渡せなかった手紙 1-1
外はうだるような暑さ、部屋の中でじっとしているだけでも玉の汗が吹きだしてくるというのに、スメラギ探偵事務所では、この夏、一日もクーラーをつけたことがない。
事務所にクーラーがないわけではない。古いビルとはいえ、以前のテナントが残していった立派なクーラーがあるのだが、スメラギ探偵事務所では使う必要がないのである。
窓をぴたりと閉めた事務所内で、ひとりきりの事務員、山口京子は、慣れたものか、額に汗もにじませず、黙々と机にむかっている。スメラギ探偵事務所所長にして唯一の探偵、皇(すめらぎ)拓也は、客用の革のソファーに体を投げ出し、昼寝をきめこんでいる。リズミカルな寝息が白い煙となって舞い上がり、天井めがけてのぼりつめては途中でかき消えていく。窓の外は陽炎がゆらめいているというのに、スメラギ事務所内は暖房でもいれたいほどの冷気がくぐもっていた。
午後2時の時報を告げ、ラジオはニュースに切りかわった。連日の暑さと、昨日から始まった甲子園のこれまでの結果と現在行われている試合の途中経過、戦前から親しまれていた映画館が惜しまれつつこの夏で閉館するという短いニュースを伝え、ラジオは再び甲子園の実況に切りかわった。
「おい、ハリネズミ、仕事だ」
と聞こえた声はラジオからにしては近すぎた。
いつのまに入ってきたのか、男がソファーに寝転がるスメラギを見下ろしていた。この暑いのに、黒のスーツに黒いタイをきっちり締め、汗ひとつかいていない。
「だれがハリネズミだよっ!」
震えながら起き上がったスメラギの頭部は、なるほど客の男の言うとおり、ハリネズミにちがいない。
短く刈り込まれた髪の毛先はツンと尖って、今にも針となって飛び出しそうな勢いだ。毛先から根元まで見事な白髪、毛根まで白いのは染めたのではなく地毛であることを物語っている。
「じゃ、ハリセンボンだ」
「っるせー」
ウソついたら針千本飲ーます、と、男は低い声で調子をつけた。
「何だ、ソレ」
「指きりげんまん、ウソついたら~、だ。知らないのか」
「知らねー」
男は、針を一度に千本飲まされるのか、それとも一本ずつ、合計千本飲まされるのか、どっちなんだと、つぶやいていた。
「…おい、死神。ハリセンボンの話をしにきたわけじゃないだろ」
せっかくの昼寝を邪魔されてスメラギは機嫌が悪かった。そうでなくても寝起きは悪いほうで、てっとりばやく血糖値をあげるために、毎朝、起きがけには、砂糖たっぷりのコーヒーを飲むのが習慣だ。
指きりげんまん、約束の仕草の小指をたてて男が言った。
「依頼人だ」
事務所にクーラーがないわけではない。古いビルとはいえ、以前のテナントが残していった立派なクーラーがあるのだが、スメラギ探偵事務所では使う必要がないのである。
窓をぴたりと閉めた事務所内で、ひとりきりの事務員、山口京子は、慣れたものか、額に汗もにじませず、黙々と机にむかっている。スメラギ探偵事務所所長にして唯一の探偵、皇(すめらぎ)拓也は、客用の革のソファーに体を投げ出し、昼寝をきめこんでいる。リズミカルな寝息が白い煙となって舞い上がり、天井めがけてのぼりつめては途中でかき消えていく。窓の外は陽炎がゆらめいているというのに、スメラギ事務所内は暖房でもいれたいほどの冷気がくぐもっていた。
午後2時の時報を告げ、ラジオはニュースに切りかわった。連日の暑さと、昨日から始まった甲子園のこれまでの結果と現在行われている試合の途中経過、戦前から親しまれていた映画館が惜しまれつつこの夏で閉館するという短いニュースを伝え、ラジオは再び甲子園の実況に切りかわった。
「おい、ハリネズミ、仕事だ」
と聞こえた声はラジオからにしては近すぎた。
いつのまに入ってきたのか、男がソファーに寝転がるスメラギを見下ろしていた。この暑いのに、黒のスーツに黒いタイをきっちり締め、汗ひとつかいていない。
「だれがハリネズミだよっ!」
震えながら起き上がったスメラギの頭部は、なるほど客の男の言うとおり、ハリネズミにちがいない。
短く刈り込まれた髪の毛先はツンと尖って、今にも針となって飛び出しそうな勢いだ。毛先から根元まで見事な白髪、毛根まで白いのは染めたのではなく地毛であることを物語っている。
「じゃ、ハリセンボンだ」
「っるせー」
ウソついたら針千本飲ーます、と、男は低い声で調子をつけた。
「何だ、ソレ」
「指きりげんまん、ウソついたら~、だ。知らないのか」
「知らねー」
男は、針を一度に千本飲まされるのか、それとも一本ずつ、合計千本飲まされるのか、どっちなんだと、つぶやいていた。
「…おい、死神。ハリセンボンの話をしにきたわけじゃないだろ」
せっかくの昼寝を邪魔されてスメラギは機嫌が悪かった。そうでなくても寝起きは悪いほうで、てっとりばやく血糖値をあげるために、毎朝、起きがけには、砂糖たっぷりのコーヒーを飲むのが習慣だ。
指きりげんまん、約束の仕草の小指をたてて男が言った。
「依頼人だ」
