ドアを閉め切ってしまってから、桃子はチェーンを外した。このまま閉めだしてしまってもよかったのに、桃子はドアを再び開けた。部屋には桃子以外に誰もいないとわかれば、女は引き下がるだろう。彼女の標的はあくまでも亮平だ。
ドアが開け切るのを待ちきれず、女はほんのわずかな隙間から体を入れ、雪崩のように部屋の中に押し入ってきた。
「ちょっと、靴ぐらい脱ぎなさいよ」
すみませんの一言もなく、女は玄関先にむかって黒のパンプスを投げ出し、部屋の奥へと押し進んでいった。
とはいえ、ワンルームの部屋だから五歩も歩けば部屋の全体が見渡せる。玄関を入ってすぐ左がユニットバス、右はキッチン、真っ直ぐ進めばベランダに出る窓に突き当たる。ベッドは六〇七号室側の壁側にあり、トイレとベッドの間の壁には作り付けのクローゼットがある。狭い部屋だから、男がいたとしたら、見落とせるはずがない。
「だから言ったでしょ。誰もいないって」
桃子の言葉を無視し、女は部屋の隅々にまで視線をやっていた。ユニットバスのトイレの蓋も開け、洗面台の収納もキッチンのシンク下もチェックする徹底ぶりで、そんな場所に隠れられるのは小人だけだなと呆れつつ、桃子は女のしたいようにさせていた。
女が冷蔵庫を開けて中を覗き込んでいたその時だった。ガラスがひび割れるような音がした。音はベランダの方から聞こえてきた。何事かとカーテンの隙間からベランダを見ると、そこには素っ裸の亮平が半笑いを浮かべて立っていた。カーテンを握りしめ、桃子はとっさに女を振り返った。
「ねえ、ベランダも見せて」
電子レンジの中を見終えた女が桃子に、というか、ベランダにむかって近づいてきた。ベランダに亮平がいると知られたら、かくまっていたとみなされて何をされるかわかったものではない。後ろ手にカーテンを握りしめる両てのひらにじんわりと汗がにじんできた。
「えっと、本当に、こっちの部屋の側のベランダにわたってきたのかな? 見たって言ってたけど、もしかしたら、窓にむかって左側の部屋に行ったかもしれないじゃない? だとすると、六〇八号室なんだけど」
「ちゃんと、見たわよ。確かにこっち側、六〇六号室側のベランダに移ったわ」
「勘違いしてるってことない? ほら、部屋の中からだと、隣の部屋の位置関係ってわかりにくいものだし」
「間違いないわ。そこどいて」
女に押しのけられ、桃子は窓の前をあけわたしてしまった。まずい。とっさに、桃子は玄関に目を向けた。亮平を見つけた女が激昂している間に、逃げ出せるだろうか。鍵はかけなかったから、猛スピードで走り抜ければ何とか部屋の外には逃げ出せるはずだ。
女はカーテンレールが壁から引きちぎれそうな勢いでカーテンを開けた。桃子は後ずさりを始めた。
女は窓の鍵に手をかけた。窓を開け、バルコニーに身を乗り出し、男の姿を探している。そろそろ体をドアに向けたほうがいい。
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