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あじろ けい

Author:あじろ けい

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罪喰い 1-2

 コーヒーを買って帰ると、部屋に見知らぬ男がいた。
「鍵がかかっていなかったのでね。勝手に入らせてもらったよ」
 男は一脚きりしかない椅子に腰を下ろし、テーブルのはじに肘を預けていた。部屋の主であるアルを目の前にして、立ち上がろうともしない。
 年は40前後、ブラウンの髪は短めできちんと整えられている。髪と同じ色のブラウンの瞳。組んだ足先の靴は顔がうつりこみそうなほどに磨かれている。ダークブルーのスーツにのりのきいた明るいブルーシャツ、シルクのタイも同じブルーで、パンツにはきっちりと折り目がついていた。組んだ手はマシュマロのような質感で、爪は丁寧にカットされていた。
「クレイグ・ノーマン」
 そう名乗った男はスーツの胸ポケットから名刺入れを取り出し、慣れた手つきで名刺を差し出した。その間、男は椅子に座ったままだった。
「弁護士が何の用だっていうんです?」
 名刺を受け取らなかったアルが職業を言い当てたので、ノーマンは驚いたように眉根をあげたが、すぐに冷静さを取り戻し、名刺はテーブルの上に置いた。
 ノーマンを一目見た時から、アルはその正体にピンときていた。
 ハリケーンが去った後、ニューオリンズを襲ったのは弁護士の一団だった。保険の支払手続きの請求は煩雑だから専門家の手が要るだろうというのである。しかし同じ弁護士たちは保険会社にもつけいっていて、保険の支払をどうにかこうにか回避する術を企業側に授けているのだった。
 上等なスーツをまとった、身なりは清潔なハイエナたち。当時、アルが抱いた弁護士に対する印象だった。見かけだけは上品にみえるノーマンから、アルは弁護士独特の悪臭を嗅ぎ取っていた。
「私の依頼人(クライアント)があなたに用がある」
 ノーマンは腕時計に目をやった。時間が気になるらしい。金回りのよさを誇示するかのように豪奢な造りの巨大な文字盤(フェイス)が手首を覆っていた。
「単刀直入に言おう。私のクライアントはあなたに罪喰いの仕事をしてもらいたいと望んでいる」
 自分の役目はテープレコーダーのようにクライアントの言い分を再生するだけだと言わんばかりに、ノーマンの声には何の抑揚も感じられなかった。
 バーテンダーの仕事の他に、アルは罪喰いと呼ばれる仕事を請け負っている。仕事というよりは、宿業といったほうが正しい。
 罪喰いとは、他人の罪をその身に引き受ける儀式をいう。罪のすべてをアルに受け渡した人間は、晴れてイノセントな人間として天国の門をくぐることができる。生きている間は悔悛をつけとして罪を犯し続け、死ぬ間際、目の前に地獄の門が口開いているのをみて慌てて罪を悔いようとする、というよりは都合よく他人に肩代わりさせようというもので、依頼人には死にかけている人間が多かった。
 罪を引き受けるからには、それらの罪はアルが犯したものとみなされる。犯してもいない罪をその身におわなければならない羽目になったのは、アルがはるか昔に犯した大罪のゆえだった。
「今日の午後の便で来るように。それとこれは手付金ということで」
 ノーマンは小切手と航空券を取り出した。アルに歩み寄ってくるわけでもなく椅子に座ったままである。人に物を頼む態度では到底ない。
 弁護士は時に依頼人の威を借りる。弁護士とは依頼人の代理人(エージェント)なのでそうせざるを得ないのだろう。ノーマンの態度から、アルは依頼人が容易に想像できた。何事も自分の思い通りに進まなければ気がすまず、まっすぐなものを曲げてでも思い通りにしてきた人物。邪魔者には容赦なく、利用できるものなら道端の石ころでさえも利用し、役目を終えたらさっさと切り捨てる。自分が金で動くものだから、他人も金で動くものだという信条でいる。特に珍しいタイプの人間でもない。程度の差はあれ、自分が犯してきた罪を最後には他人におしつけて自分だけがいい思いをしようとする人間はみな似たり寄ったりである。
 アルが受取ろうとしないので、仕方なしにノーマンは小切手と航空券をテーブルの上に投げ捨てるように置いて部屋を出ていった。
 ノーマンは依頼人の名前を口にしなかった。アルも尋ねなかった。依頼人がどこの誰であるかはアルの関知するところではない。罪喰いにとって重要なのは、何の罪を犯したかだけだ。
 ノーマンは一方的に自分の依頼人の要望を述べ、アルのイエスかノーかの返事も聞かなかった。おしつけるように航空券と小切手を置いていったのは、ノーという選択肢はありえないという意思表示で、それは依頼というよりは命令でしかなかった。
 花模様の描かれた繊細な鉄柵にもたれながら、アルは外を行くノーマンを見送った。通りに出るなり、ノーマンは再び時計を確認した。弁護士は時間で稼ぐ。一分一秒が金銭の出入りに作用する。アルに罪喰いの依頼を伝えに来ただけでノーマンはどれだけの金を稼いだのだろう。ひとつの仕事を終えたからには彼の頭はもう次の仕事のことを考えているだろう。ノーマンは携帯電話で誰かに連絡をとっていた。
 航空券はファーストクラス、行き先はボストンとあった。小切手にはゼロが行列を成している。振出人は、ガブリエル・ジョンストン。男女共にある名前だが、Lが二つ並び、末尾にEのある表記(スペル)だから女だ。
 女の依頼人かと、アルは身構えた。アルが呪われた身となったのは、してはいけないとされていた罪喰いを、ある女から懇願されて行ったからだった。あれから600年もの年月が経ったというのに当時を思いだすだけで、女に対する憎しみでアルは全身に激痛を覚える。
 アルは航空券と小切手とをまっぷたつに切り裂いた。次の瞬間にはノーマン弁護士の訪問のことは記憶のかなたへと飛び去り、アルの頭の中は、今夜もバーで行われるライブのことでいっぱいになった。
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テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 1-3

 アルが働くバー、“天国(ヘヴン)”は、フレンチクォーターにあった。フランス植民地時代の面影を色濃く残す一帯で、アイアンレースとよばれるその名の通りレースのように繊細な鉄柵をそなえた深いバルコニーのある建物が延々と続く。富豪の農場主たちがかつて町中に所有していたタウンハウスは、今は観光客相手のバーやレストランなどに身を変えている。
 “天国(ヘヴン)”は、フレンチクォーター随一の繁華街、バーボン通(ストリ)り(ート)から少し離れた場所にあった。たまに観光客がふらりと立ち寄るが、客は近所で働く連中が多い。左隣はあやしげな呪術道具が店先に並ぶブードゥーの店、右隣はマルティグラ用の仮装衣装や仮面を売る店で、その三軒先にはトムじいが寝泊まりするストリップ小屋があり、そこの従業員も“天国(ヘヴン)”の常連だった。
 “天国(ヘヴン)”は、碁盤の目のストリートの角地にあった。直角のかどの部分を切り取るような形で入り口があり、ドアは緑色だ。少し傾きかけている建物全体はサーモンピンク色で、ところどころ漆喰がはげかけている。ドアだけが毒々しいのは、オーナーが最近になって塗り替えるよう指示したからで、元は紫色だった。
 オーナーの好意で、アルは二階の部屋に寝泊まりしている。シングルベッドをいれたらいっぱいの狭い部屋にシャワーがついているだけだが、寝るだけの部屋だから十分の広さである。トイレはバーのものを使用した。食事は外でとる。うまいものならいくらでもある町だから、金さえあれば食うのに困らない。アルの好物はシュリンプのケイジャンソースだった。シュリンプは目の前のメキシコ湾で取れたものを食べるから新鮮で身がプリっとしまって文句なしにうまい。淡泊なシュリンプの身に、パンチのきいたケイジャンのスパイスがよくマッチして、毎日食っても飽きない。
 金がなくても食うのには困らない。ぎりぎりになれば、誰かが食べ物を恵んでくれる。金髪に青い瞳、白い肌のアルは、この町では毛色の違う人種だが、ふらりとやってきたアルを、町の人々はすんなりと受け入れてくれた。アルがアルとだけしか名乗らなかったこと、蒸し暑いニューオリンズの夏でも長袖しか着ないことから、訳ありとふんだのかもしれない。ストリップ小屋やブードゥーの店があるかとおもうと、一本通りを隔てた場所にはこじゃれたアンティークの店が並ぶなど、清濁のみこんでしまう懐の深さがニューオリンズの町にはある。
 そして人々はいつでも陽気だった。町にはいつだって音楽が流れている。ストリートそのものがライブハウスだ。いつも、誰かがどこかのストリートの角で楽器を演奏している。トムじいもその口だ。金がなくなると、一張羅のイエロースーツにグレーの中折れ帽をかぶって街角にたつ。昔とった杵柄で、トムじいのサックスは耳ざとい観光客の足をとめる。結構な金になるらしいのだが、それはすべて酒代に消えるのだった。
 他のバーの例にもれず、アルのバーでもジャズの生演奏を行うバンドを入れる。二、三十人も入ればいっぱいの店内に、バンドを入れると客の入る余地はあまりない。それでもオーナーは構わないと、毎晩のようにバンドを入れる。オーナーはヒスパニック系の中年の女だった。肉感的な女で、ストリップの仕事で稼いだ金でバーを買ったと言っていた。アル同様、ニューオリンズに流れてきた口で、この町でジャズの魅力にはまり、そのまま居ついてしまったのだとか。音楽が好きなので、儲けは二の次らしい。アルが時たま金もとらずに常連客に酒を出すのには目をつぶったが、バンドの質にはうるさく口を出した。今夜のバンドは彼女のおめがねにかなうだろうか。
 バンドのメンバーとセッティングをしていると、入り口のドアを激しく叩く音がした。日はまだ沈んでいない。たいていのバーやレストランは夕方から開く。“天国(ヘヴン)”では、最初の客が来たら店を開ける。客のほとんどが近所のストリップ小屋やレストランで働く連中で、仕事前にいっぱいひっかける彼らのためにアルは快くドアを開けてやる。
 この日は、ぐずぐずしないで早くドアを開けろと言わんばかりの激しい音だった。常連客ならノックのひとつやふたつでドアが開くと知っている。それを知らないのは、観光客だろうか。観光客にはまだ店を開けたくないとしぶっていると、今度は入り口脇の窓が叩かれた。まだ開ける時間じゃないと睨みきかせようと窓をみると、窓ガラスを叩いていたのは顔見知りの少年だった。ウィルは、白い手のひらをこちらにむけて執拗に窓を叩き、何かを叫んでいた。
「大変だ、トムじいが――」
 急いでドアを開けてやると、ウィルは息せき切って飛び込んで来、そのまま勢い余ってテーブルに突進、椅子とからみあって床に倒れこんだ。抱き起してみると、ウィルのTシャツは血で汚れ、顔にも手にも血のりが飛び散っている。
「トムじいがどうした?」
「俺らの目の前で車に撥ねられたっ」
 ウィルは仲間たちとブラスバンドを組んでストリートで演奏している。下は5歳から上はウィルの兄のティムの16歳まで、子どもたちだけの編成だ。テクニックはまだまだだが、あと5年もストリートで演奏し続ければものになる。そう思わせるだけの何かのあるバンドだった。彼らは毎日昼過ぎから夕方にかけて、観光客相手に小銭を稼いでいる。
 事故は、彼らが演奏している最中に起きた。トムじいは彼らがいたストリートのむかいを歩いていた。ウィルたちをみかけて通りを渡ろうとしたところ、走ってきた車に撥ねられたのだという。車は相当なスピードを出していたらしく、トムじいの体は宙にはねあげられ、ウィルたちの目の前で地面に叩きつけられた。トムじいを撥ねた車はその場を逃走した。
 ウィルのTシャツが血に染まったのは、トムじいを抱き起したせいだという。よほど恐ろしい光景だったのか、話して聞かせるウィルの唇は震えて、時々言葉につまった。
「救急車を呼ぼうとしたら、そんなのいいからアルを呼べって言うんだ。はやく、きてくれよう」
 ウィルはアルの袖を引いて行こうとするが、アルは動かなかった。
 トムじいがアルを呼ぶからには、覚悟が出来ているのだろう。
 死の覚悟が。
 アルはかつてトムじいに、罪喰いの話をしたことがあった。冗談まじりに、どんな極悪人でも自分が罪を引き受けたら天国行きになるという話をしたのだが、その時、トムじいは自分が死ぬ時には罪を喰ってくれと頼んだのだった。笑っていたから、まともには受け取っていないのだろうと思っていたら、トムじいは信じていたらしい。
「トムじいを僕の部屋へ運ぶよう、みんなに言ってきてくれないか」
 ウィルを使いにたて、アルは人を使ってトムじいをバーの二階の部屋に運び入れた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 1-4

 トムじいの頭はざくろのようにぱっくりと割れ、血が勢いよく流れだしていた。トムじいを運んできた連中は、アルの指示に従ってトムじいをベッドに横たわらせた。そして次々に胸で十字を切って部屋を後にした。トムじいがあの世にいくのは時間の問題だとみなわかっていた。
 部屋にふたりきりになり、アルは一脚きりの椅子をトムじいの枕元へともっていき、腰かけた。かすかに動くトムじいの褐色の胸に、右手をそっと置いた。
「トムじい」
 意識の有無を確かめるようにアルは名前を呼んだ。トムじいの返事はなかったが、血のこびりついた白髪頭がかすかに動いた。
「約束だから、これから罪喰いの儀式を行う。体が辛いだろうが、告白したい罪を言ってくれ」
 アルの右手のひらの下の皮膚がぐんと盛り上がった。そこは心臓のある場所だった。皮膚をつきやぶって外に飛び出そうという勢いで心臓が飛び跳ねているのだ。心臓の異常な動きに呼応するかのように、止まっていたトムじいの頭からの出血が再びひどくなった。流れる血を口に受けながら、トムじいは語り始めた。
「あれは彼女(カトリーナ)が町を襲った直後だ。わしは家がどうなったかを見に行ったんだ。そりゃひどいものだったよ。何もなかったんだ。どこをみても、家なんかありゃしねえ。みんな、がらくたの山になっちまった。爆撃でもされたかとおもったね。実際、あれは戦争だった。生き抜くための。
 みんな必死だったんだ。生きるためには何だってしたさ。物も盗んだ。死んだやつには洋服はもう必要ないだろうから、服もはぎとった。そこらにあるもので金目になりそうなものはとにかく何でもかき集めた。
 助けなんか、期待してなかったさ。そりゃ、いつかは誰かが助けてくれただろうさ。でも、そのいつかがいつだか、わかんねえ。明日かもしれないし、一週間後かもしれない。明日ならしのげるが、一週間、どうやって生き抜いたらいいってんだ? 一週間ならいいが、一か月、一年待ち続ける可能性だってあった。実際、L9区の連中で住む場所のない奴はいるんだ。あれからもう5年も経っているのにだ。
 死にたくなかったら生きるしかねえ。何が何でも生き延びるんだ。
 ――死が足元に迫っていたから、興奮していたんだと思う。
 私は、ある女を犯した。
 彼女も、自分の住んでいた場所がどうなったか、見にきたのだろう。若い女だった。頭の隅っこじゃ、いけないことだってわかっていたさ。でもどうにも抑えられなかった。狂っていたんだな。俺だけじゃねえ。あの時分、誰もが正気を失っていた。生きたいという欲望が他の生を踏みにじったんだ。
 やがて傷ついた町が日常を取り戻していくにつれて、わしは自分の犯した罪が異常だってことに気づいた。わしが犯した女の傷は一生消えねえ。そう思うとわしの心が痛んだのさ。傷を癒していくニューオリンズとは反対に、わしの傷は膿んで腐ったようなにおいがしはじめた。
 わしは現実とむきあうのをさけるように、酒を飲み始めた。酒を飲んでいるとふわふわした気分で気持ちよかったからな。それでも、ぬけない棘のように罪悪感だけが残ったまま、理性をちくちく刺しやがるんだ。まいったねえ」
 トムじいはレイプと掠奪を告白した。
「かんべんしてくんねえかな……」
 最後に、トムじいは自分が犯した女にむかって言うかのようにつぶやいた。
 誰がトムじいの罪を赦せる? 裁判にかければトムじいは有罪だ。犯された女はトムじいを赦さないだろう。
 赦しを与えられるのは神だけだ。告解を授ける司祭は赦しを与えるのではない。彼らは仲介者として、罪人たちの告白を聞き、神に伝えるだけにすぎない。そうでありながら、アルは罪人の罪を赦すと言ったのだった。当時のアルは修行僧だった。司祭ですらない身分で赦しを与えたアルは、以来、他人の罪をその身に受け続ける呪われた身となった。
 アルの右手が次第に熱くなっていった。内側からいためつけられた皮膚がいまにも破れそうなほどに薄くなって熱源の心臓を近くに感じるせいだ。そろそろかと少し手をはなしたところで、みはからったようにトムじいの心臓が皮膚をくいやぶって飛び出してきた。拳大の心臓はいまだに脈打ち続けている。すさまじい臭気がたちまち部屋に充満した。心臓を覆う黒い粘着質の物質が放っているもので、トムじいの胸の上に垂れるとその部分が瞬時に焼けただれ、肉のこげるにおいが鼻をついた。
 アルは心臓をつかんだかとおもうと、その手を口元にもっていき、一気に喰らいついた。アルの歯がひきつる心臓の肉をかみちぎるたび、腐臭がひろがった。トムじいの罪の臭いである。アルはトムじいの罪を喰らってその身にトムじいの罪業を引き込んだ。
 たちまち、激痛がアルを襲う。罪人の罪を赦せない被害者の怨念が激しい痛みとなって罪を引き受けたアルの体を苛む。罪喰いの直後には痛みとの闘いが待っていた。
 儀式を終えたアルは、ドアの外に待たせていた葬儀屋を呼び入れ、トムじいの遺体を引き渡した。葬儀屋が出ていくなり、アルは血のあとも生々しく残るベッドに倒れこんだ。痛みに意識が遠のいていこうとするなか、枕元をさぐって注射器を手にすると、無我夢中の体(てい)で、腕に突き立てた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 1-5

 「麻薬中毒者(ジャンキー)か」
 ベッドの傍らにノーマンが立っていた。折り目のついたパンツの裾の下には磨き抜かれた靴を履いている。靴の表面に映り込んだアルの顔は歪んでみえたが、実物とそうは変わりないだろう。
 廃人のようなアルをノーマンは軽蔑するようなまなざしで見下ろしていた。
「少し急ごう。昨日の午後便でといったのに、もうすでに24時間の遅れが出ている」
 ボストンに行くとは言っていないと言おうとするが、コカインのせいで口をきくのも億劫だった。
 ノーマンはアルの体をベッドから引きずり下ろした。力なく床に崩れ落ちそうになるアルの体をノーマンは脇にかかえてバスルームへと連れていき、シャワーの蛇口をひねってドアを閉めた。
 冷たい水が勢いよく流れだし、服を着たままのアルの体を打ちすえた。湯加減の調節などされなかったものだから、すぐに熱湯になり、バスルーム中にたちまち湯気が満ちた。冷たさも熱さも、感覚の麻痺したアルには何ほどのものでもない。
 アルは、排水溝にすいよせられていく血のいくすじもの流れをぼんやりとみつめていた。
 その血はアルのものではない。車に撥ねられて頭を割ったトムじいを寝かせた枕につっぷしてアルの髪についた血だ。乾いていたはずの血は水分を得て、再び艶を取り戻していた。
 トムじいの血はやがて下水へと流れこみ、汚水処理を経てメキシコ湾へと流されていく。
 だが、彼の犯した罪はアルの内にとどまったままだ。罪喰いの儀式によって自らの内にとりこんだ罪は容赦なくアルの体を痛めつけ、アルを内側から蝕んでいく。コカインでハイにでもなっていなければとても耐えられる痛みではない。
 アルの肘の内側は注射のしすぎで青黒く変色していた。アルはそれを罪の顔だと思っている。目には見えぬ自らの内にある罪が存在感を主張しているのだ。自らが呪われた身だと声高にいっているような注射痕を人目に触れさせないよう、アルは長袖のシャツを着続けている。
 トムじいの血がついたシャツは重くアルの肌にはりついてきた。ついでに洗濯もしてしまえと、アルは服を着たままボディソープを全身にまわしかけた。
 “洗濯”し終えたシャツも下着もはぎとって裸になると、アルは蛇口を閉めた。水音が途絶えた瞬間、聞こえてきたのはノーマンの押し殺したような低い声だった。どうやら携帯電話で誰かと話をしているらしい。“ファイン”“エル”という単語がもれきこえてきた。
 バスルームのドアを開けると、ノーマンはちょうど携帯電話を胸ポケットにしまいこむところだった。その脇に、ホルターと銃のあるのをアルはめざとく発見した。ノーマンの脇に抱えられたときに自らの脇に違和感があったのは、ノーマンの拳銃があたっていたせいだったのだ。どうやらノーマンはただの弁護士ではないらしい。
 アルは身構えたが、裸ではどうしようもない。体をふくバスタオルもなく、アルは髪の先から水をしたたらせて立ち尽くすばかりだった。
「それを着てもらいたい」
 ノーマンが視線をやったテーブルの上には、彼が用意したと思われる洋服があった。黒いコートのようにみえてそれは、カソックだった。カソリックの司祭が普段着として身につける装いだ。足元までの全身すっぽりと覆い隠すマントのようなスタイルで裾が広がり、胸元から裾にかけての直線状に全部で33個のボタンが縫い付けられている。救世主が人の子としてこの世に生のあった年数の分だけというわけだ。
「僕は司祭ではありません」
「司祭のふりをする必要があるのでね」
 なぜそうする必要があるのかを尋ねる以前に、カソックを身につけること事体にアルは抵抗があった。司祭になりそこねた身、呪われた身であるのだから、司祭の平服に袖を通す気にはならない。ただの洋服ではあるだろうが、アルがその身にまとったとたん、教会を裏切った男のアルを断罪するかのように、火がつくのではないかという恐怖心が湧いてくる。
「着てもらおうか」
 感情を押し殺してはいるが、ノーマンの声には有無を言わせぬ威圧感があった。ノーと言えば胸のホルターから銃を取り出して脅かしてでも着せようとするのだろうか。業火と銃、どちらにしても傷つくのはまぬかれないとみえる。
 それなら神の放った火で焼け死ぬかと覚悟を決めて袖を通したが、何ごとかの起こるわけでもない。数十分後にはアルは機上の人となり、数時間後には冷たく乾いた秋風の吹きつけるボストンの地に降り立っていた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 2-1

 ゲートを通り抜け、アルを乗せた車は紅葉美しい並木道をひたすら走り続けた。遠目には森に沈む月のようにみえた白いその建物は、近づいてみると古のヨーロッパ王侯貴族の離宮を思わせる佇まいの邸宅だった。砂利を噛みながら、少年が甕から水を注ぐ噴水のあるロータリーを半周し、車はポーチへと進入していった。
 出迎えたのは年老いた執事だった。先に降りたノーマンは執事に目もくれず、正面玄関の階段を駆け足にのぼったなり、建物の中へと消えていった。
 玄関を一歩中に入ると、目の前に大階段が出現した。真紅の絨毯を敷き詰めた階段を中央に、建物内部は左右対称の様を呈していた。
 執事はアルを建物の左翼へと案内した。フレンチウィンドウからの眺めが素晴らしいその場所は客間だった。目の前には緑の芝がひろがり、その先には午後の陽ざしをうけてきらめく湖が佇んでいる。対岸の紅葉が湖面にうつりこみ、まるで一枚の絵画のような景色だ。
 客間にはすでにノーマンがいた。まるでここの主人であるかのように、ノーマンは暖炉そばのワゴンからグラスを取り上げ、カットの細工の美しいデカンタからウイスキーを注いで一息にあおった。
 グラスを手にノーマンは、ちょっとしたボールルームの広さはある客間の隅から隅へと行ったり来たりし、落ち着きがなかった。ロココ調のソファーに黒々としたカソック姿で座るアルが目に入らないはずはないのに何もその場に存在していないかのように扱い、目もくれない、口もきこうとしない。
 ニューオリンズのアルの部屋を出てからというもの、ノーマンは一言も口を開いてなかった。例外は、自家用セスナの操縦士(パイロット)と言い争った時だけだ。
 ハリケーンが近づいているせいで風の強くなってきた中を飛ぶのは危険だと操縦士は言った。だがノーマンは意に介さず、ボストンに向けて飛べと命令した。命より時間が惜しいらしい。結局、ノーマンの剣幕に押される形でセスナは飛び立った。機内でノーマンは押し黙ったままだった。おそらくは、罪喰いの依頼人、ガブリエル・ジョンストンのもとへとむかっているのだろうが、彼女がどういう人物で、どういう状況にあるのか(罪喰いを頼むくらいだから死にかけてはいるのだろうが)といった一切をノーマンは語ろうとしなかった。アルも尋ねなかった。依頼人が女であるのが気にかかったが、とにもかくにも罪喰いを済ませてしまって、ニューオリンズに一刻も早く戻りたい。ニューオリンズの地を飛び立ってすぐ、アルはあの重苦しい湿気が恋しくてたまらなくなっていた。
「遠いところをようこそお越しいただきました、神父(ファーザー)さま。ガブリエル・ジョンストンですわ」
 女の声がするなり、ソファーに腰かけていたノーマンがグラスをテーブルに置いて立ち上がった。
 振り向くと、握手を求めて手をさしのばした女がアルに近づいてくるところだった。慌ててソファーから立ち上がり、アルは女の手を握り返した。綿毛のようにみえたその手は握ってみると滑らかで、氷のように冷たかった。
 罪喰いを頼んできたからには瀕死の人間なのだろうとばかり思っていたが、ジョンストン夫人は健康体そのものだった。ブロンドの髪をアップにしているせいで老けてみえるが、年は三十前後だろう。身につけているのはパールのアクセサリーのみで、藤色のニットのワンピースが体の線をあきらかにしてみせていたが、いやらしさをまったく感じない。ブルーの瞳が魅力的な光を放っていた。
「空の旅はいかがでした?」
「だいぶ揺れました」
「ハリケーンの中を飛んできたのです」
 まるで自分が操縦してきたかのようにノーマンが誇らしげに言った。
「それは災難でしたのね。でも私どもの操縦士の腕は確かですから。昨日、お迎えにあがった時もセスナを出せたらよかったのですけど、都合がつかなかったものですから。でも今日こうしてお目にかかれて嬉しく思いますわ」
 夫人はそう言って、ワゴンに歩み寄っていった。
「神父さま、何をお飲みになさいますの?」
 夫人は新しいグラスを3つ用意していた。そのうちのひとつに夫人はウイスキーを注ぎ、ノーマンに手渡した。ストレートで飲むノーマンの好みを知っているかのように自然な動作だった。アルが断ると、
「私は失礼して、いただかせてもらいますわ。飲まないとやっていられませんもの」
 夫人はもうひとつのグラスに、アイスペールから氷山のようなアイスをひとつふたつ入れてからウイスキーを注いだ。ロックは夫人の好みのようだ。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

罪喰い 2-2

「主人はもう先が長くありませんの……」
 酒の力を借り、夫人は吐き出すようにそう言った。どうやら夫人は依頼をしたに過ぎず、アルが罪を引き受ける相手は彼女の夫のようだ。
「ですから神父さまに――」
「その神父さまというのはやめてもらえませんか。こんな格好をしていますが、僕は神父ではないんです」
 何度も“神父さま”と呼びかけられ、そのたびにくすぐったい思いをしていたアルはようやく夫人をさえぎることに成功した。カソリックの僧衣、カソック姿はノーマンに強制されてのものである。
「存じておりますわ。神父のふりをしていただくことについての事情は?」
 夫人はノーマンをうかがった。
「いいえ、詳しいことは奥さまからと思いまして」
 夫人の青い瞳に萎縮したようにノーマンの声が小さくなった。
「そう、そうですわね」
 舌のすべりをよくするかのよう、夫人は再びウィスキーを口にした。
「主人は肺がんでもう長くはありません。主人も私もカソリック信者ですの。本来でしたら、神父さまのような司祭の方に告解を授けてもらうべきなのですが、そうもいかなくなってしまって……」
 カソリック信者であれば、死の間際、司祭に告解の秘跡を授けてもらうことができる。告解とは、罪の赦しを神に乞う行為で、司祭は信者から罪の告白を受け、神の赦しを得るための仲介役を引き受ける。告解は宗教行事なので、この儀式を執り行うことができるのは司祭などに限られ、告解をする人物も信者に限られる。信者以外、あるいは信者にふさわしくないとして破戒されたものにはこの告解の儀式は行われない。夫人が口ごもったところをみると、夫人の夫はどうやら、この破戒の禁を破った人物らしい。
「半年ほど前、同じ教会に通っているある女性の方が神父さまに告白なさったんです。その……女性のお嬢さまが無理やり主人と関係をもたされてしまったと。お嬢様はまだ15歳なのだとか。主人は関係を否定しましたし、私も主人を信じていますけれども、その方がおっしゃるにはお嬢さまは妊娠されて、主人は堕胎を迫ったそうなのです。彼女は主人との関係や堕胎の罪の意識に耐えられなくなって母親に相談、母親の方が神父さまにすべて告白されたのです。それからです。主人と教会との関係が悪くなっていきました」
 堕胎だけでも重大な罪を犯している。夫人が教会側に告解の儀式を行ってもらいたいと頼めない理由がはっきりした。頼んだところで断られるとは火をみるより明らかだった。
「もともと体調がすぐれなかったのですが、女性の告白があってから、主人の衰弱がひどくなりまして。教会からは足が遠のいてしまいました。そうこうしているうちに肺がんがみつかりまして。医者からは長くないと言われています。ですから……」
「告解は無理でも、罪喰いならと?」
 夫人はほっそりとした首を折ってうなずいた。
 罪喰いは、赦されて天国へ行きたいと願う破戒者のための最後の手段だった。
「主人がどんな人間であれ、赦されて天国へ行ってもらいたいと思っておりますの」
 教会に見捨てられた形の夫人は、すがる思いでアルを頼ってきたのだろう。愛する夫を地獄には落とすまいと、夫人は、拉致するかのように罪喰いのアルをボストンの地へ呼び寄せた。少々強引ではあるが、それだけ夫人の夫への愛情の深さが感じとれる。夫人のように愛情深い女を、アルはかつて知っていた。海のように深く、空のように果てのない愛、だがそれはアルにむけられたものではなかった。
「主人には罪喰いの儀式をするとは話しておりません。告解を授けていただくという話をしておりますので、そのような格好をお願いしているのです」
「罪喰いと告解はまったく別のものですが……」
 天国の扉を開いてみせるという点では同じだが、至る道が異なる。告解は神の赦しを得られるのに対し、罪喰いは罪を他人に肩代わりしてもらうだけだ。神に赦されて天国の門をくぐるわけではない。罪がないとみなされて通り抜けるので、純粋にイノセントとは言えない。
「それも存じております。異端なのですよね」
 罪喰いの儀式がいつから存在しているのか、アルは知らない。アルが修行僧だった頃にはすでに今の形での儀式が存在していた。告解にしろ罪喰いにしろ、天国が約束された儀式であるには違いない。教会は、自分たちの神を信じるものだけが天国へ行けるといいふらし、信者を増やそうとした。天国への裏道があると知られたら信者が減るとでもおもったか、教会側は一方的に罪喰いを異端と断じた。
 今もその姿勢に変わりはないが、かつてのように迫害されることはなく、教会側とアルとはほどよい距離間を保っている。彼らの態度も軟化し、いかなる罪人であろうとも赦されるべきだと考えられているが、表立って赦すことのできない種類の人間がいる。それらを救うのが罪喰いだった。アルの存在は、今は、教会を補完するような形でゆるされている。
「罪喰いを引き受けるとは僕は言っていないのですが」
 アルがそういうと、夫人の目が光った。
「お引き受けいただけない理由は何ですの? お金でしたら――」
 夫人はノーマンをみやった。その目が、アルを説得したのではなかったのかと責めるように冷たく冴えていた。
「本人の意思によらなければ罪喰いは行えません。まず、ご主人の意思を確認させてください」

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罪喰い 2-3

 神父としての芝居を続けることを条件に、アルは夫人の夫、デイヴィッド・ジョンストンとの面会を許された。
 罪を告白する意思が本人にあるかどうかを確認するだけなので、別に神父のふりをしようとしまいと、罪喰い自体には影響がない。告解にしろ、罪喰いにしろ、罪を告白するところまでは同じ手順で進む。違いは、司祭の行う告解は神に赦しを乞うのに対し、罪喰いの儀式では罪人の罪を罪喰い自らがそのうちに取り込む。罪人にしてみれば、罪が自分の体から取り除かれさえすればいいだけで、罪をはらってくれる相手が司祭だろうと罪喰いだろうと構いはしない。
 夫人は司祭の行う告解の真似ごとで罪喰いを行ってしまいたいようだったが、ジョンストン自身にとっては司祭だろうと罪喰いであろうと違いも何もわからないだろう。アルは神父の芝居を承知した。
 ジョンストンの病室は建物の右翼部分の一階にあった。もともとは左翼同様、客間として使われていた部屋に手を入れたものなのだろう。左翼の客間と同じ間取りで、フレンチウィンドウと暖炉の位置が左右対称だった。窓の外にみえる湖の景色は同じように美しい。
 ジョンストンのベッドは背もたれ部分を壁際に寄せ、正面のフレンチウィンドウから湖が見える位置に置かれてあった。その周囲を、点滴のポール、血圧や脈拍を監視するモニタなどが取り囲んでいる。そのモニタのそばには椅子があり、ブリーチのしすぎで傷んだ金髪で小太りの初老の女が腰かけていた。ジョンストン家で私的に雇っているパメラ看護師だと紹介された。
 片隅には車椅子が置かれていた。衰弱しきって車椅子生活となったジョンストンのために移動の楽な一階に寝室を移し替えたようだ。
 キングサイズのベッドに寝ているジョンストンは、そこだけ縮尺が狂っているかと目を疑いたくなるほどに小さかった。夫人の夫だから若いだろうとおもっていたら、ずい分と年がいっている。夫人とは父親ほどの年の差はあるだろうか。
 抗がん剤の副作用だろう、頭部の毛髪はすでになかった。口には酸素マスクがあてられ、棒切れのような手からチューブが伸び、点滴のポールへと続いていた。死んではいないのだろうが、生きているとも言い難い、むしろ無理やり生かされている状態だといえた。
「あなた、神父さまがお見えですわ」
 夫人はアルを神父と紹介した。あらかじめ口裏を合わせろと言われているアルは黙って会釈した。
 神父と聞いて、ジョンストンのしみだらけの顔がゆがんだ。ジョンストンは小枝のような指をたて、パメラ看護師に、酸素マスクを取るように要求した。
「神父など呼んだ覚えはない」
 失せろとでも言いたかったらしいが、咳き込んだジョンストンはそれ以上続けられず、パメラ看護師によって再びマスクをつけさせられてしまった。
「私が呼びましたの。前にお話ししました告解の儀式のことで」
 ジョンストンはマスクをしたまま一言二言発して、首を横に振った。アルにはマスクが震えているとしか聞こえなかったのだが、夫人にはジョンストンの言葉が聞き取れたらしい。その美しい青い瞳がたちまち涙にくもった。
「そんなことおっしゃらないで、どうぞ、罪をあらいざらい告白して清い体になって天国へいらして」
 震える夫人の肩を、ノーマンがそっと抱いたのをアルは見逃さなかった。というより、かっと見開いたジョンストンの目の視線の先を追ったら、夫人とノーマンが見えたというわけだったが。
「お前たちはそんなにわしに早く死んでもらいたいのか」
 今度は自力でマスクを外したジョンストンが夫人めがけて罵った。
「そんな……。私はただ、あなたに罪の重荷を捨てて安らかに天国へ行っていただけたらと」
 夫人の青い瞳からたちまち涙が溢れだした。夫人もジョンストンも感情的になってしまい、これでは罪喰い(ジョンストンは告解と思っているが)を行う意思があるかどうか確かめようがない。アルはノーマンに目くばせして、夫人を外へ連れ出すよう促した。
 ノーマンに肩を抱かれ、夫人は病室の外へと出ていった。続いて退出しようとするアルを、ジョンストンが引き止めた。パメラ看護師も退出させられ、病室にはアルとジョンストンのふたりきりとなった。

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罪喰い 2-4

 ジョンストンはアルを自分の枕元近くに招き寄せた。話がしやすいようにだろう。マスクを外しているせいで呼吸が荒かったが、夫人を罵倒した興奮はおさまって幾分落ち着きを取り戻しつつあった。
「名前は?」
「アル。アルフォンツォ・セラーティ」
 アルは滅多に口にしなくなった本名をフルネームで名乗った。
「イタリア系か?」
 ジョンストンは驚いていた。その目は、珍しいもののようにアルの金髪を見つめていた。
 アルの育った北イタリアでは金髪に碧眼は珍しいものではなかった。かつてその地を闊歩したゲルマンたちの血が色濃く残っているのだろう。アルの父も兄弟もみなそろって見事な金髪で背が高かった。時代が下るにつれ、アルフォンツォという名前と金髪とがそぐわなくなった。イメージというやつだ。イタリア人の髪の色は黒といつしか決まっていて、アルが正式名を名乗ると奇異な目で見られるようになった。以来、アルはアルとだけ名乗るようにしている。
「言っておきますが、僕は神父ではありません」
 アルはさっさと化けの皮を自ら剥がしてしまった。夫人に付き合って芝居を続け、いざ罪喰いの儀式を行うとすれば、告解のそれとは違うと気づかれてしまう。それならば自ら暴露してしまった方が後々面倒がない。
「僕は罪喰(シンイー)い(ター)です」
 アルは正体を明かした。罪喰いと告解の儀式とは、罪を告白し、悔いるところまでは同じだが、その先の手順が異なることもゆっくりと話して聞かせた。
「告解では死なないが、罪喰いを行えばあなたは確実に死ぬ」
 死と聞いてもジョンストンは無反応だった。恐怖したかもしれないが、顔から筋肉がこそげ落ちてしまっているので、作ったとしてもその表情を読み取ることができない。
「いくらもらった?」
 アルは小切手に書かれていた金額を言った。
「そんな金があったとは……」
 ジョンストンはしばらくの間、押し黙っていた。その視線の先に、芝生の庭をそぞろ歩く夫人とノーマンの姿があった。
「あれはいい女だろう。美しい女だ。ノーマンが夢中になるのも無理はない。あんたも気になるかな」
 見た目だけなら20そこそこの若者のアルが、ジョンストンは気がかりらしい。アルは美しい人だという感想だけを述べるにとどめた。ジョンストンを嫉妬させるのは嫌だったし、夫人の美を否定すればかえってジョンストンの機嫌を損なう。夫人を美しい人だとは思っているので嘘はついていない。思った通り、ジョンストンはアルのそつない返事に満足していた。
「わしも一目で気に入った。ギャビーは教会のボランティアをしていて、わしのところに寄付を募りにきた。金と地位のある人間は社会に貢献しなければならないとか言ってな。面白いから、寄付してやった。教会だけじゃない、あの頃はいろいろバラまいたな。4年くらい前だ。わしは運送会社を経営しているが、その会社がおもしろいように儲かってな。金で手に入らないものはない。名誉もわしはそうやって手に入れた。
 ギャビーは、私を金の亡者だと誤解していたと言って、それからしばらくしてわしたちは結婚した。わしは再婚だった。親子ほども年の差がある、遺産狙いだと、前の妻の子には反対されたよ。といっても妻の連れ子でわしの子ではないがね。自分の取り分が減るとでも思ったんじゃろう。ギャビーとは互いの財産を守るという主旨の婚前契約を交わしてある。結婚して、わしもカソリック信者になった。寄付をしたり、慈善活動をしたりするとギャビーは喜んだ。わしはギャビーの喜ぶ顔がみたくて、寄付をしてきたようなもんだ」
 ジョンストンに見られているとは気づかず、ノーマンは夫人の近くに体を寄せて歩いていた。時折、夫人は顔をあげてノーマンを見上げる。笑顔が戻っていた。
「わしは、ギャビーに何か残してやりたくなって、資産の一部をギャビーに残すという遺言状を書いた。顧問弁護士のノーマンに手伝ってもらってな。ノーマンは知っていてギャビーに近づいたのじゃろう。わしが死ねば遺産の一部はギャビーのものだ。ギャビーを思いのままに操れば、その金はノーマンの自由になるも同然だ。罪喰いをあんたに依頼したのは、罪喰いに乗じてわしを殺すためだろうて……」
 ジョンストンの声には憎しみがこもっていた。しかし、力ない声にもはや迫力は感じられなかった。
「確かに、罪喰いをすればあなたは死にます。ですが、罪喰いで人を殺すことはできない。罪喰いの儀式自体は、瀕死の状態でないと行えないのです。もともと死にかけているときに儀式を行うから死ぬといったまでで、儀式そのもののせいで死ぬわけではありません」
 ジョンストンのこわばった顔の皮がひきつった。笑顔を浮かべようとしたつもりだったらしい。安堵の笑顔のつもりだったのか、嘲笑だったのかはアルにはわからなかった。
 儀式のせいで死ぬわけではない。だが、故意に瀕死の状況を作り出したうえで儀式を行えば、確実に死ぬ。そう考えて、アルはぞっとするような寒気を背筋に感じた。
「罪喰いをするつもりはない」
 ジョンストンはそういうなり、かたく目を閉じた。アルはそっと酸素マスクをかけてやった。

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罪喰い 3-1

 ジョンストンには罪喰いをする意思がないため依頼は引き受けられないと伝えると、夫人は長い睫を伏せ、あきらかに落胆していた。しかし、いくら夫人がジョンストンに罪を悔いて天国へと望んでも、当のジョンストンにその気がなければ天国への門は開かない。アルに出来ることはもう何もない。邸にとどまるだけ無駄だと、その夜は泊めてもらったものの翌日にアルは出て行くことにした。
 ニューオリンズへ戻るというと、夫人はそれならセスナで送ると申し出た。客人を迎えにいかなければならないからという夫人自らが運転する車で、アルは空港まで送ってもらった。
 アルを乗せて飛び立つはずの自家用セスナはまだ空港に到着していなかった。ジョンストン家の客人を降ろした翼で、アルを乗せてニューオリンズへ飛び立つ予定なのだが、スケジュールに遅れが出ているらしい。アルは急ぐ身でもないから、のんびりと構えていた。
「遠いところを、わざわざありがとうございました」
 夫人は改めて礼を述べた。特に何もしていないアルは、夫人の丁寧な礼にかえって恐縮してしまった。
「こちらこそ。泊めていただいて、助かりました」
「いいえ、私どもがお呼び立てしましたのですもの」
 ノーマンに引き立てられるようにしてだったと思い出して今さらながらに腹が立ったが、夫人に免じてアルはぐっとこらえた。
「小切手には手をつけていません。お返ししたいのですが――」
「あら、構いませんの。あれは神父さまに差し上げたものですから」
「その呼び方はやめてもらえませんか。芝居はもうしなくていいのでしょう?」
 そういうアルはいまだカソックを身につけていた。他に着るものがないので仕方なく着ているのだ。
「ええ、そうでしたわね。その格好をみてるとつい……。そうお呼びする方が楽なんですの。私、教会で育ちましたから。教会に捨てられていましたのをシスターたちに育てていただいたのです」
 夫人が信仰に厚く、寄付や慈善事業に熱心なのはどうやら生まれ育った環境のせいらしい。どうりで夫人の美しさに男に媚びるような野卑たところがないわけだった。
「小切手は捨ててしまったので、お返しできないのです」
 小切手を破り捨てた理由――女の依頼は引き受けたくはなかったからという理由はアルの胸にそっとしまった。
 捨てるくらいなら寄付してほしかったと言わんばかりに夫人は顔を曇らせたが、アルを責めることはしなかった。
「ハリケーンはどうなったのでしょう」
 ふと夫人が呟いたので、そういえばハリケーンが近づいている中をボストンに向けて飛んできたのだったとアルは思い出した。とにかく風が強くて機体が木の葉のように揺れ、心もとない状況だった。もう2日前になる。ハリケーンが来るとひどくなるアルの頭痛は今回はそうでもなかったから、ハリケーンも大したことはなかっただろう。ボストンは快晴の秋空だった。帰りの旅路は快適なものになりそうだった。
「ああ、来ましたわ」
 空の一点をみすえていた夫人が声をあげた。夫人の目線の先に白いセスナの機体がみえた。アルたちがいる空港は、主に自家用機の離発着に用いられている空港で、それまで何機かのセスナを目にしたが、アルにはどれも同じにみえる。夫人が、ジョンストン家のセスナだと見分けた胴体に赤いラインの入ったセスナも、アルには何の特徴もないセスナとしか見えないでいた。
 着陸時にはすさまじい轟音をたてたセスナは、滑走路をゆっくりと走って夫人とアルのもとへと近づいていた。 
 タラップから降りてきたのは、夫人とそう年の変わらない男だった。ネイビーを基調としてボルドーカラーの細いストライプの入ったスーツは着る人間を選ぶタイプの洋服で、その男はそのスーツに選ばれてはいなかった。
「息子です。ライアン、こちらは――」
「セラーティ」
 アルがすかさずファミリーネームを言う。神父さまと呼びかけ続けた夫人はアルの名前を知らなかった。
「セラーティ神父さま。我が家にお越しいただいていたのですが、もうお帰りになるのでセスナでお送りするところなの」
「神父というと、また寄付の話か何か?」
 息子だと紹介されたライアン・ジョンストンが夫人の子どもであるはずがない。夫人とは再婚で、前の妻の連れ子がいるとジョンストンが言っていたその子どもだろう。身なりは上等だが、どこかに卑しさと狡さを感じさせる男だった。寄付の話かと言った時、ライアンはあからさまに嫌な顔をみせた。
「この人はね、出せと言われたら言われただけものを出すような人だけど、あまり人の財布をあてにしないでもらいたいものですね、神父。まあ、出せと言われたからといってほいほい出す方もあれだが」
 迎えにきてくれた夫人への礼もないまま、ライアンはさっさと夫人の車の助手席に乗り込んだ。
「あまり揺れないといいですわね」
 夫人はタラップの下まで見送りにきてくれた。
 セスナに乗り込み、タラップ下の夫人に挨拶しようとふりかえったアルがみたのは、セスナ機めがけて一目散にかけてくるジョンストン家の老執事の姿だった。
 老執事は両腕を前で大きく交差させる動作を繰り返していた。まるでアルにむかってセスナに乗るなといっているようである。アルがセスナに乗り込もうとしないので、夫人も背後を振り返って執事の存在に気づいた。
 老いた体に鞭打って駆けてきた執事は、息をきらしながら主人の伝言を述べた。
「神父さま、すぐお邸へお戻りください。ご主人さまがお待ちです」
 執事にせかされ、アルたちは車に転がるようにして乗り込み、ジョンストン邸へとって引き返した。
「奥さまと神父さまが出発された後のことです。ご主人さまが急に、神父さまを呼び戻せと仰せになられまして……」
「それはまたどうしてなの?」
 老執事の言葉が続かなかったので、夫人が優しく先を促した。
「はい……。あの、その、地獄の入り口がみえる、自分はもうすぐ死ぬ、死ぬ前に懺悔したいと……」
「それで神父さまを呼び戻しにきたのね?」
「はい」
 車中での老執事の話は要領を得なかったが、何ごとかが起きたことだけははっきりしていた。事情を知らないライアンだけは、地獄がどうの懺悔がどうのとは何だと目を白黒させていた。

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罪喰い 3-2

 車をポーチに進入させるなり、夫人は運転席から飛び出した。アルもその後に続いた。ライアンはのんびりと助手席から降りてくるところで、老執事はかわいそうに車のドアを開けることもできずに車内で震えていた。
 老執事が怯えていた理由はすぐにわかった。
 ジョンストンの病室の前には、ノーマンとパメラ看護師、数人の使用人とが集まって何やら騒いでいた。ノーマンがしきりにドアを開けようとしているのだが、ドアは固く閉まったまま、中からジョンストンのわめき声が聞こえてきた。それは人間のものとはおよそおもえないほど、おぞましい声だった。
「どうしたの、何があったの?」
 夫人が尋ねると、パメラ看護師が涙ぐみながらこたえた。
「洗い物を出そうとちょっと席を外して戻ってきましたら、ジョンストンさんが狂ったように叫んでいまして。地獄の入り口がみえる、もうダメだとかおっしゃってました。奥さまはお出かけになった後でしたから、私、慌てて執事のローソンさんを呼びました」
 懺悔、つまりは罪喰いをしたいからアルを呼び戻せと命令された執事は空港へかけつけたというわけだった。
「ローソンさんが空港へ向かった後、ノーマンさんがお見えになったので、一緒に病室まで来てほしいとお願いしました。だって、地獄の入り口がみえるだなんて、おそろしくてとても一人では部屋に入りたくないですから。そうしたらドアはもう閉まっていて、鍵なんかついていないドアなのにノーマンさんがいくらがんばっても開かないんです」
 パメラ看護師の話を聞いている間も、おそろしい叫び声は続いていた。地獄の入り口が見えるとジョンソンが言うからには、彼の死期が迫っているのだろう。罪喰いをするのなら急がなければならない。
 そう思った瞬間、アルの心の内を読み取ったかのように夫人がドアに体当たりをくらわした。それまで固く閉まっていたはずのドアはいともたやすく開いた。
 そして全員がみたものは世にもおぞましいものだった。
 ジョンストンは仰向けになったまま、ミイラのような体を上下に激しく動かしている。酸素マスクは外れ、口元からはだらしなく涎が幾筋も垂れていた。眼窩に落ちくぼんだ目はかっと天井を見据えている。何をみているのかと視線を追った先に、地獄の入り口があった。暗褐色の粘液のたまりのようなものを見たとおもった瞬間、それはすうっと消えてなくなった。
「地獄が、その口を開いてわしを飲み込もうとしておる。わしはもうすぐ死ぬ。今すぐ罪喰いをしてくれ。地獄へは堕ちたくない、堕ちたくないぞ」
 今すぐ罪喰いをしてくれと、ジョンストンはうわごとのように繰り返した。
「神父さま、罪喰いを!」
 夫人が叫んだ。だが、アルはためらった。アルがみた地獄の門は消えてなくなっている。罪喰いは地獄の門が開いたままの状態でないと行えない。一度開いたはずの地獄の門が再び閉じることなどありえないのだがと不審に思っていると、入り口にたまっている人の山をわけいって、男が病室へと入ってきた。
「地獄だの、死ぬだのと。大丈夫、あなたは死にはしない。少なくとも今日は、だが」
 ドクター・ドイルと夫人に呼びかけられたその男は、ベッドのかたわらにいたアルをおしのけ、ジョンストンのそば近くに寄っていくと酸素マスクをかけ、手際よく注射を打った。
「鎮静剤を打っておいたから、しばらくはおとなしくしているだろう。地獄をみただなどと、幻覚にすぎない」
 ドイル医師はぐるりと辺りを見回した。パメラ看護師をはじめ、夫人やノーマンもみな、部屋の中へは足を踏み入れられず、入り口付近に固まっている。ドイル医師が地獄の入り口は幻覚だと言い切ったので、集まってきていた使用人らはほっと安堵の表情を浮かべていた。
 幻覚であったはずがない。アルは確かに地獄の入り口を見た。見たのはおそらくはアルだけだろうが、ジョンストンも同じものを見ていたはずだ。幻覚ではないが、一度現れたはずの地獄の門が消えることはないと知っているアルには、あれは本物の地獄の門だったのかという疑問が残った。
「先生(ドクター)、ありがとうございました」
 夫人がねぎらった。ドアに体当たりしたときに乱れたのだろう、いまだに興奮さめやらずといった風で頬が赤く、髪がほつれていた。
「ジョンストンさんに話があるからと立ち寄ったら、死にそうだと騒いでいると聞いたのでね」
 どうやらドイル医師はジョンストンのかかりつけの医者らしい。医者らしく、きちんとした身なりの壮年の紳士である。そのドイル医師はとんでもない爆弾をもってジョンストン家を訪れたのだった。
「グッドニュース。ジョンストンさん、あなたは死なない。バッドニュース、誰かがあなたを殺そうとしている」

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