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あじろ けい

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なのなのな 1-4

「ねえ」
 彩花は突然、ぐいと顔を近づけてきた。
「どうして付き合うとすら思わないの?」
「どうしてって」
 目の前にあってますます大きく見える彩花の瞳に妙にドギマギさせられながら、桃子は言葉をさがした。
「いい年して夢見心地でいるだけの男なんて、みるからにアウトでしょ」
「そんなの、付き合ってみないとわからないじゃん。夢みることは悪いことじゃない」
「そうだけど、行動がともなっていなければね」
「行動って?」
「小説家志望なら、毎日小説を書いているとか、ミュージシャン志望なら作曲しているかとか、そういう努力をしているかどうかってこと。行動しない、できない理由を言い訳するならその時点でコイツはダメだなってわかる」
「でも、何か事情があるだけでとか、そういうことは考えない?」
「考えない」
 桃子はぴしゃりと否定した。たちまち彩花は萎れてしまった。かと思うと、すっと頭を上げ、桃子に迫った。
「桃子!」
「な、なに」
「森の中で道に迷ったとしたらどうする? 来た道を戻る? それとも、どこかに出られるかもしれないとそのまま歩き続ける?」
「来た道を戻るかな」
 ほんの少しの間をおいて、桃子は言った。
「来た道を引き返していけば確実に森から出られるでしょ。入ったところへ戻るんだから」
「じゃあさ、モンスターに追いかけられたとして。目の前にある吊り橋を渡って逃げようとしたら、その先に別のモンスターが現れたらどうする? 別のモンスターを振り切って逃げる? それとも戻る?」
「戻ると思う」
 今度はさっきよりも返事に少し時間がかかった。桃子の答えを聞くなり、彩花は大きな瞳をさらに見開いて、桃子を見つめ、小首を傾げた。
「どうしてそんな簡単に決められるの? 私なんか、すごく悩むのに」
「追いかけてきたモンスターなら、たとえば小回りがきかないとかそういうちょっとしたことが少しは分かっていると思うんだよね。そういう相手なら、かわせないことはないと思う。でも、新しく出てきたモンスターについては何もわからないから、取り敢えず逃げるしかないでしょ」
「追いかけてきたモンスターより弱いヤツかもしれないよ?」
「そんな小さな可能性にかけられまセーン」
 桃子がそう言うと、彩花はバタリとカウンターの上に身を投げ出し、しばらくの間、動かなくなった。
「彩花?」
「うん」
 不安になった桃子が声をかけて、ようやくカウンターの下から声があがった。
「そうだよね。新しく現れたモンスターが弱いかもしれないなんて、根拠がない推測だもんね。そっかあ……桃子の考え方が正しいよ。桃子みたいに物事を判断できたら、失敗少ないよね」
 彩花は上半身をだらりとカウンターの上に預けていた。まるでこぼれたオレンジフロート、カウンターに片方の頬をつけた横顔が桃子を見上げている。
 突然、彩花が体を起こした。瞬間冷却されて立ち上がった霜柱の高速回転映像を見る思いで、桃子は目を見張った。
「いいこと、思いついた!」
「なによ、いきなり」
 嫌な予感がした。仕事に関しては彩花の判断やアイデアを疑ったことはないが、プライベートに関しては、仕事での判断力はどこへやら、彩花はとんちんかんな思い付きを口にする。
「桃子が、私のかわりにいろいろ考えてくれたらいいんだ!」
「なにそれ、意味わかんない」
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テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

なのなのな 1-5

桃子が彩花の憩いにたじろいでいると、彩花がさらに迫って桃子の両手を取った。
「私、男を見る目がないし、優柔不断な上に、下した判断はとちくるってるから男で失敗するの。だから、桃子が私のかわりにいい男かどうか見極めてくれて、どうしたらいいかの指示をしてくれたらいいのよ」
 我ながらいいアイデアだと言わんばかりに彩花は満面に笑みを浮かべている。
「ちょ、ちょっと待って。それってつまり、私があれしろ、これしろって彩花に言うってこと?」
「うん」
「で、彩花は私に言われた通りに行動するってこと?」
「うん」
「それじゃ、ロボットじゃないの」
「うん、私、桃子のロボットになる」
 彩花は無邪気に桃子の両手を持って、上下に振っていた。
「ロボットになるとかって、何言ってんの」
 桃子は彩花の手をそっと払いのけた。
「今までみたいに、相談してもらって、いろいろアドバイスするだけでいいじゃない。何もロボットみたいに何でも言うこと聞くってことにしなくても」
「ううん、それじゃダメなの。だって、桃子のアドバイスを聞いたとしても、その通りにするかしないかでまた悩むわけでしょ。だったら、最初から桃子のロボットとして、桃子の言うことは何でも聞くってことにしちゃったほうがいいの」
 オレンジフロートは蒸発して、今や、パチパチ弾けるポッピングキャンディーだ。
「私の判断がいつも正しいとは限らないよ? それに、彩花にとって都合の悪い判断をわざとするかもしれない」
「桃子、そんなことしないもん」
 祈るように組んだ両手を胸に、上目づかいで彩花が桃子をのぞきこんだ。男なら良からぬことを考えてしまいそうな眼差しだ。
「……しないけど」
「だよね!」
「でもね。どんな決断でも、たとえそれが間違っていて後悔することになったとしても、自分で判断した結果なら納得がいくものよ。人に言われたからってその通りにして失敗すると、モヤっとするでしょ」
「うん。だから、桃子の言うことを聞くって決めた。これは私の判断でしょ?」
 彩花は一度言い出したらきかない、決めるまではフラフラするのに、一旦決断してしまうと気を変えない。その性格が、男で失敗する原因のひとつでもあった。あの男はダメだと言ってもきかないのである。
「しょうがないな。でも、彩花の男の見る目がつくまでだから。自転車の補助輪みたいなもの。一人で乗れるようになるまでだからね」
「やったぁ、桃子大好き」
 席を立ちあがった彩花は胸を桃子の顔に押し付けるようにして抱き付いてきた。男なら至福の時だろう。胸のない桃子にとっては嫉妬にかられると言いたいところだが、三カップ以上も差をつけられたら逆に感嘆してしまう。
「彩花、スキンシップはほどほどに、ね。好きでもない男に抱き付いたりすると誤解されるんだから」
「うん」
 抱き付くのはやめたものの、彩花は桃子の腕に自分の腕をからませて離れようとしない。
「うんとか言って、離れてないじゃない。私の言うことは聞くんじゃなかったの?」
「きくよ。でも、好きでもない男に抱き付いたりするのがダメなんでしょ? なら好きな人にならいいんだよね?」
「まあ、そうだけど。あざといって女からは敵視されるだろうけど、男の人を落とすには効果があるんじゃない」
「じゃあ、いいじゃない」
「私は男じゃないって」
「うん、でも大好きだからいいの」
 彩花は座っている桃子の頭に頬をすりよせた。まるでじゃれつく猫だ。周りの男たちの嫉妬の視線が痛い。
 傍目には、あざとい女としか見えない彩花だが、桃子はどうしても嫌いになれない。動物のような無邪気でストレートな愛情表現をむしろ可愛いと思う。彩花にとっては自然に身についている仕草だが、技術として習得し、駆使している女たちを、桃子は逆に尊敬してしまう。自然なふるまいとしてみせるのは並大抵ではないと、秘かに練習したことのある桃子は知っている。
 生まれながらに盆栽のように美しい形をした木があるんだな――彩花の生まれもったかわいらしさがほんの少し、うらやましかった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

なのなのな 2-1

 トイレから戻ってくると、暗がりのオフィスのどこからともなく女の歌声が聞こえてきた。誰かが残業しながら音楽を聴いているようだ。
 女性にしては低めのスモーキーな声。けだるいメロディ、哀愁を帯びたピアノの旋律。何を歌っているのかまでは聞き取れないが、幸せな恋の歌ではなさそうだ。
 歌声は次第に掻き消えていった。再び訪れる静寂。突然、オフィスの暗がりを切り裂くパワフルな歌声がどこからかあがった。ジャジーなメロディライン。叩きつけるようなビートが忍び寄ってくる。
 一目惚れならぬ一聴き惚れだった。魅入られた桃子は歌声のする方へと足を進めて行った。
「ごめん、うるさかった?」
 桃子が近づいてくるのに気付いて、貴一は慌ててボリュームを下げた。
「もう誰も残っていないだろうと思ったから」
「うるさくなんか。誰の曲かなって気になったので」
「アデルっていうイギリスのアーティスト」
「声がいいですね」
「だろ?」
 そう言うと貴一はボリュームを上げた。パワフルながら乾いてどこかアンニュイな歌声がたちまちオフィスに満ちていく。桃子は貴一のパーテーションに乗せた両手に顎を乗せ、聴き入った。椅子に座っている貴一も、両手を頭の後ろで組み、体でリズムを取っていた。
 金曜の夜、十時過ぎ。オフィスの明かりはすべて落ちている。貴一のデスクランプだけでは心もとない暗闇の海。十二階のオフィスから眺める夜景は夜の海に浮かぶ夜光虫。
 貴一はネクタイをはずし、シャツのボタンを外して、自宅でCDを聴いているようなうちとけた格好だ。まるで貴一の部屋で一緒に音楽を聴いているような雰囲気に、桃子は全身が熱くなった。
 三歳年上の佐野貴一は、企画開発部の先輩だ。よき先輩として仕事の相談にのってもらううち、いつしか男性として魅力を感じるようになっていった。
 一重瞼のきりりとした目元、鼻筋の通った決して高過ぎない鼻、ふっくらとした唇の口元は笑うと口角がキュッとあがる。短めの髪型のせいで、くっきりとした眉の美しさが際立つ。背筋の伸びた姿は折り鶴の優雅さを連想させる。常日頃、身だしなみには清潔感のある貴一だが、夜中近くとあってうっすらと姿を現しかけている髭が今夜は妙に艶めかしい。
「立木、この仕事、何年?」
「えっと……五年、今年で六年目です」
 指折り数えながら答える。
「そうか、立木が六年目か。仕事が楽しくてしょうがないだろ。もう一人前だな。入社したばかりの頃はよく相談してくれたのに、このごろじゃ、さっぱりだもんな。先輩としては成長した後輩を誇らしく思う反面、寂しいような複雑な気持ちだね」
 いつもより口角のあがりが悪かった。いつもなら輝いている瞳にこの夜は翳りがあった。
「先輩は楽しくないんですか、仕事」
「そうだな――」
 次の言葉まで間があった。アデルの歌声をかきわけて貴一の声をとらえようと耳をそばだてる。
「楽しいことは楽しいよ。ただ、何て言うか、俺たちの仕事、商品の企画開発って、常に新しいものを生み出す仕事だろ? 入社したばかりの頃は、アイデアはあってもなかなか形にできなくてさ。ようやく仕事を覚えて自分の中にあるアイデアを形にできるようになったと思ったら、今度はそのアイデアが枯渇。それが今の俺のいる場所なんだなあ」
 貴一は天井めがけて大きなため息を吐いた。天井に届くことなく、床に流れおちていくような重いため息だった。
「昔は、行き詰ると映画みたり、音楽聴いたりして脳をリフレッシュしたものだけど、今はまるでダメだ。何をしてもアイデアは思い浮かばないし、インスピレーションを感じない。リフレッシュじゃなくて、リセットが必要なのかもな」
「それって、仕事辞めるってことですか?」
 返事はなかった。しかし、暗い天井を見上げたままの貴一の物憂げな瞳が雄弁に気持ちを語っていた。
「今はさ、新しい商品を生み出すのに、コストを考えてしまうんだよね」
「それって、ビジネスマンとして正しいのでは?」
「できるだけ金をかけないことを考えて作った商品を買いたいと思うか? 企業努力とかそういうことではなくて、数字をこねくり回すって意味のコストってことだけど」
 顧客の立場になれば、一円でも安い商品を買いたいと思う。だが、物を造り出す側に立てば、コストと正比例の関係にある品質に妥協はしたくない。金をかけていい物を作るのは道楽、金をかけないでいい物を作るのが商売。それが、桃子たちの上司の口癖であり、モットーだ。
 心のどこかで上司や社の考え方に反発を覚えながらも、桃子は逆に創意工夫の余地を探ることを楽しんでいる。だが、貴一の言い分も痛いほど理解できた。物作りの現場を知らない人間というのは桃子の会社にもいて、数字の大きさだけで無駄だと判断し、削れと要求する。創意工夫もあったものではない、無味乾燥だ。数字を考えて作った商品もまた味気がない。だから、売れない。
「感性が硬化しているんだ。何を見ても感動しないし、笑えないし、涙も出ない。このままだとロボットになってしまいそうだ」
「だから、辞めたい?」
 再び返事はなかった。
 仕事を辞めたい気持ちが貴一の心の隅で根を生やしつつあるようだった。桃子も何度か体験している。
 本心では辞めたくないからこそ、貴一はせっせと辞めたい気持ちをむしり取っているが、むしってもむしっても虚しさと辞めたい気持ちとがどこからか芽生えてくる。絶え間ない闘いを繰り返し続けている貴一は疲労し切っている。「辞めたい」と言葉にしてしまえば、形勢が逆転してたちまち辞めたい気持ちにのみこまれるとわかっていて、貴一は無言を貫いているのだろう。
「先輩、辞めないで下さい。先輩、この仕事好きでしょう? いっぱい相談にのってもらったから、私、わかってます。好きだからこそ、コストを考えて品質に妥協していくのが嫌になっただけなんです。ギリギリまでコストを削るのも楽しいって考えればいいんです。先輩に必要なのはリセットじゃなくて、リフレッシュです。わかってるから音楽聴いているんですよね?」
 いつの間にか、貴一は頭の後ろで組んでいた両腕をほどき、胸の前で組んでいた。背筋がピンと伸び、横顔ではなくて正面の顔を桃子にむけている。折り鶴の凛とした佇まいがよみがえろうとしていた。
「来月、アデルが来日するんだ。でも忙しくてライブには行けないだろうな」
「忙しいなんて言い訳しないで下さい。ライブに行かないと仕事にならないくらいの勢いでチケット取って、何ならその日は仕事を休んででも行くべきです」
「何だか立木がアデルのライブに行きたい感じだなあ。そんなに気に入った?」
 貴一の顔にようやく笑顔が戻った。口角がキュッとあがる。小鼻につきそうな勢いの最大角度。桃子が一番好きな貴一の笑顔だ。
(先輩をライブに誘ってみようかな)
 そう思った時だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

なのなのな 2-2

 桃子のケータイがけたたましく鳴った。着信を見ると彩花からだった。
「誰?」
「彩花です」
「デザイナーの長谷川彩花?」
「はい」
「出た方がいいんじゃない?」
 無視し続けているのに、ケータイは鳴りやまない。
「はい……」
 桃子はケータイを握りしめ、後ろ髪引かれる思いで貴一のワークステーションを後にした。途中、振り返ってみた貴一はPCにむかって背を丸めていた。考え事はやめにして、残業する気になったらしい。
 貴一と二人きり、ライブに誘ってみようかというタイミングで電話かけてくるなよと忌々しい気持ちを指先にこめ、桃子は画面を思いきり押した。
「桃子ーっ! ねえねえ、今さ、合コン中なんだけど、誰を選んだらいいか、桃子の指示、ちょうだい」
 ケータイの向こうから弾んだ彩花の声が聞こえてきた。舌足らずなのは酔っているからだ。
「うん、わかった。えっとね、全員ダメ」
「なぁんでぇ。まだどんな人とか何も言ってないじゃない」
 きっと唇をとがらせているのだろう、彩花の舌足らずな口調に拍車がかかっている。
「合コンに来るような男にろくなヤツはいないの」
「桃子のそれ、偏見。合コンだって立派な出会いの場じゃないのぉ。いい人だっているでしょ。何で桃子は合コンに否定的なの?」
「お酒の入った席での出会いは信用ならないってだけ。酔っぱらって判断力は鈍るし、お酒が入ると話を大きくする人が多いから」
「だからぁ、酔っぱらっていない桃子に判断してもらうんじゃないのぉ。付き合ってもいい人かどうか」
「そうね、その判断だけは賢明と言える。わかったから、男の写真と簡単なプロフィールをメールで送って」
 はぁいと呂律の回らない返事の後、電話は切れた。
 男の見極めはすべて桃子に任せるといったのは彩花の本気だったらしく、その週末から彩花の電話攻勢が始まった。
 始まりは土曜の午後だった。いつものようにたまった洗濯をすませ、掃除機をかけ終え、雑誌を読んでのんびりとしていると、彩花から電話がかかってきた。買い物に出たらナンパされたという。ナンパなど始めから体目的だろうからやめておけと忠告するつもりだったが、ナンパ男に直接ガツンと一言言ってやろうという気になって電話に出させた。相手の最初の一言が「ちぃーす」だったので、ろくに挨拶も出来ないようじゃ先はみえているとすかさず電話を切り、直後に「ダメ」のメールを送った。
 彩花は素直に指示に従って男を振り切ったらしい。しかし、そのすぐ後にまた電話がかかってきた。またナンパされたという。どうしたらいいと聞かれたので、男の写真を送らせた。髪の長い男だった。白のTシャツに黒のジャケットをはおったカジュアルな格好で、ぱっと見の印象は悪くなかった。聞くと学生だと言う。遊びだなと、この男も却下。
 それからも電話はひっきりなしに鳴った。犬も歩けば何とやら。彩花が歩けば男にぶつかるらしい。まともに道を歩けているのか、心配になった。百メートルをいかに遅く歩くかという競技がオリンピックにあったら、彩花は間違いなく金メダリストだ。
 「声かけてくる男にいちいち対応しなくていいから」。呆れ気味にそう言って土曜の午後の電話相談は終息したのだった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

なのなのな 2-3

凄まじいモテぶりには嫉妬する気にすらなれない。それにしても、母体の数が多いのだから、その中にはマトモな男がいてもいいはずなのに、桃子のめがねに適う男は一人もいなかった。
 合コンとナンパ、だもんね――
 そもそも母体そのものの質が悪い。付き合いや出会いに積極的なのは百歩譲っていいとしても、気軽さは気持ちの軽さを反映しているようで、桃子はどうしても合コンが好きになれない。しかし、合コンをいくら否定してみせても、彩花はこれだけは譲れないと言って参加をやめようとはしなかった。それならそれでいいと、桃子はひいた。しょせん自分は補助輪、いつかは自分でバランスを取って恋の自転車を漕いでいかないのは彩花なのだ。
 桃子は彩花からのメールを待った。静かなオフィスにアデルのしっとりした歌声が染み入っていく。さっきよりも音量が上がっている気がする。まるで離れたワークステーションにいる桃子に聴かせようとしているように。
 ライブ、誘い損ねたな――
 桃子の恋路はタイミング悪く鳴った彩花からの電話に邪魔された。馬がいたら、間違いなく彩花を蹴らせていた。
 でも――
 誘うより誘われたいのが乙女心。誘わなくてかえってよかったかもしれない。
 誘われなかったのは、誘うような人が貴一にはいるからかもしれない。桃子はそう考えることにした。自分に魅力がないから誘われなかったと考えるより、他に誰かがいるからと考えるほうが精神衛生にはいい。
 彼女がいるのか、なんて聞いたこともない。あまりに露骨すぎるし、知るための回りくどい方法を考えるのも一苦労だ。それだけでパワポのスライド十枚は軽く越す。
 さりげなく聞けたらとも思うが、そんな器用に立ち回れるくらいならとっくに 動いている。貴一とは二人きりで話すこともあるが、仕事の相談にのってもらうだけで、仕事以上の話にはならない。桃子は貴一のプライベートな部分についてはあまり知らない。貴一が洋楽を聴くと知ったのも今夜が初めてだった。
 片思い歴六年。生まれたばかりの子が小学生になる。小学生なら中学生になる。入学した一年生が卒業しようかという年月を経ても、桃子は貴一を卒業できないでいる。
 先輩と後輩の関係、それでもいいと思い始めていた。始まらなければ終わらない。だが、ふと目にしてしまった弱弱しい貴一の姿に心が揺れた。思い続けて六年。今晩ほど貴一のすべてを手に入れたいと思ったことはなかった。
 でも、きっと誰かいる――
 三十過ぎたいい年の男がひとりなわけはない。甘い系統の整った顔立ちで口角がキュッとあがる笑顔が何よりキュートだ。三十過ぎの男にキュートはないかもしれないが、まるで少女マンガの主人公のようにさわやかな笑顔はキュートとしか形容しようがない。
 性格もいい。「ありがとう」が口癖で、どんな小さな頼み事でも人にしてもらったら「ありがとう」と感謝の言葉が口をついて出る。わざとらしさはない。身についた動作で、そうするのが当たり前という態度な上にさわやかな笑顔付きで「ありがとう」と言われたら、大抵は恋に落ちる。桃子は落ちた。
 貴一のような男は、抜け目ない女にさっさと持っていかれていそうなものだが、今だに独身でいるのは、仕事にかまけてしまっているからだろう。今夜に限らず、貴一は夜遅くまでオフィスに残っていることが多かった。彼女がいたとしても、仕事中毒の貴一とは続かないだろう。
 もしかしたら、ライブに誘うような人はいないのかもしれない。桃子の胸に再び希望の火が灯る。あれだけ忙しくしていたら出会いの場もないだろう。貴一は、間違ってもナンパなどしそうもないタイプだし、合コンには少なくとも率先しては行かなさそうだ。
 彩花も、付き合うなら、貴一のような真面目な男を選べばいいのにと、送られてきたメールの写真を見ながら桃子は思った。つくづく彩花は男を見る目がない。誠実な人間を求めるのなら行く場所が間違っている。写真の男たちは三人とも派手な色とデザインのスーツ姿で、髪は色こそ赤、茶、赤紫と違えど、寝癖と見間違えるような同じヘアスタイルで、似たり寄ったりの外見だった。プロフィールにはキラキラしい漢字が並んでいた。それぞれの名前らしいが、読めない。読めないが、艶めかしさだけは十分に受け取れた。
「全員ダメ」と返信し、桃子はケータイの電源を切った。今夜はアデルの歌声に酔っていたい気分だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

なのなのな 2-4

「今ちょっといいかな」
 パーテーションの上から貴一が顔を覗かせていた。桃子は慌ててノートパソコンを閉じた。昼時とあってオフィスには貴一と桃子しか残っていなかった。 
「立木って、デザイナーの長谷川さんと仲いいよな」
 聞き飽きたセリフ、彩花とあまり関わりのない部署の男性社員が言うセリフだ。その後には決まって、彩花を紹介してくれないかと続く。嫌な予感がする。
「仲、いいですけど……」
 貴一の目をみて答えられなかった。
「今週末、空いているか、聞いてもらえないかな?」
「今週末って、今日は木曜日ですよ。週末の予定ならもう埋まっているんじゃないですか」
 彩花をデートに誘うつもりなんだろうか。口の中がカラカラに乾いた。唾とともにどろりとした感情をも飲み込んだ。
「そうだよな。ちょっと急だとは思うけど、一応、聞いてもらえる? 今週末がダメなら来週でもいいから」
「空いてるかどうかぐらいなら聞きますけど、何で知りたいんですか」
 心臓に穴でも開いて血が漏れ出しているのじゃないかというくらいに、手足の先が冷たくなっていく。
 つっけんどんな言い方をしたのに貴一は気づかず、頭をかいて照れ笑いを浮かべた。
「実はさ、大学の後輩がデザイン学校の講師をしているんだけど、そいつが、うちのランチバッグをデザインしたデザイナーと話がしたいって言うんだ。授業の参考にしたいんだと。ランチバッグのデザイナーって確か、長谷川さんだったよな。俺、仕事の付き合いはあるけど、何ていうか、誘いにくくてさ。立木なら仲がいいし、立木から声かけてもらって誘ってもらえないかなあ」
「なぁんだ、そういうことだったんですか!」
 一オクターブ高い声が出て、出した本人の桃子も驚いて口を塞いだ。
「何だと思ったんだ」
「別に何でもないです。今週末だったら、何の予定もないはずですけど」
「本人に聞かないで断定していいのか?」
「多分、大丈夫だと思いますけど、一応確認しておきますね」
 男関係に関しては桃子の指示をあおぐことになっている彩花の予定ならすべて把握してある。それまで彩花が彼氏候補としてあげた男たちには全員失格と言ってあるので、デートの予定は入っていない。だが、貴一の手前、桃子は彩花にメールを送った。
「それで、立木の予定は?」
「私ですか?」
「何驚いているんだ。立木が長谷川さんを連れて来てくれないと」
「え? あっ、週末は特にこれといった予定は――」
 貴一に誘われたのだと理解できるまで五秒かかった。驚きの嬉しさとで脳の処理速度が遅くなっている。アドレナリンって脳を活性化させるんじゃなかったのか。
 メールの着信音が鳴った。彩花からだ。ヘアサロンを予約しているとあった。すぐさま、キャンセルして私に付き合えというメールを送る。
 仕事が忙しくてずっと行けなかったから行きたいというメールが返ってきた。
 桃子は早打ちで、彩花に会わせたい男性がいるとメールを送った。
「大丈夫か? ひょっとしてデートの予定でもあったんじゃないのか」
 彩花とのメールのやりとりをそばでみていた貴一が心配そうに顔を寄せた。
「大丈夫です。彩花、今は彼氏いないので」
 彩花から、ヘアサロンはキャンセルしたというメールをもらって、ようやく笑顔がこぼれた。
「それじゃ、土曜日に」
 待ち合わせの時間と場所を決め、貴一は自分のワークステーションへと戻っていった。
 貴一を見送ってしまうなり、桃子はパソコンを開いた。スリープモードを解除すると、たちまち画面に直前までみていたウェブサイトが出現した。チケット販売サイトで、購入ボタンのあるページが表示されている。
(急ぐことはないよね)
 深呼吸とともに、桃子はブラウズを閉じた。
 誘われぬのなら 誘ってみよう 先輩を
 一大決心をしてアデルのライブチケットを買おうとしていたところに、ダブルデートのチャンスがふってわいた。正確にはデートではないし、お邪魔虫が二匹ついてくるが、仕事の悩みを相談する今までからは一歩前進だ。待ち合わせ時間と場所を決めて、週末に会う。夢にまで見たシチュエーション、頭の中では何度もくりかえしたシミュレーション。その先はまだ夢にも描いたことがなかったが。
 関係を深めていくのはゆっくりでもいい。焦りは禁物だ。二人きりで会いたいと誘われるその日を、気長に待ってみよう――

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

なのなのな 2-5

 それがある場所はわかっている。わざわざ目につかない場所に隠したというのに、まるで洞窟の奥でひっそりと輝くヒカリゴケのように、控えめながらしっかりとその存在を主張し続けるので、気にならずにはいられない。
 ベッドから起き上がった桃子は、その足でまっすぐクローゼットへとむかった。暗闇に慣れた目でスライディングドアをさぐりあて、一息に開ける。ダークな色合いのパンツスーツをかき分け、クローゼットの一番奥にまで手を伸ばす。光り輝くその服をクローゼットから取り出し、まるでカゲロウの羽を扱うかのように慎重な動作で、透明なビニールカバーから服を取り出した。
 裾の長い白のワンピース。首元が少し開いた丸襟に、パフスリーブの袖。麻のような質感の生地は意外にずしりと重い。
 ワンピースを胸にあて、桃子は姿見の前に立った。夏の高原で風に吹かれて佇む少女がセルフイメージだったが、目の前にいるのは貞子でしかなかった。姿見から顔を背けるなり、桃子はワンピースをベッドの上に投げ出した。
 少女趣味の服は似合わないとわかっている。わかっていながら買ってしまった。一目ぼれだった。ワンピースは、駅前のセレクトショップのショーウィンドウに飾られていた。一週間は耐えた。
 似合わない、似合わないと心の内で唱え続け、そのショップの前を通る時は目をそらしていたのに、一週間後、桃子はワンピースを試着しないで買ってしまっていた。
 家に帰るなり、ワンピースを胸にあて姿見の前に立った涼子は悲劇的なまでの似合わなさに衝撃を受け、タグも取らずにワンピースをクローゼットの奥にしまいこんだ。以来、ワンピースは眠れる森の美女よろしく、深い眠りについていた。
 衣替えの季節を迎えても、ワンピースはクローゼットのハンガーに下げられたままだった。一生着るつもりはないのに、どうしてだか手放させない。
 好きだからだ。桃子は少女趣味の服が好きだった。普段着や仕事着にはカチっとしたものを選んで着ているが、好きなのは、フリフリでフワフワで、ヒラヒラしたガーリーな服だ。
 だが、すらりと背が高く、小さくて面長な顔、黒くてまっすぐな髪と、鉛筆のような姿の桃子に、フリルやレースは絶望的なまでに似合わなかった。
 今では潔く、女の子らしい服は諦めて、彩花にも似合うと絶賛されたパンツスーツ姿をはじめとするカッチリした服を着ることにしている。
(やっぱり似合わないか)
 桃子はワンピースを元あった位置にしまった。
(彩花には似合うんだろうな)
 暗闇の中、涼子はふっと小さなため息をついた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

なのなのな 2-6

 類は友を呼ぶ。悪い意味でも、良い意味でも。
 貴一の大学の後輩だと紹介された三上慶介は、貴一に雰囲気が似ていた。背の高さは同じぐらい、髪は三上の方が長めだったが、清潔感のあるヘアスタイルで印象は悪くない。口角のきれいにあがる笑顔はまるで兄弟のようにそっくり同じだった。
 三上はよくしゃべった。デザイン学校で講師をしている三上は、生徒たちにビジネスとしてのデザインを教える科目で彩花のデザインしたランチバッグを取り上げたいと考えていると語った。ランチバッグは市販の保冷剤を入れて使うタイプのもので、ランチバッグとしてでだけでなく、ちょっとした小物入れバッグとしても使える可愛さが若い女性に受けてヒット商品となった。
「佐野先輩のいる会社だから、もしかしたらデザイナーと話が出来るかもと思って、ダメもとでお願いしたんです」
 三上は、デザインのコンセプトや、何からインスピレーションを受けたのかといった質問を彩花に浴びせかけた。対する彩花の返事は、「はい」か「いいえ」のどちらかで、たまに二言三言を加えるだけの愛想のないものだった。傍から見ていても、彩花が三上の話に興味が持てないでいるのは明らかで、桃子は焦った。三上に対する失礼はすなわち貴一に対する失礼だ。
 だが、当人の三上は彩花の態度に気づいているのかいないのか、一人で質問を続けていた。彩花の気のない返事だけでは質問の答えにならない場合は、貴一が間に入って説明を加えた。社内だけで通用する言葉だとか、商品開発の細かい過程などについてで、貴一の対応はまるでそつがなかった。
 三上の質問に対して、彩花が答えあぐねている時も、貴一は「―ということかな」と彩花に替わって答えを考えだした。彩花は黙ってうなずくだけでよかった。その光景は、まるで名門小学校の面接試験を受けているようだった。天気がよかったので、四人は通りに面したオープンカフェのテラス席に陣取っていた。貴一と三上が並び、三上の正面に彩花、貴一の正面には桃子が座った。さしずめ、三上と貴一が面接官で、桃子が彩花の母親として面接の行方をハラハラしながら見守っているといった格好だった。
「ちょっと失礼します」
 そう言って席を立った桃子は、化粧室に入るなり、彩花にむけてメールを打った。
「お待たせ」
 五分ほど間をあけてから席を立って化粧室に来いというメールだったにもかかわらず、彩花はすぐにやってきた。
「時間ずらしてって言ったのに、すぐに来ちゃったら呼び出されたってわかっちゃうじゃない!」
「別にいいじゃない。実際、話あるから呼び出したんだよね」
「まあ、そうだけど」
 桃子は気を取り直し、息を整えた。
「彩花、あんたいい年した大人なんだし、社会人だし、三上さんはデザインについて話を聞きたいって言っているんだから、そういった質問にはきちんと丁寧に答えようよ。それが相手に対する礼儀ってものじゃない」
「彼、タイプじゃないから、話しててもつまんないんだもん」
 彩花は唇をツンと尖らせた。
「タイプじゃないって。あのさ、これは合コンじゃないの。本人も説明してたでしょ。デザイン学校の生徒に彩花のデザインしたランチバッグについて講義したいから参考に話を聞きたいんだって」
「そうかなあ。下心ある感じがする。ランチバッグの質問の合間に、『どんな映画が好きですか』
とか、『休みの日は何してますか』とか、関係ない話を聞いてくるけど」
「いいじゃないの、別に。彩花が気に入って個人的な話も聞きたくなったんじゃないの。いい人そうだし、佐野先輩に言って紹介してもらって、付き合ってみるってのはどう?」
 我ながらいいアイデアだと桃子はほくそ笑んだ。彩花と三上が付き合うようなことになれば、二人をだしに貴一を呼び出して、四人で遊ぶ機会も増えるかもしれない。
「やだぁ。彼、タイプじゃないもん」
「タイプじゃないって言うけど、彼みたいな人がいわゆるいい男なんだよ。見た目も悪くないし、っていうか、いい方だし、ちゃんと定職にも就いててさ。彼みたいな人と付き合ったら、騙されたり、泣かされたり、そういうこと絶対ないと思うし」
「ふうん」
 彩花は小首を傾げた。
「そういえば、いつか桃子が言っていた理想の男性像に何となく似てるかな」
 どんな男ならいいのかと聞かれた桃子は、貴一を頭において理想の男性像を熱く語った。三上は貴一に似たところがあったから、三上イコール桃子の理想の男性像となるのは当たり前といえば当たり前だ。
「本当に、三上さんみたいな人がいい男なの?」
 疑り深げに、鏡越しに彩花が桃子を見つめた。
「今時のイケメンタイプじゃないけど、時代を超えて、世代を超えて、誰にでも長く愛される優良物件。彩花のことを大切にしてくれるタイプだよ」
「でもさ、彼、結婚してるよ」
「ほえ?」
 ボリュームを最大にしたまま消したテレビをつけた瞬間のような大きな声で、出した桃子自身が驚いた。化粧室内とあってエコーのおまけ付きだった。
「け、け、結婚してるって? 本人がそう言った?」
「桃子、気がつかなかったの? 彼、結婚指輪してるよ」
「全然……」
 初対面の挨拶を済ませてしまうと、桃子は貴一にばかり気を取られていて、三上のことは眼中になかった。名刺をもらい、デザイン学校での仕事についても簡単に聞かされたが、何ひとつ覚えていない。
「前言撤回、結婚しているならダメ、絶対!」
「そうでしょ。私だって不倫はもう嫌だもん」
 独身だと嘘をつかれて付き合ってた男が彩花にはいた。男の妻にバレてちょっとした修羅場になったと話には聞いていた。
「そういえば、アデルって知ってるって聞いてたね」
 三上の話などまるで聞いていなかったが、ふいに知っている名前を耳にして、その時だけは桃子も三上に注目した。来日公演が目前に迫っていた。ライブに誘う気なのかなと、まだ三上が独身だと思いこんでいたその時は、ワクワクするような気持ちで彩花の返事を待ったのだった。
「彼女、もうすぐ来日するんだ」
「知ってたの? でも、三上さんには洋楽きかないって返事してたよね」
「うん」
「あれ?」
 彩花と三上の会話に違和感を覚え、桃子は少しの間、考え込んだ。
「洋楽聴かないなら、アデルがむこうのアーティストだってわからないよね?」
「洋楽聴くから、アデルがイギリスのアーティストだって知ってるよ。知ってるけど、ライブに行く気はありません、誘いには乗りませんっていう意味で『洋楽聴かない』って言ったんだけど、意味通じたかな?」
 彩花は鏡にむかって肩をすくめてみせた。

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なのなのな 3-1

 はぁっはぁっはぁっ……
 荒い息遣いが聞こえてくる。隣の部屋からだ。壁が薄いらしく、上下左右の部屋の生活音は筒抜けだ。とはいえ、寝に帰ってくるだけの部屋だからさほど気にしてはいなかった。三か月前、隣の六〇七号室に新しい隣人が越してくるまでは。
 はぁっはぁっああ…あは…はぁっ……
 腹筋でもしているのだろうか。日曜の朝早くから体力作りとは、ずいぶん熱心な――
 そんなわけはない。
 処女じゃあるまいし、桃子には息遣いの正体がすぐにわかった。
 はぁっはぁっああ…ん…はぁっ……
 桃子はすぐさまテレビのスイッチを入れ、音量を上げた。気が紛れたのはほんのわずかな間で、まるでテレビの音量に対抗するかのように「声」が大きくなった。
(聞かせようとしてんの?)
 そうとしか思えない声の大きさだった。
 桃子はテレビ通販の画面を食い入るように見つめた。映像の力を借りて気を散らすしかない。
 ――散らなかった。
 女の声がオクターブずつ上がっていく。アーアーアーアーアー……まるでアカペラグループの音合わせだ。
 隣人は七色の声の持ち主だ。色っぽい低音の時もあれば、窓ガラスが割れそうな高音を出す時もある。同じ人間が出す声なのかと不思議に思うほど、まるきりトーンの違う時もある。一度、ガマガエルのつぶれたような声がしたことがあった。自分が相手の男なら、その気が失せると思ったものだが、出した本人もそう感じたらしく、ガマガエル声は一度しか聞いたことがない。
 隣に住む女とは二度会ったことがある。最初は、マンションの火災報知器が故障した時で、女はドアの隙間から顔をのぞかせ、周りの様子をうかがっていた。桃子もまた、何ごとかとドアの間から顔を出して他の住人たちの様子をさぐっていて目があった。
 夜中とあって、女はにすっぴんだった。かろうじて眉間に残る眉根は平安貴族を思わせた。実際、平安時代だったら美人だっただろう。細い目、鉤鼻、しもぶくれと平安美人に不可欠な三大要素がそろっていた。
 二度目は、会社帰りに偶然エレベーターで乗り合わせた時だった。真冬だというのに真紫のミニワンピに白のファーのコート、白いニーハイブーツをあわせ、甘ったるい香水をつけていた。
その香水がきつくて、桃子はエレベーター内で窒息しそうになった。先に降りてくれないだろうかと願っていたら、桃子と同じ六階で降り、さっさと六〇七号室に入っていった。その姿は、以前見かけた時とはまるで別人だった。ロングヘアーの金髪は縦にロールが巻いてあった。細い目はアイメイクで大きさが二倍以上になっていた。
 六〇七号室の女はどうやら男がいないと生きていけないタイプらしく、しょっちゅう男を連れ込んでいる。彼女が引っ越してきたその夜から、桃子は「騒音」に悩まされ続けている。
 彼女には、朝も夜も週末も平日も関係ないらしい。いつでもイチャイチャ、ラブラブ、生理の時でも構わずヤっているようで、毎日毎日よく体がもつなあとかえって心配になるくらいだ。
 こうもあっけらかんと声を聞かされ続けていると、悶々ともしない。さながらBGMのようなもので、他の部屋から聞こえてくるテレビの音や音楽と大差ない。大差ないが、うるさいには違いない。
 桃子はげんこつをつくり、六〇七号室側の壁を二、三度叩いた。声のおさまる気配はない。聞こえなかったのかと、今度はやや強めに壁を叩いた。それでも声はやまなかった。
 それなら気づくまで叩いてやろうじゃないかと、桃子は壁を叩き続けた。木魚を叩く要領で壁を叩き続け、そのリズムに恍惚となりかけていくうちに壁の向こう側が静かになっていると気づいた。ようやく桃子のメッセージが届いたらしい。
 これでやっと平和な日曜の朝が戻る。まだ七時過ぎだった。今からでも二度寝するかなと思ったその時、部屋のインターホンが鳴った。
 客がくる予定はない。宅急便でもないだろう。どうせ新聞の勧誘か、国営放送の受信料の取立てだろう。無視しておけば、そのうちいなくなるだろうと桃子はベッドにもぐりこみ、布団をかぶった。
 だが、インターホンは鳴りやまなかった。まるで桃子がいるとわかっているかのように誰かがインターホンを鳴らし続けている。怖くなってますます出る気がしなくなったが、出なければ出ないで、インターホンは鳴りやまない。
 恐る恐る玄関へむかい、桃子はドアスコープから外を確かめた。何かでふさがれているのか、ドアスコープからは白い靄のようなものしか見えなかった。ドアチェーンをしっかりとかけ、桃子はゆっくりとドアを開けた。

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なのなのな 3-2

 ドアの隙間から若い男が顔をのぞかせた。まるで爆風にでも煽られたかのように、男の長めの髪は根元から立ち上がり、好き勝手な方向を向いている。
「隣のもんだけど。壁叩くのやめてくんない? うるさいんだけど」
「うるさいってっ! 痛っ!」
 逆に文句を言われたのに腹が立ち、くってかかろうとした勢いで、桃子は自分がかけたチェーンに思いっきり鼻頭をぶつけてしまった。それを見た男は、無遠慮に大声で笑った。
「うるさいのはどっちよ! 日曜の朝から声聞かされて参ってるのはこっちよ!」
「声? 声って何?」
 男はにやついていた。わかっていて桃子に言わせようとしているのだ。まるでセクハラおやじではないか。オヤジというほど年はいっていない、桃子よりも二、三歳は若いだろうか。よく見ると、ひな人形のように整ったきれいな顔立ちをしている。
「ヤってる時の声よ」
 桃子は胸を張って言い返してやった。セクハラをするような連中は、女性が恥ずかしがる反応をみて楽しむ。連中の思うツボにはまらず、ぎゃふんと言わせるには堂々と振る舞った方がいい。
「ムラっとしちゃうから、たまんないんだ」
「しないっての」
 チェーンがなかったら、殴りかかっていっていたかもしれなかった。見知らぬ人間から身を守るためのチェーンだが、今は失礼きわまりない男を桃子から守ってしまっていた。
「近所迷惑なの。ヤるのは別に構わないけど、もう少し、音とか声とか、気をつかってくれない?」
「うるさいなら、そっちが耳栓でも何でもすればいいじゃん」
 男は悪びれた様子もなく言ってのけた。どうやら自分たちが静かにするという考えはまったくないらしい。
「ねえ、ちょっとさ、彼女と直接話させてくれる?」
 壁を叩くような隣人相手だからと用心し、六〇七号室の女は彼氏の男を差し向けたのだろう。だが、間に他人が入ると問題が大きくなるばかりでちっとも解決しない。
 桃子はいったん部屋のドアを閉めた。今日こそは面とむかって隣の女に文句を言うつもりだ。

 チェーンを外して再びドアを開けると、外の廊下に男が立ちはだかっていた。デニムにシャツをはおっただけ、シャツのボタンは申し訳程度に腹のあたりでひとつ留まっているだけだった。
「何で彼女と話したいの」
「何でって。女同士で話した方がいいの。こういう微妙なことは」
「微妙な話って何?」
「だから、その、いろいろとよ」
 桃子は視線を宙に泳がせた。男の裸の胸を見ないようにと意識すればするほど、目が開いたシャツの胸元にいってしまう。
「彼女と付き合っているなら、あんたとも話した方がいいかもね。さっきも言ったけど、あんたたちの喘ぎ声がうるさいのよ。聞きたくなくても聞こえちゃうの。男のあんたは気にしないかもしれないけど、彼女は女の子なんだよ。そういう声をみんなに聞かれているって知ったら恥ずかしいでしょ」
「みんなって誰?」
「上下左右、このフロアーの部屋の人はみんな聞こえていると思う。ここのマンション、壁が薄いから丸聞こえなの。あんたは遊びにくるだけだから知らないでしょうけど、彼女は住んでいるだから、知ってると思うけど」
「知らないと思うな」
 男は自信たっぷりに言い切った。そんなはずはないだろうと言いかけて、桃子は口をつぐんだ。
「……そうね、知らないかもね。知ってたら、マンション中の人に聞こえるってわかってて、声を出したりはしないものね。やっぱり、彼女と二人きりで話させて」
「彼氏いる?」
 唐突な質問に、桃子はめんくらった。いつになったら一メートルもない六〇七号室のドアにたどりつけるのか。
「てか、まさか処女?」
「ちがいますっ!」
 反射的に大声が出てしまった。これで近所中に桃子が処女ではないと知れ渡ってしまった。もっとも、桃子の年で処女とは誰も信じてはいないだろうが。
「彼氏がいようがいまいが、それと近所迷惑な騒音と何の関係があるのよ」
 桃子はくってかかった。
「愛し合っている時の声って、我慢したって出るもんじゃん。おならと声は出した方がいいって、小学校で習わなかった?」
「はあ? 意味わかんないんですけど」
「だからさ、声を出すのもセックスの一部だってこと。静かにヤってたら味気ないっしょ。ドンドン声出して盛り上がっていかないとさ。ねえ、ほんとに処女じゃない?」
「ちがうっての!」
 男の疑るような視線を振り切るようにして桃子は六〇七号室のドアに向かった。ドアを開けようとしたまさにその瞬間、素早い身のこなしで男が立ちはだかった。正面突破するつもりだった桃子は勢い余って、男の胸に顔をうずめるはめになってしまった。汗でほんのり湿った肌に唇が触れ、慌てて身を引いた桃子は、その反動で廊下の壁に後頭部を思い切り強くぶつけて床に倒れこんだ。

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