渡せなかった手紙 8-4
「それはどういう?」
「おいっ、死神っ!」
スメラギが止めようとするのを無視し、死神は先を続けた。
「お前、何人も人間を殺しただろ」
小夜子が柏木孝雄を待ち続けた場所 ― 都心の繁華街を走る幹線道路の交差点では事故が相次いでいた。犠牲者はすべて若い男性。小夜子とわかれわかれになった当時の柏木孝雄と同じぐらいの年齢、顔つきもどことなく似ていたのは、柏木の面影をしのばせていたからだろう。
小夜子はただ、柏木孝雄を待っていただけだった。柏木孝雄と同じぐらいの年齢、背格好の男をみかけると、その姿を現してみせた。道路中央に立つ女を避けようと、男たちはハンドルを切り、あるものは交差点の角にある店に突っ込み、あるものは対向車線にはみ出し、それぞれに事故を起こして死んでいった。
「あれは、事故で…」
「理由は何でも、人間に危害を加えた霊は生まれ変われない。未来永劫、地獄ですごすことになる」
「未来永劫……」
小夜子の様子がおかしい。
ぞっとするような冷気がたったかとおもうと、小夜子の人の姿としての輪郭が、朝もやにとけこむかのようにぼやけていった。たちまち、あたりには吐き気をもよおすほどの異臭がただよいはじめ、空気が今度は熱をもちはじめた。
「わた…し、ワ、タシ…タカ、ダガ…オ……」
吉田にむかってのばされたその腕の皮膚はただれ、ズルリ…と肉がそげおちた。美しかった髪は、糸を引くように抜け落ち、助けを求めた黒い瞳はたちまち眼窩に沈んだ。
「小夜子さんっ!」
かけよろうとする吉田を、スメラギはその腕をつかんで引き止めた。
「スメラギさん! 小夜子さんはどうしたんです? 一体、何が起こってるんです?」
「…怨霊になっちまった…」
小夜子はもはや人の形を失っていた。そこには、他をかえりみることのない、愛するものへの執着と情念だけが、凝固した感情だけがあった。それは、おぞましいほどに醜く、そしてひどく美しかった。
「未来永劫、添イ遂ゲラレナイノナラ、モウ一度、コノ男ノ体にニノリウツルマデッ!」
はげしい炎がたちまち、気を失って浜辺に横たわる美月めがけて走った。
「臨・兵・闘・者・皆、」
鋭い光が空(くう)を裂いた、
「陣・列・在・前!」
爪の先までそろえたスメラギの五本の指の鋭い刃先は、怨霊と化した小夜子を斬り裂いた。
小夜子の断末魔の叫びに、スメラギは母の声を聞いた気がした。
(ありがとう……)
最後に見た母の姿は、もはや怨霊ではなく、生きていた頃と変わらぬ優しい微笑みを浮かべていた。スメラギの心が目を偽ってみせた錯覚だったのかもしれない。
人に仇なす怨霊というが、苦しんでいたのは怨霊となった母自身だった。身の内から立ち上がる業火に焼き尽くされ続けながら、母はスメラギをいじめていた子たちに祟った。そして、呪われ、業火はさらに強まった。自らの尾をのんで空腹を満たす蛇のように、母は祟っては呪われ、苦しんだ。
すでにこの世のものではない母に、安息の死はおとずれない。地獄がその火を放った母を、救えるのはスメラギだけだった。
スメラギは、怨霊となった母を永劫の苦しみから救うために、寂滅の法を用いて滅ぼした。
小夜子もまた、消滅した。小夜子を消滅させたスメラギは、彼女を救ったことになるのだろうか……。
「おいっ、死神っ!」
スメラギが止めようとするのを無視し、死神は先を続けた。
「お前、何人も人間を殺しただろ」
小夜子が柏木孝雄を待ち続けた場所 ― 都心の繁華街を走る幹線道路の交差点では事故が相次いでいた。犠牲者はすべて若い男性。小夜子とわかれわかれになった当時の柏木孝雄と同じぐらいの年齢、顔つきもどことなく似ていたのは、柏木の面影をしのばせていたからだろう。
小夜子はただ、柏木孝雄を待っていただけだった。柏木孝雄と同じぐらいの年齢、背格好の男をみかけると、その姿を現してみせた。道路中央に立つ女を避けようと、男たちはハンドルを切り、あるものは交差点の角にある店に突っ込み、あるものは対向車線にはみ出し、それぞれに事故を起こして死んでいった。
「あれは、事故で…」
「理由は何でも、人間に危害を加えた霊は生まれ変われない。未来永劫、地獄ですごすことになる」
「未来永劫……」
小夜子の様子がおかしい。
ぞっとするような冷気がたったかとおもうと、小夜子の人の姿としての輪郭が、朝もやにとけこむかのようにぼやけていった。たちまち、あたりには吐き気をもよおすほどの異臭がただよいはじめ、空気が今度は熱をもちはじめた。
「わた…し、ワ、タシ…タカ、ダガ…オ……」
吉田にむかってのばされたその腕の皮膚はただれ、ズルリ…と肉がそげおちた。美しかった髪は、糸を引くように抜け落ち、助けを求めた黒い瞳はたちまち眼窩に沈んだ。
「小夜子さんっ!」
かけよろうとする吉田を、スメラギはその腕をつかんで引き止めた。
「スメラギさん! 小夜子さんはどうしたんです? 一体、何が起こってるんです?」
「…怨霊になっちまった…」
小夜子はもはや人の形を失っていた。そこには、他をかえりみることのない、愛するものへの執着と情念だけが、凝固した感情だけがあった。それは、おぞましいほどに醜く、そしてひどく美しかった。
「未来永劫、添イ遂ゲラレナイノナラ、モウ一度、コノ男ノ体にニノリウツルマデッ!」
はげしい炎がたちまち、気を失って浜辺に横たわる美月めがけて走った。
「臨・兵・闘・者・皆、」
鋭い光が空(くう)を裂いた、
「陣・列・在・前!」
爪の先までそろえたスメラギの五本の指の鋭い刃先は、怨霊と化した小夜子を斬り裂いた。
小夜子の断末魔の叫びに、スメラギは母の声を聞いた気がした。
(ありがとう……)
最後に見た母の姿は、もはや怨霊ではなく、生きていた頃と変わらぬ優しい微笑みを浮かべていた。スメラギの心が目を偽ってみせた錯覚だったのかもしれない。
人に仇なす怨霊というが、苦しんでいたのは怨霊となった母自身だった。身の内から立ち上がる業火に焼き尽くされ続けながら、母はスメラギをいじめていた子たちに祟った。そして、呪われ、業火はさらに強まった。自らの尾をのんで空腹を満たす蛇のように、母は祟っては呪われ、苦しんだ。
すでにこの世のものではない母に、安息の死はおとずれない。地獄がその火を放った母を、救えるのはスメラギだけだった。
スメラギは、怨霊となった母を永劫の苦しみから救うために、寂滅の法を用いて滅ぼした。
小夜子もまた、消滅した。小夜子を消滅させたスメラギは、彼女を救ったことになるのだろうか……。
