幼なじみの美月龍之介が訪ねてこなかったら、スメラギは飢死していただろう。飢え死には大袈裟としても、3日も飲まず食わずでいたら衰弱して当然だった。
お盆に入って3日目、美月がアパートにスメラギの様子を確かめに来たとき、スメラギは玄関先でのびていた。ちょうどお盆だったこともあって、アパートの他の住人たちは帰省してしまっていたし、発見がもう少し遅れていたならとおもうと、スメラギは背筋がぞっとする。
人ごみが苦手な人間がいるように、霊感体質のスメラギは霊体の多い場所が苦手だ。霊気にあてられるからである。
普段なら、紫水晶の丸メガネをかけて霊視をシャットアウトして正気を保つのだが、幽鬼たちが地上に繰り出す盆の最中に街中を歩きまわるのは、人ごみが苦手な人間が外出するのと同じぐらいの自殺行為だ。
死んだ恋人、柏木孝雄からの手紙を渡すべくむかった海辺の街―幽霊屋敷のようなうらぶれた洋館に幽霊のようにひっそり暮らす老女は、手紙を渡す相手、宮内小夜子ではなかった。
その宮内小夜子の洋館を出てからの記憶がスメラギにはない。
どこをどう帰ったものか、六畳一間、風呂・トイレ共同のおんぼろアパートの部屋に帰り、玄関先に倒れていたところを美月に発見された。
「盆はだめだろうと思ってねえ」
中学からの幼なじみである美月は、スメラギの霊視能力や、地獄、天上界を問わず、あの世のすべての霊たちが地上に一時戻る盆には体調を崩すということも知っている。
霊視防止用の紫水晶のメガメをかけるようになってからは、さすがに倒れるほどまで霊気にあてられることは少なくなったが、それでも毎年、美月はスメラギの様子を気にかけていた。
この盆はどうしているだろうかと心配で訪ねてきたら、案の定スメラギは自力では起き上がれないほど弱っていた。
こんな時の対処法も付き合いの長い美月は心得ている。霊気にあてられたら、清水で清めてやればいいのだ。
スメラギが歩けたなら神社に連れていって禊(みそぎ)をさせるところだが、スメラギは意識不明の衰弱ぶりであったので、美月は近所の神社、父親が宮司、自分は禰宜(ねぎ)をつとめる富士宮神社に袴の裾をからげて急ぎ戻り、井戸の水をポリタンクにいっぱい汲んできた。自分たちも神事の前の禊に使う、澄んだ湧き水である。富士宮神社の裏にある洞穴は富士山までつながっているというまことしやかな噂があり、神社の井戸水は富士の山の雪解け水なのだと、近所ではもっぱらの評判だ。
おなじく美月によって運びこまれた檜(ひのき)のたらい桶の底で胡坐をかいて座るスメラギの頭の上に、美月はポリタンクの水をぶちまけた。
容赦なくスメラギの頭上にそそがれる湧き水は、桶の縁をはみだした膝頭を叩いて弾け飛び、あたりの畳を濡らした。美月は構わず水を浴びせかけ、スメラギは、肌にはりつくシャツの下で鳥肌をたてながら、桶に溜まっていく水に体を浸していた。
生まれながらの見事な白髪の短い毛先をつたって、銀色のしずくが桶の水面を軽やかに撥ねる。地下からくみ上げた、ひんやりと澄んだ水を浴びせてもらっているうちに、スメラギの重かった頭が軽く、思考がクリヤーになっていった。
お盆に入って3日目、美月がアパートにスメラギの様子を確かめに来たとき、スメラギは玄関先でのびていた。ちょうどお盆だったこともあって、アパートの他の住人たちは帰省してしまっていたし、発見がもう少し遅れていたならとおもうと、スメラギは背筋がぞっとする。
人ごみが苦手な人間がいるように、霊感体質のスメラギは霊体の多い場所が苦手だ。霊気にあてられるからである。
普段なら、紫水晶の丸メガネをかけて霊視をシャットアウトして正気を保つのだが、幽鬼たちが地上に繰り出す盆の最中に街中を歩きまわるのは、人ごみが苦手な人間が外出するのと同じぐらいの自殺行為だ。
死んだ恋人、柏木孝雄からの手紙を渡すべくむかった海辺の街―幽霊屋敷のようなうらぶれた洋館に幽霊のようにひっそり暮らす老女は、手紙を渡す相手、宮内小夜子ではなかった。
その宮内小夜子の洋館を出てからの記憶がスメラギにはない。
どこをどう帰ったものか、六畳一間、風呂・トイレ共同のおんぼろアパートの部屋に帰り、玄関先に倒れていたところを美月に発見された。
「盆はだめだろうと思ってねえ」
中学からの幼なじみである美月は、スメラギの霊視能力や、地獄、天上界を問わず、あの世のすべての霊たちが地上に一時戻る盆には体調を崩すということも知っている。
霊視防止用の紫水晶のメガメをかけるようになってからは、さすがに倒れるほどまで霊気にあてられることは少なくなったが、それでも毎年、美月はスメラギの様子を気にかけていた。
この盆はどうしているだろうかと心配で訪ねてきたら、案の定スメラギは自力では起き上がれないほど弱っていた。
こんな時の対処法も付き合いの長い美月は心得ている。霊気にあてられたら、清水で清めてやればいいのだ。
スメラギが歩けたなら神社に連れていって禊(みそぎ)をさせるところだが、スメラギは意識不明の衰弱ぶりであったので、美月は近所の神社、父親が宮司、自分は禰宜(ねぎ)をつとめる富士宮神社に袴の裾をからげて急ぎ戻り、井戸の水をポリタンクにいっぱい汲んできた。自分たちも神事の前の禊に使う、澄んだ湧き水である。富士宮神社の裏にある洞穴は富士山までつながっているというまことしやかな噂があり、神社の井戸水は富士の山の雪解け水なのだと、近所ではもっぱらの評判だ。
おなじく美月によって運びこまれた檜(ひのき)のたらい桶の底で胡坐をかいて座るスメラギの頭の上に、美月はポリタンクの水をぶちまけた。
容赦なくスメラギの頭上にそそがれる湧き水は、桶の縁をはみだした膝頭を叩いて弾け飛び、あたりの畳を濡らした。美月は構わず水を浴びせかけ、スメラギは、肌にはりつくシャツの下で鳥肌をたてながら、桶に溜まっていく水に体を浸していた。
生まれながらの見事な白髪の短い毛先をつたって、銀色のしずくが桶の水面を軽やかに撥ねる。地下からくみ上げた、ひんやりと澄んだ水を浴びせてもらっているうちに、スメラギの重かった頭が軽く、思考がクリヤーになっていった。
