館の温泉につかりながら、スメラギは吉田を待った。平日の夕方とはいえ、遅ればせの夏休みを楽しんでいる家族連れや学生たちで浴場はにぎわっていた。
 ゆであがりそうなスメラギに対し、死神は死人のどんよりとした肌色のまま、平然と湯につかっている。
「男湯で待っていてください」――それが吉田の指示だった。
 美月のことがなかったら、楽しい旅行になっただろう。来る途中、車窓を流れた白い砂浜と明るい海がスメラギを誘っていた。
 ビーチにのんびり寝そべって、おしげもなくさらされる女の子たちのゴム鞠のように弾けそうな肉体を気兼ねなく堪能して…ああ、メガネは欠かせない、余計なものまでは見たくないし、紫水晶の濃い紫色が視線の先をごまかしてくれる…。
 ビーチでけだるい午後を過ごした後には、温泉にゆっくりとつかって日頃の疲れをほぐし、湯上りには冷たいビールで汗をひっこめ、その後は、地元で獲れた海の幸やら山の幸やらをいやというほど胃につめこんで……。
「すいませんでした」
 と、男湯に入ってきて、勢いよくスメラギの隣にとびこんできたのは吉田だった。
「小夜子さんがなかなか放してくれなくて…」
 前世での恋人と言葉を交すことのできる肉体を得た小夜子は、かたときも吉田のそばを離れようとせず、スメラギたちに見つかるのを恐れてか、ふたりきりで過ごしていたいためなのか、せっかく景色の美しい場所にやってきたというのに、部屋にとじこもったきりだという。
 唯一、小夜子のそばを離れられるのがトイレと風呂ぐらいなので、吉田はスメラギと話をする場所に男湯を指定した。
「体は男なんだから男湯に入ってきそうなもんだけどな」
「他の男の裸はみたくないとかで…。でも女湯を使うわけにはいかないので、夜中か朝早くかにこっそり入ってます。この時間帯は混んでるので、絶対入ってきません」
 男湯は、小夜子を死神に受け渡す計画を練るには、うってつけの場所ということだった。
「…すいませんでした」
 そのまま頭から湯につかってしまいそうなほど、吉田は深々と頭をさげた。湯にあたった項が真っ赤に染まっていた。
「手紙を読んでいるうちに、思い出したんです。どれだけ小夜子さんを愛していたか……」
 今際の際にあって書かれた手紙には、恋人の安否を心配し、その生を天から与えられたままにまっとうしてほしいと願う言葉がつづられていた。愛おしい人には生き延びてもらいたいという思いが吉田の心を揺り動かし、その心に共鳴したかのように柏木孝雄の記憶が鮮やかによみがえった。
 前世での記憶を取り戻した吉田、言葉を交わすことのできる肉体をもった小夜子――
 ふたりで生きよう―そう持ちかけたのは小夜子だった。気付くとふたりはこっそり事務所を抜け出していた。そして3日間、気のむくままに漂い続けた。
「僕は小夜子さんを愛していたし、今も愛しています。でも、こんな形で、美月さんの体を借りたままで、一緒にいたいとはおもわない。美月さんには美月さんの人生があるわけで、それを奪ってまでだなんて……」
 吉田は躊躇し始めた。愛に夢中な小夜子に現実はみえない。一方、吉田健二という男として20年間を生きてきた吉田の前には現実が立ちはだかる。小夜子を愛していたが、目の前にいるのは、美月龍之介という人間だ。小夜子ではない。宮内小夜子は、60年以上も前に死んでいる。
 小夜子を、彼女がいるべき死の世界へ帰す――吉田は決心した。愛しい人の魂と再び別れなければならない悲しみに身も心も引き裂かれそうになりながら、吉田はスメラギに連絡を取った。
「彼女は…承知しているのか」
「説得します……」
 吉田はそういうと、「小夜子さんにあやしまれるといけないので…」と、そそくさと風呂をあがっていった。
 美月の体をのっとり、まるで生き返ったような感覚でいる小夜子が、たとえ恋人にさとされたからといって、恋人と一緒にいられる幸せを簡単に手放すだろうか――スメラギは吉田ほど楽観的にはなれなかった。
 情熱はときに執念に姿を変える。抑えのきかなくなった執念は……

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ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 8-3

 夜に取り残された星が、青白んできた空にわずかにかかっている。夜明け前の夏の浜辺は、夜の喧騒が滓(おり)となってただよい、どこかけだるい。朝露を含んだ砂は重くからみついて、吉田たちを追って浜辺を歩くスメラギの足取りをさらに遅くさせた。
 ほの暗い浜辺に、ふたりの姿は影としかみえない。頼りなさげな影は、時々ひとつに重なり合いながら、波打ち際をゆらゆらと漂っていた。
 朝もやの中にスメラギと死神の姿を発見した小夜子は、吉田の背にさっと身を隠した。その肩を抱き、そっとスメラギの前に押し出したのは、吉田だった。
「僕が知らせたんだ」
 小夜子は怪訝な顔をした。
「美月さんの体で一緒になっても幸せにはなれないよ。美月さんには美月さんの人生がある。人の人生をふみにじってまで幸せになろうとは、僕は思わない」
「美月さんが男だから? だから一緒にはなれないというの?」
「そうじゃなくて…」
「女の体にのりうつればいいわ。それならこんな風に人目を避けて行動することもないし」
「小夜子さんっ!」
 吉田は思わず声を荒げた。
「誰の体でも同じだよ。その人にはその人の人生がある。その人生を自分のものにしてしまうだなんて、まるで殺人じゃないか。そんなことをしても、幸せにはなれないだろう?……」
 強い口調に変わりはなかったが、吉田は一言一言をゆっくりと、はっきりと小夜子にその意味が伝わるようにと繰り出した。
 小夜子は、目を見開いてじっと吉田の目をみつめていた。瞳が右へ左へ揺れ、吉田の意図を必死に探ろうとしている。
 私を愛していないの? 私と一緒にいたくないというの? また別れ別れになるというのに平気だというの? 死んでもあなたのことが忘れられず、ずっと待っていたのに、やっと出会えたというのに! これからだというのに!!
 小夜子の無言の抵抗にも、吉田は屈しなかった。彼の決心が揺るがないものだと悟り、小夜子の頬を涙が伝ってこぼれ落ちた。
 泣き崩れる小夜子をしっかりとその胸に抱き、吉田は恋人との別れを惜しんだ。
 吉田に背中を押され、小夜子はスメラギの前に立った。
 朝日が水平線を割ろうかというそのとき、朝もやと見間違うかのような煙が美月の体からたちのぼった。その刹那、吉田の目が宮内小夜子の姿をとらえた。かつて愛した人の姿が、生きていた当時と変わらぬまま、そこにあった。小夜子の黒い大きな瞳がじっと吉田だけをみつめている。
 愛おしい人の姿は髪の毛一筋でさえも見逃すものかと、吉田は瞬きを忘れて小夜子に見入っていた。
「待ってますから! あなたが生まれ変わるのを待ってますから!」
 死神に腕をとられ、今にも連れていかれる小夜子は、かすかにうなずいた。
「待つだけ無駄だ。この女は生まれ変われない」
 死神の一言に、空気が凍りついた。

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ジャンル:小説・文学

渡せなかった手紙 8-4

「それはどういう?」
「おいっ、死神っ!」
 スメラギが止めようとするのを無視し、死神は先を続けた。
「お前、何人も人間を殺しただろ」
 小夜子が柏木孝雄を待ち続けた場所 ― 都心の繁華街を走る幹線道路の交差点では事故が相次いでいた。犠牲者はすべて若い男性。小夜子とわかれわかれになった当時の柏木孝雄と同じぐらいの年齢、顔つきもどことなく似ていたのは、柏木の面影をしのばせていたからだろう。
 小夜子はただ、柏木孝雄を待っていただけだった。柏木孝雄と同じぐらいの年齢、背格好の男をみかけると、その姿を現してみせた。道路中央に立つ女を避けようと、男たちはハンドルを切り、あるものは交差点の角にある店に突っ込み、あるものは対向車線にはみ出し、それぞれに事故を起こして死んでいった。
「あれは、事故で…」
「理由は何でも、人間に危害を加えた霊は生まれ変われない。未来永劫、地獄ですごすことになる」
「未来永劫……」
 小夜子の様子がおかしい。
 ぞっとするような冷気がたったかとおもうと、小夜子の人の姿としての輪郭が、朝もやにとけこむかのようにぼやけていった。たちまち、あたりには吐き気をもよおすほどの異臭がただよいはじめ、空気が今度は熱をもちはじめた。
「わた…し、ワ、タシ…タカ、ダガ…オ……」
 吉田にむかってのばされたその腕の皮膚はただれ、ズルリ…と肉がそげおちた。美しかった髪は、糸を引くように抜け落ち、助けを求めた黒い瞳はたちまち眼窩に沈んだ。
「小夜子さんっ!」
 かけよろうとする吉田を、スメラギはその腕をつかんで引き止めた。
「スメラギさん! 小夜子さんはどうしたんです? 一体、何が起こってるんです?」
「…怨霊になっちまった…」
小夜子はもはや人の形を失っていた。そこには、他をかえりみることのない、愛するものへの執着と情念だけが、凝固した感情だけがあった。それは、おぞましいほどに醜く、そしてひどく美しかった。
「未来永劫、添イ遂ゲラレナイノナラ、モウ一度、コノ男ノ体にニノリウツルマデッ!」
 はげしい炎がたちまち、気を失って浜辺に横たわる美月めがけて走った。
「臨・兵・闘・者・皆、」
 鋭い光が空(くう)を裂いた、
「陣・列・在・前!」
 爪の先までそろえたスメラギの五本の指の鋭い刃先は、怨霊と化した小夜子を斬り裂いた。
 小夜子の断末魔の叫びに、スメラギは母の声を聞いた気がした。 
(ありがとう……)
 最後に見た母の姿は、もはや怨霊ではなく、生きていた頃と変わらぬ優しい微笑みを浮かべていた。スメラギの心が目を偽ってみせた錯覚だったのかもしれない。
 人に仇なす怨霊というが、苦しんでいたのは怨霊となった母自身だった。身の内から立ち上がる業火に焼き尽くされ続けながら、母はスメラギをいじめていた子たちに祟った。そして、呪われ、業火はさらに強まった。自らの尾をのんで空腹を満たす蛇のように、母は祟っては呪われ、苦しんだ。
すでにこの世のものではない母に、安息の死はおとずれない。地獄がその火を放った母を、救えるのはスメラギだけだった。
 スメラギは、怨霊となった母を永劫の苦しみから救うために、寂滅の法を用いて滅ぼした。
 小夜子もまた、消滅した。小夜子を消滅させたスメラギは、彼女を救ったことになるのだろうか……。

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渡せなかった手紙 エピローグ

 世界座最後の上映会に、スメラギと美月は招待された。
世界座最後の上映会はマスコミの取材をはじめとする大勢の人々でにぎわっていた。この半分でも映画館に通ってきてくれていれば、閉館せずに済んだかもしれない。
「美月さん、スメラギさん、来てくれたんですね!」
 会場に足を踏み入れたとたんに飛んできたのは、吉田だった。最後の上映とあって興奮した面持ちの吉田は、準備に追われての疲れはみえるものの、思いのほか、小夜子の件の影響はないようにみえた。
 美月を救うため、小夜子自身を救うためとはいえ、この世から小夜子の存在を消してしまったスメラギとしては、吉田に会うのは気がひけた。吉田にあわせる顔がないと、上映会への参加をためらっていたスメラギをせきたてて世界座へむかわせたのは美月だった。
「小夜子さんの供養だとおもって」
 それでもスメラギの心には一抹のわだかまりがあった。
 人間を傷つけた小夜子が生まれ変われないと知っていて、それなら地獄へ落ちる前に一目吉田に会わせてやろうとしたスメラギの親切心が裏目に出、小夜子はこの世から消滅してしまう破目になった。きっかけをつくったのもスメラギであれば、消滅させたのもスメラギである。
(供養、ねえ……)
 自分を滅ぼした相手に供養などしてはもらいたくないだろうが、美月に言わせれば、生きている人間は死者の平安を祈る義務があるとかで、小夜子を消滅させてしまった事情を言えないスメラギは美月にしぶしぶ上映会への参加を約束させられてしまった。
 上映開始まで、まだ少し時間があった。
 ロビーで開催されている回顧展をめぐりながら、人々は昔話に花を咲かせている。ほんの数週間前には、その人だかりのなかに(美月の体を借りた)小夜子の姿があった。吉田に、かつての恋人、柏木孝雄としての記憶を思い出してもらおうと必死だった小夜子は、今はこの世にない。
 暑さが引き潮のように立ち退き、朝夕にひぐらしが鳴き乱れ、秋が訪れようとしていた。小夜子のいない季節がめぐろうとしている――
会場に展示されている写真を説明する吉田は、とある写真の前で足を止めた。最後の上映作品は「舞踊会の手帖」、写真の世界座には「舞踊会の手帖」の看板が掲げられている。
「小夜子さんと初めて観た映画でした……。今日の上映会、本当は違う作品の予定だったけど、マネージャーに頼みこんで変えてもらったんです」
 小夜子との思い出の作品を最後の上映にかけたのは、吉田なりの過去への決別なのかもしれない。今夜の上映を最後に、彼は二度と「舞踊会の手帖」を観ないだろう。
「たった3日だけだったけど、小夜子さんと過ごせて、幸せでした」
写真に見入る吉田の目には、あの日、朝日がほんの刹那にみせたありし日の小夜子の姿がうつっているのだろう。
「スメラギさん、僕、前を向いて歩いていきます。映画監督になる夢、絶対かなえます。恋だってしようとおもいます」
「小夜子さんを忘れて?」
 美月の言葉に、吉田は首を横にふった。
「小夜子さんを忘れるなんて、できません。でも、小夜子さんとの思い出にしがみついているのも嫌なんです。僕 ― 生きたいんです。小夜子さんの分まで生きて、生きていることを楽しんでみたいんです。柏木孝雄としてじゃなく、吉田健二として」
 吉田の目に光る若さは、残酷なまでに強い生命力を宿していた。吉田のもつ若さの前に、小夜子の思い出はやがて朽ち果て、その生を支えるものとなっていくだろう。



 上映会へ足を運んでくれた礼を言うと吉田青年は映写室に去り、スメラギと美月は席についた。ブザーが鳴り、会場の明かりが落ちると、予告編が始まった。会場は満員御礼、メガネを外したスメラギには通路を埋め尽くさんばかりの霊たちが見えていた。その昔、世界座に親しんだファンたちだろう。
「小夜子さんも来たかったろうねえ」
「……」
 美月は小夜子がこの世から消えてしまったことを知らない。柏木孝雄が吉田健二に生まれ変わったように、小夜子もまた長い時を経て生まれ変わり、二人はやがては結ばれるのだと信じている。
「…なあ、お前、その、吉田とは何もなかっただろうなあ」
「何の話さ?」
「わかるだろ…その…なんだ…」
 世界座につくなり、吉田は美月のもとへ転がるように駆け寄ってきた。美月と顔をあわせると、吉田は顔を赤くした。招待状は美月宛に届き、ふたり連れ立っているというのに、呼びかけるときは「美月さん」と必ず美月が先だった。
「ああ」
 美月はやっとスメラギの言わんとしていることに気付いた。
「さあ?」
「“さあ”ってっ。婿にいけない体にしたら、お前のお袋さんに何て言って詫びたらいいんだか」
「スギさんだって知ってるだろ? 霊媒中の記憶はないってこと」
「そりゃそうだが…」
「あ、ほら、本編が始まる」

 ―了

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あとがき

この作品は別名義で公開していたものをあらためてアップしたものです。

あとがきもその時に書いたものがあるのですが、こちらへ移動する前に削除してしまいましたので(バカです)あらためまして。

霊は存在するのかどうか。私にはわかりません。ただ、存在してくれていたらとは思います。昔の人もそうおもったのではないでしょうか。だから、お盆でこちらの世界へお迎えするだとか、送り火焚いてあの世へ帰ってもらうだとかいった習慣がうまれたような気がします。

亡くなったとしても、大切に思う人とはいつまでも一緒にいたいものです。たとえ姿形は違うものになったとしても。とはいえ、ちょっとはみてくれのいいものでいてほしい。。血みどろとかはやっぱりいや。。

霊に対する関心が強かったせいでしょう、ある時、霊の心残りを解消する男の出てくる夢をみました。スメラギはその夢がもとになった作品です。

今回読み返してみて、まだまだ至らぬところが多いと思った作品ですが、手を入れずにアップしました。

つたない作品ではありましたが、ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。

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ジャンル:小説・文学

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