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第22話 好きなものと似合うもの

 和也とのデートをひかえ、奈々子はトイレで10センチのヒールに履き替えた。和也が買ってくれた赤いエナメルのハイヒールだ。
 ハイヒールにあわせて、洋服も大人びたワンピースを選んだ。髪色を明るくし、ゆるふわパーマをかけて大人っぽさを演出、メイクもハイヒールの色にあわせた少し濃い目のルージュをひいた。
 和也の好みははっきりしていて、服もメイクも、自分の好みにあったものを奈々子に指示する。足元のハイヒールにはじまって、洋服、メイク、ヘアスタイル、アクセサリーと、全体にバランスが取れるよう、いろいろと口出しする。宣伝関係の仕事をしているだけあってセンスは抜群で、大人びた色気をまとわせてくれる和也の演出を、奈々子は気に入っていた。
 和也と付き合っていると、自分の意外な一面を知らされ、何だか成長していくような気がする。
 付き合い程度に飲むだけだったワインも、ワイン好きの和也と付き合うようになって詳しくなった。和也は食べるものも洗練されていた。和也と食べるものは、食べ物ではなく、芸術品だった。宝石のように彩り鮮やかな食べ物たちを口にすると、魂から磨かれていく気がする。
 夢見心地な気分でつま先立って歩きだすと、トイレから出たところで人にぶつかりそうになった。
 胸のあたりに顔をうずめそうになった相手は、太一だった。
 いつもより太一の顔が近い。10センチのハイヒールを履いているせいだった。美香とはいつもこの距離で話をしているのか……。
「デートか」
 和也から話は聞いているだろう。奈々子は黙って頷いた。
「付き合ってんのか、おまえら」
 太一のその質問には奈々子は答えられなかった。
 和也とは、付き合っているとはいえないかもしれない。会えば楽しい時間を演出してくれるし、センスも磨かれる。恋人同士というより、先生と弟子のような関係とでもいったらいいだろうか。
「そっちこそ、美香さんとどうなってるの?」
 嫉妬がこめかみのあたりを引きつらせた。
「なんで、鮎川さんが出てくるんだよ?」
「このあいだ、映画館でデートしてたじゃない」
「あれはデートっていうか、たまたま券があるからって誘われただけで。あれきり、どこにも行ってないぞ」
「別に言い訳しなくてもいいわよ。私には関係ないことだもの」
 バランスを崩しそうになりながら、奈々子はその場を去ろうとした。10センチのヒールにはまだ慣れない。
「似合わねぇよ、その靴! 服も化粧も、全部、似合わねぇ!」
 太一の文句は、和也とは不釣合いだと言っているように、奈々子には聞こえた。
「そちらは美香さんとお似合いじゃん!」
 こめかみがますます引きつっていく。
「好きなものと、似合うものは違うんだ!」



 「…でね」
 和也のチーズに関する薀蓄は、奈々子の耳をすり抜けてしまっていた。予約がなかなか取れない評判のレストランの料理も、味わうことなく胃袋を通り過ぎていってしまった。
「僕の話、聞いてた?」
「ええ、チーズの話ですよね」
「いや、今度の連休の話」
 会うたびに、春分の日の連休をどうすごそうかという話をされていたが、奈々子は何だかんだと理由をつけて会うのは難しいかもしれないと言い続けていた。
「泊まりで箱根にいかない?」
 和也はふたりの関係を先に進めたがっていた。和也の気持ちをわかっていながら、奈々子は、先生と生徒のような清い関係から先には足を踏み出せないでいた。
 和也の胸に飛び込んでいけたら楽しいのだろうな、と奈々子は思う。
 だが、飛び込みたい胸は、タワーのようによじのぼっていかなければならない太一の胸だった。

テーマ:オリジナル小説
ジャンル:小説・文学

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