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あじろ けい

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【雑記】2015年の目標見直し

……えっと……半年過ぎまして、もう8月。後半始まってますけども。。。

年頭にたてた目標を振り返ってみたいとおもいます。

1.恋愛ものを公開する
去年書いたもの2本を公開する予定。
「なのなのな」は公開しました。残り1本は近日公開予定です。

2.ミステリーを書く
少なくとも1作品は仕上げたい。
書いたよ、書いたよ、書き上げたよ!
この作品のせいで、他にはなーんも書けなかったのだ。
なんと半年もかかちゃった。しかもこれから打ち込みアーンド推敲。いつ仕上がるの??


3.短編
構想だけはあって、あとは書くだけ。
なんの話??

4.童話
以前公開していた作品の改稿作業+男子主人公のもの。
まるでできてまセーン。

5.ショートショート
できたらってことで。
できなかったってことで。

6.ファンタジー
和風ファンタジー。構想はある。
構想も忘れたぞ!

7.罪喰いを完結
データ化、がんばれ。
まるで手つけてない。。

8.詩
お、おう。がんばって書いてみる。
一本書きました。

総括
うはははははははははは…………
8目標中、3目標達成。。ま、まあ、いいところなんじゃないでしょうか。



ここからは後半目標。
1.恋愛小説を公開

2.ミステリー完結

3.罪喰い完結

す、少ない。
しかし、断言しよう。このうち、半分も達成できないであろう!

だれか、私にありあまるお金と時間と才能を頂戴!
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テーマ:物書きのひとりごと
ジャンル:小説・文学

あらすじ

周囲がようやく結婚しはじめる三十代になって離婚、子供を連れて実家へと戻ってきた涼子。独身という意味では幼なじみたちと同じ立ち位置にいるものの、その実態は周回遅れ。再婚するにも就職するにしても、何倍ものスピードで駆け抜けていかないとならない涼子――はたして周回遅れは取り戻せるのか?

R-18
エロシーンはありません。が、そういうことについて語るシーンがあるので指定しました。

キャッチバナー

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

キャッチアップ 1

 視線は感じるものらしい。
 それも痛く、熱く。
 頬から顎、首筋から胸元へと男の視線は滑り落ちていく。男に見られている間中、涼子はまるで絵のモデルをしているかのように、窓の外を見つめるというポーズをとり続ける。
 信号が青に変わり、バスは再び走り始めた。車窓を、見慣れた景色が流れ去っていく。
 見られていると気づいたのは、つい一か月前だ。いつものようにバスに揺られながら膝の上に広げた教科書を読みふけっていると、額を何かが這っているような感触があった。虫かと思い、顔をあげると、男の視線とかち合った。
 視線の主はバスの運転手だった。バックミラー越しに涼子と目が合うと運転手の男は慌てて視線を逸らした。はじめはただの偶然だと思っていた。火曜日、夕方五時のバスに乗る時に限ってと、偶然が重なるにつれ、見られていると気づいた。
 女を求める時の男の目。強い眼差しだけれど、どこかに甘ったるさのある視線。見られる者をがんじがらめにし、蕩かしてしまう。
 三十過ぎでもまだ女として意識してもらえるものなのだなと、みぞおちのあたりがくすぐったくなった。まばらな乗客には年寄りの姿が目立つ。この町では涼子はまだ若いうちに入る。
 涼子の生まれ育った町は小京都と称えられる。古くは江戸時代からの町並みが続き、近隣には歴史ある神社・仏閣が点在する。訪れるには趣のある町だが、住む者には重苦しさがある。
 時の止まったような黴臭いこの町が、涼子は嫌いだった。いつまで経っても変わらない町並み、そこに住む変わり映えのしない人々。時間の澱みに堪えられず、短大進学を機に涼子は町を飛び出した。
 東京では、人も時間も速足で駆け抜けていく。わずらわしさを感じたならば、ヤドカリのように貝を変えればいい。住む場所だったり、付き合う人間だったり、時には自分というものでさえも、風に吹かれるままに変えた。卒業後も地元には帰らず、東京で就職し、東京の人間と結婚した。
 実家まで電車でわずか数時間だというのに、涼子は上京以来、足を向けようとはしなかった。盆暮れであっても何かと理由をつけて帰郷を拒否し、結婚の挨拶をしにはさすがに戻ったが、滞在はわずか数時間だった。郷愁の思いなど沸くはずもなく、感じたのは息苦しさだけだった。心まで黴てしまいそうな田舎特有の風通しの悪さに身震いするほどの嫌悪感を覚え、涼子はそそくさと故郷を後にした。出産の時も、頑として実家には戻ろうとしなかった。
 ちょうど一年前の今頃、季節が秋めいてくる時期だった。離婚した涼子は誠を連れて実家に戻ってきた。上京以来、十年余りの歳月が経っていた。
 離婚の原因は雅弘の浮気だった。離婚はしたくないという雅弘と何度も話し合いを重ね、ようやく去年の春に離婚が成立した。二歳になったばかりだった誠は涼子が引き取った。
 誠とふたりで生きていく、女ひとりでも立派に育ててみせると意気込んでいた涼子はすぐに現実の分厚い壁にぶつかった。仕事をしようと思えば誠の面倒を誰かにみていてもらわなければならない。だが、仕事をしているなどの理由がない限り、保育園は子どもを優先的に預かってはくれなかった。幼い子どもを抱えていては就職活動すらままならなかった。結婚後半年で仕事を辞めてしまい、その後は専業主婦に甘んじていたから、ろくなキャリアも積んでいなかった。たちまち涼子は行き詰った。
 誠が幼いうちは、レジ打ちのパートなどで何とかやりくりできるだろうが、大学へ進学させようとなると目もくらむような金が必要になる。結婚していた時には当たり前のように考えていた誠の進路が、現実の壁の向こうへと消えてしまった。
 自分が甘かった。夫の浮気に腹を立て、感情的に離婚を選択してしまった。もっと真剣に現実をとらえ、計画的に離婚を押し進めるのだったと後悔しても後の祭りだった。
 涼子は実家の両親に頭を下げ、就職に役立つ資格を取るからそれまでの間、親子ともども面倒をみてくれと頼み込んだ。父は快諾したが、母は渋い顔をした。それでも孫の誠かわいさに結局は涼子たちを受け入れてくれた。
 この春からは、栄養士専門学校に通っている。食べることも料理も好きだからと栄養士の資格を取ることにしたのだ。
 栄養士専門学校は、実家からバスで一時間の市内中心部にある。往復にかかる二時間は貴重な勉強時間だ。家に帰れば、誠の世話で勉強どころではない。バスに乗るなり、膝の上に教科書をひろげ、脇目もふらずに読み耽る。そんな生活を続けて半年近くになろうとしている。
 信号待ちのたびに、運転手の男はバックミラー越しに涼子を見つめていた。見るだけである。声をかけてくるわけでもない。もう少し若かったら気味悪く思っただろうが、酸いも甘いも噛み分ける今は、男に見られるという甘さだけを啜り、心地よく酔うことにしている。
 それにしてもどんな男なのだろう。
 ふと気になった。見られるばかりで、涼子は視線の主を知らない。運転手だということはわかっているが、バスを乗る時も降りる時も、運転手の顔をいちいち確かめたりなどしない。
 涼子は窓に向けていた顔を正面に戻した。視線の先にバックミラーがあった。運転席からこちらが見えるのなら、こちらから運転席にいる人間が見えるはずだ。運転中なら前を向いているから気づかれまい。涼子は大胆にも席から身を乗り出して運転手の顔をうかがった。 
 黒々とした眉に大きな瞳、鼻筋の通った大き目の鼻が顔の中心に居座っている。ふっくらと厚みのある唇は富士山を彷彿とさせる優雅な佇まいで、口を閉じていても微笑みを浮かべているように見えた。髪は、坊主頭とまでは言わないにしろ、短く刈り込んであった。
 見とれるほど良いわけでもなく、かといって目を背けたくなるほど悪い顔というわけでもない。特に特徴らしい特徴もない、次に会っても初対面だと思って挨拶してしまいそうな平凡な三十男の顔に、涼子は見覚えがあった。
 だが、記憶の引き出しから出てきた男の顔には名前というラベルがついていなかった。はがれてしまったのか、はじめからついていなかったのか。
 誰ともわからない運転手の顔をぶしつけに眺めまわしていると、バックミラー越しに運転手と目があった。静電気の弾けるような軽い刺激がこめかみを走る。
 涼子は慌てて首を折り、膝の上の教科書を読むふりをした。
 いつの間にやらバスは交差点でエンジンをかけたまま停まっていた。信号が青に変わると、バスは再び走りだした。
 涼子は教科書を読むふりで、その端から目だけを突き出して運転席をみやった。運転手は正面を向いて、運転に集中している。
 見られていたと気づかれただろうか――
 怒りのようなマイナスの感情は感じられなかった。それどころかプラスの、慈しむような、懐かしむような感情を、涼子は目のあった一瞬のうちに感じとっていた。
 知り合いだろうか。三十過ぎと年頃も近い。小学校か中学校か、ひょっとしたら高校の同級生といったところか。親の仕事を継いだり、地元で就職したりと町に残っている同級生たちは少なくない。
 それにしても、見覚えのある顔なのに何故誰であるかが思い出せないのだろう。
 目は教科書の字を追いながら、脳は記憶の整理にせいを出していた。
 バスは走り続ける。
 そもそも知り合いなどではないのかもしれない。芸能人かスポーツ選手に似ている、案外そんな簡単なことだったりするのかもしれない。 
 バスが停まった。信号が赤なのだろう。視線を額に感じる。
 車体は小刻みに揺れていた。ずいぶんと長い信号だ。
 信号待ちにしては停車している時間が長すぎる。
 どうしたのだろうかと窓の外を見たのと、声をかけられたのとが同時だった。
「小原さん、ここ、降りるとこだよ」
 バスは、家の近くのバス停の前で停まっていた。隣の席においたリュックをひっつかむなり、教科書を胸に抱え、涼子はバスを飛び下りた。
 背後でドアが閉まり、バスは走り去っていった。
 声をかけてもらわなければ終点まで乗り過ごしてしまうところだった。
 それにしても声をかけてくれたのは誰だったのだろう。乗客の誰かだったのだろうか。しかし、終点近くとあって、客はそうは残っていなかったはずだ。下手したら涼子が最後の客だったかもしれない。
“小原さん”
 男の声だった。そして呼びかけられた名前は、涼子の旧姓だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

キャッチアップ 2

 玄関の戸を開けるなり、転がり出てきたのは誠だった。短い両腕を車輪のようにグルグルまわしながら駆けてきて、涼子の膝に突進した。
「ママ! ママ!」
 舌足らずな口ぶりでくりかえし、涼子に靴を脱ぐ暇も与えずに誠は涼子の足元にまとわりついた。
「ただいま。誠、いい子にしてた?」
「うん、いい子にしてた」
 誠を抱き上げ、居間に入っていくと、玄関でかすかに嗅いだ栗の香りが強くなった。
「おかえり。今日は栗ごはんよ」
 エプロンで両手をぬぐいながら、母が台所から顔をのぞかせた。
「だと思った。玄関まで栗のにおいがしたもの」
「あなた、昔から鼻がいいわね。着替えてらっしゃい。その間におかずの鮭焼いちゃうから」
「はあい」
 誠をソファーに座らせ、二階の部屋にあがろうとすると、ちょうど風呂からあがったばかりの父に出くわした。
「お、帰ったのか」
「うん」
 パジャマ姿の父は冷蔵庫を開け、ビール缶を取り出した。風呂上りに一杯飲んでそのまま寝てしまうのが父の習慣だ。持病の糖尿病にはよくないのだが、注意しても聞かない父なので、この頃では母も諦めてしまって、涼子にむかって無言で首を振って見せるだけだった。
 離婚するという話をした時、母は我慢が足りないと涼子を叱った。浮気ぐらい、男なら誰でも一度はあることだからぐっと堪えなさいと言われたのは同じ女として心外だった。逆に、結婚する時、男にはいろいろとあるのだから片目をつぶっておけと言った父が、雅弘の浮気に激怒し、そんな男とはさっさと別れろと言った。自分の娘が泣かされるとなると話が違ってくるものらしい。実家でしばらく面倒をみてもらえないかという話をした時、母はいい顔をしなかったのに、娘が戻ってくると手放しで喜んだのは父だった。昔から一人娘の涼子には甘い父だった。
 父はこの町で生まれ育ち、就職も地元で、結婚相手にも地元の人間を選んだ。母とは高校時代の知り合いだった。三年前に公務員を退職し、今は誠の相手をするか、庭いじりをして一日を過ごしている。糖尿病と医者から言われたのは退職する直前、涼子が結婚したばかりの頃だった。食事制限がきつくて献立を考えるのが一苦労よと母はよく愚痴をこぼしていた。そうは言いながら、母ははりきって父のために食事を用意していた。もともと料理は好きな方で、手をかけるのを厭わない。白飯は涼子が中学に入学するまでは釜で炊いていて、「はじめちょろちょろ、なかはっぱ、赤子が泣いても蓋とるな」と、火加減を教えてくれたのは母だった。味噌汁も出汁から取る。母は、煮干しと鰹節を使った。苦味があるので頭とはらわたを取り、水から煮出す。沸騰したところで鰹節を投入して出汁を取る。そうやって作った味噌汁は海の味がした。味噌汁はそうやって作るものだとばかり思って雅弘にも母直伝の味噌汁を作って出したら、魚臭いと不評を買った。何も言わずに細粒の出汁を使って作った味噌汁はうまいと絶賛された。料理に手間をかけなくなるとともに、愛情も薄れていったのかもしれない。

「青味が足りないね」
 食卓には、栗ごはんにキノコの味噌汁、鮭の塩焼き、ちくわとぜんまいの煮物が並んでいた。食欲をそそられはするが、茶色の服に茶色の靴をあわせているようなものだから、センスがないと一刀両断されるような彩の悪さである。
「この季節、葉物はなかなかないわねえ。あ、キュウリの糠漬けならあるわよ。食べる?」
「うん」
 母は用意するからと言って台所に引っ込んだ。
 涼子はいただきますと言って両手を合わせ、味噌汁に口をつけた。海の味がする。体だけでなく、気持ちまであたたまっていく。
「おいしいでしょ、その栗。お向かいの野山さんからいただいたの。週末に栗拾いに行ったんですって」
 糠漬けを手に、母がむかいの席に座った。ちゃっかり自分の分も用意していて、お茶うけに糠漬けをかじっていた。父はすでに二階の寝室にあがっていた。年寄りの夜は早い。夕食はとうに済ませてあり、涼子の顔を見て二階にあがるのがもうひとつの父の習慣だ。母の習慣は、夕食をとる涼子とおしゃべりに耽ることだ。
 誠はソファーでうたた寝をしていた。母がかけてくれたブランケットが規則正しく上下に波打っていた。
「たくさんあるから、明日は渋皮煮を作ってみようかしら。キュウリ、どう? ちゃんとつかってる?」
「ちょっと浅いけど、これはこれでおいしいと思う」
「塩分控えたからね」
「塩控えると雑菌が増えるよ」
「そうはいっても、ほら、お母さん、高血圧だから」
 父も母も年を取った。つくづく涼子はそう思う。父は白髪頭になり、母も染めてはいるが生え際に白いものが目立ち、髪そのものにもはりがすっかりなくなってしまった。
 食卓の話題も健康に関するものが多くなった。涼子は専門学校で得てきた知識を母に披露する。塩分や糖分の話は、父や母の健康状態にも関係あることで、母はおもしろがって涼子の話を聞く。調理実習で教えてもらった料理を、家で一緒に作ることもある。
 母と並んで台所にたつと、まるで娘時代にかえったような錯覚に陥る。それは母も同じなようで、はじめは家事を半分は手伝えと言っていたのに、この頃では勉強が忙しいでしょうと言ってせっせと涼子の面倒をみている。いくつになっても、結婚して離婚して、子どもがいようとも、父と母にとって涼子は娘でしかなかった。
「そうそう、角の魚屋さんとこの辰雄ちゃん、今度結婚するんだって」
「へえ、タッちゃんが」
 タッちゃんこと藤山辰雄は、近くの商店街にある魚屋の息子で、涼子とは隣に一軒家を隔てたご近所だ。小学校、中学校までは同じ学校に通ったが、市内の高校に進学した涼子に対し、タッちゃんは地元の高校に進学し、卒業後は魚屋を手伝っている。
「お相手は、お店の手伝いをしている女の子なんですって。商売のこともわかってくれてる人だからいいんじゃないのかしらねえ」
 母はまるで自分の息子が結婚するかのように目を細めて喜んでいた。
 結婚します、結婚しました、そんな知らせが最近多くなってきた。三十一歳、昔なら遅いくらいだが、今は、適齢期といってもいいかもしれない。むしろ早いくらいで、昔の職場の同期はまだ誰も結婚していない。
 結婚は早い方だった。短大を卒業し、家電メーカーの事務職に就いた。仕事にも慣れてきた三年目、同じ営業部に勤めていた雅弘と付き合い始め、一年後に結婚した。誠が生まれたのは結婚して三年後だった。
 涼子が結婚、出産、育児、離婚と目まぐるしく動きまわっている間、他の人間は人生のトラックをゆっくりした速度で走っていた。彼らを周回遅れにしたつもりでいた涼子だったが、独身という意味では今や彼らと並んで走っている。しかしそれは見た目だけで実際には涼子はいつの間にか周回遅れにされていた。人生を軽やかに駆け抜けていく彼らに追いつくには、涼子は倍以上のスピードを上げなければならない。その上、就職、再婚といったハードルも飛び越えていかなければならない。追いつくどころか、脱落するのではないかと不安に陥ることすらある。就職というハードルをはたして乗り越えられるのかどうか。
「ベッドでねんねしようね」
 ぐずる誠を抱えて、涼子は二階の寝室にあがった。結婚していた時から、誠を寝かしつけるのは涼子の役目だった。離婚しても誠との生活に変化はない。雅弘は物理的に存在はしていたが、涼子にも誠にも積極的に関わってこようとしない雅弘はいないも同然だった。
 涼子は誠の丸く盛り上がった腹を規則正しく叩きながら、その寝顔を見つめた。心臓の動きにあわせたリズムを体に感じていると安心して眠くなるらしく、腹を叩いていると誠はすぐに寝入ってしまう。叩いている涼子もまた、気持ちが穏やかになる。何がなんでもこの腹を満たし続けよう。そんな強い気持ちが体の奥底からふつふつと湧いてくるのだった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

キャッチアップ 3

 栄養士の資格を得るには、大学や短大、専門学校といった施設で必要となる勉強をしなければならない。卒業と同時に資格は取得できる。一日も早く就職したい涼子は、専門学校の二年制を選んだ。最初の一年は、体と栄養の関係、公衆衛生などの基礎分野を学ぶ。二年目には栄養について専門的な知識を勉強する。
 授業は朝早くから始まって夕方に終わる。忙しいスケジュールをぬってアルバイトをしているクラスメートもいて、涼子もパートでもしようかと考えたが、いざ学校に通い始めてみれば勉強だけで手一杯だった。往復二時間の通学時間を勉強にあてても授業についていくのがやっとである。秋が深まるにつれ次第に夜遅い時間まで学校の図書館に残って勉強することが多くなっていった。
 二週間後に試験を控えたある日、涼子はいつものように図書館に引きこもっていた。
「遠藤さん」
 声をかけてきたのは大木克弥だった。学生には高校をでたばかりの若者が多い。二十代、三十代だろうと思われる年代の学生もいるが、少数派だ。学生のほとんどは女性で、涼子のクラスには男性の学生は三人しかいない。そのうち二人は少年の面影を色濃く残しているが、残る一人、二十代の青年が克弥だった。
 人懐っこい性格なのか、克弥は年の差を気にすることなく誰にでも声をかけては親しくしていた。他の生徒たちとは距離を置いていた涼子だが、年が近いせいもあって、大木克弥とは気軽に口をきけた。涼子は克弥を二十七、八ぐらいに思っていて、克弥の方は涼子を自分と同じ年、二十五だと思っていたと後で知った。
「試験勉強? 俺もそろそろ勉強はじめないとまずいかな」
「まだ二週間もあるじゃん。余裕、余裕」
 克弥と涼子の間に割り込むようにして顔を見せたのはクラスメートの長友由紀だった。
「試験勉強なんて一週間あれば十分でしょ」
 そう言って由紀と笑顔を交わしたのは、山谷恵美だった。
 夏以降、克弥には由紀と恵美がまとわりついていた。華奢な体つきで大きな目をした人形のような恵美に、ショートカットで健康美あふれる由紀。タイプのまるで違う二人だが、ともに美女である。
 三人はそのまま、立ち話を始めた。勉強したい涼子には、彼らの世間話が耳障りで仕方なかった。これなら、家に帰って誠の相手をしながら勉強する方がましだ。バスのある時間かどうか時計を確かめたとたん、美恵が叫んだ。
「やだ、バイトの時間!」
 美恵は慌てて腕に抱えていた教科書をカバンに投げ入れ始めた。
「大木さん、バイト先まで送ってもらえる?」
 美恵が上目づかいで克弥をうかがっていた。
「私も送ってもらってもいい? うち、美恵のバイト先と同じ方向だから」
 由紀も手にしていたプリントをそそくさとカバンにしまい始めた。
「いいよ」
 克弥の返事は気前よかった。克弥は車で通ってきていた。
「遠藤さんは? よかったら送っていくけど」
 克弥はその場で涼子を待っていた。机の上に広げられたままの教科書とノートを書片づける様子もなく涼子は言った。
「私はもう少し勉強していくから」
「そう。じゃ、また明日」
 リュックを背に、克弥はすでに先を行く恵美と由紀のもとへとかけていった。これでやっと勉強できると、涼子は大きく息を吸いこみ、教科書の海へと潜っていった。
 克弥たちが去ってからどれくらいの時間が経ったのだろう、肩をもみながら首をまわしていて見えた外の景色はすっかり暗闇に包まれていた。走れば七時のバスに間に合うと時計を見て確認し、誠は起きて待っていてくれるだろうかと思いながら荷物をまとめ始めた時だった。机の横に誰かが立った。
「やっぱり、まだ残ってた」
 克弥は、机の上にあった涼子のペンケースを手に取って渡した。
「帰るとこ?」
「そう。急がないとバスに乗り遅れちゃう」
 涼子は克弥から受け取ったペンケースをリュックにしまった。
「美恵ちゃんたちは?」
「ちゃんと送ってきましたよ」
「そのまま家に帰らなかったの?」
「帰ってもよかったんだけど――」
「私、バスの時間があるから、もう行くわね」
 リュックをつかんで立ち去ろうとする涼子の腕に克弥が触れた。
「バスだと一時間かかるって言ってたよね。車ならすぐだから、送るよ」
 そのまま、連行されるかのような格好で涼子は駐車場まで連れていかれ、克弥の車に押し込められてしまった。助手席にはほんのりと甘い空気が居座っていた。美恵のつけている香水の香りだ。
「道、わかります?」
 運転席に乗り込んできた克弥が顔をぐいと近づけるようにして尋ねた。
 涼子は首を横にふった。
「ごめんなさい、車運転しないから分からないの」
「いいや、ナビに頼るから。住所、教えて」
 涼子は住所を告げ、克弥はナビに言われたままの番地を入力した。
 エンジンがかかり、車はすべるように走り出していった。
 駐車場を出、市内の中心地へと車がむかうと、見慣れた景色が車窓を流れていった。どうやらバスと同じ道を走っているらしい。通い慣れたバス停の並ぶ道路をしばらく走った後、バスなら左折する場所を、涼子を乗せた車は直進し続けた。
「最近、図書館で夜遅くまで勉強してるよね」
「試験も近いし。もう若くないから、若い人の三倍は勉強しないと頭に入らないの」
「わかるなあ。若い時は一夜漬けでも何とかなったけど、今はそうはいかないんだよね」
 克弥は声をたてて笑った。自虐的な言い草とは裏腹に、明るい笑い声だった。涼子は男性の笑い声を聞くのが好きで、特に屈託のない無邪気な笑い声が好きだった。克弥の笑い声は、涼子の耳を喜ばせた。
「何で栄養士の勉強してんの?」
 密室の距離感がそうさせるのか、いつの間にか、克弥は軽い口をきくようになっていた。
「食べるのが好きだから」
 シングルマザーとして子どもを育てていくには専門職の資格があったほうがいいからという理由の九割は伏せた。年齢からして一目瞭然だろうと社会人であったことはクラスメートにも克弥にも話してあったが、離婚歴と子どもについては誰にも言っていなかったし、言うつもりもなかった。
「大木君は?」
「俺?」
「男性の学生って珍しいから」
「そうなんだよね。周りはみんな女の子ばっかりで、今、人生で一番もててる」
 克弥は照れ臭そうな微笑みを浮かべた。男が少ない環境だからもてるのだろうと克弥は言うが、それは謙遜だった。閉ざされた環境でなくても克弥は十分魅力的だ。
 優に190センチはあるだろうというほど背が高く、スポーツをしているらしくがっしりとした体格をしていた。異国情緒を漂わせる彫りの深い顔立ちで、大人の男性としての固さが見えつつも、時折みせる笑顔は小動物のような愛くるしさがあった。
「俺、ジムでインストラクターをしてたんだ」
「ああ、それで……」
 いい体をしているんだと続けそうになり、涼子は慌てて両手で口を覆った。
「なに?」
「なんでもない」
 “いい体”という言い方にはエロティックな響きがあって、口にするのはためらわれた。
「マシーンを使って体を鍛えているうちに、そもそも体を作っている食べ物に興味がわいてきてさ、栄養の勉強でもしてみるかって」
「卒業したら栄養士として働く気はないの?」
「ないなあ。体を鍛えることだけじゃなくて、栄養の面からもアドバイスできるような、そんなインストラクターを目指してる」
「ふうん」
 涼子は目を細めた。対向車のライトがまぶしかったせいではない。まぶしいのは、克弥そのものだった。彼の若さと、将来への揺るぎない確信とは真昼の太陽のように光輝いていた。
 窓の外の景色にバス停が目立ち始めた。どうやら再びバスの路線を走っているらしい。バス停がひとつまたひとつと過ぎて家に近づいていくにつれ、現実が涼子の胸に迫ってきた。バツイチ、子持ち、シングルマザー、就職、子育て……克弥の車に乗せられた瞬間から忘れていたそれらが涼子の体をピンクッションにして次々と突き刺さってきた。バス停たちを見送りながら、涼子は克弥がこのまま走り続けていってくれたらと秘かに祈った。車窓を過ぎ去るバス停たちのように、現実も前から後ろへと流れていってくれたらいいのに。
 だが、克弥の車のナビは非情にも涼子の家の前まで涼子たちを導いた。車を停めるなり、克弥は運転席を降り、助手席のドアを開けた。美恵たちにもそうしているのだろう、慣れた身のこなしだった。
「送ってくれてどうもありがとう」
 助手席の窓にむかってかがみこみ、涼子は運転席の克弥にむかって礼を言った。
「それじゃ、今度こそ、また明日」
 克弥の車が去っていくのを名残惜しげに見送りながら、涼子はふと、克弥は涼子を送るつもりで図書館に引き返してきたのではないかという考えを抱いた。その考えは、涼子を甘ったるい気持ちにさせた。克弥の車のテールランプと、近くでみた克弥の瞳とが重なった。大きな潤んだ瞳だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

キャッチアップ 4

「ママ!」
 克弥の車が完全に視界から消えてなくなるのを確認してから玄関のドアを開けると、パジャマ姿の誠が転がり出てきた。
「ごめんね、遅くなっちゃったね。さびしかったね」
 涼子は誠を抱き上げ、玄関を上がった。誠は涼子の胸にすがるように抱きついて離れなかった。シャンプーのかおりにまじって、ミルク風味のやわらかい誠の体臭が鼻先をくすぐった。
「マコちゃん、いいにおいがする」
 涼子は誠の首筋に顔をうずめた。鼻を鳴らして誠のにおいを嗅ぐと、誠はくすぐったいと身をよじらせ、声をたてて笑った。
「おかえり。今日は遅かったね」
 居間に入っていくと、エプロンで両手をふきながら母が台所から顔を出した。あたためられた味噌汁のにおいが漂ってきた。
「車の音がしたけど、送ってもらったの?」
「うん、学校の友達」
「男の人?」
 母はさぐるような目をしていた。涼子は何気ないそぶりで「そう」と簡単に言い、誠をソファーにおろした。
「気をつけなさいね。男の人に車で送ってもらうなんて、いい年の出戻り娘が子どもをほったらかして男と遊んでいるっていう風に近所の人に噂されるわよ」
 母は涼子の遅い夕食の支度を済ませると、誠の手を引いて二階の寝室へと上がっていった。
 レンジであたためた鯵フライをつついていると、誠を寝かしつけた母が食卓へと戻ってきた。とたんに体が硬くなった。ただ送ってもらっただけだというのに、まるで親に顔向けできないようなことをしてきたような罪悪感が胸をかすめた。
 涼子の向いの椅子に座った母は、食卓の上に一枚の葉書を差し出した。それは中学の同窓会の案内だった。ちらっと見ただけで、涼子は手にも取ろうとせず、黙々と食事を続けた。
「今朝届いていたの。行くでしょ、同窓会」
 涼子は母にむかって黙って首を横に振った。
「どうして? 行ってらっしゃいよ。誠の面倒ならみておくわよ」
 涼子は再び、案内の葉書に目を落とした。書面には2か月後の土曜日の日付、夕方の時間が印刷されていた。
「誠の面倒みてくれるのはありがたいけど、勉強しないといけないし」
 試験も終わってひと段落ついているだろう時期だから、机にかじりついていないといけないわけではない。むしろ一息入れたいくらいだが、同窓会への出席にはなぜか気のりがしなかった。
「勉強も大事だろうけど、同窓会に出てコネを作っておくのも大事なのじゃない? こっちで就職しようと思ったら、地元にコネをもっていないとね。小さな町なんだから、仕事なんてそうはないし、あっても、口利きで知り合いに回っていくものなのよ。あなたは東京で就職しちゃって、こっちの人間関係は薄くなっているんだから、仕事を探すのには不利なのよ。同窓会にでも出て、こっちにいる人たちに声かけて、『何かあったら連絡ちょうだい』とでも粉をかけておいたほうがいいわよ」
 淡々とした母の口調がかえって耳に痛かった。母の言い分はまったくもって正しい。口に食べ物が入っていなかったとしても涼子は黙って聞くしかなかった。
 まずは資格を取ることに専念しよう、就職は卒業してからのことだと安穏としていたが、二年の学生生活のうち、一年目が終わろうとしている。ただでさえ、就職困難と言われているこの頃だというのに、涼子の場合、バツイチ、子持ち、三十過ぎとハンディキャップを二重にも三重にも抱えている。資格さえ取ってしまえば就職は何とかなるだろうと軽い気持ちでいたが、母の言葉に気が重くなった。単位さえ取ってしまえば栄養士の資格は与えられる。だが、資格があるからといって、確実に就職できるとは限らない。地元で就職しようと思ったら、就職先をリストアップしておくといった準備ぐらいは今からでもしておかないといけないだろう。だが、そもそも地元で就職するのか、仕事は東京へ戻って探すのか、それすらも涼子は考えていなかった。教科書に顔をうずめて現実から目をそらす涼子にむかって、現実の方がスピードをあげてむかってきていた。
「就職、こっちでするのよね?」
 母が涼子の顔をのぞきこんだ。噛めば噛むほど甘くなるはずの米は味も形も失って、胃の底へと流れ落ちていった。
「わからない」
「わからないって……。また東京へ戻るの?」
「東京の方が仕事はあると思う」
「それはそうだろうけど……」
 さびしげな母の口ぶりだった。夫婦二人で静かに暮らしていたところに涼子と誠が戻ってきて賑やかになった生活を手放したくはないのだろう。戻ってきたばかりの頃、年老いた母の姿に少なからず衝撃を受けたが、涼子や誠の世話を焼いているうちに母はかつての生気を取り戻しつつあった。
「働きながら誠の世話をするのは、一人だと大変なのじゃない?」
「保育園もあるし。それは何とかなると思う」
「でも空きがないってニュースや新聞でよく言ってるわよ」
 これには反論できなかった。もともと、誠を預けられないことがきっかけで実家に出戻ってきたのだ。
「お父さんもお母さんも、今のところまだ元気だし、誠の面倒ぐらいなら見てあげられるわよ」
「東京に戻るか、こっちに残るかはまだ何も考えていないから」
 涼子は苛々とした口調で言い捨てた。焦りと苛立ちとがこみ上げて食欲がなくなったので、食器を手に台所へとむかった。
「就職のことを考えるのはまだ早いかもしれないけど、誠のこともあるんだし、考えないといけないことはたくさんあるのよ」
 食器を洗う涼子の背中にむかって母が言った。責めるような口調ではなく、むしろ諭すような優しい言い方だというのに、一言一言が重くのしかかってくる。涼子は母の声をかき消すようにわざと音をたてて食器を洗った。
「お父さんもお母さんも、いつまでも若いわけじゃないし、自分の将来について、きちんと考えなさいね」
 若いのかもう若くないのか、矛盾する母の言葉を右から左に聞き流し、涼子は洗い物を拭き、食器棚へと戻した。
「同窓会、いってらっしゃい。いいわね」

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

キャッチアップ 5

同窓会に行くと言って出かけた先で涼子が会っていたのは、広田真紀だった。真紀とは中学からの幼なじみで、同じ高校に進学した仲だった。とある事情で真紀が高校一年で中退して以来、疎遠になってしまっていたが、実家に戻るとなった時、思い切って連絡を取って、それからは何かと会って話すようになった。何か資格の勉強をしたらどうかと言って涼子の背中を押したのは真紀だった。真紀もまた、シングルマザーだ。
「デートか何かのつもり?」
 涼子を一目見るなり、真紀は目をむいた。涼子が、カジュアルなレストランには似つかわしくない、ブルーのアンサンブルを着ていたからだった。真紀は、スキニージーンズにざっくりとしたセーターをあわせただけのラフな格好だった。すっぴんの真紀に対し、涼子はフルメイクだった。
「同窓会に行くって出てきた手前、それなりの格好しないといけなかったのよ」
 席につくなり、涼子はテーブルにあったナプキンで口紅をぬぐった。
「何で同窓会に行くなんて嘘ついたの。そうでもしないと外に出してもらえなかったの?」
 注文を取った店員がテーブルを去るのを待って真紀が口を開いた。
「母が、同窓会には行けってうるさくて」
 就職のコネ作りのためにうんぬんと、涼子は真紀に説明して聞かせた。腕組みした両手をテーブルの上に起き、真紀は時折うなずきながら話に聞き入っていた。
「お母さんの言う通りね」
 腕組みをほどき、真紀はグラスに手をのばした。
「真紀もそう思う?」
「涼子だって、わかってはいるんでしょ?」
 注文した料理をもって店員がテーブルにやってきたので、会話は中断された。
「それで、就職、こっちでするの?」
 店員が去るのを待ちかねたように真紀が身を乗り出して尋ねた。
「わからない。まだ考えてなくて」
「今から考えておいた方がいいよ。二年なんてあっという間だから」
「わかってる」
 同じことを言われるのでも、真紀からだと身の引き締まる思いがする。
「真紀は、どうしてこっちで就職したの?」
 高校を中退したため、真紀は高校卒業認定資格(真紀が受けた当時は大卒検定資格)を得て看護学校に進学、今は隣県の県庁所在地にある総合病院で看護師として働いている。
「浩介のことがあったからかなあ」
 考えるように首を傾げていてあらぬ方向を見ていた真紀はそう言って涼子の方に向き直った。
 真紀は十六歳で浩介を産んだ。父親は涼子たちの高校に教育実習生としてきていた男だった。真紀は退学を余儀なくされ、地元に居づらくなった真紀たち一家は隣県へと引っ越していった。
「子どもってね、ちょっとしたことで体調崩したりするのよ。そのたびに親が呼び出されるんだけど、仕事してたら、簡単には抜けられないでしょ。学校でさえ、なかなか抜けられなかったのに、仕事ならもっとシビアだなと思ったら、浩介の面倒は親に見てもらうしかない、親の近くにいた方がいいなあって」
「親は何て? 子どもの面倒を見るのは嫌だって言われなかった?」
「妊娠した時は散々怒られたり泣かれたりしたけど、生まれてみれば孫は可愛いのよね。東京あたりで仕事探して親子ふたりで暮らしていくって言ったら、涼子のお母さんみたいに反対したかも」
「反対されているわけじゃないわよ。こっちで就職したら、っていうプレッシャーをかけてきている程度」
「涼子がひとりで苦労するのが見えているからじゃない」
「真紀にも、私が苦労する将来が見えるわけね」
「まあ、そうだね」
 涼子はグラスを両手で握りしめた。未来を映し出す水晶の玉でなくても、親元を離れては誠を抱えて苦労する将来がくっきりと浮かんで見える。
「同窓会、出るべきだったのかな……」
 聞き取れるか取れないかほどの細い声で涼子は呟いた。
「でも、出たくなかったんだよね」
 真紀の言葉に涼子はうなずいた。
「気持ちはわかるよ。こっちに戻ってきたこと、いろいろ聞かれるだろうから」
「真紀もいろいろ聞かれた?」
「私? 私は同窓会なんか一度も出たことないから。案内だけはくるんだけどね。出たら、根掘り葉掘り聞かれただろうな。相手の男のこととか、どうしてそうなったとか、なんで結婚しなかったんだとか。まあ、私が出席したらしたで、みんなの方が扱いに困っただろうけど。何を話していいか分からないだろうしね。未婚の母の話をしないとしたら、する話ないもの。高校は中退してるわけだし、子育てもさっさと終わってるし。こっちは十五歳の子どもがいるっていうのに、周りは結婚もしてないんだから、共通の話題なんかないわよ」
「真紀は物凄いスピードで人生のトラックの何周も先を行ってるのよ」
 人生をトラック競争に喩ると、面白いわねと真紀は笑った。
「結婚といえば、タッちゃん、今度結婚するんだって」
「恐るべし、田舎の情報網!」
 真紀はそう言って耳ざとい涼子をからかった。
「母から聞いたの」
「田舎のおばちゃんたちの情報網ってすごいよね。何でも知ってるもの。私が妊娠した時もいろいろ、あることないこと言いふらしてくれたっけ」
 真紀はからりと笑ったが、当時は笑えなかったはずだ。他人だった涼子ですら、真紀に対する勝手な噂を耳にして不愉快に感じたのから、本人なら腸が煮えくり返るような思いがしただろう。無責任な噂に追い立てられるようにして、真紀たちは隣県へと引っ越していかざるを得なくなってしまった。
「私がこっちに戻っていること、いろいろ言われているのかな……」
「少なくとも、離婚については知られていると思う」
「そうだよね、たぶん、タッちゃんのおばさんからタッちゃん本人に伝わって、こっちに残ってる人には知られてるよね」
「別に知られてもいいじゃない。それならそれで、開き直って、『シングルマザーです、仕事紹介してください』って言いやすくなるんだから」
 真紀は店員を手招き、グラスワインを注文した。
「涼子が同窓会に出たくなかったのはさ、他にも理由があるんじゃない」
「他にって何?」
「山下大輔」
 ワイングラスを手にしたまま、真紀は涼子にむかって人差し指を突き出してみせた。
「彼に会って幻滅したくないとか、そんなとこじゃない?」
「そんなことないわよ」
 そんなことはあった。同窓会に出る気がしなかったのは、もしかしたら山下大輔も来るかもしれないと思ったからだった。彼にどんな顔をして会えばいいのだろう。離婚し、子どもをつれて故郷に戻ってきた自分を彼はどう思うだろう。
 山下大輔は、涼子が初めて付き合った相手だった。中学三年の春から夏休みまで、付き合うといっても、登下校を一緒にするといった程度で終わった関係だった。それだけに、かえって清らかな思い出だけが残っている。大輔との初恋の思い出を壊したくはなかった。彼の思い出の中の、幼い少女だった自分の姿を上書きしてしまうのも嫌だった。せめて、誰かの思い出の中にだけでも美しく存在していたかった。
「大丈夫、彼なら今海外だから」
「海外?」
「えっと、どこの国って言ってたかな? 聞いたけど忘れた。青年海外協力隊に参加しているんだって」
「真紀の情報網も捨てたものじゃないわね!」
「彼のお祖母ちゃんが、私の働いている病院に入院したことがあって、その時、聞かされたのよ。同部屋の患者さんたちにも話していたから、私が孫の同級生ってわかってて話していたわけではないみたいだったけど」
 思い出は無事に守られた。山下大輔の知る涼子も中学三年の初々しい少女のままでいられる。遠い日に思いを寄せ、涼子は目を細めてワイングラスの底をみつめていた。
「都筑くんは涼子が来なくてがっかりしているかもしれないけどね」
「誰?」
 顔をしかめてみせた涼子に、真紀はぐっと顔を近づけてきた。
「都筑修一。覚えてないの?」
 ツヅキシュウイチ、ツヅキ……涼子は口の中で名前を何度も繰り返したが、そうすることでたぐりよせられるはずの記憶そのものが存在していない。
「同じクラスだった?」
「呆れた、ホントに覚えてないのね!」
 どうやら涼子がとぼけているとうたぐっていたらしい真紀は、勢いよく身を引いた。
「金魚のフンみたいに、山下くんにひっついてたじゃないの。いつも三人一緒で、涼子と山下くんがデートする時もくっついてきたって言ってたのに、なあに、全然覚えていないの?」
「三人一緒で……」
 塗りこめていた記憶の漆喰がぽろりと剥がれ落ちた。その下に、若い男の顔の一部がのぞいてみえた。短く刈り込んだ髪、鼻筋の通ったやや大きめの鼻、美しい形の唇。
 ツヅキ、ツヅキ……念仏のように名前を唱えながら、涼子は記憶の漆喰を剥がし始めた。くっきりとした眉の下の大きな瞳……見覚えのある眼差しだ。大きな瞳から発せられる力強い視線を浴びた経験がある。だとすれば中学時代だが、そんな昔ではない気もする。
「なんか、思い出してきたかも。いつも山下くんと一緒で、私のこと嫌いなのか何なのか、すごい目で睨んでいたっけ」
 記憶は完全によみがえった。と同時に、都筑修一に睨みつけられて嫌な思いをしていた当時の感情もこみあげてきた。何も言わず、大輔の隣から涼子をただただ睨みつけるだけの都筑修一は不気味で、大輔と二人きりになろうとするのを邪魔する憎たらしい存在だった。
「私や山下くんの気づいていないところで、私のこと、じっと見てたの。初めは気づかないふりで無視してたんだけど、段々気持ち悪くなったの、覚えてる。というか、今思い出した。真紀のせいで、嫌なこと思い出しちゃったじゃない」
 顔をしかめてみせる涼子にむかって、真紀が口を大きく開けて笑ってみせた。
「知らぬは本人ばかりなり、ね」
「何よ、いきなり」
「都筑くんはね、涼子のことが好きだったんだよ」



 誠を起こさないよう、涼子はそっと押入れから段ボールに入っていた中学校の卒業アルバムを取り出した。ページをめくって「都筑修一」の名前のある顔写真を探す。体育祭や修学旅行などの写真につい見入ってしまいながらも、ようやくクラス写真の中に都筑修一の写真を発見した。
 アルバムの見開き中央付近に、都筑修一の写真はあった。紺のブレザーの制服姿の上半身で、正面を向いている。青いネクタイがやや右に曲がっていた。くっきりとした眉のすぐ下の大きな目がカメラにむかって強い視線を投げかけている。意思の強さを見て取れるその顔つきは大人びていて、とても十五歳には見えない。三十歳だと言われても違和感のない貫禄のせいで、都筑修一は「おやじ」というあだ名をつけられていたと、涼子は思い出した。三十を過ぎた今も顔は変わっていなかった。都筑修一は、バックミラー越しに涼子を見つめていたあのバスの運転手だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

キャッチアップ 6

 白いシーツの上に投げ出された克弥の脚を眺めていると唾がこみあげてきた。ぷっくらとした脹脛はさぞかし食べごたえがあるだろう。窓から漏れ入る夕日はまるでオレンジソースのようだ。
 口の中にわいてきた唾を飲み込み、涼子は克弥の引き締まった足首をつかんで脹脛にかじりついた。甘噛みした歯に、肉が反発した。肌に触れた舌先が塩気を感じとり、肌の奥から香草のような青臭いにおいがたちのぼってきた。
「何してんだよ」
 目を覚ました克弥がすばやく脚を引いた。
「食べてるの」
「うまいか?」
「おいしいわ」
 何度か車で送ってもらううち、克弥とは体を重ねる関係になった。授業が終わった後の数時間を、涼子たちは克弥の部屋で過ごす。母には図書館で勉強していると言ってあった。
「セックスって、食べることに似ていると思わない?」
 脹脛から腿に移動し、涼子は甘噛みを続けた。克弥は呆れたように笑っていた。
「噛む、齧る、舐める、吸う……どちらの場合も口や舌を使うわ」 
 涼子は食べることが好きだ。ということはセックスが好きだということになる。セックスが好きだと言うのは憚られるが、嫌いではない。 
 嫌いではなかったが、克弥以前の男との交渉は儀礼的に済ませるだけで、味わうなど二の次だったように思う。
 初体験は十七の時で、相手は同級生だった。キスをして、胸に手が伸びてきて……と、マニュアルでも読んできたのかというような律儀な動きだった。そのくせ、いざとなると動物的でグロテスクでさえあったので、もう二度とセックスなんかするかと思ったほど、後味の悪い体験だった。
 セックスの味がどんなものか分かってきても、はしたない女に思われたくなくて、行儀のいいセックスばかりをしていた。味わうよりもテーブルマナーが気になる、そんなセックスだった。
 雅弘と結婚した後は、セックスは子どもを作るためだけの行為になった。手のこんだ食事をする必要はない、サプリメントでも摂っておけと言われたようなもので、味も何もあったものではなかった。
「何を食べたらこんな体が出来上がるの?」
 涼子は克弥の全身を眺めまわした。ジムのインストラクターをしていただけあって、肩も胸も腹も腕も、弾力のある筋肉で覆われている。
「そりゃ、やっぱり肉だよ」
「肉って一口に言ってもいろいろあるわよ。牛に豚に鶏肉でしょ、魚だって肉には違いないでしょ、魚肉っていうんだから」
「ヘリクツ。肉といったら、四足の肉だろ」
「鳥は足が二つしかないわ」
 口ではかなわないとみたのか、克弥は涼子の体をベッドに押し倒し、その口を手でふさいだ。
「牛肉、豚肉、鶏肉!」
 やっきになった克弥の言い方がおかしくて、涼子は克弥におさえられた手の下で笑った。
「タンパク質たっぷりってことね」
「野菜も食べたって。バランスが大事なんだよ」
「牛乳は? たくさん飲んだ?」
 涼子は克弥の厚い胸に頭を乗せ、足を摺り寄せた。爪先を思い切りのばしても克弥の膝頭までしか届かない。
「飲んだ、飲んだ。一日一リットルは軽く飲んだっけ」
「やっぱり牛乳を飲むと背が伸びるのかしら」
「カルシウムが豊富だからなあ。言ったら、骨の原材料を飲んでいるようなもんだし。でもさ、肉にしても何にしても、体の原材料を取り込むだけじゃだめなんだよ。運動も大事なんだ」
「今もジムに通ってるの?」
「学校に通うのでインストラクターの仕事は辞めたけど、ジムの連中とは今でも付き合いがあるから、たまにマシーンを使わせてもらってる。あとは、走ったり、家で腹筋したり、腕立てやったりってとこかな」
「前より、食べる物に気を遣うようになった?」
「なった。前はそれこそ肉ばっかだったけど」
「野菜も食べてたって言ったじゃない」
 涼子はすかさずちゃちゃを入れた。悔し紛れに、克弥は涼子の髪をくしゃくしゃともんだ。
「食べてたけど、何も考えないで食べてただけっていうか。今は、この野菜のこの栄養素が欲しいからとか、この野菜とこの野菜を組み合わせるとより一層必要な栄養素が取れるとか、調理の仕方によっては、栄養を倍摂取できるなとか、いろいろ考えるようになった」
「完璧じゃないの。食べるものも選んで、きちんと運動もするのなら、これ以上ない理想的な体が作れそうね」
 涼子は顔をあげ、キスをねだった。煙草は吸わない、酒もほとんど飲まないという克弥とのキスは、ウィスキーボンボンのように甘みと苦みがないまぜになった味がする。
「どうして男の人はおっぱいが好きなの?」
 胸に伸びてきた克弥の手を涼子は撥ね退けた。
「さあ。男の本能じゃない?」
「こんなもの、ただの脂肪なのにね」
 涼子は両手で乳房をすくいあげた。湿り気があって、手のひらにずしりとした重さを感じる。
「大きくしたいとは思わない?」
「中学、高校の時が一番大きかった。成長期だったのね」
「その頃会いたかった」
 胸に顔をうずめてきた克弥を、涼子はくすぐったいといっておしやった。
「子どもを産んだ直後も巨乳だった」
 笑いながらそう言ってから、しまったと涼子は唇を噛んだ。隠すつもりはなかったが、誠の存在については何となく言いそびれていた。
「子ども、いるんだ」
 克弥は笑顔を浮かべていた。
「子持ちだって知って引いた?」
「なんで引くの? 結婚してるわけじゃないだろ?」
 涼子は離婚していること、三歳になる誠は自分が引き取って育てていることなどを話して聞かせた。バツイチでシングルマザーだと知った克弥が涼子のもとを去っていってもいいという覚悟の上だった。
「そうか、それで学校通ってるのか」
「クラスの子たちには言わないで。別に知られても構わないことだけど、わざわざ言うことでもないと思うから」
「そりゃ、まあ、そうだ」
 誠がいると知っても、克弥の態度にあまり変化は見られなかった。子持ちでも付き合っていきたいという真剣な気持ちでいるのか、子持ちなら簡単には結婚とは言いださないだろうから遊び相手には好都合だと考えたのか、どちらとも涼子には判断がつかなかった。
「さっきのさ、食べることとセックスが同じっていうの、わかる気がする」
 そう言うと、克弥は首を折り曲げ、胸にもたれている涼子の顎をあげてその唇を激しく吸った。互いの舌が味わうかのようにもつれあう。
 涼子の唇を離れた克弥の口は、次に首筋に吸い付いた。涼子の腰を抱いていた手を引き、正面にむきなおったかと思うと、克弥は鎖骨のくぼみに唇を押し当て、そこから鎖骨に沿って甘噛みを続けていった。
「やめてったら。くすぐったい」
 笑い声をたてて身をよじる涼子の胸に、克弥が顔を埋めてきた。突き出された舌先が乳房を縦横無尽に這い、硬く尖った乳首が克弥の唇にそっと包み込まれると、涼子は喉の奥から息を漏らした。
 噛んで、舐めて、吸って……克弥の舌が涼子の体を味わい尽くす。涼子もまた、克弥の体を堪能する。味覚をつかさどる舌が、唇が、悦楽を生み出していく。
 克弥との関係に未来を求めてなどいない。ましてや克弥との間に子どもを作ろうなどと思ってもいない。それでも、涼子は克弥とセックスをする。繁殖のためではないセックス。だからこそ、味わい深く、心地いい。
 就職、子育て……尽きぬ不安は快楽の波にさらわれてどこかへと消え去っていった――。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

キャッチアップ 7

 間に合うかな――
 バス停にむかって小走りにかけながら涼子は腕時計を確かめた。長針の先が12の間にかかっている。五時ちょうどのバスの時刻まで一分もない。このバスを逃すと、次は一時間後だ。つるべ落としの秋の日が落ちるとたちまち肌寒くなる。そんな中で一時間もバスを待ちたくはない。
 涼子はスピードをあげた。走りながら腕時計に目をやる。針はさほど移動していない。時計に顔をむけるたびに足のスピードが落ちるので、時計を見ずに一目散にバス停へかけていった方がバスに間に合うのではないかと思うが、時計をにらみつければ時間が止まりそうな気がしてつい見てしまう。教科書のつまったリュックのせいもあって、思ったようにスピードがあがらない。
 いつもなら、五時のバスに間に合うよう、授業が終わったらすぐに教室を出る。時間割では四時半に終わる予定だが、何だかんだで授業が終わるのは四時半を少し過ぎる。専門学校からバス停まではゆっくり歩いても十分とかからないから、ちょっとした買い物を済ませても余裕で間に合う。
 しかし、今日は授業がいつも以上に長引いてしまった。栄養学のクラスで生徒が質問をした。涼子も気になっていた内容だったから耳を傾けているうちに、バスの時間が刻々と迫ってきてしまった。質問に対する講師の答えが長引くようなら諦めもついた。学校に残って次のバスの時間まで勉強でもするかと涼子はなかば覚悟を決めていた。誠の面倒は、母がみていてくれているから、今日は帰りが遅くなるとメールでもしておけばいい。
 だが授業は、急げばバスに間に合うかもしれないという中途半端な時間に終わった。間に合うかどうか、走っていってみようと涼子は教室を勢いよく飛び出したのだった。
 全力で走るのは何年ぶりだろう。日頃の運動不足がたたってすぐに息が切れ、足がもつれた。それでも気だけが急いた。
 早足と小走りを繰り返しながらバス停近くまで来ると、停車しているバスの後部が視界に飛び込んできた。バスを待つ人の列がない。どうやら客の全員を乗せて今にも発車しようとするところらしい。
 尽きかけていた体力をしぼりだし、涼子はバスにむかって駆け出した。背負ったリュックが背中を激しく叩いた。たちまち喉が渇いて、何度もつばを飲み込んだ。脇腹が刺されたように痛い。だが、バスを目の前にして乗り遅れるわけにはいかない。今日に限ってあの老婦人の姿が見あたらない。
 その老婦人は五時のバスに乗り合わせる客のひとりで、バスに乗る直前までベンチに腰掛けていて、ショッピングカートを引きながら、列の最後尾につく。顎が膝頭に付きそうなほど腰が折れ曲がっており、右足をひきずって歩く。ただでさえ体が不自由で動作が鈍いというのに、買い物でいっぱいのショッピングカートを引き上げようとするので、老婦人がバスに乗り込むまでにはちょっとした時間がかかる。バスに乗ってからも、無料パスをカバンから取り出して運転手に見せ、席に着くまで、ひとしきりかかる。その間、バスは決して発車しようとはしない。その老婦人が乗っている時のバスは五時の定刻通りに発車しないので、涼子は老婦人の緩慢な動作に苛立たせられた。
 しかし、今日に限っては、その老婦人が乗っていますようにと、バスにむかって走りながら祈っていた。老婦人が席に着くまでの二分、いや一分でもいい、わずかでも時間を稼いでくれたらひょっとしたら間に合うかもしれない。
 息せき切って乗車口にたどりつくと、ドアはまだ閉まっていなかった。きっとあの老婦人が席に着くのを待っていたのだろう。涼子は乗降ステップを駆けあがり、近くの空いている席に着いた。その途端、まるで涼子の到着を待ちかねていたかのようにバスが発車した。
 この時間のバスに乗る客はそうは多くない。まばらな客たちの間に涼子は老婦人を探したが、目立つはずの彼女の姿は今日は見当たらなかった。
 乗客は数えるほどしかいなかった。日が長くなってきたので、人々は帰宅を急がなくなりつつある。ただでさえ少ない乗客は、櫛の歯が抜けるように一人また一人とバスを降りていき、涼子が降りるバス低のはるか手前で、涼子はただひとりきりの乗客になってしまった。
 克弥の車内よりよほどスペースがあるというのに、圧迫感がひどい。はるかに離れた場所に座っている運転手の男の存在を、まるで隣の席に座っているかのように感じる。心臓が激しい動悸を打ち始めた。耳の底でどくんどくんと血の流れる音が鳴り響いている。
 都筑修一だろうか。
 修一と顔を合わせたのは、中学の卒業式が最後だった。やっぱり涼子を睨みつけて、何も言わなかった。別々の高校に進んだ修一とは、それきりになった。これで修一に睨まれないで済むと、正直言ってほっとしたものだった。
 嫌いなら嫌いで無視してくれて構わないのに、修一は涼子たちに付きまとっては涼子だけをじっとねめつけていた。涼子にしてみれば不愉快極まりない思い出だったので、修一の名前と顔を記憶から消し去ってしまった。真紀が何も言わなければ、修一は永遠に記憶の底深くに沈んでいたはずだった。真紀は、修一は実は涼子が好きだったのだと言ったのだった。
 もし、運転しているのが修一なら、まるきり知らない仲でもないし、話しかけたほうがいいだろうか。でも何って言って話しかけたものだろうか。やっぱり話しかけないほうがいいだろうか。
 そんなことを考えているうち、バスは涼子の降りるバス停で停まった。降車ボタンを押しただろうかなどと考える暇もなく荷物をつかみ、バスを降りようとした。その時だった。
 開いたバスのドアから何かが車内に転がり込んできた。誠だった。
「ママ!」
 誠は涼子にむかって一目散に駆けてきた。
「どうしたの?」
 膝にまとわりつく誠の手を取り、涼子は降車口に向かった。ドアの外には母が立っていた。
「ママを迎えに行くって言ってきかないからバス停まで来たんだけど、バスのドアが開いたらあっという間に乗っちゃって」
 母は運転席にむかって何度も頭を下げていた。
「マコちゃん、降りようか」
 そう言って誠の手を引いてステップを降りようとするが、誠は床に座り込んでダダをこねはじめた。
「ヤダ、バス好き。バス、乗る」
「そんなこと言ったって。また今度乗せてあげるから、今日は降りようか」
「ヤダー」
 涼子の手をふりきり、誠はあっという間に車内を駆けていき、一番後ろの席によじ登って窓の外を眺めていた。母に荷物を手渡し、涼子は慌てて誠の後を追いかけた。
「ごめんなさい、この子、バスが好きで」
 ぐずる誠を胸に抱きかかえ、涼子は運転席にむかって頭を下げた。
「そうか、バス、好きか」
 バスの運転手は修一だった。頭をなでながら誠に投げかけている修一の眼差しはとても柔らかかった。
「よし、それじゃ、乗っていくか!」
「うん!」
 誠は嬉しそうに何度も首を縦に振ってみせた。
「いいの、ここで降りるから。ね、マコちゃん、降りよう。ママ、おうちに帰りたい」
「ヤダ、バス、乗る」
 すっかりその気になった誠は、涼子の腕の中で手足を振り回して暴れた。
「他にお客さんいないし、どうせ終点まで行ってまたここに戻ってこないとならないから、乗ってていいよ」
 修一の申し出だが、涼子は気が引けた。何故だかわからないが、甘えてはいけないような気がした。それでいて、甘えたい気持ちもあるのが不思議だった。躊躇したのはほんの一瞬だったというのに、力の抜けた隙をついて、誠は涼子の腕をすり抜け、ちゃっかりと席に座って、両足をぶらぶらとさせていた。
「それじゃあ……」
 終点までは三駅しかない。母に事情を話し、すぐに戻るからと伝え終えると、二人を乗せたバスは発車した。

 誠は運転席のすぐそばの席に膝をつき、窓わくに両手をかけて車窓を流れる景色に見入っていた。普段散歩で見慣れているはずの景色だが、バスの中からだと違って見えるらしい。涼子も幼い頃、電車やバスに乗ると窓際の席に座ってじっと景色を眺めていたものだった。まるで万華鏡でも覗いているかのような景色の移り変わりが楽しかった。誠も同じであるらしく、時折、脚をばたつかせては、興奮した声をあげた。
「都筑くん、よね」 
 修一がうなずいてみせた。
「バスの運転手をしているのね」
「高校卒業してからだから……もう十五年か」
「十五年はベテランなの?」
「俺は若いほう。三十年とかざらだから」
 涼子と修一とはバックミラー越しに顔を見合わせて笑った。行き交う人もバスの乗客にも年寄りが目立つ町だ。
「そういえば、辰雄が今度結婚するの、知ってる?」
「ええ、母から聞いたわ。ここでは誰も知らない事なんて何もないもの」
 きっと自分の離婚のことも修一の耳に入っているに違いない。出戻ってきた負けた女、そんな風に思われているかもしれないと思うと、気が沈んで、口が重くなった。察したかのように修一もそれきり口をきかなくなった。車内には、誠のはしゃぐ声だけが響き渡っていた。
 終点につくと修一はエンジンを切って、運転席から出てきた。
「誠くん、運転席に座ってみるか?」
 とたんに誠の顔が電気でもつけたみたいに明るくなる。誠の笑顔につられて修一も笑った。修一の笑顔を見たのはこれが初めてだった。思い出の中の修一の顔はいつでも仏頂面だった。
「いいの?」
「エンジン切ってあるから大丈夫。俺の膝の上に乗せるだけだから」
 そう言うなり、修一は誠の体を軽々と抱き上げ、運転席に戻った。
 修一の膝の上に座らせてもらった誠は、運転手になった気で大きなハンドルに手をかけ、ブーブーとエンジン音を真似ていた。
「同窓会、来てなかったね」
「小さな子どもがいるとなかなか夜出歩けなくて」
「来るかなって期待してたんだけど。小原がこっちに戻ってるってみんな知ってっから、どうしてんのかなって話しててさ」
 修一と、バックミラー越しに視線があった。先に目をそらしたのは涼子の方だった。
「辰雄の奴、ちゃっかり嫁さん連れてきててさ。あ、まだ結婚してないから嫁さんじゃないのか。あいつにはもったいないくらい、いい子でさ。俺らにってクッキーやいて持ってきてくれたんだよ。それをあいつ、味がわかんない野郎には食わせないって全部、自分で食いやがってさ」
 かつての放課後の光景と変わらない騒ぎっぷりが目に浮かぶ。あの場所から自分だけは遠くへきてしまった。懐かしさよりも寂しさで胸が切なくなった。
 修一は延々と同窓会の様子を涼子に語って聞かせた。修一はこんなにしゃべる人だっただろうか。大輔と三人で連れだっていても、しゃべるのは涼子と大輔だけで、修一は口が重かったように覚えている。そして涼子を睨みつけてばかりだった。三人で並んで歩いている時も、修一ひとり、うつむき加減で、たまに涼子が話しかけてもぶっきらぼうな返事しか戻ってこなかった。頬を紅潮させながら、しゃべりたてる修一があの当時の修一と同じ人物とはとても思えない。見知らぬ人を見る思いで、涼子は修一の赤い頬を見つめていた。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

キャッチアップ 8

 「今度、ブーブーをあげるからな」
 別れ際、修一はバスを降りたがらない誠をそう言ってなだめた。その約束は一週間後に果された。
 涼子は五時のバスに乗った。ステップを上がっていきながら、運転席の修一と目があった。言葉は交わさず、会釈だけをして席に着いた。降りる時、修一から紙袋を渡された。紙袋はずしりと重かった。
「これ、この間、誠くんに約束した車のおもちゃ。俺が子どもの頃に使っていたものなんだけどさ。気に入ってくれるといいけど」
 紙袋の中身は、ラジコンやミニカー、電車のおもちゃなどだった。誠が特に気に入ったのはラジコンのダンプカーだった。コントローラを扱うことはまだできないので、ダンプカーだけを手にして走らせたり、荷台に庭の土を入れては落とす、落としてはシャベルですくった土を入れるを飽きずに繰り返していた。
 庭いじりの好きな父は、誠のために庭の一角をほりかえし、小さな工事現場をあつらえた。本物の工事現場のように何か所かに盛り土があり、その間をダンプカーを走らせることができる。掘り返した時に出てきた小石だけの小山もある。誠は服も手足も土だらけにして一日中、“工事現場”に入り浸っているらしい。らしいというのは、昼間は学校にいるので、母から聞いた話だった。
「飽きないのかしら」
「好きみたいよ。お父さんがトンネル作って、電車のおもちゃを通らせたりしてみせたけど、まるっきり興味みせなかったんですって」
 父の奮闘ぶりを想像し、涼子は思わず微笑んだ。
「車に興味があるのかしら?」
「そうみたいね。それも大きなもの、ダンプカーとかショベルカーとか、働く車が好きみたいよ。魚屋さんとこ、今リフォームしているでしょ。いろんな大きな車が出たり入ったりしているのを、ずっと見てるわよ」
 一軒隔てた藤山家では、辰雄の結婚にともない、二世帯住宅に改築中だった。
「バスも好きよ」
「バス?」
「散歩していても、バスが通りかかると立ち止ってじっと見てるわよ。あなたが降りてくるって思っているんじゃないのかしらね。夕方の散歩だとバス停まで行くってきかないの。ママは遅くなるって言っても、子どもだからわからないのね。十分ぐらい付き合って、あなたが帰ってこないとわかるとやっと諦めるのよ」
「そうなの、知らなかった」
「そうでしょう。あなた、この頃、夜遅いから、話す機会もなくて」
 母はそう言って、お茶うけのキャベツの浅漬けをかじった。
「勉強が忙しいのはわかるけど、少しは誠にも目を向けてちょうだい。子供って一日、一日、成長していくのよ。それを見てあげられないのは、母親としてどうかと思うわよ」
 うん、と涼子は力なく頷いた。
 母は克弥との関係に気づいている。送ってもらう時は、車のエンジン音が聞こえない場所で降ろしてもらっているが、母親の勘か、女の勘か、母は男の存在を嗅ぎ取っていた。

「子どもとの時間を大事にしたい」
 そう言うと克弥はあからさまに不満げな顔をしてみせた。勉強も忙しくなるし、就職活動も考えないといけない。
「まったく会えないわけじゃないんだから」
 そう言うとようやく克弥は現実を受け入れた。こちらの子どもの機嫌を取るのも一苦労だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

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