【雑記】乃南アサとの再会
図書館で、乃南アサの文庫本を見つけたので借りてみた。
名前は知っていたが、これまで作品を読んだことはなかった。
実は、彼女のデビュー作「幸福な朝食」は知っていた。ただ、それが彼女による作品だとは当時も知らなかったし、今回文庫本を手にし、作家の略歴を読むまで知らなかった。
作品の質と中身は気にするけれど、誰が書いたかということは私にとってはどうでもいいことなので。
で、「幸福な朝食」。これ、確かドラマ化されて、私はそのドラマを観たことがある。
細かい部分は忘れているが、なにか強烈な印象を持ったらしく、ドラマのタイトルである「幸福な朝食」はずっと記憶に残っていた。
文庫本を手にして、「ああ、あのドラマの原作となった小説を書いた人か」と思い出した。
ドラマについては、あまりいい出来ではなかったということは覚えている。調べたら火曜サスペンス劇場で放送されたのだが、それまでの火サスとは趣向が異なっていたように記憶している。だから覚えていたんだろう。
なぜドラマとしては失敗(私はあれは失敗だとおもっている)したか、当該の小説ではないけれど、彼女の小説を読んでわかった。
これは映像化は、よほどの人でないと難しい。演者もきれいなだけの人では無理だろう。
私は彼女の作品をそう多く読んだわけではないが、短編をいくつか読んでの印象は、紙一重の狂気を巧みに描く作家だなあというものだった。
日常に潜む闇、静かに降り積もっていく狂気。近年大人気のサイコパスといった異常な人間ではなく、普通の人々が主人公で、彼らが闇にのみこまれていく様子を淡々とした筆運びで描いていくのだが、これは映像にするとまるで刺激のないものになる。
最終的に破綻というオチが待っているにしろ、そこにいたるまでの描写は、日常生活の風景の積み重ねとならざるを得ない。そうでないと、オチの破壊力が増さないからだが、下手をすると途中の日常風景の描写で見ている側は興味を失ってしまうのではないか。映像化されたドラマは、日常風景の表現があまりうまくなかったようにおもう。もしうまかったら、話題のドラマとなっていただろうが、そういった話は聞いていない(私が知らないだけかもしれないけれども)
彼女の作品は映像化すべきものではないと、作品を読んで強くおもった。
これは文章で楽しむものだ。いや、文章でなければ楽しめないものだ。人の心の奥底に潜む狂気といったものは目に見えない。見えないからこそ、おそろしい。それを伝えるのは言葉でしかできない。
それらしい映像やおどろおどろしい音楽などでもできるかもしれないが、言葉の表現力が抜きん出ている。
決して読後感が爽快であったりはしないが、小説が文字による表現世界だとすれば(自論です)、彼女のような物書きこそが物書きなんだとおもう。
名前は知っていたが、これまで作品を読んだことはなかった。
実は、彼女のデビュー作「幸福な朝食」は知っていた。ただ、それが彼女による作品だとは当時も知らなかったし、今回文庫本を手にし、作家の略歴を読むまで知らなかった。
作品の質と中身は気にするけれど、誰が書いたかということは私にとってはどうでもいいことなので。
で、「幸福な朝食」。これ、確かドラマ化されて、私はそのドラマを観たことがある。
細かい部分は忘れているが、なにか強烈な印象を持ったらしく、ドラマのタイトルである「幸福な朝食」はずっと記憶に残っていた。
文庫本を手にして、「ああ、あのドラマの原作となった小説を書いた人か」と思い出した。
ドラマについては、あまりいい出来ではなかったということは覚えている。調べたら火曜サスペンス劇場で放送されたのだが、それまでの火サスとは趣向が異なっていたように記憶している。だから覚えていたんだろう。
なぜドラマとしては失敗(私はあれは失敗だとおもっている)したか、当該の小説ではないけれど、彼女の小説を読んでわかった。
これは映像化は、よほどの人でないと難しい。演者もきれいなだけの人では無理だろう。
私は彼女の作品をそう多く読んだわけではないが、短編をいくつか読んでの印象は、紙一重の狂気を巧みに描く作家だなあというものだった。
日常に潜む闇、静かに降り積もっていく狂気。近年大人気のサイコパスといった異常な人間ではなく、普通の人々が主人公で、彼らが闇にのみこまれていく様子を淡々とした筆運びで描いていくのだが、これは映像にするとまるで刺激のないものになる。
最終的に破綻というオチが待っているにしろ、そこにいたるまでの描写は、日常生活の風景の積み重ねとならざるを得ない。そうでないと、オチの破壊力が増さないからだが、下手をすると途中の日常風景の描写で見ている側は興味を失ってしまうのではないか。映像化されたドラマは、日常風景の表現があまりうまくなかったようにおもう。もしうまかったら、話題のドラマとなっていただろうが、そういった話は聞いていない(私が知らないだけかもしれないけれども)
彼女の作品は映像化すべきものではないと、作品を読んで強くおもった。
これは文章で楽しむものだ。いや、文章でなければ楽しめないものだ。人の心の奥底に潜む狂気といったものは目に見えない。見えないからこそ、おそろしい。それを伝えるのは言葉でしかできない。
それらしい映像やおどろおどろしい音楽などでもできるかもしれないが、言葉の表現力が抜きん出ている。
決して読後感が爽快であったりはしないが、小説が文字による表現世界だとすれば(自論です)、彼女のような物書きこそが物書きなんだとおもう。
